51.未来の輪郭を描いて

……なんてことを思っていたのだけれど、ディナーの予約を取っていたホテルで久しぶりの再会を果たした俺たちはお互いに駆け寄って抱き合うなんて映画のワンシーンのようなことはしなかった。
お互いの姿が目に入って、どちらともなく手を挙げて、少し足早に近付いて。
「久しぶり」と交わした声は多分ちょっと震えていたけれどはにかむように笑い合って、二人とも瞳いっぱいにたまった涙は流さないようになんとか堪えた。
だって良い大人がホテルのロビーで泣いてたら怪しすぎるでしょ。
だけど少しでも触れたいなんて思ってしまったから外から来て冷えているなまえの両手をぎゅっと包んで自分の体温をわけるように弱く握った。

「及川、久しぶりに会うとなんか大きく感じる」
「さすがにもう伸びてないと思うけど。なまえが縮んだんじゃない?」
「え、今日ヒールはいてるのに」
「クリスマス仕様のかっこ?かわいいね」
「……及川はあいかわらずだね」

ふんわり笑った顔が寒さのせいではなく赤くなる。
目の前になまえがいる。

「レストラン、予約してるから行こう」
「うん、ありがとう。よく予約取れたね?」
「こういうとこって大体満席です満室ですって言っても空きがあるもんだからね」
「どうやってねじ込んだの…?」
「ねじこんだなんて人聞き悪い」

ホテルのオーナーが立花レッドファルコンズの熱狂的なサポーターで、ホセ・ブランコと長年の付き合いがあったからなんてことはロビーで言うことじゃないだろう。
あとでね、とだけ伝えたらなまえが神妙に頷いたから腰に手を添えて歩き出すように促す。
久しぶりに会う恋人をエスコートしようとごく自然にしたつもりだったのに「恥ずかしいからやめて」と言われてしまった。
やめてと言われてやめる素直さは持ち合わせていなかったけれど。



「美味しかったね」
「ね。ていうかなまえ荷物それだけ?フロントに預けてる?」
「えっこれだけだけど…なんで……?」
「なんでって、部屋も取ってあるもん」

レストランを出て、エレベーターでロビーに降りたなまえが自然と出口に向かおうとするから聞いたらこれだ。
ばっちり部屋の予約までして今夜はずっと一緒にいる気満々だったのに。

「もん、って…え?」
「まぁホテルだからアメイティも揃ってるだろうけど、何か足りないものあるならコンビニ行く?」
「え、え?」
「とりあえず何があるか部屋行って確認しよっか。もうチェックインして鍵もらってあるし」

ぽかんとしたあとにじわじわと顔が赤くなっていく。

「……泊まるの?」
「うん。いや?」

恋人同士なんだし今夜はクリスマスイブだし久しぶりに会えたのだからこんなにおあつらえ向きな状況もないと思う。
嫌じゃないと言ってくれた顔がめちゃくちゃかわいくて今すぐ抱き締めたくなったけれど再会した時から、なんならアルゼンチンにいた時から我慢しているんだからあと少しくらいなんだ。
小さな手をぎゅっと握って指の間に指を滑り込ませる。
それだけでぴくりと小さな肩が揺れた。



「わぁ、すごい、窓大きいね」
「だね」

育った街からは少し離れているけれど、地元で一番良いホテルの最上階。
こんな部屋普段は泊まらない。
なまえがアルゼンチンに来たときのように狭くても一通りの設備が整っていて数泊するのに困らない、そういう部屋で十分。
だけど年に何度も会えるわけではないのだから良いとこ見せたいし雰囲気だって大事にしたい。

なんか緊張するなと思いながら窓から夜景を眺めていたなまえの隣に並ぶと見上げられてそんな何気ないことでも胸が苦しくなる。
中学生じゃあるまいし。
だけど中学生の時に出会って恋をして、高校生でも叶わないまま、もうずっと実らないのだと思っていた相手が手の届く距離にいる。

あぁ好きだな、すごく。
大切で本当ならずっとそばにいてほしくて離したくない。

「及川」
「うん?」
「わたしね、話したいことがあって」
「……なに?」
「こんなこと言っていいのかなって自分でもいっぱい悩んだんだけど」

あのね、と言いにくそうに口籠られてひゅっと冷たいものが背筋をつたうような感覚がした。
表情とか声色だけで全部考えていることなんてわからないけれど、少なくともなまえの顔から柔らかい感情は読み取れなくて身構えてしまうのも仕方がないと思う。
恋人という立場だけれど実際になまえにしてあげられることなんてほとんどなくて、二人で過ごす時間だって全然ない。
自分から告白をしたくせに恋人らしいことなんて何もできない。
ネガティブなことは考えないようにしていたけれどなまえがこの関係をいつ終わらせたいと思っても不思議ではなくて。
いつかそんな日が来るのかもしれないけれど受け入れられるかはわからないなと思っていた。

窓の外を眺めていたなまえが視線を伏せたあとに、瞳の中に俺を映す。
張り切ってこんな部屋取らなきゃよかったかな。
引き結んだ唇が開かれる前に怖くて遮った。

「なまえ、ごめん待って」
「え?」
「俺多分なまえにとって良い彼氏じゃないっていうか恋人らしいことなんて何もできてないのはわかってるんだけど」

やばい、口が勝手に動く。
今更焦っても遅いかもしれないけれどただ黙って聞くことができなかった。

「及川、」
「なまえのこと大好きなのは絶対誰にも負けないしこれからも変わらないから」

だから、と言葉を続けて正面からなまえを抱きしめる。

「及川ちょっと待って」
「やだ」
「何か勘違いしてると思う。別れたいとかじゃないよ」
「……え?」
「わたし不安にさせてた?」
「そうじゃないけど、俺が勝手に……ごめん」
「ううん。会えないとなんか色々考えちゃうのはわかる、気がする」
「なまえも?」

腕の中のなまえがみじろぎをして丸い瞳に見上げられる。
困ったように眉を下げたその表情が肯定を意味しているみたいだった。

「不安とはちょっと違うけど…寂しいなって思うときはあるよ」
「そっか…」
「うん。会いたいなぁって」

電話で会いたいねと言い合ったときの胸の苦しさがよみがえる。
寂しい思いをさせている申し訳なさと、俺だけじゃないという安心感。
それから、なまえも俺に会いたいと思ってくれているのはやっぱり嬉しい。

「……言っても困らせるのわかってるのにごめんね」

ゆるめていた腕に力が入ってしまったのは無意識で、なまえが「及川、痛い」とまた笑う。
会いたいも言わせてあげられないなんて情けないけれど近くにいることは今の俺にはできなくて、こんなにも大切なのに歯痒さで苦しい。

「言ってよ、なんでも。全部聞きたい」
「…ん」

なまえの手がそっと背中に回って、俺のジャケットを弱く握ったのがわかる。
会えなかった月日を埋めるように隙間がなくなるようにぎゅうと抱きしめた。

「……ごめん、遮っちゃったけど話ってなんだったの?」

腕のなかで小さく肩が揺れる。
そろりと見上げられてこんな顔見せてくれるようになるなんて昔は夢にも思わなかったな。

「いきなりこんなこと言われてもって思うかもしれないんだけど」

俺が話の腰を折ってしまったからかさらに言いにくそうに顔を俺の胸に埋めてくる。
何を言われるのだろうとやっぱり少し怖いけれどなんでも言ってと伝えた手前ぐっと飲み込んでなまえの背にそっと手を添えた。

「及川にこれからも自分の好きなところでバレーをやっててほしいって気持ちは変わらなくて」
「うん」
「だけどやっぱり寂しくて、会いたいなって思っちゃって」

話しているうちに腕の中にいるなまえの声が小さくなっていく。
頬に手をあててこっちを向いてと促すと眉を下げた今にも泣きそうな表情。

「だから……」

形の良い唇が一度きゅっと閉じられてから言葉を紡ぐ。

「すぐには難しくても及川と一緒にいれたらって思う」
「なまえそれって、」
「及川が帰って来ないならわたしが行こうかなぁ…なんて」

思ってるんだけどどうですか?って、そんなこと言われて嬉しくないわけがない。
嬉しいって言葉だけじゃ表せないけど、それ以外の日本語が見つからなくてなんて返せばいいのかわからないなんて情けない。

「……プロポーズ?」
「えっ違うけど」
「うん、それは俺からするから待って。けど違うって即答されるのは悲しい」
「…ごめん?」

なまえを俺の人生に巻き込むのも嫌で、だけど俺から離れて生きて行かれるのも嫌で。
想いが通じる前はこんなこと思わなかったのに手を取り合えるようにあったらもっとそばにいてほしくなってしまった。
俺からするから待ってと言ったプロポーズなんて本当は怖気ついて言えそうにもなかったのになまえが一緒にいたいと言ってくれたらもう怖いものなんてないって思える。

「でも及川からはアルゼンチンに来てなんて言ってくれないだろうなと思って」
「言えないよ、そんなこと」
「……わたしの好きって気持ち伝わってなかった?」

涙がたまった瞳で見上げてきてそんなこと言うのはさすがにずるいと思う。

「だってアルゼンチンだよ?そんな無茶言えないでしょ」
「その無茶をしたのは誰だっけ」
「……俺だね」

こつん、となまえの額に自分の額を合わせたらふっと小さく息をはいたのが気配でわかった。
自分が日本を離れることはすぐに決められたんだけど、大切な子に今の生活を置いて俺のところに来てくれというのはとんでもなく勇気がいる。

「なまえ」
「うん?」
「指輪とか花束とかないんだけど聞いて」
「…うん」
「あとなまえがそう言ってくれたから言うってわけじゃなくて、俺もずっと思ってて。だけど言えなくて。情けないけど聞いて」

なんの心の準備もしていなかったから自分でも何を言っているのかわからなくなって「聞いて」と二回も言ってしまった。
なまえが「うん」ともう一度小さく頷いてくれる。

「もうなまえのいない人生なんて考えたくない。俺のいるところに来てなんてこと言えないと思ってたけど……なまえがアルゼンチンに来てもいいって思ってくれるなら俺が守るよ」

一緒にいたいから結婚しようなんて軽々しいことは言いたくなかったけど、やっぱりどう考えてもこれしか答えが見つからない。
だって大好きで大切でなまえだけなんだ。

「結婚しよう、俺たち」

小さな手を両手でぎゅっと握る。
自分の心臓の音がドクンドクンとうるさいくらいでなまえが返事をしようとするほんの少しの時間がすごく長く感じる。
「はい」と握り返してくれた手の力とか震える声とかこぼれた涙とか、愛おしくて俺まで泣けてくる。

「なんで及川が泣くの」
「だって、なまえが会いに来てくれたあの日からずっと夢見てるみたいだ」

前は何言ってるのなんて一蹴されたような気がするんだけど、今はなまえも「夢だったら覚めないでほしいね」と言うから胸が苦しくなるくらいの幸せがあるのだと知った。



(2022.06.26)


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