21.あの日のまぼろし

なまえちゃん、だった。
クリスマスライブの映像を確認させてもらってからずっと心臓のあたりがそわそわと落ち着かない。
来れないと言っていたけれど予定が変わったんだろうか。
クリスマスだったのに。
デートじゃなかったんだろうか。

年が明けて年末から忙しかったスケジュールに少し余裕ができた。
最近の俺はうじうじ考えることばっかりで気が付いたら溜息を吐きそうになっていて、仕事のときは切り替えられているつもりだけれどまろんに向かう足は重たい。
だったら行かなきゃいいだろって言われそうだけれどなまえちゃんに会いたいんだからどうしようもないなと自分で思う。



まろんの扉を開けるとき少しドキドキしてしまう。
なまえちゃんはいつも通りの笑顔で迎えてくれて、年始の挨拶をできることにくすぐったい気持ちになる。
「あけましておめでとう」と言い合うのはいつぶりだろうか。
昔握手会を定期的にやっていた頃以来だ。
年始のまろんは混み合っていて、俺の指定席みたいになっているテーブル席は親子連れが利用していた。

「カウンターしか空いてないんだけど大丈夫?」
「うん、もちろん」

案内してくれたのは奥にあるカウンター席で、メニューは見ずにいつもと同じものを頼んだ。
なまえちゃんが「かしこまりました」とはにかむように言ってくれるのもいつも通り。
クリスマスライブの映像に映っていた泣き顔が幻みたいに感じる。
だけどあれはなまえちゃんだった。
俺が会いたすぎて見た都合の良い白昼夢なんかじゃない。

今日は雑談をできる雰囲気ではないなと少し残念だけど顔を見れただけでも良いと思わないといけないよなぁ。
マネージャーさんに提出しなければいけないブログの文章を考えようと携帯のメモ機能を開く。
年末年始の仕事の裏話を書こうと頭の中で振り返っているとまた店のドアのベルが鳴った。
意識はそちらに向いていなかったけれどなまえちゃんが「凛くん、こんにちは」と言うのが聞こえてきて思わずそっちを見てしまって、後悔した。
前にも感じたことがある焦燥感みたいなもやもやした気持ち。
凛となまえちゃんってあんなに距離が近く見えたっけ。
キャップを深くかぶっている凛の表情もゆるんでいるような気がする。
二人が俺のほうを向いて何か話していて、たぶん「真琴くんも来てるよ」とかそんなことを言っているんだろう。
あいにくカウンターの隣は空いていないから凛は俺と離れた席に通されていて、メニューは見ずに注文を済ませたようだった。

……気にしないように、と思えば思うほど気になってしまう。
恋愛にのめりこむタイプでもないし職業柄自制心だってあると思っていたのに凛となまえちゃんがまた何か話しているようで勝手に居心地が悪い。
凛はキッチンの洗い場に近いカウンター席で、何か作業をしているなまえちゃんと自然に話せるのが羨ましかった。
俺がその席に座ったとして同じようにできたかはわからないけれど。
周りに聞こえない声で何かを凛が言ったらなまえちゃんが慌てたように顔を赤くさせたり青くさせたり忙しそうで、いったい何を話していたんだろうか。
俺だって話したいのに、なんて今まで凛にだけ言えたような情けない本音は飲み込むしかなかった。



「真琴くん」
「ん?」
「テーブル席空いたんだけどよかったら移動する?凛くんも来てるから一緒にどうかな」
「あー……」
「お店も落ち着いてきたし待ってるお客様もいないから」

俺がすぐに返事をしなかったのをお店に対する気遣いだと思ってくれたようで、なまえちゃんの優しさに罪悪感みたいなものがちくちくと痛い。
カウンター席の少し高さのある椅子に座っている俺となまえちゃんの視線がいつもよりも近い位置で合っていて、じっと見つめていたら次第になまえちゃんの頬が赤くなってくる。
まだ俺のこと、アイドルとしてでも好きだと思ってくれてるのかな。
我ながら女々しすぎることを考えてしまって「真琴くん?」と首を傾げながらもう一度呼びかけてくれたなまえちゃんの声でおかしな考えを頭から追い出した。

「うん、じゃあ移動してもいい?」
「もちろん!凛くんにも声かけてくるね。お冷とか持っていくからそのまま移動しちゃってください」
「ありがとう」
「どういたしまして」

お言葉に甘えて自分の荷物だけ持って席を移ると、すぐに凛もこちらに来て俺の前の椅子に座った。

「よぉ」
「凛、こっち戻ってきてたんだね」

年末の年が変わるギリギリまで歌番組に出演していて、そのあと元日はみんなそろって実家に帰っていた。
俺は今日の仕事始めを前に昨日戻ってきていたんだけど凛も同じことを考えていたらしい。
仕事始めといっても収録とか取材ではないから、気持ちはまだ休みみたいなものなんだけど。

「慌てんの嫌だからな」
「凛もこのあと事務所だよね?」

そう、と言いながらなまえちゃんが新しく出してくれたコーヒーを飲む凛はメンバーながら絵になると思う。

「アンケート溜まってるからな。みんなでやると進むし」
「ひとりで考えるより話しながらのほうが埋められるよね」

雑誌やテレビ番組のアンケートは空いている時間にそれぞれ書いてマネージャーさんに提出することになっている。
今日までが締め切りではないけれど、事務所の会議室を予約しているので来れる人は今日済ませてほしいとのことだった。

「正月、家でゆっくりできたか?」
「うん。蘭と蓮もいたから久しぶりに家が賑やかだーって母さんが嬉しそうだった。凛は?」
「……スティーヴにまた塩対応された」

スティーヴというのは松岡家の飼い猫で、江ちゃんと凛のお母さんには懐いているのに凛には一向に心を開いてくれないらしい。

「真琴にはひっついてたのにな」
「猫、好きだからね」
「俺だって可愛がってるつもりだっつの」

苦笑いをしたり拗ねたような顔をしたり、男の俺から見ても凛は整った顔をしていると思う。
どんな話だって向き合って聞いてくれて話しやすい。
なまえちゃんが凛と打ち解けたのは、友人としては嬉しい。
だけどやっぱり二人が仲良さそうに話していると心臓がちくちくとささくれだったような気持ちになって、凛にまでこんなことを思うなんて自分で自分が嫌になりそうだ。

「真琴、クリスマスのことなまえに何か聞いたか」
「え?ううん聞いてないけど」

なんで?と思わず聞き返す。
クリスマスライブになまえちゃんが来ていたらしいことはメンバー内では知れ渡ってしまったけれど年末年始はスケジュールが本当に詰まっていたこともあってこの話をゆっくりする時間はなかった。
なまえちゃんに何か聞くって、何をどう聞けばいいのかわからない。
行かないと言われていた以上、俺から聞けることなんてない。

「いや、予定変わったのかもしれねぇだろ。難しいこと考えずに聞いてみればいいのにと思って」
「でもなまえちゃんから何も言ってこないのに」
「CDどうだったーとかでもいいだろ」

思わず凛の顔をまじまじと見る。
俺がなまえちゃんにクリスマスに渡したCDのことだろうけれど、でも。

「俺、凛になまえちゃんにCD渡したって言ったっけ?」
「は?」

誰にも話してない。
凛になら伝えても咎められはしないだろうけれど単純に言うタイミングがなかったからだ。

「あー……」

気まずそうに目線を逸らして前髪をかきあげた凛が溜息まじりに「悪い」なんて言う。

「なまえから聞いた」
「いや、別に……」

いいんだけど、と続けた声は我ながらかっこ悪い。
なまえちゃんと凛が二人で話すことくらいあるだろうし、何かの流れでクリスマスの話題になったのかもしれない。
凛のことを疑う気持ちはないのに俺の歯切れが悪いせいで凛にまで微妙な顔をさせてしまっている。
空気が重い。
難しく考えるなと言うほうが無理だった。
なまえちゃんのことを好きだと思えば思うだけ、なまえちゃんが好きだと言ってくれた自分でいたいとも思う。

「俺先に行くわ」
「え?」
「事務所。まだ時間あるから真琴はもうちょいゆっくりしてこいよ」

話の終着点が見つかる前に凛が席を立ってしまった。
振り向いて思い出したかのように「あ、」とつぶやく。

「そういやなまえ、彼氏と別れたってよ」
「えっ」

だからなんで凛が知ってるんだ。


(2022.09.18)


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