if.あらためまして

部活に身を捧げた高校生活を終えて、大学生を経て社会人になった。
部活といってもマネージャーでしかなかった自分に身についたことはあまりない、ような気がする。
自分には何もないなんて思ってしまうくらいにめずらしく塞ぎ込んでしまうのは入社して半年の会社で今日大きなミスをしてしまったせいだ。
先輩がフォローしてくれたおかげで大事にはならなかったけれど、先輩や上司に優しくされればされるだけなんとも言えない気持ちになる。
昔は後輩や仲間を励ます立場だったくせに情けない。
家に帰ってしばらく動けなくて、静かな部屋でぎゅっと膝を抱えていた。

高校時代の友人……と言っても学校は違うし住んでいるところも宮城と東京と離れていた、黒尾くんから連絡が来たのはそんなタイミングだった。

『みょうじちゃん、今東京にいんだって?』

久しぶりと始まったメッセージは短くて、だからこそわたしも簡潔に返すことができた。

「久しぶり!東京にいるよ、黒尾くんも東京?」

1分もかからずに打てた文章はそれだけで少し気持ちが軽くなった。
高校生のときの黒尾くんはいつも飄々としていてよくうちの主将の澤村と笑顔でバチバチやりあっていて。
後輩思いで、だけど直接的に優しいっていうよりはさりげなく導くみたいな優しさを持っている人。
懐かしいなと思うだけで肩の力が抜けたような気がする。
仕事から帰ってすぐに座りこんでしまっていたけれど、ようやく何か飲もうと立ち上がることができた。
一人暮らしの狭いキッチンからお茶を入れたマグカップを持って戻ると携帯が震えている。
着信が長いから電話だ。
慌ててマグカップを置いて携帯を手に取ると「黒尾くん」と表示されていて一瞬止まってしまった。
メッセージのやりとりは高校生のときからたまにしていたけれど電話が来るのは初めてじゃないだろうか。
通話ボタンをタップして耳に当てる。
「もしもし?」と問いかけると「電話無視されてるのかと思った」と思いがけない第一声が返ってきた。

「え、なんで?」
『メッセージすぐ返ってきたのに電話出ないから』
「ごめんごめん、飲み物取りに行ってて」
『いや、いいけど。久しぶりだなみょうじちゃん』
「うん、久しぶり黒尾くん。どうしたの?なんかあった?」
『ん?』
「電話、珍しいなって。ていうかはじめて?」

話すのも久しぶりだ。
高校バレーを通して繋がっていた縁は卒業しても続いて烏野と音駒で集まることはあったけれど社会人になってからは会えていない。
みんなそれぞれ忙しいんだろうな。

『あーそうかも。みょうじちゃんさ、再来週の日曜暇だったりしない?』
「再来週?」
『うん』
「ちょっと待ってね、スケジュール確認する。何かあるの?」
『バレーの試合観に行かないかなと思って。アドラーズ戦のチケットもらったんだよね』
「えっ行きたい!」

再来週の予定を確認している手を止めて思わず食い気味で返事をする。
アドラーズって、シュヴァイデン・アドラーズだ。
飛雄が一年前から所属しているVリーグのチーム。
観戦チケットは取ろうと思えば自分でも取れるかもしれないけれど最近忙しくて心がバレーに向かう余力がなかった。
即答したわたしに電話の向こうで黒尾くんが笑っている。

『予定空いてそう?』
「えっと、うん。大丈夫!わたし一緒にいいの?」
『みょうじちゃんと行きたいから誘いました』

時々、本当にたまに。
黒尾くんはこういうことを言う。
高校生のとき程わかりやすくはないし勘違いとか思い過ごしとか自意識過剰だと言われたらそれまでなくらいごくまれに。
一瞬怯んでしまったけれど他意はないんだろう。
黒尾くんは掴みどころがないそういう人だ。

「ありがとう。最近試合観に行けてなかったから嬉しい」
『ならよかった。じゃー詳しい待ち合わせとかまた近くなったら連絡する』
「うん、お疲れ様」
『おーお疲れ。週末ゆっくり休んで』

あっさりと切られた電話。
手のなかにある携帯電話をなぜか手離せない。
ゆっくり休んで、と多分黒尾くんは何気なく言ってくれたんだと思うけれど心が軽くなるどころか優しい言葉に涙腺がゆるゆるになってしまったらしい。
自分でも不思議なくらい疲れていた心に染みた。
なぜか目頭がじわじわと熱くなってきて、ごまかすように大きく息を吸った。



観戦の約束をしている三日前になって黒尾くんから待ち合わせについて連絡が来た。
場所と時間について了承の返事と一緒に「そういえば他に誰が来るの?」と送ると「誰も来ないけど。チケット二枚しかないし」と返ってきて固まった。
二人……?
黒尾くんと知り合って五年になるけれど二人で出かけたことはない。
初対面のときは二人だったし、合宿中とかに二人で話すことはあったけれど出かけるとなると少し緊張するな。
「そっか、わかった」と短く返す。
すぐに既読はついたけれど返事はなかった。
まぁ試合を観に行くだけだし。
アドラーズのチケットが二枚で誰を誘うかとなって飛雄と付き合いの長いわたしを誘ってくれただけだし。
だけどそっか、ふたり。
………何着ていこう。


約束の場所に着くと、一際背の高い人が柱に背を預けて立っていた。
高校生の頃は当たり前みたいに身長の高い人に囲まれていたけれどここまでの人はそうそういない。
黒尾くんはたしか187cmくらいあったはず。

「黒尾くん」
「おー」
「久しぶりだね」

背、高いな。
今更だけど。
なんてことを思いながら見上げると何も言わずにジッと目を見られた。

「……」
「え、なに?待たせちゃった?」
「いや……なんか、久々だなと思って」
「?うん」

会場から最寄駅までは歩いて数分で、とりとめのない会話をしていたらあっと言う間に会場に着いた。
チケットを一枚手渡されてお礼を言う。
黒尾くんのニッとあがる口角になんだかすごく懐かしい気持ちになった。

「チケットもらったんだっけ?」
「そう。仕事の関係で」
「取引先とか?」
「そんな感じ。てか俺どこ就職したか言わなかったっけ?」
「スポーツ関係なのかなってなんとなく」
「あーまぁ間違いではないけど」
「うん?」

入場して席に向かうとものすごく前の方の席だった。
こんなに近くで試合を観るのは高校生以来な気がする。
もらったチケットみたいだけどありがたすぎて詳しく聞こうとしたら、黒尾くんが少し焦らしてから仕事について話してくれた。

「日本バレーボール協会で働いてんだよね」
「……えっ?!」
「それでVリーグのチケットとかけっこうもらえて。アドラーズならみょうじちゃんかなって」
「えー……ビックリした。すごいね」
「いやいや。バレー好きが高じてってだけ」
「それがすごいんだよ。好きなことを仕事にって簡単じゃないと思う」

というか、好きなこととか関係なく仕事って簡単じゃない。
まだそんなに難しいこととか責任のあることを任されているわけでもないくせにそう思う。

「黒尾くん、仕事楽しい?」
「うん」

そう即答できる黒尾くんが羨ましくて眩しい。
試合開始前にアップのために選手たちがコートに出てきてこの話題はそこで一旦終わりになった。

「あ、影山」
「飛雄はわたしたち来るの知ってるの?」
「いや、言ってないけど。みょうじちゃんから連絡するかなって」
「わたしも黒尾くんが連絡してるのかなって」

お互い顔を見合わせて小さく吹き出す。

「まぁいっか。気付くかなぁ、飛雄」
「あいつ試合のとき客席とか見なさそう」
「黒尾くんよくわかってるね」

なんて言っていたのに、アドラーズの他の選手とバチッと目が合った。
牛島くんだ。
偶然だし話したことは数えるくらいしかないわたしのことなんて覚えていないだろうなと思ったのに、練習が終わったタイミングで牛島くんは飛雄の肩をポンと叩きこっちを指差した。
牛島くんの指の先を追った飛雄がわたしのほうを向く。
目が合うとほんの少し表情が柔らかいものに変わって飛雄は変わらないなとわたしも頬が緩む。
ひらひらと手を振ると小さく会釈をしてくれて、そのあとでわたしの隣にいる黒尾くんに気が付いたのか一瞬ぎょっとしたような顔になった。

「飛雄ビックリしてる」
「え、てかなんか俺睨まれてない?」
「飛雄の目つきが悪いのは元々だよ」
「いやーなんかそういうんじゃなくて、なまえさんは烏野のマネージャーだーって言いたげ」
「今更……?」
「まぁみょうじちゃんはいつまでたっても自分たちのマネージャーなんじゃない?なんかわかる気がする」

一旦ロッカールームに引っ込んだ飛雄たちの背中を見守りながら黒尾くんが笑っている。

「大学行っても社会人になっても音駒の後輩はずっと俺らの後輩だし、みょうじちゃんは烏野のマネージャーだなって感じする」

うまく言えないけど、と付け足されたけれど言いたいことはすごくわかる。
北一の後輩は烏野に進学してからも可愛い後輩だったし、烏野のみんなは未だに仲間だなって思う。
黒尾くんは……戦友?
仲間といえば仲間だけれど他校の主将でライバルで、いまだに気にかけてくれる人。
そういえば春高の開会式の前にも悩んでいることを察してくれた。
さすが強豪校の主将だなと思う。
だけど、それで片付けてはいけない想いを黒尾くんが抱えていたことをわかっていたのに当時のわたしにはどうすることもできなかった。
このときも黒尾くんの優しさに助けられたんだったなと少し苦い気持ちを思い出してしまった。



試合はアドラーズの快勝だった。
プロバレーボール選手になった飛雄の試合を観たのは初めてではないけれど何回だってドキドキするし、楽しそうな飛雄を見るとホッとする。
日本代表選手になった飛雄のファンは多くて、試合後のファンサービスタイムにもたくさんの人が飛雄のことを待っていた。

「どうする?影山のサインもらってく?」
「実はわたし試合観にくるたびにサインもらってる」
「まじか、ファンじゃん」
「ファンなんですよ」

今日もちゃっかり色紙を持って来ていて、かばんから取り出したら黒尾くんに爆笑されてしまった。

「じゃー列並ぶか」
「うん、ありがとう」
「全然」

KAGEYAMAと背中に書いてあるユニフォームを着ている子供に混じって列に並ぶ。
試合直後だから興奮したように試合がどうだったこうだったと話していたり、憧れの影山選手を前に緊張していたり。
そんな子達を見ていたら顔が綻ぶ。

「かわいいなぁ」
「ん?」
「試合、観るの楽しかったんだろうなって」

独り言みたいに思わずこぼした言葉に黒尾くんはちゃんと反応してくれる。

「あぁ。ね、なんかこっちが嬉しくなるよな」

その言葉がなんだかぎゅっと胸を締め付けるみたいで返事ができなかった。
何も言わないわたしの顔を黒尾くんが不思議そうに覗き込む。

「ん?」
「あ……ごめん。なんか、黒尾くんって本当バレー好きなんだなぁって今更だけど」
「改めて言われると恥ずかしいデスネ」

まぁそうだけど、と黒尾くんが笑う。
会場を見渡してもう一度わたしに向き直った。

「みょうじちゃんも好きだろ、バレー」

……たしかに改めて言われると気恥ずかしい。
大好きなのに離れてみたら考える隙もなくなってしまった。
部活で六年間関わっていたけれどただのマネージャーだし、バレーができるわけじゃない。
趣味ですってほど観戦しているわけでもない。
だけど、うん、好きだなぁ。

「大好き」
「……おー」
「なんか最近ちょっと落ち込んでたんだけど元気出た、ありがとう黒尾くん」
「ならよかった」

普段なら少し恥ずかしくなるようなことも試合を観た後の高揚感のおかげでさらりと言えた。
黒尾くんの飄々とした態度のおかげもあるかもしれない。
もう一度「ありがとう」と見上げたら「うん」となんてことのないように返事をされた。

「なまえさん、来てくれたんですね」
「おーい俺もいるけど」
「黒尾さんはこの前会ったんで」
「え?」
「仕事でね」
「あ、そうだったんだ。並ぶの付き合わせちゃったね」

手に持っていた色紙とペンを飛雄が受け取ってくれて、サラサラと手慣れたようにサインと「なまえさんへ」と書いてくれた。

「影山のサインってなんか意外だよな」
「何がですか」
「ハートとか書いちゃって。チームの人と考えたんだろ」

わたしの手に戻ってきた色紙を見ながら黒尾くんが言うと、飛雄が「あぁ」と納得したように言う。

「プロ入り決まったときに菅原さんが考えてくれました」

その瞬間、なぜか黒尾くんを纏う空気がピシリとかたまった。
スガとも烏野と音駒の集まりのときに会っているはずだしサインの話もそこまで驚くことだろうか。

……昔、といってもまだ五年前。
もう五年前だろうか。
高校三年生のとき。
黒尾くんの視線に込められていた気持ちをわたしが見て見ぬふりをしてしまった頃。
「スガちゃんに告白でもされた?」と聞かれたことがある。
肯定も否定もしなかったのに黒尾くんにはバレてしまって、スガの気持ちにもこたえられなかった。
当時はいっぱいいっぱいで、明確な言葉を言われたわけではない黒尾くんにだって何も返せなかった。
黒尾くんの優しさに甘えてひどいことをしたなと今なら思う。

飛雄に向けていた視線をそろりと向けると、バツが悪そうに頭をかいた黒尾くんが「なるほどスガちゃんね」となんてことないように言った。
だからわたしもなんてことないように色紙を大切にかばんに仕舞って飛雄に「応援してるね」と声をかけてその場を後にした。

騒がしさの残る会場を出ると途端に会話が難しい気がするのはなぜだろう。
無言になってしまって駅に向かっているけれどこれは帰る流れでいいんだろうか。

「黒尾くん、JRだよね?」
「ん?あー……そうだけど、」

言葉を不自然に切ったから続きを待つ。

「飯食わない?」

もっとサラッと言ってくれたらこっちも気負わないのに。
なんて、黒尾くんはなんの他意も含んでないかもしれないのに気負っているのはわたしのほうだ。
ふたりでご飯なんてしたことがないけれど断る理由はなくて頷いた。

「つっても微妙な時間だな。店開いてないかも」

時間はまだ夕方の四時を少しすぎたくらいで、たしかに夕食には早い。
黒尾くんが携帯を取り出して唸る。

「定食屋とかならこの辺でも知ってんだけど」
「仕事でよく来るの?」
「そう。ちょっと待って、調べる」
「わたしも調べてみる……けどお茶でも全然いいよ」

駅から会場に来るまでの道のりでカフェがいくつかあったことを思い出して提案してみる。

「夜ご飯のお店が開くまでお茶するとか、どうですか?」
「みょうじちゃんがいいなら」
「うん、もちろん」

一瞬間をあけて黒尾くんが「じゃあそれで」と言い携帯をポケットに仕舞った。
かまえるな、考えすぎるな、いつも通りみんなといるときみたいに。
そう言い聞かせている時点でなんだかもうわたしが黒尾くんを意識しているなということに気付いてしまってからはなんかもうダメだった。



「……みょうじちゃん、ごめん」
「え?」
「俺なんかめっちゃ緊張してる」

さっきから口数が少ないのは黒尾くんも同じで、カフェで買ったホットコーヒーを外のベンチで何口か飲んでからそんなことを言われた。

「え……なんで?」
「わかんない?」

疑問に疑問で返される。
わからないと返事をするのは簡単だけれど、なんとなくそれをするのはずるい気がした。

「勘違いだったら恥ずかしいんだけど、」
「うん」
「わたしと同じ緊張なのかなって思う」
「……と言いますと」

もしここが夜ご飯を食べに来たお店で、お酒を飲んでふたりとも口も身体も軽くなっていたならもっとサラッと言えたのかもしれない。
わたしの言葉を待つ黒尾くんの顔を見る。
ぎゅっと引き結ばれた唇から緊張が伝わってきてわたしもコーヒーカップを持つ手に力が入った。

「ごめん、かっこ悪いこと言った。俺から言うべきだよな」

ふぅ……と黒尾くんが短く息を吐いた。

「高校生んとき、俺がみょうじちゃんのこと好きだったのは知ってると思うんだけど」

改めて言われると心臓のあたりがぎゅっとなる。
人から向けられる好意は嬉しいのに応えられないと途端に苦しいものに変わってしまう。
それに気が付いたのは五年前で、今の息苦しさはまた違うものだった。

「みょうじちゃんのこと困らせたくないし諦めて、彼女できたこともあったけどやっぱ忘れられませんでした」
「……うん」
「スガちゃんのこと振ったって聞いて、大学に入ってからの話は怖くて聞けなかった」

スガの名前が出て無意識に肩が揺れて黒尾くんから目を逸らしてしまった。
今なら黒尾くんとちゃんと向き合える気がするのに。

「怖くて聞けないくせにやっぱ会うと好きだわって思う」

いつだって優しい瞳を細めて、黒尾くんが丁寧に言葉を紡ぐ。

「昔言えなかったことずっと後悔してた」
「……言えなかったの、わたしのせいだよね」
「せいっていうかそれがみょうじちゃんのためになるなら俺は言わなくていいって思った」
「優しいなぁ黒尾くん」
「そう。優しいよ、俺」

だから、と言って大きな身体がすぅと息を吸う。
それにつられてわたしも深呼吸をしたらなんでだよと弱々しく笑われた。

「もし可能性っつーか、少しでも良いかもって思ってくれるなら。俺と付き合ってくれませんか」

可能性とか少しでもとか、そんなことで頷けない。
大切だから適当なことはできないししたくない。
そう思って今までも向き合ってきたつもりで、黒尾くんのまっすぐな瞳を見つめ返す。

「……いきなり付き合うとか考えられなかったから今日みたいにたまに出かけるだけでもいいし」

黒尾くんが想ってくれている気持ちが嬉しくて今日会えたことも嬉しくて、いつもゆるやかに上がっている口角が緊張したように引き結ばれている表情に胸の奥があたたかくてせわしなくなる。

「わたしもまた黒尾くんと出かけたい」
「……うん」
「今日会えて嬉しかったし、電話くれたのも嬉しかった」

うん、とまたひとつ黒尾くんが頷いてくれる。
急かすことなく返事をジッと待つ黒い瞳を見つめ返す。
可能性とか少し良いとかじゃなくて。
理由がなくても会いたいし電話したいなって思うよ、わたしも。



(2023.01.14)


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