50.彼の場合

覚悟はしていた。
なんならもう二度と会えないかもしれないと思っていた数年前にくらべたら気持ちはだいぶ軽い…はずだったのに。
一方通行でいた昔の俺より、思いが通じ合った今の俺たちのほうがよっぽど難しい恋愛をしているような気がする。
たとえば今みたいな時。

(……連絡が来ないだけでこんなに不安になるとか)

朝起きた時、昼休憩、練習終わり、寝る前…それから手持無沙汰になった時。
一日のなかで携帯を確認することがなまえと付き合うようになって格段に増えた。
遠距離恋愛をしている恋人たちなら至極当たり前のことなのかもしれないし、それが悪いとは思わない。
俺となまえを繋ぐ小さな端末が頼りの綱でインターネットやSNSが発達した時代を生きていてよかった、文明の利器に感謝だ。
だけどその携帯電話が昨日からうんともすんとも言わないのだ。

「トオル、また携帯見てる」
「っ、ちょっと覗かないでよ!」
「覗かれたくないならこんなとこでボケっとしないことだね」

お国柄だろうか、チームメイトは陽気な奴が多い。
自分も日本にいた頃はうるさいとか黙れとか言われたけれど世界へ出てみたら最初は言葉が通じないし無駄にデカいと言われた体格も平均で平凡。
コミュニケーションが大切なチームスポーツなのに壁だらけ。
…ってそれは今はよくて。
こっちに来て約四年、入りたかったチームでレギュラーの座を勝ち得て毎日大好きなバレーができている。
それがどれだけ幸せなことか。
だけどひとつの幸せだけでは人は満足できないものらしい。
遠い日本にいる恋人の顔を思い浮かべて溜息を飲み込んだ。

鳴らない携帯をこんなに気にするようになるなんて我ながら情けない。
高三で再会してたまに連絡を取るようになったときは少しのやりとりだけで浮足立つくらい嬉しかったのに欲が深くなってしまったらしい。
連絡が来なくなって二日目の夜、日本は朝の七時かな。
いつもならおはようと短くても何かしらのメッセージが入るのに代わり映えのしない携帯画面を眺めながらもしゃもしゃとサラダを食べるけれどあんまり美味しくない。
仕事柄ちゃんと栄養も睡眠もとらないといけないけれど、岩ちゃんたちが来てくれたときになまえと三人で食べた食事がアルゼンチンで食べたもので一番美味しかったなと思い出して妙に切ない気持ちになる。

…なんかあったのかな。
携帯壊れたとかなくしたとか、そういうことならまだいい。
なまえ自身に何かあったとかだったら、……そうだ、なんでもっと早くここに考えが及ばなかったんだ。
誰かに聞こうにも共通の知り合いなんて岩ちゃんくらいしかいないのに岩ちゃんは大学卒業してすぐにアメリカでトレーナーの勉強をしているんだった。
そうなると思い浮かぶのはもう一人。
知り合いと呼んでいいのか疑問すぎるし認めたくない気もするけれどくだらない意地を張っている場合じゃない。
何度か連絡を取ったことはあるけれど電話はしたことがない憎たらしい後輩の名前をタップして、携帯を耳にあてた。

『……もしもし』
「もしもし」
『はい』
「………」
『間違い電話なら切ってもいいですか?』
「あー待って切らないで」

電話の向こう側で「はぁ?」と低い声を出している飛雄の眉間にシワが寄っている顔が浮かぶ。
頼る相手がこいつしかいないのだから仕方がないにしても素直に頼る言葉が出てこない。

「あのさ、最近烏野の人と連絡取ってる?」
『そんなにしょっちゅうはないですけど、たまに試合観たとか連絡来ますよ』
「そっか」

ということは、なまえと近々で連絡は取っていないしなまえ関連でこの数日何かあったわけではないってことだ。
それがわかっただけでも少し安心だけれど根本的な解決になるわけではなくて歯切れの悪い返事になってしまった。

『突然どうしたんですか』

本当は飛雄にこんなこと言いたくないというか情けないところを見せるのは嫌すぎるけれど、聞くだけ聞いて理由も言わずにはいさようならというのはいくら飛雄相手でも良くないよな……。
少し弱っているのもあってかぽろりと「なまえと連絡が取れなくて」とこぼした声が思いのほか小さくてやっぱり言わなきゃよかったと一瞬で後悔する。

『なまえさんですか?特に何も聞いてないですけど……他の人にも聞いてみましょうか』
「いや、いいよ。オオゴトになるのもあれだし」
『ならいいですけど…大丈夫ですか』
「…何が?」
『及川さん、なまえさんのことになると余裕なさそうなんで』
「はぁ?なんで飛雄にそんなこと言われなきゃなんないのさ!」
『あ、大丈夫そうなんで切りますね。そろそろランニング行きたいんで』

内心で舌打ちをして、だけど一応お礼は言ってから電話を切った。

何もないないならいい……うん、いい。
連絡できない理由がなまえの身に何か起きているからではないんだから。
俺、何かしたかな。
自分の言動を振り返ってみるけれど怒らせるようなやりとりはしていないというか、ケンカに発展する程の会話をそもそもしていない。
もしかしなくてもこれが原因な気がしてきた。
そばにいられないことを大前提に始まった遠距離恋愛、お互いにもう大人だしわがままを言っても仕方ないことはわかっていてそれぞれの気遣いのうえで成り立つ関係だと思う。
俺たちを繋ぐものは電波を介したメッセージだけで、顔を見て通話することもできるけれどそのツールを取り上げられたら何もない。
なまえが嫌になってやめようと思ったら一方的に断つことができるなんて気付きたくなかった。
……いやなまえはそんなことする子じゃないけど。

(何かあった?大丈夫?……と)

面倒だと思われないよう、鬱陶しいと思われないよう、それだけ送って携帯の画面を伏せた。




連絡が来たのは次の日の朝のことだった。
オフで自主練だけだからといつもよりも遅く目覚ましをかけていたのに、アラームが鳴るよりも早く着信音が鳴って飛び起きた。
多分いつもよりもずっと眠りが浅かったのもある。
表示もよく確認せずに「もしもし!」と出たら電話の向こうから少し驚いたような声が帰ってきてふっと肩の力が抜けた。

『及川、ごめん起こした?』
「なまえ…?」
『うん。えっ名前表示されなかった?なんかまだ調子悪いのかな』
「いや、ちゃんと確認しないで出ちゃって。調子悪いって…携帯?なんかあった?」

想定していた最悪のケースではないようで、数日前と変わらない温度のなまえの声にめちゃくちゃ安心する。
なんか泣きそうとか情けなさすぎて絶対にバレたくない。

『急に電源つかなくなっちゃって…けど仕事抜けられなくてなかなか修理にも行けなくて、連絡できてなくてごめんね』
「あー……そうだったんだ」
『心配した、よね』

これが日本にいてしょっちゅう会うことのできる相手なら「本当だよ全く」とか軽口で返していた。
だけどほんの数日、どうしているのかわからないだけでこんなにも不安になったことをやっぱり隠せそうにない。

「……うん。めちゃくちゃ」
『ごめんね』
「ううん。なまえに何かあったわけじゃなくてよかった、本当に」
『…及川、飛雄にも連絡したんでしょ?心配かけてごめんね』

あいつなまえに俺が連絡したこと言ったのかよ…いや、いいけど別に、事実だし。

『飛雄から及川さんが心配してましたけど大丈夫ですかってメッセージ来てて。及川が飛雄に連絡するなんてよっぽどだなって』
「いや、携帯壊れただけならいいんだけど…ってよくないか、大変だったね」
『全部携帯に頼ってるからね…連絡先消えたらどうしようって焦った。及川と連絡取れなくなったら、どうしようって』

俺が小さく「うん」と返したら、さっきまでよどみなく続いていた会話が少しだけ止まる。
心配をしたこと、不安にさせたこと、お互いを繋ぐものの頼りなさ、いる場所の距離。
そういうのが重たくのしかかる。

「なまえ?」
『うん?』
「……なんか今すごく会いたい」

会いたい、なんて電話で言ったのは初めてかもしれない。
だって会えないから。
今から行くよなんて言える距離にいないから。
言葉にしたらもっと会いたくなることがわかっていたのに、あふれてくる言葉を引っ込めることができなかった。

『うん、わたしも。会いたい』
「あー……我慢してたのになぁ」
『会いたいって言うともっと会いたくなっちゃうね』
「なまえがそういうこと言うの珍しくて余計に無理。どうしよう」
『言わないほうがよかった?』
「……思ったときは言って。嬉しい。しんどいけど」

素直に弱音をはいたら小さく笑う声が聞こえた。
笑いごとじゃないんだけど、と言ったらすんと今度は鼻をすするような音。
今すぐ抱き締めに行けたらいいのに。

「なまえさ、クリスマスは日本にいるよね」
『うん…イブは仕事』
「俺その時もうオフだから日本戻るよ」
『え、』
「どうせ正月はそっち帰ろうと思ってたから。ちょっと予定早める」
『大丈夫なの?』
「自主練する場所が変わるだけだし。イブ仕事でも二十五日は会える?」
『うん……イブも夜なら会える』
「そっか、じゃあ夜から会おう」

会えたらすぐにぎゅって抱き締めて、会いたかったって伝えて、それからやっぱりそばにいたいと言ったらなんて返してくれるだろうか。



(2022.05.29.)



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