3.紡いだ気持ちがこぼれないように

みょうじと買い食いをした。



それだけなのに、やけに俺は浮かれていた。
だからなのかは自分でもわからないけれど夜の七時半、迷いもなく携帯を操作して「みょうじなまえ」の名前を電話帳から探して通話ボタンをタップしていた。


…と言っても、用もなく電話なんてするわけはなくて。


家に着いて、母さんが作ってくれた夕飯を食べて、さぁ今日も勉強するかと通学カバンを漁ったところであるべきものがないことに気が付いたのだ。

「…ノート、ない」

ポツリとこぼれた言葉は無意識だった。
図書室で確かに開いたし、司書の先生に急かされていたから慌ててはいたけれど下校するとき忘れ物がないか確認したことも記憶にある。
可能性があるとすれば、みょうじの荷物に紛れてしまったことくらいしか浮かばなかった。



「もしもし、みょうじ?」

出るかな、なんて緊張する間もなくワンコールも鳴らないうちに繋がった電話に少し背筋を正す。
みょうじ?と呼びかけても返ってこない返事に内心焦れば、携帯から「え、白布?」と慌てたような声が返ってきた。
機械越しの声はいつもより高く聴こえるような気がした。

「おう、出るの早かったな」
『う、うん…携帯いじってたから…ビックリしたー』
「悪い、なんかしてた?」
『石川くんとメールしてて』

石川、と聞いて放課後の光景が頭に浮かぶ。

『五限のプリント、やっぱりわかんなかったから教えてってさっき電話来てね。口頭じゃ説明しにくいから回答打ってたところだったんだ』
「ふーん…」


多分、石川はみょうじのことが好きだ。

二年のときも同じクラスだった石川とみょうじは仲が良くて休み時間に石川がみょうじに声掛けているのをよく見る。
俺とみょうじが朝練終わりに一緒に教室に入れば、教室の後ろのロッカーで他の男子と話している石川がほぼ必ず「はよーっす」と挨拶してきたし、部活を引退して放課後の勉強会を始めてからは連れ立って教室を出て行く俺らを視線で追っていた。

気付いていて知らないフリをしている俺はずるいだろうか。


でも、俺だってみょうじが好きだ。




『白布はどうしたの?電話珍しいね』
「あぁ。ノート、俺の社会のなくってさ。みょうじのカバンに紛れてないかと思って」
『え、ちょっと待って今見るね』

ギシ、という立ち上がる音のあと、ガサガサというカバンを漁るような音が聞こえてくる。

『白布?ごめん、あった!間違えて持って帰って来ちゃったみたい…』
「お、よかった」
『ごめんね、今日金曜なのに…土日にノートないと困るよね』

別に大丈夫だ、と喉まで出かかったのに。
反射的に「今日返してほしいんだけど、」と発したことに驚いたのは俺自身だ。

『わかった!白布の家の方まで届けに行くね、三丁目だよね』
「いや、俺がみょうじんち行く」
『えっでもわたしが間違えて持って帰ってきたのに悪いよ』
「大丈夫だから。ってか危ないし。今から向かってもいい?」
『…うんー…ごめんね』
「いいって、確認しなかった俺が悪いんだし。着いたら連絡する」

本当はそんなに急いで返してもらう必要なんてないのに、さっきまで会ってたのに、声を聞いたら会いたい、なんて思ってしまったんだ。

「わかった」というみょうじの返事を聞いて手短に電話を切った。
携帯をポケットに突っ込んで、手近にあったブルゾンを羽織る。
リビングでテレビを観ていた母さんたちに「ちょっと出かけてくる」と一声かけ、自転車に跨った。
みょうじの家まで飛ばせば10分もかからずに着けるはず。
けっこうなスピードでペダルを踏めば頬を切る風が冷たいけれど、不思議とそこまで寒さは感じなかった。




「白布!」

もうすぐ着く、というところでみょうじの家の前で誰かがこっちにブンブン手を振っているのが見えた。
誰か、なんて考えなくてもわかった。

「お前なんで家の前いんだよ」
「え、だって白布すぐ着くから待ってようと思って」
「こんな時間に危ない」
「ごめんごめん」

絶対ごめん、なんて思ってないだろって笑顔で言われてもな。

「ノートわざわざ取りに来させちゃってごめんね」
「いや、悪かったな」

やたらファンシーな柄の紙袋を差し出されて、中を覗けば確かに俺のノートが入っていた。

「あとこれ、温かいお茶買っといた」

みょうじがさっきから大事そうに持っていた小さいサイズのペットボトルをずいっと目の前に出されて思わず顔が歪んだのは仕方ないと思う。

「…買っといた?」
「あっ、違うの、すぐそこの自動販売機で買ったから全然近いし危なくないよ」

何が違うんだよ、アホみょうじ。
住宅街のこの辺りは街頭が少なくて暗い。
確かに自販機は近くにあるからそこで買っておいてくれたのだろうけれど、溜息も吐きたくなる。

「…まぁ、ありがとな」
「ううん、本当ごめんね」
「もういいって」

俺としては学校以外でも会えてラッキーだ、なんてことはさすがに言えない。
家の前であまり長話もなんだし、用は済んでしまったし「じゃ、帰る」と言ったらみょうじがなにか思い立ったように声をあげ、「ちょっと待ってて!」と家の中に引っ込んで行った。
バタン、と玄関扉が閉められてなんか締め出されたみたいな気分。


待ってる間、手持ち無沙汰でみょうじがくれたペットボトルを開けて一口飲む。
腹の中がすーっと暖まる感覚がして、自覚はなかったけれど随分冷えていたのだと気付いた。
吐いた息の白さが、季節を教えてくれる。


バタバタと家の中から足音が近付いてきて、少し息を弾ませたみょうじは手にマフラーを持って戻って来た。
いつもみょうじが付けている薄いピンクのマフラー。

「白布これ付けて帰って」
「は?なんで」
「だってすごい薄着じゃん、風邪引くよ。鼻の頭赤いし」
「いい。これ借りたらみょうじが困るだろ」
「わたしは他の使うから大丈夫だよ、月曜日に返して」

そう言うと俺の返事を待たずに手に持っていたマフラーを首にかけてくれる。
背伸びしたみょうじとの距離が突然詰まって息が止まった。

「…おい、なにすんだよ」
「白布ピンク似合うね、かわいい」
「かわいいとか言うな」

至近距離を保ったままで話すみょうじにそわそわしているのはおれだけか。


離せ、とマフラーを掴んだままのみょうじの手を掴んで引き剥がした、ら、

俺よりだいぶ低いところにあるみょうじの顔がぎょっとした表情になってすぐにボンって効果音がつきそうなほどに赤くなる。


「…顔赤いけど」
「し、白布が急に手ぇ掴むから」
「先に変なことしたのみょうじだろ」

顔が近いのは平気なのに手掴まれるのは駄目とかこいつの基準がよくわからない。

「…白布、手冷たい」
「あ、悪い」

離したくない、なんて思う権利はまだ俺にはなくて、俺の右手にすっぽり収まるみょうじの小さな左手を解放した。

「みょうじ」
「な、なに?」
「ありがとな」

これ、と言ってみょうじに無理矢理かけられたマフラーを収まりの良いように巻き直せば気まずそうにしていた空気を吹き飛ばすような笑顔が返ってきた。

「白布先生に風邪引かれたら困るもん」



先生、なんてかなりむずがゆいし柄じゃないけれど。

部活の選手とマネージャーという関係でしかなかった俺とみょうじが今こんな風に話しているのだから何がどう転ぶかなんてわからないもんだな。


帰り道はさっきよりもずっとペダルが軽くて、首に巻いたマフラーから全身に熱が回るみたいな感覚がする。
ジャージのポケットに押し込んだペットボトルが温い。



想いが今にもこぼれてしまいそうだ。

(2015.11.20.)


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