33.甘い淡いにおい

「白布、なんかみょうじが男に声かけられてたけど」
「……は?」

夏のインターハイ、初日を無事に勝ち進んで宿の部屋で次の試合のデータを見ていたらそんなことを言われて低い声が出た。

「いや顔こわ、俺助けた側だからな?!」
「どういうこと」
「下にスタバあっただろ?そこでみょうじが絡まれてた」
「……」
「いやだから助けたから今は大丈夫だと思うけど」
「わかった、ありがとう」
「お、おう」

意外そうな顔をされたから「なんだよ」と聞いたら「なんか彼女助けてくれてありがとうってめっちゃいいなと思って」と言われた。
なんだそれ。
付き合ってもう一年になる。
部内恋愛はすぐに知れ渡ってしまったし今更恥じらうようなことでもないけれど「いいな」と言われて柄にもなく少し照れた。

それよりも。
携帯を取り出して「今どこ?」と短いメッセージを送る。
すぐに返事がきて自分の眉間にシワがよるのがわかった。

『ホテル下のスタバにいるよ、どうしたの?』

……まだいんのかよ。
一人でいるわけではないだろうしまだ遅い時間でもないから戻って来いとは言えない。
過保護だとか縛っているなんてことも思われたくない、けど。
考え込んだのは一瞬で、見ていた映像は停止して立ち上がる。
財布と携帯だけ持って部屋を出るときに背中に生温かい視線を感じたのは気のせいだと思いたい。



「みょうじ」
「え、白布?」
「白布先輩お疲れ様です!」
「賢二郎じゃん。なまえちゃんのお迎え?」

足早に向かった先にはみょうじと後輩マネージャー、それから天童さんがいた。
ちょうど帰ろうとしていたのか三人そろって立ち上がる。

「いや……まぁ、はい」

迎えというか心配で来てしまったのだけれどこの後どうしようかとかは考えていなかった。
てか天童さんいるならそんなに心配する必要もなかったんじゃないかと思う。

「そろそろ戻ろうかって言ってたんですよ、ちょうどよかったですね」
「え?」
「わたし天童先輩と先に戻ってますね」
「じゃあねぇ。賢二郎となまえちゃんも遅くならないようにね」

え?と発したみょうじに二人が手を振って、みょうじも反射的に振り返している。
手にカップを持ったままだったから「捨てる?」と問いかけたら「まだ少し残ってて」と首を横に振られた。

「お店出る?白布何か飲む?」
「あー……すぐホテル戻る?」

疑問系に疑問系で返したらきょとんとされた。
本当は明日も試合なのだからすぐホテルに戻るべきだとわかっている。
だけどなかなか二人になれる時間なんてない。
バレーの全国大会で来ているのだから当たり前だ。
頭ではわかっていても行動に直結しないこともあるらしい。

「白布の疲れ次第かなぁ」

ほんの少しだけ返事に悩んでいたみょうじがうかがうようにそう言った。

「ちょっとだけ話したい。みょうじがよければ」
「うん、わたしも」

話したい、と言ってくれた表情に左胸のあたりがきしきしと鳴るような気がしてそれすら心地良い。
どれだけ一緒にいても慣れることのない淡い痛みは、これから先も慣れなくていいと思う。

レジに向かい飲み物を頼んで、みょうじが食べるかなと思って個包装になっているクッキーも買った。
今はいらないと言われたらそのまま渡そう。

「あ、白布おかえり」
「ただいま」

飲み物買ってただけなのにおかえりもただいまもないんだけど。
たぶんみょうじも同じことを思っていて、ふたりして顔を見合わせて笑った。
インハイを控えていたから部活にいつも以上に熱が入っていてこんなふうに二人だけの時間を過ごすのは久しぶりだ。

「何買ったの?」
「…ホットミルク」
「え、なにそのかわいいチョイス……」

つっこまれそうなだとは思ったけれど。
店内はクーラーが効いているから冷たい飲み物は避けたいし、時間も早くはないからなと考えた結果がこれだったんだから仕方ない。

「カフェインこの時間とって眠れないと困るだろ」
「たしかにそうだけど。ホットミルク飲む白布めちゃくちゃかわいい」
「かわいくはない」
「そうだね、白布は美人だもんね」
「はぁ?」
「昔から思ってたんだよね、言うと嫌がるだろうから言ったことなかったんだけど」
「……わかってんなら言うなよ」

かわいいも美人も男に言う言葉じゃない。
だけど隣に座って楽しそうに笑っているみょうじを見たらまぁいいかと思ってしまう。

「みょうじは何飲んでたの」
「わたしはね、あれ、季節限定のフラペチーノ」

店内に飾ってあるポップを指差す。
天童さんたちも同じものを飲んだらしい。
……身体冷やしちゃいけないとかって概念、あの人はなさそうだもんな。
そもそも基礎体温高そうだ。

「美味い?」
「うん。飲む?」

まだ少しだけ中身が残っていた透明のプラスチックカップを差し出される。
ひとくちもらったらめちゃくちゃ甘かった。

「天童さんこんな甘いの飲めんだな」
「甘いもの好きみたいだよ」
「へぇ」

そういえば、と自分のカップの横に置いていたクッキーをみょうじのほうへ差し出す。

「みょうじクッキー食べる?」
「えっいいの?」
「うん。今いらなかったら明日のおやつにでもして」
「ありがとう、このクッキー好き。今食べちゃおうかなぁ」
「口んなか甘くないの」
「甘いものいくらでも食べられる時ってない?」

半分こする?と聞かれて頷きかけたところで、トレーを持った店員に声をかけられた。

「よろしければこちらお試しいかがですか?」
「えっいいんですか?」
「昨日から発売になった限定のスイーツの試食です。皆様にお配りしているのでお二人でぜひ」

トレーの上には小さい紙コップが並んでいて、中には一口サイズにカットされたスイーツか並んでいた。

「ドーナツですか?」
「はい!甘いものお好きですか?」
「大好きです!」
「彼氏さんも時間大丈夫でしたらぜひどうぞ。部活の合宿か何かですよね?」

俺もみょうじもジャージ姿だから、合宿かと聞かれても驚かない。
ふたりで頷くと微笑ましげな顔でテーブルに紙コップをふたつ置いてくれた。

「……クッキー明日にしておこうかな」
「おう」
「明日も勝ってまた一泊するし」
「ん、だな」

明日も勝つ、なんて簡単なことではないことくらい二人ともわかっているけれど。
大会最終日まで勝ち続けて日本一のチームになる。
一度も負けない夏にする。
その目標に向かってただひたすらにバレーボールをしてきたのだ。
ほんの少しの休息だけれどみょうじがそばにいてくれることのありがたみを今日またひしひしと感じることもできた、そんな時間だった。

「白布本当にわたしの迎えのためだけに来てくれたの?」
「みょうじが声かけられてたって言われたから」
「えっもしかして八木くん?」
「そう。俺は助けた側だぞって言ってた」
「ちょうど天童さんが飲み物買いに行ってるときで……」
「うん、そんな感じだと思った」
「本当ちょっと声かけられただけだから大丈夫だよ。月バリ出てましたよねって」
「あー……」

会場近くのホテルに泊まっているから、近辺のホテルに泊まっている他校のバレー部員がいても不思議ではない。
稲荷崎とは違うホテルでよかったと昼間のことを思い出したら表情が苦いものになるのが自分でわかった。

「迎えに来てくれてありがとう」

だけどみょうじがへへ、なんて笑いながら顔をほころばせるからこっちの気も緩む。
やっぱり来てよかった。

「そろそろ戻ろっか」
「ん。ドーナツ美味かったな」
「ね、期間内に今度はまるごとひとつ食べたい」

そんなに好きな味だったなら俺のもあげたのに。
空になったカップをみょうじの分も持って席を立つ。

「宮城戻ったらまた食おう」
「うん」




店を出て目と鼻の先にあるホテルに戻る、そのはずだったのだけれど。
ごくごく弱い力に後ろから引かれて立ち止まる。
みょうじが俺のTシャツの裾をくいっと引っ張ったのだ。

「みょうじ?」
「あのね、ちょっとだけ」

こっち来て、と連れて行かれたのはホテルの裏側で、建物の壁に寄りかかるように立ったみょうじの隣に並んだ。
肩と肩が触れてじんわりと暑い夏の空気に落ち着かない気持ちになる。

「白布」と名前を呼ばれる。
壁に背中を預けていたけれどみょうじのほうに向き直ると俺の両手をみょうじの両手がきゅっと握った。

「……どうしたの」
「充電?」
「おぉ」
「話せて嬉しかった」
「うん、俺も」
「白布」
「ん」

もう一度名前を呼ばれて目と目が合って、みょうじがほんの少し背伸びをした。
その意味がわからないような短い付き合いではない。
身をかがめて距離を縮めると一瞬だけ柔らかい唇が俺の頬を掠めた。
口にしてくれないのかと思ったけれど、多分大会中だから節度は守りたいのだろう。
頬にしていいなら唇にしてもいいのではないかなんて考えもよぎらなくはないけれどみょうじがそうしたいならそれでいい。

「戻ろっか」と恥ずかしそうに言う俺の彼女がかわいすぎてなかなか寝付けなかったらみょうじのせいだな、なんて到底言えないことを思った。



(2023.05.20.)


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