7.夕凪とさよならの音

三年前、ぶかぶかでまっさらな制服を着て足を踏み入れた校舎。
先生の授業よりも休み時間に友達とした無駄話のほうが記憶に残っている教室。
放課後も土日も、ほとんど毎日ボールを追いかけていた体育館。

踵を踏んづけてすっかりくたびれた上履きを今日はきちんと足に入れて履いた。
学ランのボタンを上まで留めて、歌うのが最後になるであろう校歌を歌う。

今日、俺たちは豊黒中を卒業する。





一人ひとり名前を呼ばれて階段を上り、校長先生から卒業証書を受け取った。
登壇する同級生たちはみんな涙ぐんでいて、それはみょうじも例外ではなかった。
三年にあがってからは下ろされていることが多かった髪も今日は耳の下あたりで二つ結びにされている。
舞台上で自分の番を待つみょうじをジッと見ていたら目が合って、ふにゃっと府抜けたような笑顔。
すぐにみょうじの順番が来て、視線も外された。

(…今日、みょうじと話してねぇな)

というか、最近あんまり話していない。
受験が終わってから当然だけれど勉強会はなくなった。
学校に行けば会えるし放課後の部活に一緒に顔を出していたけれど、今までみたいに一緒に帰るってことはしなくなった。
後輩マネージャーたちがみょうじにべったりだったから。
かくいう俺も、後輩たちの居残り自主練に付き合っていたから帰る時間がかぶらない。

寂しい、というか物足りないのだ。
俺に向いていたいろんな表情が、他の誰かに向いている。
卒業したらなかなか中学の奴らとは会えなくなるだろうし、その時間を大事にしたいと思うのは俺だって同じだけれど、何か月もずっとみょうじと一緒にいたから、今の状態が物足りない。

受験が終わって頭の中はバレーと、みょうじのことばっかりだ。




卒業式が滞りなく終わり、粛々とした雰囲気のまま各クラスに戻る。
担任の先生が改まった様子で「卒業おめでとう」と言ってくれて教室がシン、とした。
私立組と県立組、全員受験が終わって無事にみんな進路が決まったことを先生が教えてくれて、先生まで涙ぐむものだから教室がすすり泣きでいっぱいになった。
最後のHRが終わり、みんな名残惜しそうに写真を撮ったり、卒アルの後ろのページに寄せ書きを書いたりしている。
解散のタイミングがわからない、帰りたくない、そういう空気。

下級生たちも部活やら委員会やらで世話になった先輩たちに会いに来ていて、教室も廊下も人で溢れかえっていた。


「し、白布先輩」

少し上ずった声で名前を呼ばれて振り向けば、体育祭でリレーが一緒だった二年の女子が顔を真っ赤にして立っていた。

「あぁ、久しぶり」
「お久しぶりです!あの、白鳥沢受かったって聞きました、おめでとうございます」
「うん、どうも」
「…えっと、」

あー…これは多分写真撮ってくれとか、そういうことなんだろうか。
デジカメ握りしめてるし。
沈黙が少し気まずいけれど、相手から言われるまで待つしかない。

付き添いで来ていたらしいその子の友達が肘でその子のことをつつく。

「みょうじ先輩いないうちに言わないと」

…なんて小声で言ってるけど聞こえてる。
どうしてここでみょうじが出てくるのだろうと思うけれど、俺たちが付き合っていると勘違いしてるいる人はどうやら少なくないらしい。
これだけ広まっているとみょうじの耳にも入ってるんじゃないだろうか。

「しゃ、しゃ、写真撮ってください!」
「うん、いいよ」

断る理由なんてないから了承すれば、嬉しそうに照れくさそうに隣に並ばれて一緒に写真を撮った。

「あと…無理ならいいんですけど、ボタン、もらえないですか?」
「え?…あーいいけど」

ボタンって、どこのボタンだ。
さっき女子たちにむしりとられたからもうほとんど残っていない。
…第二ボタンは「みょうじさんのでしょ」だとか言われて残っているけれど。
外しておかないと誰かにくれって言われて困るよ?とアドバイスまでくれたから、俺の第二ボタンは今、学ランのポケットに収まっている。
みょうじに渡す約束なんてしていないのに素直に従う俺も俺だけれど。
少し迷っていると「そっ袖の小さいボタンでいいので!」と言ってくれたから、まだあった左袖のボタンをちぎって渡す。

「ありがとうございます…大切にします。卒業、おめでとうございます」

その子は赤いままの顔でぺこぺことお辞儀をして去って行った。
ふぅ…と一息吐いていたら後ろから「おい…」と恨みがましい声が聞こえて振り返る。


「白布…なぜお前ばっかり…!」
「はぁ?ばっかりってなんだよ、首絞めんな…!」

いつの間にか隣のクラスのバレー部が背後に立っていて羽交い締めにされた。

「みなまで言わせるんじゃねぇ…てかバレー部はこの後体育館集合だってよ」
「わかった、みょうじ連れて行くわ」
「おう。俺先行くな、女子に捕まってないでさっさと来いよ」

やたら悪態をついて去って行く…のかと思いきや、そいつも教室を出たところで女子に声をかけられて写真に応じていた。

誰にとってもきっと今日は特別なんだ。
最後、なのだから。
いままでは学校に来れば会えたけれど、明日からは違う。
「当たり前」が期間限定であることはわかっていたのにこんなにも寂しい。


みょうじは教室にいなくて、どこに行ったのだろうと思っていたらみょうじと仲の良い奴がにやにやしながら話しかけてきた。

「なまえ、呼び出されて行っちゃったよ」
「…は」
「誰にだと思うー?」
「知らねぇよ」

そりゃ今日で卒業だし他のクラスの奴や後輩に呼び出されて別れを惜しむのなんて普通のことだ。
ススっとそいつが俺に近付いてきて少し身構えたら、俺たちにだけ聞こえるくらいの小さな声で「石川が、話があるって」と。



まじか。



「石川わかりやすくなまえのこと気に入ってたからね」
「…まぁ、そうだな」
「白布は高校一緒だからのんびりしてるかもだけど、石川は今頃絶対に告ってるよ」
「あー…だよなぁ……ってオイ俺はのんびりってなんだよ」
「仲良しだもんねー君たちは」

からかうような口調がむかついて溜息で返せばまた笑われた。

「実際付き合ってないのは知ってるけどさ、なまえ実はモテるから高校行ってからもそんなんだと取られるよ」
「…いや、そういうんじゃないから」

そういうんだけど。

誤魔化したところで無意味だとは思うけれど認めるのは癪だ。
みょうじがモテるのも知ってる。
本人は無自覚だからまた面倒。
距離は確実に縮まっていると思うけれど、縮まればそれだけ手を伸ばすことをためらってしまう。

早く戻って来ねぇかな、と眉をしかめたらタイミングよく表情を曇らせたみょうじが戻ってきた。
その表情の意味するところは、なんなんだろうか。
結んでいた髪の毛はいつの間にか下ろしていて、見慣れた姿になっていた。

「みょうじ」
「あ…白布」
「バレー部は体育館集合してるらしい。行こう」
「わかった、荷物取ってくるね」


自分の席に荷物を取りに行くみょうじの後ろ姿を眺めていたら石川が戻ってきた。
こいつとだって仲良くしてたし、(というかうちのクラスはみんなかなり仲が良かったと思う)最後なのに話さないのもなんかな…と思うけれど声をかけられない。
なんて声をかければいいのかわからない。

みょうじは自分の席に辿りついてまた他の奴に捕まっている。
寄せ書きを頼まれているから少しかかりそうだ。
こっちを向いて困ったような顔をするから、「大丈夫」と口パクで伝えれば「ありがと」とまた口パクで返ってきた。

「お前ら本当なんなんだよ…」
「、石川」
「仲良すぎてムカつく」

みょうじとのやりとりを見ていたらしい石川に「ムカつく」とストレートな言葉が飛んできた。
返事を出来ずにいたら「写真撮ろうぜー」と変わらないテンションで言う。

「あのさ、俺、みょうじに言ったよ」
「…」

何を、なんて聞かなくてもわかる。

「断られた。まぁ駄目だろうなっつーのはわかってたけど」
「そっか」

すぐに頭に浮かんだのはインハイ決勝で圧倒的な力を見せていた怪童の姿だ。
みょうじは石川に告白されたとき、誰を想ったのだろう。
教室の中でクラスメイトの女子と話しているみょうじに目をやれば、話が終わったようで「またね」と手を振って別れるところだった。

「白布はみょうじと高校同じだもんな、ずりー」
「ずりーって…なんだよそれ」
「しらばっくれんな!付き合ったら教えろよー」

じゃあ、とみょうじとすれ違うようにして石川は教室に戻って行った。
みょうじに「何話してたの?」と聞かれたけれど、正直に話せるわけもなくて「色々」と誤魔化した。



体育館に入るともう他の部員たちは集まっていて、今日は特別だぞと顧問に釘を刺されながらみんなでジュースを飲んでスナック菓子を食べた。
後輩たちが追い出し会のために買ってきてくれたらしい。
追い出し会の間も写真撮影やら卒アルへのメッセージ書きやら、ずっとバタバタしていて、でもこの騒がしさがすごく楽しくて、このメンバーでバレーがやれてよかったと思う。
最終的には「バレーやろう」となるのは仕方ないだろう。
みんな学ランとセーターを脱いでYシャツ姿になって倒れるまでミニゲームをした。
マネージャー陣がスコアを書いて、得点係をやってくれて、線審は自分たちで。

この時間がずっと続けばいいと思うけれど、窓から西日が差し込んできて下校チャイムが鳴ると顧問が「そろそろ体育館閉めるぞ」と寂しそうに言った。

みんな汗だくだ。
明日もここに来れば同じメンバーでバレーができるような気がしてしまう。
感傷的になるのはらしくないけれど、そんなことを思った。

最後に全員で集合写真を撮って、また絶対集まろうなと約束をして学校を後にした。






「…やっぱり寂しいね」
「みょうじ、めっちゃ泣いてたもんな」
「え?!見てたの?!」
「マネージャーみんなびーびー泣いてるの聞こえた」
「びーびーって…」

帰り道はみょうじと二人だ。
最初は他の部員もいたけれど、「白布はみょうじ送ってやれよ」と妙な気を遣われてこんなことになってしまった。
ありがたいけれど、気恥ずかしい。

「みょうじ、後輩マネに慕われてたもんな」
「そうかな?」
「あんだけ泣いて卒業しないでくださいーとか言われてたのにそこ不安に思うなよ。みんなすげぇ頼ってたよ」

俺らの学年のマネージャーはみょうじだけで、マネはもちろん選手も困ったことがあればみょうじを頼っていた。
実際、みょうじが体調不良で休んだ日には「あれがない」「これがない」って慌ただしくなる。

「キャプテンにそう言ってもらえると、嬉しい」
「…泣くなよ」
「泣いてないよ」

見下ろした横顔は睫毛が少しキラキラして見えて、それが涙のせいだってことはすぐにわかる。
弱気な顔も泣き顔も見たけれど見慣れるなんてことはなくて、心臓がうるさい。

「バレー部、最後まで楽しかったねぇ」
「うん」
「高校でもよろしくね」
「おう、こちらこそ。やっぱマネやらないとか言うのなしな」
「そんなこと言わないよ」

…まぁウシワカもいるしな、なんてことは言えずに飲み込む。
一緒に過ごす時間が増えてお互いのことを前よりも知ったとは思うけれど、浮ついた話をしたことはなかった。
勉強を目的に一緒にいたのだから当たり前だけれど。
そう思うと、俺の学ランのポケットに入れっぱなしの第二ボタンを渡すことを躊躇ってしまう。
なんて言って渡せばいいんだろうか。


「あ、白布に卒アルの後ろのページ書いてもらってない」

ポケットに手を入れて、手のひらの中で確認するようにボタンを握っていたら、思い出したかのようにみょうじが言った。
学生カバンから出して、まだ埋まっていないページを探している。

「じゃあ俺のも書いて」
「えっいいの?白布そういうの不参加組かと思ってた」

お互いの卒アルを交換して、けど道端で書くの微妙じゃね?という話になってすぐ近くの公園まで移動した。

…いざみょうじに何かを伝えるって、難しい。
他の奴らの卒アルには何も迷うことなく書けたのに。
チラ、と隣にいるみょうじの横顔を盗み見るとみょうじはサラサラと書き込んでいた。

見慣れた光景だけれど、瞬きのたびに揺れる長い睫毛とか、冷たい風に吹かれて揺れる黒髪とか、形の良い唇とか、何度見ても好きだなぁと思う。

言ってしまいたい、だけど、伝えるべきは今じゃないってなんとなくわかる。

俺がボケっとしている間にみょうじは書き終えたみたいで、パタンと卒アルを閉じた。
俺の手元を覗き込んで、「まだー?」と笑う。

「…何書けばいいかわかんなくて」
「深く考えなくても。なんでもいいよ」

みょうじが何を書いたのか見ようと俺の卒アルを返してもらおうと思った、ら、

「ちょ、帰ってから見て!」
「は?なんで」
「なんか恥ずかしいから、帰ってから見て」

まぁ確かに俺も目の前で自分のを読まれたら恥ずかしいな、と納得してまた何を書くべきか姿勢を正した。
深く考えたら駄目だな、と思い正直に今思うことを書いて、さっきのみょうじと同じように卒アルを閉じて返した。

「みょうじも帰ってから読めよ」
「はーい、ありがとう」
「おー…あとさ、」
「うん?」

自分のポケットに入っている小さなボタンを、ぎゅっと手に収めてみょうじに突き出した。

「みょうじ、これやるよ」
「なに?」
「…ボタン」
「え、なんで、わたしもらっていいの?」

本当に驚いたような顔でまじまじと見つめられてやっぱりやめておけばよかったか、と思う。
だけどもう言ってしまったものは引き下がれなくて、ボタンを持っていない方の手でみょうじの少し冷えた手を取った。

「なんで」というみょうじの言葉は無視した。

小さな手のひらにボタンを握らせて「もらって」と言えば黙って頷いてくれる。


「…白布、ボタン全部ないなーと思ってた」
「ほとんどもぎ取られた」
「袖のボタンもないね、すごいなぁ…わたしの分、もしかして取っておいてくれた?」
「…、」

顔を覗き込むように言われて、少し息を呑む。
「そうだよ」なんて言ったら困るくせに。
その証拠に俺が返事をする前に「なんてねー」と笑う。

「ありがとう、嬉しい」
「おう。なんか押し付けたみたいで悪い」
「えっ全然!本当に嬉しいよ、大切にします」

受け取ってくれたことにホッと胸を撫でおろして、でもやっぱり照れくさくて「帰るか」と立ち上がった。



「入学式まで二週間くらいあるからしばらく会えないね」

公園を出て、みょうじの家まで送る途中でぽつりと呟くように言われた。

「だなー」
「なんか変な感じ」
「高校違う奴なんて次いつ会えるかわかんねぇもんな」
「うん、寂しいね。卒業しちゃったんだ」


遠くで学校のチャイムが鳴る音が聞こえて、少しの沈黙。

…俺と学校が違っても寂しいと思ってくれただろうか。
志望校が同じだったのは偶然で、こんな仲になったのも俺が言い出したから。

一緒にいる時間が増えたら、みょうじがこっちを向いてくれるんじゃないかって思った。
だけど、俺は肝心なことは何も言えない。
距離が縮まったら縮まったで伝えられない…なんて情けない。
石川は、ちゃんと向き合ったのに。


隣を歩くみょうじのつむじを見下ろしながら、そんなことを思った。

(2016.03.23.)


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