22

すっかり静まり返った寮に足を踏み入れたら寮母さんに「おかえり」と声をかけられ、いつも通り「ただいま帰りました」と返した。

みょうじ家で夕飯を食わせてもらったのなんて何年ぶりだろう。
なまえは爆睡していて、食卓にはおじさんとおばさんしかいなかったのだけれど。
俺の好きな食べ物を覚えてくれていたおばさんに軽く感動しながら、東京での話や今の鮫柄での話、凛のことなんかを話した。
ガキの頃から世話になっていた人たちが、自分の成長を喜んでくれて温かく迎えてくれていることは素直に嬉しくて居心地が良くて、気が付いたら時計の針はだいぶ遅い時間を指していた。

「また来てね」と見送ってくれたおじさんとおばさんに手を振って、それがらしくなくて妙に照れくさかった。

寮までの帰り道に感じる潮の匂いを、久しぶりに心地良いと思った。






カチャ、

自室の部屋のドアノブを開ければ「遅かったな」とルームメイトが迎えてくれた。

「凛、お前実家帰ったんじゃ」
「おー江のこと送って飯食ってきた。なまえ大丈夫だったか?」
「泊まってくればよかったじゃねーか。本人が言うにはただの寝不足らしい、家着いた途端爆睡だった」
「そっちこそ泊まってくればよかったじゃねーか」
「はぁ?」

無表情で雑誌に目を落としながらなんてこと言うんだ、アホか。

「飯食ってきたんだろ?なまえんちで」
「…おー」
「俺も今度行きてぇな」
「おばさんもおじさんも、凛に会いたがってたから喜ぶと思うぞ」

まじか、と凛が顔を綻ばせる。

「こっち戻ってきてからなまえともゆっくり話す時間なかったしなぁ。江も連れて遊び行くか」
「おー行ってこい行ってこい」
「なんだそれ、宗介も一緒に決まってんだろ」
「いや…俺はしばらくいい」

暖かく迎えてくれたみょうじ家の空気は本当に優しくて。
それは油断したら泣いてしまいそうな程だった。
東京での生活はどうだったか、となんの他意もなく聞かれて口ごもってしまった俺を、おじさんとおばさんは変に思わなかっただろうか。

夢を叶えるために上京したというのに、夢を掴むどころか失ったもののほうが多かった。

肩の故障も、大切にしていたはずの想いも。


まだ言えずにいる俺の怪我のことを知ったらなまえは、凛は、どう思うだろう。





「そーいやさ、俺がオーストラリアから戻ってきたときにはなまえと真琴付き合っててさ」
「…へぇ」

今思い出しました、みたいなトーンで話し出したと思ったら何を言い出すのだろう。

「なまえは宗介といつか付き合うって、ガキの頃から信じてたんだけどなー」
「凛…」
「お前ら、中学んときどんなだったんだよ」

どんな、と聞かれても。

「…あんまり話さなかったな」
「ふーん?」
「…俺もなまえも、べらべら喋るタイプじゃなかったし」
「俺と江がいないと駄目だったか」

おもしろがってんだろ…と睨めばへらへら笑う凛の顔を踏みつけてやろうか。
…と思うけれど否定できないから悔しい。
松岡兄妹は天真爛漫って言葉が当てはまる奴らで、俺となまえは二人の話に相槌を打っているというのがお決まりだった。

「…まぁ、俺は部活入ったけどなまえは帰宅部だったしクラスも三年間ずっと違ったしな」
「あーなまえマネやらなかったんだってな、水泳部の。誘わなかったのか?」

誘ってないならまだ良かったのに。
何回誘っても悩む素振りも見せずに拒絶されたら俺だってそれなりに傷付くっつーの。
入部しないならせめて大会見に来いって声かけても来ないし。
家の周りで会えば普通に喋ったし嫌われていたわけではないと思うが、避けられてはいたと思う。

「誘った。けど断られた」

そう簡潔に言えば、あいつも頑固だな、と苦笑いが返ってくる。
凛と再会してからなまえとのことを話すのは初めてかもしれない。
凛なりに気を遣っていたのだろうか。

なまえと橘のことも、話してくれればよかったじゃないかと思うけれど多分黙っていたのも凛の優しさだ。

「まぁなまえは水泳興味なかったからな。大会にも来なかったし」
「は?それはねぇだろ」
「本当にな。見に来るくらいしろっつーの」
「いや、そうじゃなくて」

はぁ、と溜息を吐きながらお前ら本当に素直じゃねぇな…なんて言われても、俺には何が何だかわからないし、

「なまえ、大会見に行ってたと思うけど」

そう言った凛の言葉はもっとわけがわからなかった。

「…なんで凛にそんなことわかるんだよ」

静かな部屋で呟いた言葉は我ながら消え入りそうに小さくて、らしくない。
やたら喉が渇く気がした。

「なまえってマメだろ」
「?…まぁ、そうだけど」
「俺がオーストラリアいるときもしょっちゅう手紙送ってきてたんだけど、」

俺は凛からの返事が途絶えてからはなんとなく送り辛くなってしまって出さなくなった手紙。
そもそも男同士で頻繁にエアメールでやり取りしていても少し気持ち悪いだろう。
なまえも凛に手紙を書いているだろうな、とは思っていたけれどこの言い方はかなりマメに送っていたのだろうか。

「昼に話したけど俺、あっちで壁にぶち当たって一人で抱え込んでたからなまえにも返事出せない時期あったんだよな。なのにあいつめげずに月に一回は送ってくんだよ」

なんとなくだけれどなまえらしい、と率直に思う。

「内容は学校であったこととか、ほとんどはお前のことでさ」

ジャンケンで負けて譲った二段ベッドの下、自身のスペースの淵に座り直した凛が意味ありげな目線を送ってきて、自分が立ったままだったことに気が付いた。

扉に寄りかかるようにして立っていて組んでいた腕に無意識に力がこもり短く切った爪が自分の皮膚に食い込んだ。


「この前の大会では何位だったーとか、練習試合での泳ぎはこんなだったーとか、」

なんだそれ。


「最近話せなくなって寂しい、とか」

やめてくれ。


「お前が東京の高校行くことになったって書いてきたときはやたらあっさりしてたけど、ショックだったんだろうな」

今、それを言われて、俺はどうしたらいいんだ。



「宗介、お前今のままでいいのかよ」
「…いいもなにも、どうしろって言うんだよ……」


凛との会話と言えば、真面目な話なんて水泳のことくらいで。
あとはくだらないことばかり言い合うのが常でそれが男同士っつーか、幼馴染っつーか、心地良いのに。
まして恋愛のことなんて…俺がなまえを好きだなんて話は一度もしたことがなかったのに。

どうしてそんなこと言うんだ。


俺がどう思おうが、何をしようが、昔のなまえがどんな感情を抱いていようが、もうなまえは橘のものだろ。


「俺は真琴ともダチだし、お前にどうこう言うべきじゃないとは思うけど。見てらんねーよ」

俺は何も言えない。

「こういうのってタイミングだと思うし今更どうこうなんねぇかもしんないけど、言いたいことあんなら言っとかないと後悔するぞ」

握った拳に入った力は強くなるばかりで、凛が「まぁ、とにかく今は県大会か」とさっきとは打って変わって明るい声で言うまで立ち尽くしてしまった。


(2015.11.06.)


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