8.小さなてのひら

白鳥沢に入学してから初めての長期休暇、だけど当然バレー部に休みなんてものはなくて、ゴールデンウィークはがっつり合宿だ。
前半は基礎練や体を作るトレーニングなんかをみっちりやって、後半は練習試合が組まれている。
日程表を見て軽く目眩がした一年は俺だけじゃないはずだ。
先輩たちだって「またあの合宿をこなすのか…」と遠い目をしていた。

覚悟はしていたけれど中学と高校バレーのレベルの違いを日々痛感させられて必死に食らいつく日々。
しんどくないと言えば嘘になる。
けれど、ふと視線をズラしたところに牛島若利がいる。
この環境は俺にはたまらないものだった。

早くトスをあげたい。
スパイクを打ってほしい。
早く、早く。
追いつかなければ。
同じコートに立たなければ。



合宿の一日のメニューが終わった後はほとんどの部員が自主練に励むけれど、一年はまず第五セットまでをフルで戦い抜くための体力作りから、との指示でひたすら走らされる。
この考えに異論があるわけではないけれど、ボールに触りたかった。

さっさとノルマをこなして先輩たちの練習に混ぜてもらおうとペースを上げすぎたのがいけなかったのか、単純に合宿半ばだから疲れが溜まっていたのか。

足がもつれて視界がグラリと揺れたかと思ったら、もう歩くことすらできなかった。
広いグラウンドの隅にある木に身を預けるようにして座り込む。
体育館から聞こえるボールの弾む音や掛け声が妙に遠く感じて、目を閉じた。

あー…ランニング途中で抜けたのバレたら怒られるな。
同級生たちが「ちゃんと説明しとくから休んどけ」と言ってくれたから大丈夫か。
そういえば授業で出た課題、まだ半分以上残ってんな、やべぇ。

……こんな所で休んでる場合じゃないんだけどな。


溜息を飲み込んでもう一度かたく目を閉じたら、ザッザッという足音が遠くでしている。
コーチか誰かが来てくれたんだろうか。
なんて思ったけれど、遠くで叫ばれた自分の名前は予想したものよりもだいぶ高いトーンだった。


「…白布!」


聞き慣れた声。
重い瞼をあげれば、まだ体に馴染まない白鳥沢バレー部のジャージを着たみょうじが走って来ていた。
あぁ、一番見られたくない相手が来てしまった。

「白布!大丈夫…じゃないか」

焦ったように冷えたタオルとドリンクを差し出すみょうじの顔は見れない。

くそ、かっこ悪い。
手を伸ばすのもダルくて、のろのろと受け取ろうとしたらそれを察してくれたようで、タオルで汗を拭ってから首筋に当ててくれる。

「冷たくない?」
「あー…いや、助かる。悪い」
「全然。水飲める?」

無言で頷いてみょうじからボトルを受け取る。
薄められたスポドリがすーっと体に沁みるように入ってきた。

「ちょっとずつね、急に飲むと体びっくりしちゃうよ」

中学三年間、選手とマネージャーをやってきたけれどこんな姿を見られるのは初めてで、めちゃくちゃ情けない。
返事をできずにいるとよっぽど俺の体調が悪いと思ったのか、みょうじが背中をさすってきた。

「よしよし、大丈夫だよー」
「…なんだよそれ」

みょうじの声に気が抜けて、強張っていた全身が緩むのがわかる。

「頑張り屋の白布くんが少しでも力を抜けるように、おまじないです」
「子供かよ…」
「まぁまだ15歳だしね、子供だよ」
「あー…」
「ん?…ってあれ、今日って4日?」
「俺、今日誕生日だ」

背中をさすっていたみょうじの手が止まった。

「ぅわー…すっかり忘れてた…いや、忘れてないよ、覚えてたんだよ」
「慌てすぎだろ、てか俺もいま気付いた」
「お誕生日おめでとうございます」
「おーありがとうございます」

かしこまって敬語で言われて、笑ってしまった。
毎日全身筋肉痛で笑うと腹が痛い。

ただの部員とマネージャーだし、別に祝ってほしいとか思ってたわけじゃない。
中学の時にサラッと誕生日はいつかと話したことはあったけれど、お互いに特に祝ったことはなかった。
中三でよく話すようになった頃には俺の誕生日は終わっていたし。

俺の首にタオルを当てながらいまだにうなだれているみょうじの顔を見ようとダルい体を動かすと、ハッとしたようにまた背中をさすってくれる。
気分は大分落ち着いてきたけれど、みょうじの手が心地よくて「もういい」なんて言えなかった。

「16歳かぁ、中一のときよりだいぶ背ぇ伸びたよね。なんか背中逞しい」
「ぶっ倒れた直後に背中さすられながら言われてもな…」
「…わたしになんて言われたくないかもしれないんだけど、」
「ん?」
「頑張るのと無理するのって違うと思うんだ」

入部して、ほとんどみんな推薦で入ってきてて。
白布は負けず嫌いだしすごい頑張ってるなーって見ててわかる。
それ見てわたしも頑張ろうって思うよ。
けど、無理はしないでほしい、です。

「なんて、偉そうでごめん」
「いや…」

才能があるとかないとか、体格に恵まれているとかいないとか、そんなことは関係なくて、ここで頑張っていない奴なんていない。
だったら俺は努力するしかないのだ。
入部して一か月、自分には足りないものだらけだと嫌でも思い知らされる。
こんなところで座り込んでいる場合ではない。

みょうじの言葉にうまく返す言葉が見つからなくて口ごもるのは、背中をさする小さな手の温かさが心臓にまで届いたみたいに、締め付けられるようで苦しいから。

「周り見てたら、みんなすごくて刺激受けるよね」
「…ん」
「けど白布は白布のペースで頑張ってほしい。焦る必要とか、ないと思う。ひとつひとつ、やってこうよ。わたしも出来る事があったら手伝うし」

力になれるかわからないけど、なんて眉毛を下げて言うみょうじのことを、場違いかもしれないけれど好きだと思った。

「頼もしいな、マネージャー」
「真顔で言われましても」
「いや、本当に。なんか気分軽くなった」

そう言えば照れくさそうに安心したように笑う。

「合宿あと一日、踏ん張ろうね」
「おう」
「…合宿終わったら、誕生日祝わせてね」
「いいよそんなの」
「えー」

えーって。
なんだそれ、かわいいな。

「でも白布先生にはお世話になってますし、これからもお世話になる気がしますし、テストのときとか」
「先生って久しぶりに呼ばれた」
「懐かしいね。だから、これからもよろしくお願いしますって意味も込めて何かしないと気が済みません」

テストのときとかって。
白鳥沢は一般入試は県内でも最難関、入学後も授業の進みは早いしレベルも高かった。
入学してすぐに行われた実力テストの結果が散々だった、わからなかったとこ教えて、とみょうじに泣きつかれた。
「しょうがねぇな」なんて言いながらみょうじと一緒に勉強するのが懐かしくて緩みそうになる顔を引き締めるのに苦労したっけな。

「…じゃあ、またたい焼き食べに行こう。みょうじのおごりで」

祝ってほしいわけじゃない、それも本心だけれど。
忙しい合宿中にこうやって話せるだけで嬉しいし、「おめでとう」の言葉だけで心臓がふわっと浮きそうな気持ちになるし、好きな子に祝わせてほしいなんて言われたらそりゃ舞い上がる。

「うん、行こう行こう。あのお店、夏はかき氷やってるんだって、知ってた?」
「へー。じゃあ夏になったらまた行くか」
「うん!じゃあ今日は白布はもうお風呂入って寝ること!」

立てる?と聞きながら、さすってくれていた手が離れた。

「お腹空いてる?ご飯まだだよね」
「あー…いま食ったら全部出そう」
「そっか。本当は食べたほうがいいと思うけど…あとで部屋に補助食持っていくね」
「サンキュ」


みょうじに付き添われて部屋に戻って、「ありがとな」ともう一度礼を言ったら「マネージャーだもん」とかわいい顔で言われたあとに「長風呂はダメだからね!部屋戻ってきたら念のためメールしてね」と釘をさされた。

マネージャーというか最早過保護な母親…なんて思ってしまったけれどそういうとこも嫌じゃなくてむしろ好意的に感じてしまうのは惚れた弱味か。


風呂から戻ったら部屋の前に栄養補助食品とバナナとスポドリと、メモが置いてあった。
去年、みょうじが胃腸炎になったときと立場逆転してんな。



『白布へ
具合どうですか?
食べられそうだったら少しでもいいから食べてね。
水分はちゃんととってね。
心配だから短くていいから寝る前にメールください。
おやすみ! なまえより』



あー…体はめっちゃしんどいのに。
これは眠れそうにない。

(2016.05.07.)

白布くんお誕生日おめでとうでした!


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