16

結局、宗介の忘れ物を渡しそびれてしまった。

タオルとドリンクボトルを持ったままプールに戻ったら調度休憩時間だったようで、真琴が駆け寄ってきた。


「なまえ」
「あ…お疲れ様」
「それ、山崎くんに渡せなかったの?」
「うん。もう寮に戻っちゃったみたいで会えなかった」

そっか、と言って真琴がポンと頭に手を置いた。

「凛に渡せばいいよ」

真琴がいつもみたいに柔らかく笑ってくれて泣きたくなったのはどうしてだろう。

嘘ついちゃった。
撫でられた頭に、さっき宗介も触れたって知ったら幻滅されるかな。
それでも大きな真琴の手に、なぜか沈んだ気持ちが少し温かくなった気がする。

「そうだね」

笑い返した顔は、ちゃんといつもみたいに笑えていたかな。
凛に渡してくるってすぐに真琴の傍を離れた。





「りんちゃーん…」
「あぁ?」
「うわ、怖っ……これ、宗介が忘れていったから返しといて」
「うっせ、凛ちゃんって言うな」

肩にタオルをかけて次のメニューについて確認していた凛のところに行く。
ぶすくれながらも、しょうがねぇなって受け取る凛はなんだかんだ良い奴だ。

「お前、宗介になんか言われたか?」
「えっなんで」

凛はエスパーか何かかなって思った。
昔、宗介に「お前は考えていることが顔に出るな」って言われたことがあったけど、凛にもわかっちゃうのだろうか。

「…真琴と付き合ってるって言ってなかったんだろ」
「言いそびれてただけだよ。聞かれてもないのに彼氏いるなんて言うの変でしょ」
「そりゃそうだけど」
「……けど関係ないって言われたよ。わたしが誰と付き合おうが関係ないって」

少し苦い顔をした凛が「まぁこれは俺が渡しておく」ってわたしの手からタオルとボトルを受け取った。
こういう面倒見のいいというか、ほっとけない兄貴肌の凛が大好きだ。
もちろん幼馴染として。

「凛ちゃんー…」
「だから凛ちゃんって呼ぶなよ」
「…あれ、そう言えば凛はなんでわたしが真琴と付き合ってるの知ってるんだっけ?わたし言ったっけ?」
「江に聞いた」
「あぁ…なるほど」


聞いてなくてもなんとなくわかるけどなって言う凛に、え?と聞き返したところで、渚くんがスススッて近付いてきた。
明るい色の髪の毛はしっとり濡れているけどちょっとふわふわしていて、なんかかわいい。
渚くんは黙っていれば見た目はただの天使なんだけど、たまにとんでもない爆弾を投下する…こんな風に。


「そういえばさ、まこちゃんってなまえちゃんのこと小学生のときから好きだったんでしょ?」
「へ?」
「わーちょっと渚?!」

ニコニコいつものかわいらしい笑顔でわたしも知らなかったことをぶっこんできた渚くんを、真琴が慌てて追いかけてきて渚くんの口を大きい手でふさいだ。

渚くんがもごもご言っている。
ちょっとそれはかわいそうだよ、真琴。


「ごめん、なまえ気にしないで」
「え、すごく気になるんですけど」
「あーあれか、俺らのリレー見に来たときか」

そう凛が思い返すように手を顎にあてて言うと、真琴がまた「凛?!」って焦ったような声で言う。


「え、本当に?」


真琴は相変わらず渚くんを羽交い絞めにしているけれど、凛にまでバレているならそれも無意味だと思ったのか、わたしが本当?ってもう一度聞いたら観念したように渚くんを解放した。
付き合って1年以上経っているけどそんなの初耳だった。

「うん…本当です……ってあーもう渚ぁー!」
「みんな知ってるぞ」
「ハルまで?!」

さっきまで黙っていたハルまでそんなこと言い出す始末で、
真琴につられてわたしまで顔が熱くなってきたけれど、少し涙目になっている真琴を見ていたら、なんだか笑えてしまった。

真琴が笑うなよって言って、渚くんが詳しく聞きたいよーってまた騒いで、それを凛がなだめて。


こういうのいいな、楽しいな。



宗介と話しているときの自分は好きじゃない。
だってうまく笑えなくて、胸のあたりに石みたいなものがズシンって居座っているみたいに重たくなる。
自分じゃないみたいだ。

だからこうやってみんなで笑い合っていられる今に、すごくホッとした。









「なまえ、俺と初めて話したときのこと覚えてる?」

合同練習の帰り、みんなで電車に揺られていたら真琴が突然言った。
みんなは疲れて寝てしまったようだ。
わたしの左肩に江ちゃんがもたれかかっていてスース―寝息を立てている。

「初めてって、入学式のこと?」
「いや…」
「小学生のときの大会?凛とリレー組んだ…それなら覚えてないよ、ごめんね」

だよね、って眉毛を下げて笑う。

入学式の日、佐野小のみょうじさん?って声をかけてくれたときに小学生のときに話したことがあるって言ってくれたけれど、わたしは全然覚えていなかった。


「なまえ、観客席から凛のことすごく一生懸命応援してたよね」
「あのレースの後にオーストラリア行っちゃうって聞いてたから…」
「観客席にいるなまえ見て、かわいい子がいるなって思ってたら凛のこと応援してるから子供なりにそわそわしてたんだよね。で、俺達が優勝して、なまえが凛のところに来て、そのとき話したんだけど」
「かわいいって…」
「今思うと一目惚れ、かな」

隣合って座る電車で、真琴と肩が触れ合っている。
わたしより少しだけ高い位置にある真琴のことを見上げると、立っているときよりも顔の距離が近い。


「…なのに覚えてないって言われたときちょっとショックだったけど」

目が合うといつもみたいに笑ってくれる真琴の柔らかい表情が、あぁ好きだなぁって思ったら心臓がぎゅってなる。


「そのレースでさ、俺達の隣のレーン泳いだのが山崎くん達だったんだよね」



宗介と凛が同じレースを泳ぐって、別のチームでも嬉しかった。
わくわくしながら観覧席でレースが始まるのを待っていたこと、今でも覚えてる。


「大会が終わった後、なまえが凛と話しに来て、俺とも話してるときに山崎くんにすごく見られてたの未だに覚えてる」
「……負けて悔しかったからじゃない?」
「今日も、っていうかこの前の岩鳶SCのリニューアルイベントのときもだけど、」

真琴が少し言葉に詰まって、視線を下げる。
わたしが自分の膝の上に置いていた手を、真琴がきゅって握った。
真琴の長い指がわたしの指にするりと絡んで、その仕草がまるで存在を確かめるみたいだなんて思う。

「…俺も幼馴染いるし、周りにはハルの心配しすぎだーなんて言われることあるからさ、山崎くんにとってのなまえって、俺にとってのハルみたいなもんなのかなって思うことにする」
「うん…」

なんて言ったらいいかな。
どう返事をしたら真琴の不安を拭えるかな。

眉毛を下げて弱々しく微笑む真琴に胸が痛い。
繋いだ手を緩く握れば、優しく握り返される。

「あんまりうるさいこと言うと嫌われちゃうかな」
「真琴のことを嫌いになんて絶対ならないよ」
「うん、ありがとう」

隣を見上げたら真琴はやっぱり困ったような表情をしていて、鼻の奥がツンってなる。

「はは、なんでなまえが泣きそうなの?」
「だって…不安にさせてる」

泣かない。
わたしが泣くのは違う。

でも真琴が優しいから、頭を撫でてくれる手が温かいから。

「わたしちゃんと真琴のこと好きだからね」
「俺も、好きだよ」

そう言って周りをキョロキョロ見回したかと思ったら、ちゅって控え目なリップ音と右頬に柔らかい感触。

「…まこと、」
「うん、電車の中なのにごめん」


真琴から香る塩素の匂いが鼻をくすぐる。
小さい頃から慣れ親しんだこの匂いがわたしは好きだ。
電車の開け放たれている窓から吹く風に、セットし直していない真琴の色素の薄い髪の毛がふわふわと揺れている。
真琴の笑顔がさっきよりも明るい気がして、わたしも嬉しい。
みんなと話していると楽しいけれど、真琴との時間は胸があったかくなって、幸せな気持ちになれる。

人の顔色ばっかり窺っている真琴の気持ちがちゃんと聞けて、自分の気持ちも言えて、こういう時間がきっとすごく大切なんだ。



はにかむように笑い合ったら、真琴がもう一度わたしの頬にキスをした。












(うわーまこちゃんとなまえちゃんラブラブだ!)
(渚くん、お願いだから黙って寝てるフリをしてください…)
(こそこそ話してればバレないよ!)
(…僕は何も聞いてません、知りません、寝てました)


(2015.07.11.)


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