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真琴とハルの出るフリー200メートルが終わった。
結果はハルの勝ち。
最初からガンガン飛ばす真琴の力強い泳ぎを見たら胸が締め付けられて視界が涙でぼやけた。
真琴のスピードが落ちていくのは見ていてとても苦しかったけれど、ちゃんと見てるよって約束したから声を張り上げて応援した。
レースが終わった後にハルと言葉を交わす真琴の表情が晴れ晴れしていてすごくホッとしたのは、きっとわたしだけじゃなくて岩鳶水泳部みんなだと思う。
「真琴!お疲れ様」
「ありがとう」
100も泳ぐハルはまだプールサイドに残っていて、そのハルを応援するために急いでこっちまで戻ってきた真琴に声をかける。
レースには負けたけれど、残念だったね、なんて言葉はきっと違う。
そう思えるくらい真琴の表情は清々しいものだった。
凛とハルのレースは、本当にすぐ始まってしまって真琴とゆっくり話はできなかったけれど、みんなで応援して、レースの後に渚くんと話していた真琴が「凛が羨ましかったのかも」と呟くように言った言葉が、わたしの胸にもストンと落ちた。
たまに思う、わたしが男の子だったら何か違っていたかな。
凛と宗介と、ずっと仲の良い幼馴染できられたかな。
泳げなくても、水泳に関わっていなくても、昔と変わらず笑い合えていたかな。
もしも…なんてありえないのに、凛は変わらず優しいのに、宗介を避けたのはわたしなのに、いつまでもうじうじしている自分に自嘲するしかない。
いまわたしの隣にいるのは真琴や岩鳶のみんななのに。
「なまえ、片付けしたら岩鳶SCに移動だって」
「えっ」
「あれ聞いてなかった?今日の夜ご飯、ミーティングも兼ねて岩鳶SCでみんなで食べるって」
「あ、ううん、聞いてたよ。ごめん」
「疲れた?」
疲れてるのは真琴たちだよって返せば、眉を下げて「全然」って返してくれる。
部員数が少ないからその分荷物も少なくて、広げていた場所取りのためのシートを畳んで、とっ散らかっていたメガホンなどを仕舞いゴミを集めれば、片付けはほぼ終了してしまった。
「わたしゴミ捨ててくるよ」
「あ、俺も行く。そっち貸して?」
「一人で持てるよ。真琴は休んでて」
そう言っても付いてきてくれちゃうんだろうなって思いながら見上げたら、案の定「これくらいで疲れないよ」って笑顔でわたしが両手に抱えていたゴミ袋のひとつをヒョイっとさらう。
「ありがとー!」という渚くんの言葉を背に指定のゴミ捨て場所まで並んで歩き出した。
「…フリーのとき、なまえの声聞こえてたよ。ありがとう」
「え、聞こえるものなの?」
「うん、意外と」
「わーなんか恥ずかしいかも。わたしも必死だったから…」
狭い通路、すれ違う他の学校の選手とぶつからないよう歩けば、自然と真琴との距離が近くなる。
「嬉しかったよ」
「それはヨカッタデス…」
「あはは、なんで片言?」
ハルに負けたことを気にしてないってことはないと思うけれど、普段通りに明るく、何か吹っ切れたような表情の真琴を見たらわたしも嬉しいなぁ。
ゴミ捨て場にゴミを置いて、近くの水道で二人並んで手を洗いながら、そんなことを
思っていた、ら。
通り過ぎて行った女の子二人組に真琴と見比べるようにして顔をまじまじと見られた。
なんだろう?
「あ、あの人いたよ」
「えっあ、本当だ…どうしよう…」
「明日いるかわかんないんだから今日しかないよ!」
「うぅ、そうだよね…」
…しかもそんな風に話す声が聞こえてしまって、けど聞こえていないフリをして二人で歩き出したときに真琴をチラッと見たら多分真琴も気付いていて。
ちょっと気まずそうに、「お腹すいたね、夜ご飯の準備は任せろって吾朗ちゃん言ってたけどピザだったらどうしよう」なんてちょっとわざとらしい口調で話す。
それに「そうだねぇピザはもういいかなぁ」って内容のない返事をするわたしもわたしだけれど。
女の子たちの存在をないものとしてやり過ごそうと思ったのに。
「あの、岩鳶の橘さんですよね」
あぁ、話しかけられちゃった。
…なんて思うわたしは性格が悪いかな。
「え、はい」
真琴が歯切れ悪く返す。
このあと言われることなんて予想がついた。
…やだなぁ。
「午前中のバックと、さっきのフリー見てました!」
「えっと、ありがとう」
ありがとう、ってなんで。
早くこの場を離れたい。
みんなが待ってるのに。
「橘さん三年生ですよね?」
「はい」
「その、もしかしたらもう会えないかもしれないし、よかったら連絡先とか聞いてもいいですか?」
…やっぱり。
もう会えないかも、なんて真琴には関係ないんじゃないかなぁ。
頬を赤らめながらたどたどしく話す女の子がかわいらしくて、わたしの中の黒い気持ちがぐるぐるしている。
こういうところを目の前で見るのは初めてだけれど、多分声かけられるの初めてじゃないんだろうなぁ、と思いながら真琴を見上げた。
そしたら真琴がわたしを見ていて、ちょっと驚く。
「…すみません、連絡先はちょっと…。また大会で会ったらよろしくお願いします」
そう言うと女の子たちの返事も聞かずにわたしの手を取って歩き出した。
いつもより大股で歩くから付いていくので精一杯だ。
普段どれだけ真琴がわたしの歩幅に合わせて歩いてくれているのかよくわかる。
「ちょ、真琴」
「なに?」
「え…なんか怒ってる?」
「怒ってないけど、うーん、なんだろう」
なんだろうって聞かれてもわたしにはわからないんだけど。
少し言いにくそうに目線を逸らしながら真琴がおずおずと口を開くと、予想外の言葉が降ってきた。
「なまえが、ちょっと嫌そうな顔してたからヤキモチかなって嬉しくて。にやけちゃいそうなの我慢してる」
「……なにそれ」
「うん、ごめん」
「…そんな顔してた?」
「俺にはそう見えたよ。勘違いだったらごめん」
もうさっきの女の子たちが見えないところまで歩いてきて、真琴の歩く速度が緩んだけれど手は離してくれない。
ごめんって言いながら掴むように握っていた手を一瞬離して、指を絡め取って繋ぎ直される。
「なまえにヤキモチ妬かれたのが嬉しかったとか俺かっこ悪いね」
「…わたしも、真琴が連絡先教えないって断ってくれたの嬉しかったよ」
「俺にはなまえがいるから」
「うん」
照れくさくて繋ぐ手に力が入る。
「あー…なんか、みんなのとこ戻りたくないなぁ」
「でもご飯食べながら今日の反省と、明日の作戦会議するんでしょ?」
「なまえのご飯が食べたい」
「お昼に食べたのに」
そうだけど、って言う真琴の顔が子供みたいでかわいいなぁなんて思ってしまう。
「明日も弁当作ってって言ったら大変?」
「全然!けど明日ってお弁当いらないよね」
明日はうちはメドレーリレーのみの出場だからお昼ご飯はなくても大丈夫だ。
そう言えば真琴が少し残念そうに、「あれ、そっかぁ」と眉を下げるからたまらなく愛しい気持ちになる。
最近ずっと遠慮がちだった真琴が、お弁当作ってって言ってくれたことが嬉しくて頬が緩む。
「けど、二人で今日みたいに芝生で食べよっか。作ってくるよ」
「本当?嬉しい」
真琴は優しい。
橘真琴ってどんな人?って聞かれたら、きっとみんなが優しいってあげると思う。
そんな真琴が話しかけてきた女の子に対してあんな風に、振りきるみたいにハッキリ断るなんてかなりビックリした。
わたしが一緒にいたからかもしれないけれど、不安にならないようにしてくれたのかなって嬉しかった。
「お弁当、頑張って作るね」
そう伝えたら眉も目尻も緩く下がる、わたしの大好きな笑顔をくれた。
真琴が好き。
この気持ちは確かにわたしの中にずっとあるよ。
(2015.12.28.)