20.降り積もる感情の名前

早く起きてしまって自分でコーヒーを淹れようとしたら豆を切らしていたことを思い出した。
インスタントもあるけれど今朝はそういう気分でもなくて、手早く準備をして家を出る。
最近よく出入りするようになったまろんに行こうと思ったのは、この前行った時に泣かせてしまったなまえの様子が気になったからだった。

「いらっしゃいませ、って凛くんだ。おはようございます」
「はよ」
「朝から来るの珍しいですね」
「土曜だしなまえいるかと思って」
「え、」
「なんだよ」
「すごい、サラッと女たらしみたいなこと言うんだなぁって」

聞き捨てならないことを言われて「はぁ?」と返したけれど笑いながら席に案内されて反論する暇がない。
……正直まだめそめそと考え込んでいる様子だったらどうしようかと思っていたから元気そうで安心するとか俺はどの立場だ、親か。

「ご注文おうかがいいたします」
「あー、カフェラテとトースト頼む」
「カフェラテ?珍しい」
「コーヒー飲むつもりで来たんだけどな」

なんとなく、真琴がいつも幸せそうにこいつの淹れたカフェラテを飲むから俺も飲んでみたくなったのだ。
たいした理由ではないし注文をとったなまえはすぐに次の客のもとに行って、それからカウンター内に戻った。
今まで遅い時間しか来たことがなかったけれど喫茶店は朝とか昼のほうが混むのかもしれないなと初めて気が付いた。


「お待たせいたしました」
「サンキュー」

礼を言うとへにゃ、と効果音がつきそうな感じでなまえが笑う。
……まぁ、たしかにかわいい。
一般的に整った顔っつーのも多分あるけど纏う空気とかそういうのを真琴が好きになってしまったのもわからなくない。

「凛くん?」
「あー……元気そうでよかったと思って」
「…この前はありがとう」
「いや、無理矢理聞いて悪かったな」

強引に聞き出し泣かせてしまったことを少なからず反省していた。

「ううん、聞いてくれてなんかちょっとスッキリした」
「ならいいけど」

お互い眉を下げてなんかよくわかんねーけどほのぼのとした空気になったとき、店のドアベルが鳴った。
ハッとしたような顔をしたなまえがすぐ反応して「じゃあ」と俺に断りを入れて入り口に向かうと見知った顔が入ってきて驚いた。

「真琴くん、いらっしゃいませ」
「なまえちゃんおはよう」
「おはよう。凛くん来てるよ」
「え?」

こっちを見た真琴に軽く手をあげて挨拶をする。

「席一緒で大丈夫?」
「うん、ありがとう」

真琴が俺の前の席に座って、なまえがお冷とおしぼりを持ってくる。
次に真琴がまろんに来たらどんな顔をしたらいいのかわからないと泣いていたけれど今はしっかり店員の顔をしていてそれをまじまじと見ていたらなまえと目が合った。

「……凛くん」

じと、とした目で見られる。
多分余計なことを言うなという意味なんだろうけれどさすがにそこまで野暮ではない。

「なんだよ」
「凛くんこそ」
「あーはいはい。真琴何頼むか決まったか?」

誤魔化すように真琴に話を振ると真琴がぱちりとひとつ大きくまばたきをした。

「あっ、えっと」

慌てたようにメニューをめくっているけれどまろんで何頼むか悩むなんて珍しい。
朝来るのは真琴も初めてなんだろうか。

「カフェラテ……ひとつ」
「かしこまりました」

少々お待ちください、と言ってカウンターに引っ込んでいったなまえの後ろ姿を目で追っていた真琴が眉を寄せた。

「真琴、朝飯食ってきたのか?」
「え?いや……まろんで食べようと思ったんだけど、なんか食べる気分じゃくて」
「大丈夫か?このあとの現場」
「うん、多分」

俺と真琴はこのあと仕事で向かう先は同じだ。
グルメロケとかならその前の食事を抜くことはあるけれど、そうではないのに真琴が飯抜きなんて珍しい。

「……なまえちゃん、なんか変だったよね?」

内心ではあの一瞬でよくわかったなと思う。
真琴には言わないでくれと頼まれたし目線を外して「そうか?」と返す。

「なんとなくだけど……俺が来る前なに話してたの?」
「いや別に世間話っつーか、オーダー頼んだくらいだけど」

納得がいっていないようだったけれどそれ以上は聞かれなくてほっとする。

「ていうか凛が一人でまろん来るの珍しくない?」
「あーたしかに、初めてかもな」

本当は二回目だけど。
この前来た時にお前の知らない話をして二人だけの秘密にしてね、なんて言われたけど。
いや「二人だけの」とは言われてねぇけど、意味としてはそんな感じだった。

「……」
「なんだよ」
「いや、さすがに心狭いなと自分でも思うから言わないでおく」
「それ半分言ってるようなもんだろ」

自分のいないとこで他の男と話していたのが気になるらしい。

「ていうか凛にこんなこと思っても仕方ないのにな」
「は?」
「なまえちゃんだって男友達くらいいるだろうし、彼氏だって」

あー……そうか真琴はなまえが彼氏と別れたこと知らねぇんだった。
これは俺が言っていいことなんだろうか。
どこまでがなまえと約束した「秘密」にあてはまるのかわからなくて返事に困る。

「朝からごめん」
「いや……」

勝手なことは言えねぇし、かといってこのまま二人が平行線のまま変わらない関係っつーのもなと思う。
なまえが注文したものを持ってきてくれて、なんとなく重たい空気に不思議そうな顔をしていた。





「クリスマスライブの映像編集できましたよ」

事務所でファンクラブ会員向けの会報誌の取材を受けたあと、マネージャーの西村さんがディスクを手にしながら言った。

「お〜もうできたんだ、早いね!さすがにっしー!」

敏腕だなぁと渚が続けると満更でもなく笑う西村さんに俺たちの表情もほころぶ。
いえ、そんなと謙遜しながらポータブルプレイヤーにディスクをセットしてテーブルの真ん中に置いてくれた。

「グッズ販売のところから撮ってたのか」
「朝早くからみなさん並んでくださってたんですね」

ハルと怜が静かに、だけど喜びの滲む声で言う。
入場のタイミングや開演を待つファンの人の様子も映っていて、そこに見知った顔を見つけてしまって思わず息を呑んだ。
隣にいた真琴の様子をチラリと盗み見たら狐につままれたような顔をしていて、その表情を見たら妙に冷静になれた。

「……西村さん、この映像ってファンクラブ向けに公開するんでしたっけ」
「はい。ただファンのみなさんのお顔はぼかす予定です」
「あ、そうなんですね。けっこうガッツリ映ってる子もいるから微妙かなと思ったんすけど、さすが西村さん」
「いやいや、松岡さんまで褒めすぎです」

見知った顔、なまえが映ったのは一瞬だったけれど周りの目を気にしていそうだから顔はぼかすと聞いてホッとする。
……と言っても一番知られたくないであろう人物は今まさに映像を観ちまってるんだけど。
まだ真琴は呆けたような顔をしている。

「座席から見てもステージの演出いい感じだね!」
「そうだな」
「あ、次真琴先輩のソロ曲ですね」
「まこちゃん緊張してるの映像でもわかるね」
「真琴は緊張してるとマイク両手で持つからな」
「……」
「真琴?大丈夫か」
「えっ」

ハルが食い入るように映像を観ていた真琴に声をかけた。

「う、うん。自分一人で歌ってるところってなんか見慣れないね」
「何年この仕事してんだよ」

こつん、と肩を小突く。
本当にねと言う声が小さくて目線は画面を向いたままだった。

「まこちゃんのこの曲、僕好きだなぁ」
「ポップなラブソングなのにどことなく切ないですよね」
「映画もよかった」

他の奴らが口々に褒めているけれどやっぱり上の空で、多分会場のどこかにいるなまえを探している。

「わ、この子」
「泣いてますね」
「まこちゃんのファンなんだろうね、リングライト緑だ」
「……ていうかこいつ、」
「おいハル」

なまえじゃないか?と続けようとしたハルの口を思い切りふさいだ。
西村さんもいるし見知った顔だけで済まさないのはさすがにまずいと思ったからだ。

画面の中でステージを一心に見つめながら、なまえはぽろぽろと涙をこぼしていた。

何も珍しい光景ではない。
ライブで感極まるファンはよく見かけるし、俺たちだって思い入れのある曲や演出で泣きそうになることはある。
だけどなんとなく、なまえの涙はそんな言葉で表せないものに見えて。
それはなまえから真琴のことが好きだと聞いてしまった補正がかかっているからなんだろうか。

真琴も、他の三人も、顔をくしゃりと歪ませて真琴の歌を聴くなまえを見ていた。


(2022.04.23.)


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