26

宗介から引き剥がされて、手首を握る真琴が振り向くことなく大股で進んで行く。
手を引かれて歩く今の状況は昨日と同じはずなのに、引っ張られている手が痛いとか、歩くのが早いなんて言える雰囲気ではない。

結局一言も交わさないままみんなと合流して、そのまま会場を後にした。



真琴と付き合っていながら宗介のことを考えてしまう。
その「気になる」という気持ちが幼馴染としてなのか、昔の気持ちを引きずっているからなのか、自分ではちゃんとわかっているつもりだ。

でも、それでも、真琴に嫌な思いをさせてしまったらわたしの気持ちがどうであろうと同じことじゃないか。
今大切にしたい彼に余計な心配をかけたくなくて、でもそれが悪い方に転がってしまったような気がする。









「…はい」


家の前まで送ってくれた真琴は、持ってくれていたクーラーボックスを玄関で渡してくれる。

「ありがとう。あの、真琴?」
「ん?」
「今日のことなんだけど」
「あぁ…ごめんね、手痛かったよね」

今日のこと、に含んだ意味を真琴が間違えるわけなんてないのに、「無理に引っ張ってごめん」ってもう一度わたしの手を取って謝る。

そうじゃなくて。

真琴を応援するって言ったのに、いや、ちゃんと応援していた、心から。
リレーで岩鳶が負けたことだってすごく悔しい。 
それでも宗介を探しに行って呼びとめた。
真琴が宗介とわたしのことを気にしているの、わかってたのに。

「それは大丈夫…そうじゃなくて、」
「あと昼一緒に食べれなくてごめんね、なまえ弁当作って来てくれてたのに」
「あ、ううん。お弁当、よかったら持って帰って食べて?」

昨日の約束、忘れられていなかったんだ。
帰るときにお昼ご飯の話が出なかったから真琴は忘れているのか、なかったことにされているのかと思った。
言い出せなかったわたしもわたしなのだけれど。

自分のカバンの中に入れっぱなしになっていたお弁当を真琴に差し出せば「ありがとう」と受け取ってくれた。

でもそうじゃなくて。


「宗介のことだけど、」
「なまえ」

さっきから言いたいことを全部遮られている。
顔は笑っているし、一見いつものような柔らかい物腰なのにわたしの名前を呼ぶ声が堅い。

「もういいから」
「、いいってどういう」
「見なかったことにするから、謝らないで」
「でも…」
「明日も学校あるし今日はもう帰るよ。なまえもゆっくり休んで」

また明日ね、と言って真琴はわたしの頭を撫でた。
いつもみたいに優しい手つきで、大きな手が髪の毛を梳いた。

遠くなっていく背中に「またね」と言ったわたしに振り返って笑顔で手を振ってくれて、なぜか涙が出そうだった。


いつも通り、だけど少しの違和感。
それがひどく痛かった。








どんなに憂鬱でも月曜日の朝は来る。
眠りが浅かったのか目覚ましの音が鳴る前に目が覚めて、自室のカーテンを開けるとため息が出た。

今日もいい天気だ。

(…学校行きたくないなぁ)


最近こんなのばっかりだ。
せっかく早起きしたし、このままぐだぐだしていても欝々としていくだけだなと思ってまだ大分早いけれどのそのそと準備を始めた。
いつも朝はバタバタと忙しいけれど今日はのんびりトーストを食べて、新聞を読むお父さんと向かい合って朝の情報番組を観る。
お母さんはまだキッチンに立って洗い物中だ。

「おっ昨日の大会、地方面に載ってるぞ」

新聞をめくったお父さんが、地方面の小さな記事を指差す。

「岩鳶は二位だったんだな」
「…うん。けど地方大会には出られるよ」
「毎日頑張ってるもんなぁ」
「頑張ってるのは選手のみんな」

そう、毎日頑張っている。
リレーでも個人種目でも地方大会出場が決まって休むことなく今日からまた練習だ。
マネージャーとしてできることを今はやらないと。


「一位は鮫柄か、宗介くんたちさすがだな」
「あぁ…うん」
「へー宗介くんと凛くんが一位だったのね!お母さんも観に行けばよかった」
「宗介くん東京で頑張ってたんだろうなぁ」

…東京での生活は、どんなものだったんだろう。
朝起きたら当たり前のようにお母さんが朝ご飯を作ってくれて、お父さんがコーヒーを飲んでいて、二人が「おはよう」って言ってくれる、そういう実家の温かさを置いて、地元を離れてひとりで東京に行って、どんな風に毎日過ごしていたんだろう。
ぼんやりとした思考の中で、昨日の宗介の苦しそうな表情を思い出した。







「なまえちゃん、昨日真琴先輩何か言ってた?」


お昼休み、教室でクラスメイトとお弁当を食べて喋っていたらひょっこりと廊下からを顔を出した江ちゃんに呼び出されて、開口一番こう言われた。

「何か、って?」
「昨日のリレー、リアクションタイムのこと気にしてるんじゃないかと思って…みんなで帰ってるときも全然話してなかったし」

たしかに昨日の大会でのリレー、真琴のリアクションタイムはいつもよりも遅れてしまった。
負けた原因は決してそれだけではなくて各自の課題があるのだけれど、真琴は責任を感じているのではないかと言うのだ。

「昨日から真琴とあんまり話してなくて」
「え、家まで送ってもらったんじゃないの?」
「送ってもらったんだけど…」

どう伝えればいいのかわからなくて言い淀めば江ちゃんは不思議そうに首を傾げる。
赤茶色の髪の毛が揺れて、もう一人の幼馴染のことを思い出して無性に会いたくなった。
土日は同じ会場にいたのに全然話せなかったな。


「今日も実は挨拶くらいしかしてないんだ、部活のときにでも話してみるね」

そう、今日は真琴と一言二言しか話していない。

わたしは普段よりも早く学校に着いていたのだけれど真琴は授業開始時間ギリギリに登校してきた。
真琴まだかな、とそわそわして席から教室の扉をチラチラと見ていたら隣の席の子にからかわれてしまった。
珍しくハルのほうが先に来て、「一人?」と聞いたら無言で頷かれた。
予鈴が鳴ってから駆け込むように教室に入ってきたけれど席が離れているから朝の挨拶はできなくて、授業の合間に声をかけた。


「真琴、おはよう」
「おはよう」
「今日ギリギリだったんだね」
「あぁ、うん。寝坊しちゃった」

珍しいねってわたしの言葉に苦笑だけで返事をした真琴はちょっとごめん、とすぐに教室を出て行ってしまった。
お昼休みもチャイムが鳴ったとほぼ同時に席を立って、まだ戻っていない。

「真琴先輩、やっぱり落ち込んでいるのかなぁ」
「…どうなんだろう」
「今日から部活だし切り替えてくれてるといいんだけど」

なまえちゃん呼び出してごめんね!とかわいい笑顔を残して江ちゃんは去っていった。




…わたしより江ちゃんのほうがよっぽど周りを見れている。

年齢を重ねれば大人になれるんだと思っていた。
大人になればいろんなことができるようになって、わかるようになるんだと思っていたし、うまくいくんだと思っていた。

高校三年生なんてまだ子供かもしれない。
それでも、近くにいるはずの真琴のことをわかりたいのにわかってあげられないことが悔しくて悲しくて、それが自分のせいなのだと考えると情けなくて仕方なかった。



五時間目がはじまる三分前に教室に戻れば眼鏡をかけた真琴が教科書を広げていた。
話しかけることはできなくてわたしも自分の席につく。

この授業が終わったら、六時間目が終わったら、部活に行くとき…部活が終わったら。
結局しっかり話すことができなくて、気が付いたら一日が終わってしまった。
…まぁ、いつもみんなで帰るし…なんてなんとなく逃げの姿勢でいたのがいけなかった。




「ごめん、岩鳶SC行くことになっちゃって。先に帰ってていいよ」

帰ってていいよ、なんて優しく言うけれど有無を言わせない雰囲気で。
「そっか、わかった」とだけ返したわたしに「また明日」と言って更衣室に行ってしまった。
濡れた髪の毛をわしゃわしゃと雑な手つきで拭く真琴の後ろ姿をただジッと見送った。
大会のタイムを吾朗ちゃんに届けに行くって言われたら、付いて行ったところで邪魔になるだけだし何も言えるわけがなかった。


次の日、部活でみんなと一緒にいるときに「SCの手伝いをすることになったからしばらく一緒に帰れない」と言われて「そっか」と返した顔はちゃんと笑えていたかな。
みんなに伝えるより先に教えてほしかった、なんていうのはただのわがままだ。


(2016.04.04.)


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