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『なまえって真琴と付き合ってたんだねービックリしたよー』
珍しい相手から電話がかかってきたと思ったら、そんなことを言うものだから「ビックリした」はこっちのセリフだ。
「貴澄、それ誰に聞いたの?」
『真琴に。今日岩鳶SC行ったら偶然会ってさ』
別に隠していたわけじゃないし知られたからどうってことはないけれど、わざわざ電話をかけてこられるとなんだか恥ずかしい。
真琴がSCの手伝いをするようになって数日。
部活に支障は出ないようにする、と言った真琴はその言葉の通りに部活でのメニューをしっかりこなしてから足早にSCに向かうようになった。
クラスが一緒だから毎日顔を合わせているし、部活だって今まで通りだったけれど、やっぱりぎこちなさが拭えない、そんな数日。
「貴澄、SC通ってるの?」
まさかと思いながら聞けば「弟が通ってるんだよ」と言う。
貴澄の弟の颯斗くんが通っているらしい、小学生の弟がいるなんて知らなかった。
『颯斗迎えに行ったら真琴がいるんだもん、ビックリしたよ。しかもなまえと付き合ってるなんて』
「あれ、真琴だ」
「えっ貴澄?なんで?」
「弟が通ってるんだよ、鴫野颯斗っていうんだけど」
「颯斗くん!貴澄の弟だったんだね、たしかに髪の色が同じだ」
真琴の表情が驚いた顔から柔らかい笑顔に変わる。
数年ぶりに会った場所が岩鳶SCだなんてこんな偶然があるのだな。
「俺は笹部コーチの手伝いで。学校の水泳部でコーチやってもらってるからそのお礼なんだ。最近SC忙しそうだったから」
「へぇ、相変わらず人がいいんだねぇ。あっそういえば真琴って岩鳶高校だよね、僕この間なまえに会ったんだよ」
なまえ、と先日再会した小学校の同級生の名前を出すと真琴の顔が強張った。
僕、変なこと言った?
「…あぁそっか、貴澄もなまえと同じ佐野小だもんね」
「そうそう。なまえ水泳部のマネなんだってねー水泳嫌いだと思ってたから驚いたよ。宗介の誘い断ってたらしいし」
「…そうなんだ」
「真琴?どうかした?」
「なまえ他に何か言ってた?」
真琴の眉が困ったように下がる。
他に、の意味するところがわからなくて首を傾げる。
「俺となまえのこと」
「うーん、ハルと真琴がいる水泳部でマネやってるってことくらいかなぁ。なに?なにかあるの?」
「…付き合ってるんだ」
でも、なまえからは言ってなかったんだね、そう言った真琴の表情を見て、なんとなく上手くいってないのだろうかと思った。
『…ってことがあったんだよねぇ。明日学校で真琴に何か言われるかもよ』
「うっうん…教えてくれてありがとう。ていうかね、隠してたわけじゃないんだよ」
『わかってるよ、言うタイミングなかったんでしょ。聞かれてもいないのに彼氏できたーなんて言う子じゃないもんね、なまえは』
貴澄が女子にモテたのはこういう風に人のことをよく見ていて、それを臆せず言ったり行動にしたり、それが自然にできるからだろうな。
『真琴と喧嘩でもしてるの?』
「え、なんで…?」
やましいことはないと思うけれど、後ろめたいことはないとは言い切れない。
『なんとなく。真琴、表情暗かったからさ。なまえもなんか元気ないし』
「…喧嘩、にもならないというか」
『ふーん?真琴ってこじらせるとめんどくさそうだもんね』
「真琴は悪くないよ」
『まぁ首突っ込む気はないけど。その様子だと二人とも気まずいの嫌だなーって思ってるんだろうし早く仲直りできるといいね』
不覚にも泣きそうになった。
軽い口調で話してくれる貴澄の空気感が今はすごくありがたい。
「うん」、とだけ返した声は少し涙声だったかもしれないけれどそれにも貴澄は何も触れずに電話を切ってくれた。
「真琴、おはよう」
「おはよう」
最近真琴は部活とSCとの両立で少し眠そうだ。
それでもしっかり授業の予習復習はやってるみたいでちゃんと寝てるのだろうか。
登校してきた真琴に声をかけたら、いつも以上にほんわかした声で返事をくれる。
「…なんか疲れてる?」
「うーん、疲れてなくはないけど楽しいから平気かな。今日で手伝い最後だし」
「えっそうなんだ……見に行きたかった、かも」
本当は前から見に行きたいなって思っていたけれどなんとなくそんなことを言える雰囲気ではなくて。
小声で言ってみた言葉に真琴がどう反応するのか少し怖いなぁと思いながら表情を盗み見る、と、
ビックリしたような、ぽかんとした顔。
「え、なに…?」
「いや、嬉しくて。なまえ見に来てくれないかなーってちょっと思ってたから」
だったら見に来てってひとこと言ってくれたらよかったのに、と思うけれど、わたしが行きたいと言えなかったのと同じで真琴も言えなかったのかな。
そう考えると心臓がぎゅって痛いのに、じんわり温かいような不思議な感覚。
こんな風に他愛のない会話をするのがひどく久しぶりな気がする。
「じゃあ…見に行ってもいい?」
「もちろん、嬉しい。部活終わったら一緒に行く?」
「うん」
久しぶりに一緒に帰れるのが嬉しくて、我ながら顔が緩んでいるなぁと思ったら真琴が眉を下げて頭を撫でてくれた。
大きな手がくしゃっと髪を梳く仕草が好きだなぁと思う。
喧嘩にもならない、そう貴澄に言ったけれど喧嘩にならないのは真琴の優しさのおかげだ。
「昨日ね、貴澄から電話きたんだ。SCで会ったんだって?」
「あぁ、貴澄の弟くんが通ってて」
「聞いた。それでね、真琴と付き合ってるんだねって言われた」
電話のことは正直言おうか少し迷っていたけれど、切り出したら真琴の表情は変わった様子がなくてホッとする。
「うん、言っちゃった…勝手にごめん」
「わたしこそごめん、貴澄に言うタイミングなかっただけで…隠してたとかじゃなくて、」
なんて言っても言い訳に聞こえてしまうかも、と言い淀むわたしの顔を真琴が覗き込むみたいに少し身をかがめた。
「…真琴?」
「気にしてないから、そんな顔しないでよ」
「……どんな顔?」
「うーん、泣きそうな顔。授業始まるから、またあとでね」
「…うん」
「今日は昼一緒に食べよっか」
「っうん!」
思いのほか大きい声が出てしまったわたしに、真琴がまた柔らかい笑顔を返してくれた。
「あれ、なまえだー」
放課後、真琴と一緒に来たSCの見学スペースからプールを眺めていたら後ろから声をかけられた。
「貴澄!昨日電話ありがとね」
「お礼言われるようなことしたっけ?あっ見に来てるってことは真琴と仲直りした?」
「だから喧嘩はしてないって。けど、ありがと」
よかったね、と笑う貴澄と並んでまたプールを覗き込んだ。
「颯斗くん、かわいいね」
「でしょ?橘コーチのおかげで泳げるようになったって家で喜んでてさ、それがまたかわいくて」
「そうなんだ」
橘コーチ、なんて。
かわいいなぁ。
子供達とプールで楽しそうにしている真琴がなんだか新鮮だった。
勝手に顔がにやけるのが自分でわかる。
「真琴、楽しそう」
「だね」
「見に来てよかったなぁ」
「それ、後で真琴に言ってあげなよ。あっ颯斗こっち見た」
相変わらず軽い口調の貴澄が颯斗くんに手を振ると、颯斗くんも小さな手を一生懸命に振り返している。
それに気付いた周りの子達がこっちを見上げて、指さして何かを言っている。
「何話してるんだろね」
「さぁー?」
「あ、真琴が慌ててる」
なんだかきゃっきゃっという雰囲気の子供達を真琴が宥めているように見えた。
「真琴、やっぱりこの前より元気に見えるよ。なまえと仲直りできて嬉しいんだろうね」
「うん、わたしも嬉しい」
「やっぱりなまえは笑ってたほうがかわいいなー」
「なにそれ、貴澄はチャラいなぁ」
まぁたしかにこの前会ったときも宗介の件で心配かけたし今回も助けられたし、貴澄には頭が上がらないなぁと思った。
(2016.04.19.)