23

夏の匂いが濃くなってきた土曜日。
とうとう高校生活最後の県大会が始まります。

「なまえ、おはよう」

ふわり、と見た人がつられて笑顔になってしまうような優しい表情で待ち合わせ場所に真琴が立っていた。

「おはよ。良く眠れた?」
「うん、体調も良いよ」
「それは頼もしい。頑張ろうね、部長!」
「なまえは?ちゃんと寝た?」
「うん、九時にはベッド入ったよ」
「えっ早い。蘭たちより早いよ」

真琴が素直に驚いてくれる。

ベッドに入ったのは確かに九時だった。
…全然眠気が来なくてしばらく寝返りを打ちまくっていたし、夜中に何回か目が覚めたけれど。
県大会、これが最後の大会になるかもしれないって思ったら緊張してなかなか眠れなかったのだ。

「じゃあ眠そうなのは気のせいかぁ」

真琴の親指がわたしの目の下を、さらりと撫でた。
クマは出来てないはずなんだけど。
少しくすぐったくて笑ってしまったら真琴も笑ってくれる。

「早起きしたからかな?お弁当作ったから」
「え!なまえも作ってきてくれたの?」
「あまちゃんだけにお任せしたら大変だから分担したんだ」

これ、と手に持っていた大きなカバンを掲げるようにして見せれば真琴が嬉しそうに笑う。
みんなの分のおにぎりと、真琴の分はちゃんとおかずもお弁当箱に詰めてきた。
せっかく買ったお弁当箱、たくさん使いたいのに真琴はすごく遠慮する。
作って行けば喜んでくれるけれど、そのあとで眉を下げて「無理しないでいいからね」と言われたのは一度や二度ではない。

「頑張らないとなぁ」
「真琴は今日バックとフリーだもんね、わたしも緊張するなぁ」
「応援してくれる?」
「当たり前だよ!応援してる」

隣を歩く真琴を見上げて、右手で拳を作って見せたら「ありがとう」って頭を撫でられた。
そのまま真琴が高く結いあげたわたしの髪の毛を掬う。

「ポニーテール、珍しいね」
「今日暑いから結んじゃった」
「似合う」

ありがと、とお礼を言えばなぜか真琴のほうが照れたような表情をしていた。
触れる手とか、見つめられる瞳とか、もう二年も向き合っているのに慣れない。
朝からふわふわしたような気持ちになって少し緊張が和らいだ。




「まこちゃーん!なまえちゃーん!こっちだよー!」

会場の前で他のみんなと待ち合わせをしていて、既に着いていた渚くんがこちらに大きく手を振っていた。
一年ぶりに来た会場を眺めて、なんだか感慨深い気持ちになる。
創部してまだ二年目、それでもみんなで毎日頑張って、実力をつけて、自信をつけてここまで来たんだ。
こっそり深呼吸をして、歩幅の広いみんなの隣に並んだ。
集合時間まではまだ少しあったけれど、会場で待っていた先生や江ちゃんと合流する。

わたしも真琴も肩にかけていたスポーツバックを下ろして、会場前の邪魔にならないところで丸い円になったら自然と少し空気が引き締まってみんなの顔つきがピリッとした。

「みんな、おはよう。今日は個人のレースだから各自で招集時間の確認と、事前登録の確認も忘れないようにね」

と、真琴が部長らしく軽く連絡事項を伝える。

「大会目録はわたしが持ってます!みんなの載ってるページは付箋とマーカー付けてあるから確認してください」

江ちゃんの言葉にみんなが返事をして「目指せ地方大会!」と気合を入れたところで、大きなシャトルバスが会場前に乗り付けた。


「あ、」

思わず漏れた声はバスの窓越しに見慣れたメンバーの顔を見つけたからだ。

「鮫柄だ」

そう呟いたのはほとんど無意識で、ぞろぞろと降りてきた部員たちの中に幼馴染たちの顔を探してしまうのも呼吸をするように自然なことだった。
たくさんいる部員の中でも一際背の高い宗介のことはすぐに見つかって、勝手に気まずい気持ちになって目をそらす。

鮫柄のみんなもこちらに気付いたようで、親しい人たちは会釈してくれたり、手を振ってくれたり。
応援に来たらしい御子柴先輩と弟の御子柴くんに至っては二人で声を揃えて「江さーん!」「江くーん!」なんて叫んで、あぁやっぱり弟くんは凛に殴られた。
それをみんなで笑っていたらポンっと肩に大きな手が置かれて、見上げると真琴がいつもみたいに眉を下げて笑っていた。

「じゃあそろそろ行こう、場所取らないとね」

そのまま真琴に肩をグイグイ優しい力で押されて会場に入った。





午前中は渚くんのブレ、真琴のバック、二人とも無事に予選を通過した。
次は怜くんのバッタ…このレースでも岩鳶対鮫柄の対決が見られるかと思ったら凛は別の組だったようで怜くんが嘆いていた。

「…え、凛は次の組って、宗介は?宗介も次の組ってこと?」

応援席で隣にいた江ちゃんに聞けば「それが…」と不思議そうに首を傾げる。

「宗介くん、バッタが専門なんだけど今回の大会には出てないみたい」

向かい側の鮫柄応援席を見たら、宗介はジャージのまま座っていた。

「江ちゃん、その冊子見せて」

江ちゃんが持っていた大会目録に慌てて目を通す。
確かにバタフライのページに山崎宗介の名前はない。

「…宗介どうしたんだろう」
「リレーにはエントリーしてるから明日のために温存、とか?」
「宗介が個人よりリレー優先するなんてあるかな?なにかあったのかも」

心臓のあたりが痛いくらいに脈を打つ。
公園で聞いた貴澄の言葉が頭をよぎる。
…と、冊子を握り締めていた手をやんわりと誰かに包まれてハッと我に帰った。
隣を見上げたら見慣れた優しい顔。

「なまえ、怜のレース始まるよ」

真琴がわたしの強張った指を優しく冊子から剥がして、そのまま絡め取るようにして繋がれた。
なんとか気を持ち直して精一杯怜くんの応援をして、無事に予選を通過したみんなを褒め称えながら午後に向けてみんなでお昼ご飯を食べた。

真琴はわたしのお弁当をおいしいって言いながら食べてくれて、それに対しては素直によかったって笑うことができた。
そんなことにホッとするのもどうかと思うけれど。
自分の分はあんまり食べる気になれなくてなんとかおにぎりをひとつ詰め込んだら、隣に座っていた真琴がそれに気が付かないわけがなくて心配そうに顔を覗き込まれる。

「なまえ、食欲なくても水分はちゃんと摂るんだよ?」
「うん、わかってる」
「本当に?この前だって倒れたって、」
「え、真琴なんで知ってるの…?」
「あー…うん、江ちゃんに聞いて、ごめん」
「真琴が謝ることじゃないけど…」

真琴、知っていたんだ。
だから最近やたら心配してくれたんだって妙に納得してしまう。

「とにかく、ちゃんと食べて水分摂って、午後も明日もあるんだから」
   
ね?と顔を覗き込んでまるで蓮くんたちに言い聞かせるみたいに言われて、「…はい」って返すしかなくて、差し出された紙コップ入りのお茶をくいっと飲んだ。
午後はハルと真琴のフリーがあるのに、こんなんじゃ駄目だ。
しっかりしないと。

心の中で自分を叱咤して、頭の中をぐるぐるしている宗介のことを一旦隅っこに追いやった。




「じゃあ、俺とハルは着替えてそのままレースに向かうよ」
「まこちゃんもハルちゃんも頑張ってね!」
「お二人の対決だなんて僕たちも楽しみです」

口々に応援の言葉を言って二人を送り出す。
うちは部員が少なくて誰かと誰かが同じレースに出るって今までなかったことだからみんなも少しそわそわしているように思えた。

歩き出した真琴の広い見慣れた背中。
たぶん、きっと、また嫌な思いをさせてしまった。
宗介が個人種目にエントリーしていないって動揺したことも、この前倒れたことを真琴に言っていなかったことも、真琴は良い気分じゃないはずだ。
心配性の真琴がなにも言わずにただ困ったように眉を下げていて、そんな状態のまま真琴に応援の一言も言えずに送り出してしまうなんて。
彼女として、マネージャーとして失格だ。

「…ま、真琴っ」
「?なまえ、なに?」
「……真琴、俺は先に着替えに行ってる」
「わかった。なまえ、どうしたの?」
「えっと、そんな大したことじゃないんだけど、」

呼び止めてしまって、ハルにも気を遣わせてしまって、みんなもお弁当を片付けながら聞こえないフリ見てないフリをしてくれている。
あぁ、なんだか本当に情けないし申し訳ない。

「時間あんまりないから、歩きながらでもいい?」

口ごもるわたしを見かねてそう言った真琴に、コクっと頷いて隣に並んで、大股で歩いて行ったハルの後に続くようにゆっくり二人で並んでロッカールームへの道を歩く。

「…フリー、頑張ってね。真琴がフリーの練習もすごく頑張ってたの、毎日見て…っ」

見てたから、って言い終わる前に、目の前が白で埋め尽くされる。
真琴の香りと塩素の混じった匂いで満たされて、それだけでなんだか泣きたくなった。
ちょっと痛いくらいの力で抱き締められて背中に回された手は縋るようにわたしのジャージを掴んでいる。

「…真琴?」
「弁当、おいしかった」
「う、うん」
「毎日遅くまで練習付き合ってくれてありがと」
「ううん」
「フリー頑張ってくるよ」
「…うん」
「なまえが応援してくれてるだけで百人力」
「うん」

はぁ、と深く息を吐いた真琴が力を抜いてわたしを解放した。

「だから笑ってて。そんな泣きそうな顔しないで」
「…そんな顔してるかな」
「俺のことだけ見てて」

ハッとして真琴を見上げたら、穏やかな表情をしていて逆に胸が痛くなった。

「…って、部長なのにこんなこと言ったらハルに悪いかな」
「見てるよ、真琴のことだけ。ちゃんと見てる」

だから、頑張ってね。


今度は自分から真琴の胸に飛び込んで、ぎゅうぎゅうと力任せに抱き締めて、ビックリしている真琴に抱き締め返される前に離れた。

「呼び止めてごめんね」
「…ううん、嬉しかった。じゃあ、行ってきます」
「いってらっしゃい」


(2015.12.15.)


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