22.溢れおちないように

思わず立ち上がりそうになったのをぐっとこらえた。
凛がレジに向かったことに気が付いたなまえちゃんが対応に入ってまた何か話しながらお会計をしている。
先に行くと凛が言ったのは、なまえちゃんと話をしろということなんだろう。
お店は混雑時間を過ぎたようでこれなら少しくらい話をしても問題はないと思うけれど。
二人を見ていられなくなって手にしたコーヒーカップに目線を落とした。
少しぬるくなったカフェラテが胃に沁みる。
カランとドアのベルが鳴ったから凛が出て行ったのだろうとわかった。

落ち着いた店内では他のお客さんの小さな話し声とレコードの音みたいなBGMが流れていて、なまえちゃんが俺の方に近付いてくる気配がする。
視界の端でまろんのエプロンが揺れた。

「真琴くん」
「うん?」
「今話しかけても大丈夫?」
「うん。どうしたの」

どうしたの、となんて白々しく聞き返すけれど内心は全然穏やかじゃなかった。

「凛くんが真琴が聞きたいことあるらしいーって言ってたんだけど」

凛の言った言葉をそのままなぞったらしいなまえちゃんに「真琴」と呼び捨てにされてそれだけのことなのに心臓が浮いたみたいな感覚がする。
俺のそんな心境を知るよしもないなまえちゃんは小さく首を傾げた。

聞きたいこと。
クリスマスのこと、彼氏とのこと、なまえちゃん自身のこと。
たくさん話したいことはあってまろんでお客さんと店員さんとして話すだけじゃ足りない。

「……色々あるんだけど」
「うん?」
「俺、なまえちゃんともっと話したくて」

要領を得ない俺の言葉に小さく頷いてくれる。

「今度まろんじゃないところで、っていうかなまえちゃんがバイトじゃないときに話したい…って言ったら困る?」
「……えっと、それはまろんにいたらできない話ってこと…ですか?」

普段は敬語なんて使わないのにそんなふうに返されて自分が相当おかしなことを言っているのだと思う。

「バイト終わったあととかでも良ければまろんのほうが安心な気がするけど…」
「うん、そうなんだけど」

俺の心配をしてくれているらしいことはわかる。
いつもそうだからだ。

「そんなに時間とらせるつもりはないから、今度外で会えませんか」

つられて俺も敬語になってしまった。
勝手に恥ずかしくなって顔が熱い。
誰かを誘ってこんなに返事を聞くのが落ち着かなかなったことはない。
なまえちゃんが返事に困っていることがわかるから余計にだ。

「ふたり、で?」
「うん。駄目かな」
「せめて凛くんとか一緒のほうが…いやでも余計目立つかな……」
「凛はいないほうがいいかも」

ていうかもし誘っても来ないだろうな。

「なまえちゃん前も俺のこと心配してくれてたけど、本当そんなに気付かれないから大丈夫だよ」
「えぇ……」
「全然信じてないね」
「だって目立つもん、絶対。わたしがすれ違ったら振り向いて目で追っちゃう」
「じゃあ俺の家来る?」

全く信じてくれないうえに一向に折れてくれそうにないなまえちゃんについ口が滑った。
こんなこと言うつもりは本当に一切なかったのに自分で驚いたけれどそれ以上になまえちゃんがぽかんと口を開けてフリーズしてしまった。

「なまえちゃん?」
「あ、ごめん……握手会でも言われたことないようなこと言うからびっくりして」
「いや、俺こそごめん。つい」
「ううん。えっと、じゃあ…この通りにある他のお店とか、どうですか?」
「うん。じゃあそこにしよう」

俺がとんでもないことを言ってしまったせいでなまえちゃんの判断能力が鈍ったみたいであんなに渋っていたのにまろん以外で会うことをどうやら了承してくれたらしい。

「今日は真琴くん事務所行くんだよね?」
「凛に聞いた?」
「うん」

なんか、本当いつのまにか凛となまえちゃんが仲良くなっていて焦る。
凛は俺の気持ちを知っているし信じているけれど、なまえちゃんが凛のことを好きになったらどうしよう。
凛のこともSTYLE FIVEのひとりとして見ているのかな。
それなら俺も凛も同じ立場だけれど、好きだという気持ちは多分理屈じゃない。

「なまえちゃんもバイトとか学校の都合あるよね。スケジュール確認したいから連絡してもいい?」
「うん、……連絡?」
「連絡先、聞いてもいいですか」

さっきからいろんな表情をしているなまえちゃんが今度はじんわりと顔を赤くさせて口をぱくぱくと開けていて自惚れたくなる。

「なまえちゃんのこと信用してるから連絡先くらい良いかなって思うんだけど」
「えっ本当に言ってる?」
「こんな冗談言わないよ」
「そんな個人情報もらえないよ」
「個人情報って」
「真琴くんどうしたの?大丈夫?」
「俺は大丈夫だけど、なまえちゃんこそ大丈夫?顔真っ赤」

なまえちゃんがあまりにも動揺しているから少し余裕が出てきたような気がする。
嫌われたらどうしようと踏み出せずにいたけれど、連絡先を聞いただけでこんなにかわいい顔をされるならもっと早く聞けばよかったかもしれない。
この反応を見る限り嫌がられてはいない、はず。
彼氏がいる子にそんなふうに思っちゃいけないと自分でブレーキをかけていたんだなと今になって思う。

「俺の連絡先渡すね」
「えっいや本当待って」
「大丈夫大丈夫」
「何が?!」

カバンから付箋を取り出す。
台本とか資料に書き込むこともあるから紙やペンを持ち歩くようにしているのが役に立った。
さらさらと付箋に数字とアルファベットを書いてなまえちゃんに差し出すと胸の前でぎゅっと両手を握りしめていた。

「……真琴くんわたしのこと信じすぎだよ」
「なまえちゃんだけだよ、こんなことするの」

あ、今のは本音を言いすぎたかも。
さっきまでうじうじ悩んでいたのが嘘みたいだな。
一人で考え込んでいても仕方ないのかもしれない。
なまえちゃんと話していたら苦しかったもやもやが溶けていく。



「……真琴、お前顔に出るのどうにかしねぇと後々困るぞ」
「え?」
「なんかあっただろ」

事務所の会議室に入ると書類仕事を始めていた凛が顔を上げてげんなりしたような表情をした。
そんなににやけているだろうかと自分の頬に手を当てるけれどそれだけで表情がわかるはずもなく、首を傾げたら盛大に溜息をはかれた。

「まぁなんかうまいこと話せたならいいけど」
「話せたっていうか、今度時間とってもらうことになって」
「ふぅん」
「……連絡先、渡した」
「は?!」

まずかっただろうか、なんてことは今更思わない。
前に茜さんを通してスケジュールを送り合っていたことがあったけれど、そのときから直接連絡を取れたらいいのにと思っていた。

「……なんかスッキリした顔してんな」
「うん。なんか吹っ切れたかも」

会議室には凛しかいないけれど、無意識のうちに二人とも小声になる。
プライバシーや守秘義務は守られる作りになっているはずだけれど、通りがかりのスタッフさんにでも聞かれたら大変だ。

「なまえは?どんな反応だったんだよ」
「びっくりしてたなぁ」
「だろうな」
「けど、多分嫌がられてはないと思う。今度まろんの外で会う約束もした」
「急に色々飛び越えてるじゃねぇか」

凛が持っていたペンを置く。
考え込むようにひとつ深く息をはいて俺の方を向いた。

「相手がなまえだし大丈夫だと思うけど、俺らが恋愛とか人付き合いするうえで気をつけなきゃなんねぇことに変わりはないからな」
「うん。それはわかってる」

何よりも大切なのはファンのみんなだということは変わらない。
だけどこんなにも大きくなった気持ちを隠すことができなくなってしまった。
アイドルだからって恋愛をしちゃいけないわけじゃなくて、幸せになってほしいと前に言ってくれたなまえちゃんの言葉を思い返して勇気をもらう。
わがままかもしれないけれど、自分の気持ちを隠すことはもうできそうになかった。



(2022.11.07.)


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