2.見上げた横顔

それはひどく自然な流れだった。
毎日一緒に勉強をして、一緒に帰って。
その日にあったことを彼に話す。

いつの間にかそれがわたしと白布との日常になっていた。

「みょうじ」
「あ、白布ごめんちょっと待ってて」
「おう」

バレー部を引退して、わたしたちはとうとう受験勉強に本腰を入れなければならなくなった。

部活で忙しくても定期テストがあればそれなりに勉強はしていたし、成績は悪くなかった。
先生にも特に心配されるような生徒ではないと思うんだけれど、問題はわたしの志望校だ。

白鳥沢学園。
県内随一のバレー強豪校は、同時に学力も超難関。
そこがわたしと白布の志望校だ。

「ごめん、石川くん、もう行かなきゃ。続き今度でもいいかな」
「あー…白布か。うん、また月曜な」


前の席の石川くんが後ろを振り向いてわたしの机にプリントを広げていた。
さっきの授業で使われたそのプリントは、石川くんが書いたり消したりした苦労の跡が伺える。

授業でわからなかった箇所を聞かれて教えていたのだけれど、白布が先生に頼まれた雑用を終えて戻ってきたからタイムアップだ。
机の中から教科書とノート、参考書を引っ張り出して手に抱える。
学校指定のカバンに入れようかと思ったけれど、どうせ行き先は校内の図書室だし。


「白布っお待たせ!図書室行こ」

教室の外で待っていた白布に声をかければ表情のない顔をこちらに向けてコクリ、とひとつ頷く。

表情がない…と言っても怒ってるわけではない。
彼のこれは通常運転。

「みょうじ、今日のノルマは?」
「とりあえず今日やった授業の復習と…」
「昨日できなかった数学の問題は、」
「あ、あれは白布に教えてもらった通りにやったらできたよ、ありがとね。今日はその次の応用やろうかな、白布は?」
「俺は社会の問題集進める」
「おぉーさすが」

何がだよ、と眉をしかめた白布に、「だってわたしまだ三教科でいっぱいいっぱいだもん」と視線を落とせば、「まぁ順調に進んでるから大丈夫だろ」と返事。


白布はあんまり表情とか感情表現が豊かなほうではない。
バレー部に入ったばかりの頃はそれが怖くて、話すときは少しビクビクしたけど、今は沈黙でも不思議と落ち着くんだから変わるものだなぁ。

移動中も口数は少ないまま図書室に着いて、いつの間にか二人の指定席になった一番奥の長机で肩を並べて座る。
向かい合わせでないのは、わたしがわからない問題があったときに教えてもらいやすいからだ。

「わかんないとこあったら聞いて」
「うん、ありがと」

勉強を始める前、白布は毎回律儀にこう声をかけてくれる。
白布がわたしに質問してくるってことはほとんどなかった。
今日のノート見せてほしいとかはあったけれど。
今までは自分しか読まないから特に意識していなかったノートを白布に見られる機会が増えて、綺麗に書かなきゃ…と気にするようになったことを白布は知らない。



カリカリとシャーペンがノートの上を走る音。
カサ、と白布の綺麗な指が参考書をめくる音。
少し遠くの貸出カウンターから聞こえてくる図書委員と本を借りに来た生徒の音量を抑えた声。

わたしと白布の放課後の音。


そして、いつも終わりを告げるのは下校時刻を知らせるチャイムの音だ。



「ふわぁー終わったー」
「今日はわからないとこなかったな」
「うん、昨日白布に教わった箇所の応用ひたすらやったから」

返事はないけれど、立ち上がって見上げた白布が珍しくふんわり笑っていたからつられて笑った。


司書の先生に追い立てられるようにバタバタと片付けをして二人で並んで校門を出ると、吐いた息が白く空気に溶ける。
勉強会を始めた頃に比べたら日が落ちるのが早くなったし随分寒くなったなぁ、と巻いていたマフラーで口元を覆った。
隣を見れば色素の薄い白布の髪の毛がすっかり冷たくなった風に吹かれて揺れていて、それが酷く綺麗で思わず見惚れてしまう。

「…なに?」
「えっな、なにが?」
「こっち見てたから。聞きたい問題思い出したなら今のうちに聞けよ、明日土曜日だし」

み、見てたのバレた…!

「なんでもないよ、質問も今のとこ大丈夫」

えへへ、と我ながら不自然な笑いで誤魔化せば白布は「ならいいけど」と視線を前に戻した。

白布は美人だ。
中学生男子に「美人」なんて表現は普通使わないのかもしれないけれど、白布にはすごくしっくりくる。
室内競技に打ち込んでいたからか日焼けしていない白い肌は陶器みたいだし、色素の薄い茶色の髪の毛がよく映えた。
普段は無表情なのに笑ったとき少し細められる大きな瞳も羨ましいくらいで、女子よりもよっぽどかわいらしい顔立ち。
…なんて本人に言ったら絶対に不機嫌になるから言わないけれど。

「しっかしさみぃな」
「ね、もうすぐ冬だね。はぁー…勉強がんばらなきゃなぁ」
「年明けたら過去問始められるように照準合わせような」
「うん…白布、ありがとね」
「は?」



白布は成績も良いうえに、バレー部ではキャプテンだった。
文武両道、この言葉がここまでしっくり来る人をわたしは知らない。

そんな彼に勉強を見てもらうなんて正直自分のできなさを痛感するばかりなのだけれど、自力でできることは限られている。
それに、わたしが同じ問題で躓いても、毎日質問ばかりしていても、白布は嫌な顔ひとつしないし、馬鹿にしたりもしない。
ひとつひとつ、紐解くように正解に導いてくれるんだ。

教えるのも勉強になる、そう彼は言った。
わからないところを教えてくれるだけで十分ありがたいと思っていたのに、白布は大まかな勉強スケジュールまで一緒に考えてくれた。
感謝するどころの話ではない。


「わたし、白布がいなかったらこんなに頑張れなかったと思う。だから、ありがとう」
「…礼言うのは受かってからにしろ」
「うっ…おっしゃる通りです…」


もし、春からあの制服に身を包んで、白鳥沢の生徒になれたら。
わたしのペースに合わせて歩いてくれている白布と一緒に通えたら。
また同じチームでバレーができたなら。

今度はわたしがマネージャーとして白布の支えになりたいな、なんて。
まだ先の見えない未来のことを思ったらなぜか視界が涙でぼやけた。
情緒不安定もいいところだ。

あー顔あげられないや、こんな顔見られたら引かれる。

やけにクリアな頭と熱い目頭に自分でもよくわからなくなっていたら、さっき巻き直したマフラーをグイッと横から引っ張られて身体がよろけた。

「ぅわっ、」
「……」
「え、なに?白布?」

さっきの理由のない涙とは別に、首が絞まったことへの生理的な涙が浮かんで反射的に白布を見上げたら、いつもポーカーフェイスな彼が困ったような困惑したような表情をしていた。

「なんかあったなら言えよ」
「え、なんにもないよ」
「そんな泣きそうな顔で言われて信じられるか」

これはあなたがマフラーを引っ張って首が絞まったからです…なんてとても言える雰囲気ではない。

「俺、いまは勉強一緒にやることくらいしかできないけど、」

そんなことないよ。
白布が「大丈夫」って言ってくれるだけでめちゃくちゃ心強いよ。

「不安なこととかあったら言えよ。話聞くくらいできるから。…って結局受験のことしか役に立てねぇけど」

…うわぁ……珍しい。
白布が言葉を探しながら話していてる。
表情が崩れることも滅多にないけれど、口ごもる白布なんて初めて見たかもしれない。

「白布はいつもめちゃくちゃ頼りになるよ」
「…そうか」
「……照れてる?」
「照れてない」
「ふふ、即答だ」
「照れてねぇからな」

こっち見んな、と白布の大きな手が伸びてきて、わたしの頭をガシッと掴むから彼の方を向けなくなったけれど、一瞬見えた白布の耳たぶが赤かったのは多分気のせいじゃない。

「白布、痛い。さっきまで覚えてた公式忘れそう」
「こんくらいで忘れるとか演習足りてない証拠」
「厳しいなぁ」
「みょうじのために言ってるんだろ」
「うん、ありがと」

頭を無遠慮に掴んでいた手の力が緩んで、弱い力でわしゃわしゃと髪の毛をかきまぜられた。
それが無言の返事なんだろうなって。
照れてる白布とか貴重すぎる、とこっそりニヤけていたら思いもよらない言葉が降ってきた。

「…今日は寄り道してくか」
「っえ」
「みょうじ頑張ってるから。なんかおごってやる」
「え、どうしたの白布」

ビックリして見上げた白布の顔は相変わらず珍しい表情、すごくすごく柔らかい表情をしていて、心臓のあたりがぎゅってなるのがわかった。
頭に置かれたままだった手が今度は優しく髪の毛を梳くように動いて、今度はわたしの顔が赤くなる番だ。

「なんとなくそういう気分だから」
「…なにそれ」
「たい焼きとか、食いたくない?」
「……食べたいです」

だろ?って笑った顔が年相応で、せわしなく動く心臓の音が耳に響いて落ち着かない。

帰り道の途中にあるたい焼き屋さんで「ん、」と焼き立てのたい焼きを差し出してくれて、白布の冷えた手にちょんって指が触れる。
一緒に帰るのはもう何度目か数えきれない程なのに今日は知らない白布をたくさん見れたな、なんて思いながらありがたく買ってもらったたい焼きを頬張った。

(2015.10.19.)


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