25

「宗介…!」


追いかけてくるなまえの声を背中で聞きながら、聞こえていないフリをして大股で歩く。
歩幅の小さななまえが追いつかないくらいのスピードで。
だって、会わせる顔がない。


県予選二日目の今日、メドレーリレーで肩に痛みが走って失速した。
一瞬だったけれど、なまえには見られたくなかった。

怪我をして水泳を諦めて地元に帰って来た時点で正直プライドなんて捨てたと思っていた。
それでもなまえの前でくらい強がりたいしかっこ悪いところなんて見せたくなかった。


なのに、あんな泳ぎ、最悪だ。


俺の失速はあったがリレーで鮫柄が岩鳶に勝った。
応援席にいたなまえを無意識に見上げたら目が合ってしまって、そのときのなまえの表情を見たら泣くのを堪えているように見えた。
自分の学校が負けたのが悔しいんだろうと思ったのだけれど俺の読み違いだったのだろうか。
下唇を噛み締めているなまえがずっと俺を見ていて、その瞳から逃げるようにプールサイドを出た。




凛にも俺の不調、というか一瞬の異変は当然バレていて、着替えているときも何か言いたげな視線が痛い。
普段のこいつならレースに勝ったなら高揚感を抑えられないで話しまくるはずなのに。

「宗介、俺先に行ってる」
「おー」

いつもなら同じペースで着替えるけれど、痛めた肩が痛んで今日はできるだけゆっくりと着替えていたら、凛はさっさと済ませて出て行ってしまった。


できれば、ずっと隠していたい。
俺が水泳をやめるってことはいつか言わなければならないけれど、その理由は誰にも知られなくていい。
ジンジンと熱をもつ肩を押さえる。
溜息も涙も、もう出てこない。






ようやく着替えを終えて一人でシャトルバスの留まっている正面玄関に向かう曲がり角でなまえと鉢合わせてしまった。
言葉も交わさずにその場を後にしようとしたら案の定なまえが追いかけてきて今に至る。

「待って、そうす、わっ…」

追ってくる言葉が途切れてベシャッと言う間の抜けた音が聞こえて振り返って「何やってんだよ…」と声をかけてしまうのはもう条件反射みたいなものだ。
何もないところで恐らく足がもつれて転んだのであろうなまえに手を差し伸べれば躊躇いながらも手を取ってくれて内心ホッとした。
目に涙が溜まっているのは転んだからか、俺が無視したからか。
後者であればいいのに。

俺の手に乗せられたなまえの小さな手をぐっと掴んで立ち上がらせると、さっきまでの情けない顔は引っ込んでいて睨まれた。
必然的に上目遣いになっているし全く怖くないけれど。

「宗介が無視するからだよ!」
「悪い…何か用か?」

我ながら白々しい。
なまえが俺を追ってきた理由なんて嫌でもわかった。

「用っていうか…宗介、もしかして調子悪い、とかなのかなって…」
「…別に。現に岩鳶に勝っただろ」

言葉を選びながら話すなまえの目を見ることができない。
異変を見抜かれたことに対してまずい、と思う一方で少しだけ高揚感のようなものを感じてしまって、歪んでいるなと内心苦笑いだ。

「でも、さっきのメドレーリレーの泳ぎ。なんか違和感っていうか、うまく言えないんだけど宗介らしくないっていうか…気になって…」
「俺のことより負けたそっちの選手の心配したほうがいいんじゃないのか?」
「みんなは今選手だけでミーティング中で…」

なまえが足元を見ながら自分のTシャツの裾を握りしめている。
あぁ、自分の学校の奴らを置いて俺のことを探しに来てくれたのか。

「俺はなんともない。変だと思ったなら、なまえが俺の泳ぎに期待しすぎてたんじゃないのか」

自分でも酷いことを言っている自覚はあった。
昔はなまえに俺の泳ぎを見てほしい、応援してほしいと思っていたし、水泳が関係ないところでもそばにいてほしかった。
だけどそれが叶わないなら。

「もう俺に構うな」

傷付いた顔が見たいわけではないし、泣かせたいわけでもないのに自分の気持ちを落ち着けるために突き放すようなことを言った。

「…そんな顔してる宗介、ほっとけないよ」

なのになまえがこんなことを言うから。
なまえの手首に、再会したときに俺が結びつけたミサンガがまだしっかりと付いていたから。
瞬間的な衝動の意味は自分でもわからなかった。
気が付いたらなまえのその細っこい手首を掴んでいた。
「えっ」と戸惑うなまえを壁に押し付けるように詰め寄ったらビックリしたような怯えたような顔。

昔はこいつの笑った顔が好きだったのに、最近はビクつかれてばかりだ。
小さい手は俺の手のひらの中にすっぽり収まって、強張った体は俺を押し返そうともしない。
それどころか気遣うみたいに名前を呼ばれるのだから堪らない。

「宗介…?」
「もう構わないでくれ。頼むから」



頼むから。

応えてくれないのなら、優しさなんて無意味だ。


そう思うのになまえの体温がひどく懐かしいような気がしてすがりたくて掴んだ手を離してやれない。







「あれ、山崎くん」


何してるの?と続いた言葉に振り向けばそこに立っていた人物…橘の顔色がサッと変わった。
当たり前か、自分の彼女が壁に追いやられているのだから。

橘に気が付いて俺の手を振り払おうとしたなまえの力はとても弱々しいものだったけれど、橘のデカい手がなまえの腕を掴んで俺から引き剥がした。


「…何してるの」


そうもう一度言った橘は、付き合いの短い俺ですら地雷を踏んだなということがわかる。


「、真琴違うの」
「なまえは黙ってて」
「…悪い、俺が無理矢理」
「山崎くんとなまえが幼馴染っていうのはわかってるし仲良くすることに口出す気はないよ。でも、」

なまえの腕を掴む橘の手に力が入ってギリ、という微かな音が聞こえる。
デカイ男に視界を阻まれたなまえの表情は顔面蒼白という感じで、その顔を見ても橘がどれだけ激昂しているのかわかった。

「ま、真琴、」

掴まれていないほうの小さい手でなまえが橘のジャージを力一杯に引っ張る。

「ごめん…違うの」

消え入りそうな声は聞き取れるかどうかギリギリの大きさ。

「宗介は鬱陶しがってたのにわたしが呼び止めたの。ごめんなさい」

その謝罪が俺に向けてなのか橘に向けてなのかはわからなかったけれど、震える声で橘にすがるようにしているなまえを見たら心臓が軋む音がした。

「…宗介、バス来てるんじゃない?引き留めてごめんね」
「……なまえ、行こう。みんな待ってる」
「、うん」


埒があかないと思ったのだろう。
橘がなまえの手を引いて行ってしまった。
去り際に俺を見る橘の目は冷ややかで怒りの色が滲んでいて、対照的になまえは青ざめた顔を俯けたままだった。



近くにいたくて、でも遠ざけたくて、考えたくないのに気が付いたら頭の中でなまえの名前を何度も呼んでいる。
他の男に手を引かれているなまえはなぜか非現実的で、そう思うと自分の肩のことも夢ではないかと、全部悪い夢であればいいのに、と思うのだ。






会場を出たところに留まるバスが蜃気楼で霞んでいた。


(2016.02.27.)


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