34.夏の夕暮れ、君と

夏のインターハイが終わった。

高校での部活は三年間と決まっていて、牛島若利にトスを上げるという明確な目標を持って白鳥沢学園に入学した俺にとってこの一年半は意義しかないものだった。
俺が牛島さんと同じチームでバレーをやれるのはあと数ヶ月。
残る大きな大会は春高だけ。
わかっていたけれどいざ目の前に突きつけられると形容しがたい気持ちになる。
夏が終わったらすぐに春だ、そう切り替えなければいけない。
立ち止まっている暇はない。
牛島さんにとっての、チームにとっての最良をいつでも選択できるセッターにならなければ。

「白布、明日オフだけど午後って予定ある?」
「、え?」
「さすがに疲れてるかな。宿題一緒にやらないかなぁと思ったんだけど」
「宿題」
「うん。白布もまだ終わってないって言ってたよね」

あぁ、うん。
そう返したけれど生返事だったことにみょうじが眉を下げてから気が付いた。

「悪い、聞いてなかった。宿題が何?」
「明日の午後あいてたら一緒にやりませんか」

あまり回ってなかった頭で予定を確認する。
敗戦翌日の部活は午前中だけミーティングと軽いトレーニングのみの予定だったはず。
いつ大会が終わるかなんて事前にはわからないからしっかりとしたスケジュールは決まっていなかった。
……本当なら最終日まで大会に残り笑って終わるはずだったからだ。
誰だって負けることを想定なんてしていない。

「やっぱり明日はやめとこっか」

返事をしなかった俺から視線を外したみょうじの声のトーンが、いつも通りにしようとして失敗していた。
隣を歩くみょうじの顔を覗き込む。
無理矢理あげた口角が感情を表しているみたいだった。

「悪い」
「ううん、ゆっくり休んでほしいし」
「あーいや、会うのは会おう。会いたい」

てか部活自体はあるんだけど、と付け足す。
部活はあるのだから会うには会う。
だけどみょうじと過ごす時間は別で欲しい。
そう言いたかったのにやっぱり頭が回っていなくてうまく伝えられなかった。

「気ぃつかわせてごめんって意味。みょうじだってしんどいのに」

選手だから、マネージャーだからって負けたことの悔しさは変わらない。
かばんを持っているみょうじの手に力が入ったような気がした。

「切り替えないとなぁって思ってもそんなにすぐできないよね」
「うん」
「だから、明日は午後だけでも宿題のことだけ考えようかなーって」

みょうじがへたくそに笑う。
なんとなく学校の図書室という気分にはなれなくて、部活の後に一度家に戻って市営の図書館に行こうと約束をした。



いつもよりも堅くて、それでいて静かな気合いみたいなものが満たす空気での部活を終えて家に帰った。
シャワーを軽く浴びて用意しておいた夏休みの課題である問題集や使いそうなノートを入れたかばんを手に持ったところで携帯が鳴った。
長い着信音に電話だと気付いて画面を確認するとこのあと会う相手からだった。

「もしもし?みょうじ?」
『あっ白布ごめんね、もう家出た?』
「いや。もうすぐ出ようと思ってたとこだけど、なんかあった?」
『あのね、今日うち親が遅いみたいで』

よかったら図書館じゃなくてうち来ない?と言ってきた声はいつもと変わらないトーンで、多分何も深いことは考えていない。
いやなんだ深いことって。
夏休みの宿題のために会うだけだろ。
場所が変わろうが目的は同じだ。
一瞬でいろんなことが頭をよぎったけれど、すぐに打ち消してみょうじの提案に肯定を返した。

電話を切って、Tシャツの上にシャツを羽織って用意していたかばんを持つ。
さっきよりも少しだけ早い心臓の音には気が付かないフリをしてリビングを通ると母親の声が飛んできた。

「賢二郎、今日って夕飯準備して大丈夫?」
「あーうん。家で食うよ」
「そう。みょうじさんによろしくね」
「は?」
「あら違った?会うのかと思って」
「……いや、そうだけど」

出かける目的なんていちいち言わないしどうしてわかったんだと若干動揺していたら母親がおかしそうに笑った。

「大会翌日に部活以外で賢二郎がわざわざ出かける理由なんてみょうじさんくらいでしょう」

その通り過ぎてもはや怖い。
みょうじと面識があるからかもしれないしなんか妙に嬉しそうだから良いけど。
彼女に会いに出かけるとバレバレなのは普通に恥ずかしい。
ていうかきちんと説明はしていないのに付き合っていることはわかっているらしい。
バレンタインの日にみょうじが家まで来てくれたあと、母さんも兄貴も詳しく聞いてこなかったけれどやたらにやにやしていた。

「………いってきます」

たっぷり間を開けたうえでみょうじのことには触れずにそれだけ言ったら「みょうじさんによろしくね」と微笑まれた。
勘弁してほしい。



みょうじ家に行くとはもちろん言わずに家を出た。
自転車で向かえば十分程で着いてしまうくらいの距離に彼女が住んでいるというのに、家に行ったことは数えるくらいしかない。
チャイムを押して『はーい』と返ってきたみょうじの声になんだかかゆい気持ちになる。

「いらっしゃいませ」
「お邪魔します」
「えへへ、どうぞ」
「なんでそんなにやにやしてんの」
「え?嬉しいから?」

どうぞ、と家に招きいれてくれて靴を脱ぐ。
実際に家にあげてもらうのは花火の日以来だなと思うと少し緊張する。
視界に入った彼女の服装に一瞬だけ頭も身体もかたまった。
こいつ、また……と思うけれど多分本人はそこまで考えずに着ているんだろう。
丈の長いTシャツ素材のワンピース。
ふくらはぎは半分くらい隠れているし制服のスカートや部活の時のハーフパンツに比べたらなんてことないはずなのに。

「……宿題やるのが?」

嬉しいと言ってくれて、俺だって嬉しいのに同意するともっと落ち着かない気持ちになりそうでわざとズレた返事をしたらみょうじもみょうじでふざけたように笑った。
無意識に頭を撫でようと上げた右手に、ハッとして途中でやめた。
多分、ここが外だったら逆に躊躇なくできたんだと思う。
完全に二人きりになるということが珍しすぎて意識しないようにと思うとぎこちなくなってしまいそうだった。
俺のそんな気持ちには気が付いていないであろうみょうじはためらいなく自室のある二階に進む階段をのぼって部屋に俺を通してくれた。

「飲み物持ってくるね。麦茶でいい?」
「うん、ありがとう。てか俺も行くよ」
「大丈夫だよ、座ってて」

部屋の中央、ベッドの前のローテーブルには教科書や参考書が積んである。
置いてあるペンケースは見たことのないもので、そういえば最近一緒に勉強していなかったかもしれない。
今日は課題を片付けることに専念しよう……なんてことを思う時点で邪念がある気がしてならないけれど、一緒に宿題をしようと誘ってくれたみょうじの気遣いを無下にするようなことだけはしたくないなと息を深く吸う。

「お待たせしました」とかしこまっているのに少し語尾を伸ばした言い方をして部屋の主が戻ってきて、なんてことのない顔をしてクッションの上に座った。

「どれくらい進んでる?」
「三分の二くらい……白布は?」
「俺もそれくらい」

それぞれ進捗は違うしお互いに集中して進めるしかないなと早速取り掛かる。
二人で過ごすなんてことが滅多にないから本当はゆっくり話したいけれど半日オフを勉強にあてると決めたのだからメリハリは大事にしたい。
明日からは部活も本格的にまた始まるし。
隣に座ったみょうじの肩が近いとか、距離が近いから香りも強く感じるとか、そういうことに気を取られている場合じゃない。
「わかんないとこあったら聞いて」と伝えたらみょうじがふにゃりと笑った。


大きくはないテーブルに二人で並んで、時間とかノルマとかは特に決めずに黙々と宿題を進めた。
俺もみょうじも集中力はあるほうだと思う。
だけど、さっきからみょうじの手の進みが鈍くなってうつらうつらと小さな頭が揺れ始めた。
隣を見るとやっぱり目が閉じられていて俺が顔を覗き込んだらハッとしたように閉じていた瞼が開いた。

「わ、やばい寝てた……」

みょうじの手元を見るとさっきまで眠気に抗っていたらしくて書いていた文字がガタガタだった。
見慣れた文字とは程遠くてちょっと笑ってしまう。

「疲れてるんだろ。昨日こっち帰ってきたばっかりだし」
「白布のほうが絶対疲れてるのに」

情けない、と言う声がむにゃむにゃと眠たそうで何度も大きくまばたきをするあたり全然眠気に勝てていない。

「ちょっと寝れば?眠いままやってても効率悪いだろ」
「でも、」
「二十分くらいしたら起こすよ」
「……うん、じゃあ」

よっぽど眠たいんだろう、それ以上言わずにのそのそとすぐ後ろにあるベッドにあがった。
いや、寝ればとすすめたのは俺だし寝るとなったらベッドだろう。
自分の部屋ならなおさらだ。
ぽすんと枕に頭をしずめて「自分でもアラームかける」と携帯を操作してから、程なくしてすぅすぅと寝息が聞こえてきた。
みょうじが昼寝をしている間ももちろん課題は進めるつもりでいたけれど、背後から聞こえるその小さな息遣いから気を逸らすことができる奴なんているだろうか。

「……疲れてんだろうなぁ」

みょうじの寝顔をそっと覗き込む。
触れようと思えばいくらでも触れられてしまう距離、いつも隣にいてくれるけれどすぐには触れない距離。

(あー……勉強、しよう)

今日何度目かわからない溜息に近い深呼吸をして一人で机に向き直る。
後ろからもぞもぞと衣擦れの音がするのは気にしないフリをすることにした。



「、えっ今何時?」
「おーおはよ」
「おはよう……うわ、わたしけっこう寝てた……?」
「いや、三十分くらい。もう起こそうと思ってた」

アラーム自分で止めてたぞと伝えると「えぇ……」とうなだれる。
二十分したら起こすと言ったけれど起こすのをためらうくらい身じろぎもせずに寝ていたからもう少しだけ寝かせておこうと思っていたら起こさずとも目が覚めたらしい。
慌てたように髪を撫でつけてみょうじが起き上がった。
普段の寝起きもこんな感じなんだろうか。
合宿で同じ施設に寝泊まりすることはあってもお互いに身支度を整えた状態でしか会ったことがないからそわそわとした気持ちになる。

「ごめんね、せっかくうち来てくれたのに」
「全然。俺は俺で進めてたし」

本当は後ろで寝ているのが気になってちょこちょこ盗み見したけど。

「喉渇ねぇ?なんか飲む?」
「うーん……うん。あ、白布ももう飲み物ないね」
「一緒に取りに行くか」

まだ完全には覚醒していない様子で「うん」と頷いたみょうじがいつもより幼く見えてかわいい。
……かわいいな。
ベッドから降りようとする動きがのんびりしていて思わず手を差し出すときょとんとした顔で見上げられた。

「ん?」
「手、つなぐ?」
「……うん」

ベッドから降りるだけだし、台所まで飲み物を取りに行くだけだし。
手なんて繋がなくても危ないことなんてないけれど俺の手のひらに控えめに乗っかった小さな右手をきゅっと握る。

「あ、コップ」
「トレー俺が持つよ」
「……なんか白布が甘やかしてくれてる」
「これくらい甘やかすに入らないだろ」

ていうか、今までみょうじを甘やかすっていうシチュエーションがなかった気がする。
部活では選手とマネージャーだから俺がいろいろサポートしてもらう立場だ。

「寝かせてくれたり手繋いでくれたり、なんか優しい」

普段から優しいけど、と付け足されて安心した。

「もっと甘やかしてやりたいとこだけど、飲み物持ってきたら宿題やろうな」
「はぁい」

めちゃくちゃ貴重なオフ、二人きりの時間。
本当はもっとのんびり過ごせたらいいけれどそうも言っていられないのだ。
お互いにわかっているから少しの時間も大切にしたいと思っている。

「白布」
「ん?」
「白布さ、花火のときに二人の時間があると頑張れるって言ってくれたでしょ」
「うん。いつも思ってる」
「わたしもおんなじ。いっつも思ってる」

寝ちゃったけど、と眉を下げるみょうじを見てトレーを持とうとした手を止めて薄い背中に回した。
抱き締め返してくれる弱い力さえも愛おしくて、頭を撫でると指の隙間を髪の毛がさらさらと通る。
家に来たばっかのときはためらったけれど今は自然とそうしてしまった。

「一人でいたらインハイのことばっか考えてたと思う」
「、うん」
「今日誘ってくれてありがとな」

目的は宿題だけれど、それだけではないことはなんとなくわかっていた。
高校二年の夏、残された月日は長くない。
悔しさも焦りも全部誤魔化せないし消えないけれど、また前を向くための力をくれる存在がここにいるのだと思うと強くなれる。

腕の中のみょうじをもう一度痛くないくらいの力で抱き締めた。



(2023.07.20)


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