48.不確かな明日

「なまえなんでそんな遠く座ってるの?」
「え?遠くっていうか普通にソファに座ってる」
「こっち座ればいいのに」
「……こっちって」

夏の長期休みでアルゼンチンにいる及川と再会して、年末年始は宮城に帰って来ると言うから一緒に過ごすことになった。
こんな関係になるなんて、と未だに信じられなくて目の前で手招きする及川を見て眩暈がしそうだ。

二人とも宮城に実家があるから一緒の時間を過ごそうと思ったらホテルを予約する流れになって、それ自体に問題はなかった。
中学時代のチームメイトということもあってもちろん両親は及川のことを知っているし、及川の家族だってわたしのことを知っている。
もう良い大人だし相手が知っている人だから外泊へのハードルなんてない。

「うん、隣。おいで」

だから、こんなに緊張してしまうのはわたしの気持ちの問題というか、だって、こんな。
付き合ってから会うのは初めてだからか及川の顔がこう、なんか、前よりも甘く感じる。
そんな顔するんだ……と出会って十年以上になるけれど新しい発見だった。
柔らかく笑いながら及川がぽんぽんとベッドを軽く叩く。

「アルゼンチン来てくれたときはそんな嫌そうな顔されなかったのになぁ」
「嫌とかじゃないけど、」
「けど?」
「………」
「えっ無視?」

良い歳して恥ずかしいとか言ったらまた笑うんだろうなぁ。
それがなんだか悔しくて立ち上がって数歩先の及川の隣に座った。
勢いがよかったのかぼすんとベッドが沈む。

「なまえ、顔赤い」
「及川は平気そう」

自分の顔が熱いことには気付いていて、指摘しながら顔を覗き込んでくるから見つめ返す視線がかわいくないものになってしまう。

「平気に見える?」
「……うん」

ベッドに置いていた手を取られる。
繋ぐのかなと思ったのに優しく握り込まれたまま、及川の胸元にそっと触れさせられた。

「わかる?めちゃくちゃ心臓早いの」

全然平気じゃないよ、と眉を下げた。
右手は握り込まれたままで反対の大きくて節くれだった手がわたしの頬に触れる。
及川の手に包み込まれると自分がものすごく小さい生き物なんじゃないかと錯覚させられるから不思議だ。

「なまえ」
「うん」
「会いたかった」
「……ん」
「なまえは?」

会いたかったよ、というのは言葉にならなかった。
初夏に岩ちゃんとアルゼンチンに行ってから半年、想いが通じ合ってしまったら会いたいという気持ちをごまかせなくなった。
及川は言葉にしてくれるけれどそれをそのまま返すことがうまくできない。
普段の会話はどんなに久しぶりでも詰まったりしないのに。
すぐに返事をしないわたしを、及川が不安そうな瞳で見下ろしていた。

「わたしも」

ほしい言葉はあげられなかっただろうか。
少し曖昧に笑って「うん」と眉を下げている。
……年末年始の数日なんてきっとあっという間に過ぎてしまう。
恥ずかしいなんて言って伝えたい言葉を伝えないままにしたらいけない、よね。

「会いたかった、です」

一度言い淀んでしまったらうまく言えなかった。
恥ずかしい。
及川が目を丸くしているから余計に。

「……もう一回言って」
「えー……?」
「いいじゃん、減るもんじゃないし」

及川の右手がわたしの頬にそっと添えられて親指でするすると目尻を撫でる。
自分がいまどれだけ甘ったるい表情をしているかわかってるのかな。

「なまえ」

顔を見ているのが恥ずかしくなって自分から及川の胸に顔を埋めたらやっぱり心臓の音がすごく早くて背中に回された手にぐっと抱き寄せられる。

「わたしも会いたかった」
「……うん」
「言わせておいて反応薄くない?」
「想像以上の破壊力だった」

そっか、うん、と短い言葉を交わす。
わたしがどれだけ及川のことを考えていたかなんて伝わらないでほしい。
だけど、多分及川が思っているよりもずっと及川のことを好きだということは抱き締めたぶんだけ伝わればいいのにな。





わたしの年末年始の休みはあっと言う間に終わってしまった。
及川はまだ休暇期間があるから実家でのんびりするらしい。
「休むのもバレーのうち」というのは昔からよく言っていた言葉だ。
冬休みって短い。
次に会えるのはまた数か月先になってしまう。

「夏はわたしがそっち行くね」
「うん。待ってる」
「夏休みの日程決まったら連絡する」

わかった、と言いながら及川の手がわたしの髪を耳にかける。
くすぐったいなぁと思うけれど心地良くてされるがままにしていたらするりと首筋を撫でられて後頭部に差し入れられた手に引き寄せられた。
優しい手の力も唇の柔らかさも知ってしまったら離れ難くて仕方ない。





「えっ」
「夏休みの有給使わせちゃうの悪いから無理にとは本当全然言わないんだけど」

少しずつ暖かくなり始めた頃、大学の同級生との集まりがあった。
そのうちのひとりから結婚することになったと報告があって、結婚式に来てほしいと嬉しいお誘いを受けたまではよかった。

八月に結婚式をするから来てほしい。
場所はハワイなんだけど、どうかな?

頬を染めながら照れくさそうに伝えてくれた友達の顔はそれはもうかわいくて、なんだかこっちまで照れてしまう。
けどハワイで夏に、と聞いて一瞬思考が止まってしまった。
夏の長期休暇は当たり前だけれど年に一回しかない。
ハワイでの挙式に合わせて休みを取ったら他の予定は入れられないだろう。
……及川に夏に会いに行くねって約束したのに。
お祝いをしたい気持ちだって嘘じゃないのだから、顔に出ないように口角を引き上げて「お盆とズレてれば休み取れると思う」と返事をした。


「もしもし」
『もしもし、なまえ?』
「うん、お疲れ様。いま時間大丈夫?」

大丈夫だよと言う声の向こう側で鳴っていた音が小さくなったのがわかる。
テレビの音量を小さくしたとかだろうか。
住んでいる国が違うから何か観ていたのと聞いたところでわからない。
些細なことだけれど電話をかける時間帯を気にしたり天気や気温の話が共有できなかったり、違う場所にいるんだなと思わされることばかりだ。

「夏休みなんだけど」
『うん。日程決まったの?早いね』

夏休みにアルゼンチンに行くから休みのスケジュールが決まったら伝えるねと言ってあったのだ。
及川の所属しているアルゼンチンのバレーボールリーグはオフシーズンらしいけれど、チームの練習があるしお正月に日本に来てもらったから今度はわたしが行くつもりでいた。
「いつになりそう?」と聞いてくれる声が弾んでいて苦しくなる。

「それが…行けなくなりそうで」
『え?』
「友達がね、夏に海外で結婚式するって誘ってくれて」

大学の友達なんだけど夏に長期休暇で休める日数的にアルゼンチンには行けそうにない、と伝える。

『……そっか。わかった』

うん、と自分を納得させるように言葉をもうひとつ付け足した及川がそのあと少しだけ黙って、何か言わなくちゃと思ったタイミングで「どこで式あげるの?」と明るいトーンで聞いてくれる。
その声の明るさがわざとらしく聞こえてしまったのは多分気のせいじゃない。

「ハワイだって」
『まじか、いいなハワイ。俺も行こっかな』
「本当に来そう」
『あはは』
「……ごめんね」
『なんで。仕方ないよ、おめでたいことだし』

GWとか秋にある連休でなんとか行けないかなと思ったけれど五月はリーグ戦真っ最中だし、秋は開幕目前でわたしに構っている暇なんてないだろう。
提案したら快く受け入れてくれそうだったけれどこっちの都合で及川に負担をかけたくない。
どんな暮らしをしていて、どんな風に体調やメンタルの調整をしているのか。
プロアスリートの生活はどんなものなんだろう。
想像がつかないなら聞くしかないけれど、今はとてもそんなことができる空気じゃない気がした。
会いたいなと思うのに物理的な距離が心まで遠く感じさせる。

とりとめのない話をして電話を切ったあと、部屋の沈黙が永遠に続くんじゃないかと寂しくて怖かった。



(2022.04.09.)


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