47.夜を越える

「身体痛い……」
「えっなんで?俺昨日一晩我慢したのに?」
「いやあのね、及川みたいなデカい男の人に抱き締められて狭いベッドで身動きできずに一晩寝たら身体も痛くなるよ」

昨日、及川のどうしたらいいんだろうという言葉への返事が見つからないまま眠りについた。

「及川は平気?」
「うん〜ちょっと首こったかも」
「えっ」
「大丈夫だよこれくらい。なんか頭はスッキリしてるし」

カーテンの隙間から朝陽が入ってきて及川が目を細めて眠たそうにあくびをかみ殺す。
起きてすぐに及川の顔があるなんて今まで想像もしていなかった出来事で現実味がない。

「なまえ」
「ん?」
「先に言っておくけど寝ぼけてるとかじゃないよ。俺実は朝けっこう強いから」

ぎゅっと抱き直すように力を込められて朝から心臓に悪い。
すっかり受け入れてしまっていて、葛藤がないとは言えないけれど胸が痛いくらいに高鳴る心地良いこの腕の中から抜け出そうとは思えなかった。

「…どうしたの?」
「うん。よくさ、悩みごとは朝しなさいって言うじゃん?夜は気持ちが暗くなりがちだからって」

そうなんだ、と思いながら次の言葉を促すように相槌を打つ。

「目が覚めて隣になまえがいて、大切な人がそばにいるってこんなに幸せな気持ちになるんだって思った」
「……うん」

わたしもだよと答えていいのかわからない。
だけど何かを決めたように話す及川の言葉はすっと頭に入ってきてさっきまでまどろみの中にいたのに覚めていく感覚がする。
視線が絡んで吸い込まれそうだ。

「次会うのがいつになるかわかんなくても、どうにもならなくても、なまえが俺のこと好きだって思ってくれるうちは諦めたくない」
「……及川」
「時差十二時間の遠距離恋愛、どうですか?」

ふざけたような言い方をするくせに言葉が少し震えていて、いつもキラキラと輝きを秘めている瞳が揺れている。
きゅっと引き結ばれた唇に、告白してくれたときと同じかそれよりも緊張しているように見えた。

視界いっぱいに及川がいる。
抱き締めてくれている腕にそっと触れたらピクリと及川が小さく身じろいだ。
もう、ごめんね無理だよなんて言えない。
自分に嘘をつくことも及川を遠ざけることもしたくない。
こんなところまで会いに来てしまった時点で自分の気持ちをごまかそうとは思わないのに、素直に頷くにはお互いの想いに年季が入りすぎていてかわいくない言葉が出た。

「わたし連絡あんまりマメじゃないと思う」
「昼夜逆だしね。無理じゃないときでいいよ」
「及川が面倒になったらすぐにやめてくれる?」
「ん、わかった」

面倒になることなんてないと思うけど…と及川がすり、と額を合わせた。
じわじわと込み上げてくるものがあって及川の前で泣くなんていつぶりだろう。

「わたし何回も及川の告白断ったのに」
「傷付いたなぁ」
「うん…だけど、ずっと幸せでいてほしいって思ってた」
「なまえが幸せにしてよ」
「会えないのに……」

言葉にしたらまた涙が込み上げてしまって、及川のことが好きだと認めてしまったら近くにいないことが重たくのしかかってくる。

「会えなくてもなまえが俺と同じ気持ちでいてくれるってだけでめちゃくちゃ強くなれる気がする」
「昨日の試合より?」
「うん。ものすごいサーブ打てそう」
「レシーバーの腕がもげちゃう」
「それくらいの気持ちでやってるからね」

ふふ、と笑ったら及川も安心したように目尻を下げた。

「なまえのことも俺が幸せにする」
「……プロポーズみたいだけど大丈夫?」
「なまえが大丈夫なら?」

いつかちゃんと言わせて、と優しい声を紡いだ唇がわたしに触れた。

しばらくしてゆっくりと起き上がろうとするわたしの身体をぐっと抑えて「もうちょっと…」と言うけれどさっき頭スッキリしてるって言わなかったっけ?
わたしだってこのままこうしていたいけれど、そういうわけにいはいかない。

「もう起きないと。岩ちゃんと朝ご飯食べに行くことになってるし」
「あー……そうなんだ。俺も一緒にいい?」
「いいけど、及川昨日と同じ服」
「朝帰りしたOLみたいなこと言うじゃん」

なにそれと笑ったら及川も顔をくしゃくしゃにして笑い返してくれて、なんだか本当に夢でも見ているみたいだ。




「……お前なんで昨日と同じ服なんだよ。つーかなんでいんだよ」
「え?岩ちゃんそんな野暮なこと聞かないでよ」
「みょうじ、無事か」
「うん、なんにもされてないから大丈夫」
「さりげなく俺からなまえ遠ざけるのやめてくれる?なまえも!こっちおいで!」

朝ご飯を食べに行こうと岩ちゃんと隣の部屋から連絡が来て、慌ただしく準備をして部屋を出た。
結局ろくにパッキングも済んでいないからさっと食べて部屋に戻らないといけないと岩ちゃんには伝えて、ホテルの一階にあるレストランに三人で入った。

「さすがの岩ちゃんでも察してくれたと思うけど俺となまえ、付き合うことになったから」

朝からたくさん食べるなぁと及川と岩ちゃんの朝食を見守っていたら、飲んでいた紅茶を吹き出しそうになった。
そうだけど、そういうことになったけれど、面と向かって岩ちゃんに報告をされると照れる。

「……よかったな」

パンを手に一瞬かたまった岩ちゃんはすぐにふっと表情をゆるめた。
茶化すことなくそう言ってくれてさっき恥ずかしいと感じた気持ちがあっという間に嬉しいにすり替わった。

「ありがと、岩ちゃんのおかげだね」
「おー及川は俺に一生感謝しとけ」
「うぐ…感謝はしてる……」
「岩ちゃんいなかったらわたしアルゼンチン来てなかったもんね」
「空港の見送りもな」
「岩ちゃん、昔のこと恩着せがましく蒸し返す男ってかっこ悪いよ」
「お前がみょうじに会いたいだなんだってわめいてたこと全部バラされてぇのか」
「嘘ですごめんなさい」

何それいつの話?と及川に聞いたら「いつかなぁ」なんて笑っている。
岩ちゃんに視線を向けたら口いっぱいにパンを詰めていて教えてくれるつもりはなさそうだった。
なんだかんだこの二人がずっと仲が良くて嬉しいしこれからもそうなんだろうと思う。

「またこんな風に三人でご飯しようね」
「俺はなまえと二人がいい」
「日本帰ったら美味い日本食でも食いに行くか、みょうじと」
「岩ちゃん!!」



何回も言うけれどまだ帰国のためにパッキングが終わっていない。
部屋に戻るときにまた及川が付いて来て「予定大丈夫なの?」と見上げたら「もう少ししたら帰るよ」と言う。
そっと背中に手を添えられて歩くホテルの廊下が落ち着かなかった。

「なんか手伝うことある?」
「んー洗面所に忘れ物ないか見てもらってもいい?」
「りょーかい」

シングルルームでやることがなくて手持無沙汰そうにしている及川をかわいいと思ってしまうけれど、手伝うことと聞いてくれたから素直に頼んだらパッと洗面所を覗いてまたすぐに戻って来た。

「何もなかったよ」
「ありがと」
「うん」
「ごめんね、慌ただしくて」
「全然。俺が昨日居座ったせいだし」
「まぁそうだね」
「……そこは嘘でも徹のせいじゃないよ、とか言うところでは?」
「徹なんて呼んだことないのに?」
「呼んでみてよ」
「えー今更じゃない?」

返事が適当になってしまうのは手を止めている余裕がないからだ。
及川はわたしの邪魔をしないようにソファに座ってぶつぶつ言っている。

「及川って下の名前で呼ばれてるイメージないかも」
「あだ名とかもないしね」

テレビでも観てたらいいのに、自分の膝に肘をついてわたしのほうをジッと見ていて視線が痛い。
こんなにあけすけに見られることもそうないんじゃないだろうか。
それが照れくさいのと、わたしだってちゃんと落ち着いて及川と話をしたいのとで気が急いてスーツケースに物を詰める手つきが雑になる。
最後におみやげをぎゅっと入れてぱんぱんに詰まったスーツケースを閉じた。

「終わった!」
「ベルトしないの?」
「あ、そうだね」

端に寄せていたスーツケース用のベルトを指して及川が言う。

「そんなに焦らなくてもまだ大丈夫でしょ」
「うん…でも及川もそろそろ出ないといけないだろうし」

カチっとベルトをはめて及川のほうを見たら、眉を下げて「うん」と頷く。
その表情になんだか胸が締め付けられるような感じがして、あぁ帰りたくないなぁなんて思ってしまった。
ずっとここにいられたらいいのに。
…ずっととは言わなくても、やっぱりあと何泊かしたかったな。
及川とこんなことになるつもりはなかったから最短の旅行日程にしてしまったことを後悔する。
やらなくてはいけないことが済んで部屋に妙な沈黙が生まれた。

「えっと…及川?」
「うん?」
「朝、ちゃんと言わなかったなと思って」

小さなソファにちんまりと身体を収めた及川が首を傾げたけれど、わたしが言葉を続けたら急にまじめな表情をして立ち上がる。

「遠距離恋愛とかしたことないし時差もあるし次いつ会えるかわからないけど、その……」

大きな手がそっとわたしの両手を包んだ。
あたたかい体温に涙が出そうになる。

「好きだよ、及川のこと」
「…うん」
「だから、えっと……なんで笑うの」
「え?だってかわいいんだもん。そんなに言葉探さなくてもさ、」

手を引かれてあっという間に及川の腕の中にとじこめられた。

「好きって言ってくれるだけで十分だなって」
「そういうもの?」
「そういうもの」

んー、と言葉になっていない声を出したと思ったらたくましい腕にこめられる力が強くなった。
ぎゅっとしてくれると嬉しくて心臓がうるさいのにホッとする。

「充電しないと、今のうちに」
「…うん」

背中に腕を回して、及川がしてくれたみたいにわたしも抱きしめ返すけれどすっかり広くなった背中には腕が回り切らなくてすがるみたいになった。

「あっていうか待って俺くさくない?!」
「え、何急に…ちゃんとお風呂入ったから大丈夫だよ」
「だって昨日と同じTシャツだし」
「今更?その服で一緒に寝たのに」
「う…なんか急に心配になった」
「くさくないよ」

胸のあたりに鼻をすり、とくっつけてわざとすんすんとかぐような仕草をしたらちょっと戸惑うな気配がしたけれど結局またぎゅっとしてくれた。

「あー……離したくない」
「うん…帰りたくないなぁ」
「帰らないでよ」
「あはは、うん」
「笑いごとじゃないよ。俺がどれだけ、」
「どれだけ?」
「……なまえのこと好きか、わかってない」

帰りたくないのは本当で、及川が離したくないと言ってくれたのもきっと本当で。
そっと顔をのぞきこんできた及川の瞳から視線をそらせない。
昔から知っている顔だけどこんなに近くで見たのは昨日が初めてで、形の良い唇がわたしの唇と重なったのは今日が初めてだった。
嬉しいのに苦しくて、幸せなのに切ない。
もう一度触れた唇はひどく優しかった。



(2022.02.06.)



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