49.彼女の場合

遠距離恋愛なんて初めての経験だった。
思ってたよりも、寂しい、かもしれない。

連絡は取れるけれどリアルタイムってことはあんまりなくて電話はめったにできない。
会いたいなと思っても、気軽に会いに行くことができない相手に言ったところで困らせるだけだし。
終わりが来るのかわからない地球の裏側にいる人とのお付き合い。
終わりというのは及川が日本に帰ってくるときなのかこの関係を解消するときなのか、今のわたしにはまだわからずにいる。



「みょうじさん、金曜の夜あいてる?」
「今週ですか?あいてますけど、何かあるんですか?」
「合コン!わたしの大学の人たちとなんだけど来ない?」

大学を卒業し就職してもう一年。
所属先の先輩は仕事中は優しく時に厳しく指導をしてくれて、業務後はご飯に連れて行ってくれるしよくしてもらっていると思う。
同期とも新入社員研修で仲良くなったメンバーとは何度も飲みに行ったし男の子のいる飲み会にも参加はした。
職場での飲み会だし気兼ねなく参加したけれど、合コンと言われると話は別だった。

「あの…すみません、わたし彼氏がいて」
「えっそうなの?全然そんな話しなかったから…ってごめんこれも失礼か」
「いえ!遠距離でしばらく会ってないので」

と言いながらも内心けっこうぐさっときた。
しばらく、というのは年末年始の休暇で及川がアルゼンチンから戻って来ていたときのことだ。
あれ以来会えていない恋人の声を聞いたのも三週間は前だと思う。
何日会ってないとか連絡をしていないとか数えることはしないようにしていた、考えてしまうと寂しくなる気がするから。

「でもそっかぁ、他に行ける人いるかな」

誘ってくれた先輩が携帯を操作しながら困ったように唸る。
連絡先を見ているようで誘える人を探しているのかもしれない。
先輩も彼氏がいると言っていたはずなのに、なんてことは胸の中に仕舞いながら、それを見守る。
彼氏がいるからって先輩からのお誘いを断るのってよくなかっただろうかとも思うけれど、黙って合コンに参加したら自分のなかで大切な何かを裏切るような気がしたのだ。

「人数集まらなそうなんですか?」
「うーん…まだ声かけてない子もいるけど、どうせなら普通に飲んで楽しい子と行きたいじゃん。みょうじさんと飲みたかったなぁ」

かわいがってくれている先輩にそんなことを言われてお断りしたことに罪悪感が深まる。
「わたしも先輩と飲みたいです」と別の日にちであればということを含ませて言ったつもりだったけれどパッと顔を上げて言われた言葉にまずいと内心で察してしまった。

「じゃあ行こうよ!」
「いやいやいや」
「相手の男子、わたしの大学の子なんだけど。ちゃんとこの子は彼氏持ちって言っておくから!」
「でもそんな女がいたら白けちゃいますよ」
「合コンって言ったけどそんなみんな本気で彼女ほしいってわけじゃないみたいだし、かわいい後輩連れてくって言ったらそれだけで喜ぶよ」

でも、と断る言葉を探したけれど結局先輩の押しに勝てず金曜の終業後の約束を取り付けられてしまった。
……及川には、言わないほうがいいよね。
職場の飲み会だと思って数時間酔わないように、だけど場の空気を悪くしない程度にお話をしてサッと帰ろう。



「え、なまえちゃんもう帰るの?二次会行こうよ」

サッと帰ろう、と胸に誓っていたのに一次会のお店を出て「じゃあ、」と駅に向かおうとしたところを呼びかけられた。
下の名前で呼ばれるのも違和感しかないけれどやめてくださいとも言えず、飲み会中ずっと聞き流そうとしていたけれどそろそろ勘弁してほしい。

「はい、元々二次会行かないつもりだったので…」
「そっかー彼氏厳しいんだ?」
「まぁ……そうですね」

厳しいも何もこんな飲み会に参加することなんて伝えていない。
先輩はちゃんとわたしに彼氏がいることを伝えてくれていたし、合コンというよりも楽しく飲もうという雰囲気だったけれど、どういうわけか今しきりに話しかけてくる人に気に入られてしまったようだ。

「一緒に住んでんの?」

そういうことにしたら早く帰る理由になったかもしれないけれどうまく嘘をつけなかった。
口籠ったら「違うなら時間気にしなくてよくない?」と言われる。
あまり強く出ることもできなくて先輩に助けを求めようとしたけれどすっかり良い気分になっているようでわたしの視線には気が付いてくれなかった、どうしよう。

「えっと…」

なんて断ろうかと思っていたら、後ろから「なまえ?」と柔らかい声が降って来た。

「やっぱり、なまえじゃん。偶然だな」
「スガ……」

ワイシャツの袖をまくって、ゆるめたネクタイの先を胸ポケットに入れた人が近付いてくる。
スガを照らす街灯が後光に見えた。

「会社の人と飲み会?」
「あー…うん」

さっきまで二次会に行こうとしつこく…いや、熱心に誘ってくれた人とスガが会釈で挨拶をしている。

「なまえちゃん、彼氏?」
「え、」

すぐに違いますと言えなかったのは、ここでスガのことを彼氏ですと嘘をついたらこの場をすぐに離れられると思ったからだ。
偶然会えたのが澤村や東峰だったら迷うことなくそうしていた。
だけど、相手がスガだったから。
いくらなんでもそんな嘘にスガを巻き込みたくないなと言葉を探していたら爽やかに笑いながらスガがさらりと嘘をついた。

「はい。会社の先輩ですか?いつもなまえが世話になってます」

ぎょっとして隣に立つスガを見上げる。
前に会ったときよりも髪の毛が短いけれど色素の薄い髪の毛は相変わらず柔らかそうに風に吹かれている。

「いやいや、俺はそんなんじゃないよ。彼氏迎えに来たなら二次会行けないか、なまえちゃん気を付けて帰って」

あっさりと引いてくれてホッとするし、彼氏だと名乗ったスガに変なことを言わないあたりの気遣いもありがたった。
手を振って先輩たちに合流して、ぞろぞろと次のお店へと向かっていく背中を見送った。
ほろ酔いの先輩は「みょうじさん〜また月曜日にね〜」と手を振っていた。

「……スガ?」
「俺の対応合ってた?」
「…うん。すごい助かった」
「ならよかった。職場の飲み会?あんま治安良くないな」
「あー……実は職場の人は今また月曜にって言ってた人だけで」

合コンという言葉は使いたくなくて、ちょっとした飲み会だったんだよねと言ったらスガが眉根を寄せる。

「及川は知ってんの?」
「言ってない…変に心配かけたら嫌だなぁと思って。あの人たちには彼氏いますって伝えてたよ」

ふぅん、とスガが目を細めた。

「……やっぱり良くないよね。先輩から誘われたの断りきれなくて」
「いや…まぁ良くはないけど付き合いってあるもんな」
「スガも飲んでたの?」
「うん。俺も上の先生に飯誘われて」
「そっか」

助けてくれてありがとう、と言うのもなんだか気まずい。
チラ、とスガを見上げたらぱちりと目が合って「とりあえず駅まで歩くか」と言う声に頷いた。



「どーよ、仕事」
「環境には慣れて来たけどまだ全然。わかんないことだらけ。スガは?」
「俺も。毎日必死」

子供たちに助けられてる、と目尻を下げるスガはいま小学校の先生をしている。
だけどその横顔は高校生の頃とあんまり変わらない。
大変なこと辛いことのほうが多くてもそのなかで楽しさとかやりがいとかを見つけて前に進む、あの頃の姿と重なった。

「清水とは会ってる?」
「GWにみんなで集まったあとに一回お茶したよ」
「お茶か、女子だな」
「なにそれ」
「俺らは集まるって言ったらもうイコール飲み会みたいになってるから」
「えーそうなの?健康的にバレーボールしようぜとかならないんだ」
「大地は鍛えてるけど旭は多分もう飛べないと思う、ビール飲みすぎて」
「スガは?」
「俺はまぁそれなりに?子供たちと遊んでるし?体力も落ちてない、はず」
「自信なさそう」

はは、とスガが笑ってくれて安心する。

「そりゃプロでやってるような奴らとは比較にもなんないだろうからさ」
「プロのアスリートってすごいよねぇ」
「他人事みたいに言うじゃん」

スガが及川のことを言わんとしていることはわかって苦い笑いが出てしまった。
及川とのことは大学卒業前に烏野のみんなで集まったときに報告をしていた。
改まって言うのも照れるしみんなにとってはかつてのライバルだし、良い顔しない人もいるかもしれないと思ったけれど驚いたあとにちゃんとおめでとうの言葉をくれた。

及川の身代わり…っていうのかな、さっきみたいなの。
スガに恋人のフリをさせてしまったことに申し訳なさを感じるのは違うんだろうか。

「まぁ……他人と言えば他人だしね」
「嫁が何言ってんの」
「いや結婚してませんし」
「しないの?」
「え、」
「結婚。及川と」

何を言っているんだろうとスガのたれ目をまじまじと見てしまう。
だけどふざけてとかからかってとかじゃなく言っているみたいで「え、別れた?」なんて言われて思い切り首を横に振った。

「別れてない」
「そっか、よかった」

よかったって……スガはわたしと及川のことを応援してくれているんだなぁとその表情を見て思う。

「…けど、なかなか会えないし。連絡もたまにだし」
「まぁ同じ宮城にいた頃とは違うよな」
「うん。あっちはアルゼンチンでバリバリやってるのに地元でのんびりしてるわたしが寂しいとか言えなくて、」

あれ、わたしなんでスガにこんなこと言ってるんだろう。
スガが今もわたしのことを、なんて自惚れは全くないけれどさすがに無神経だなと言葉を切ったら不自然になってしまった。
口籠るわたしに「うん」と促すように相槌を打ってくれた。

「……遠恋なんてしたことないし、どう向き合えばいいのかよくわかんない」
「向き合い方なぁ」
「ごめん、急にこんなこと言われても困るよね」
「いや、困んないけど。でもなまえが暗い顔してんのは気になるしそれが及川のせいっていうのはむかつくかも」
「え、」
「あーむかつくって違う。なんかやっぱ癪っつーか鼻につくっつーか、及川に対しては多分この先ずっとよくわかんないモヤっとした感情持ち続けるんだと思うから気にしないで」

気にしないで、と言われましても。
スガ自身も言葉を選びながら「うまく言えないけど」と言うから、気持ちというのは自分でも説明がうまくできないものらしい。
わたしの今抱えている想いもそうな気がする。

「及川とケンカしたとかじゃないんだろ?」
「うん、全然」
「なら今まで通りでいいんじゃない?会いたいなって時に会えないのはしんどいだろうけど、本気でもう無理会わなきゃ死ぬってなったらまたアルゼンチン行けばいいと思うし」
「……簡単に言うね」
「給料は計画的に貯めておこうな、お互い」
「ふふ、うん、そうだね」

ケンカしたわけでも及川が冷たいわけでもない。
ただ会いたいときに会えなくて連絡をするのも気をつかってしまって、勝手に落ち込んでいただけだ。
及川の邪魔をしたくないというのはもう何年も思っていることで、彼がアルゼンチンでやりたいようにバレーボールをしているならそれがわたしにとっては一番大切なことで。
日本に帰って来てなんて出来るわけのないことを言う程バカにはなれないし、なりたくもない。
……それでも、この先も及川のことが好きで、及川もわたしのことを好きでいてくれて。
一緒にいたいとか支えになりたいと思うんなら、スガの言ってくれた「今まで通り」では足りないのかもしれない。
ひっそりとカバンの中に入っているスペイン語学習の本を頭に思い浮かべる。
「もう無理会わなきゃ死ぬ」と思ったら、いつでも飛び込めるような覚悟がいるなと考えたらお酒を飲んだ身体が少しふわついた気がした。



(2022.04.29.)



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