9.昼下がり

『緊急事態』
『誰か寮にいて今から俺の会社来れる人いない?』

劇団のグループトークにそんなLIMEが至さんからきたのは朝飯…時間的にはもう昼だったけれど、とにかく寝起きの腹に何か入れようと冷蔵庫を開けたときだった。
着信が二回鳴って冷蔵庫からは何も出さずに閉めた。

『行けますけどどうしたんすか』

用件だけ届いたメッセージからして多分急いでいるんだろう。
俺も簡潔に返事をしたらすぐに既読がついて電話がかかってきた。

「はい」
『万里、俺の部屋のテーブルの上に資料入ったクリアファイルない?それ持ってきてほしい』
「ちょい待ち、確認します」

もしもし、も言わずに本題に入るあたり本当に緊急らしい。
103号室に入りごちゃごちゃと何がどこにあるのかすぐにわからない机の上を見ると、比較的わかりやすいところにそれはあった。

「ありましたよ。今から行けばいい?」
『うん。まじで助かる…受付着いたら電話くれる?』
「了解っす」

ありがとうと言い残して電話は余韻なく切れた。
なんかテンパってたけど会社では見せてねぇんだろうな、めちゃくちゃ小声だったし。
とりあえず劇団の奴らに「俺が行くことになったから気にすんな」とだけLIMEを送り着替えて談話室にも立ち寄ったらすぐに声をかけられた。

「万里くん、俺が行こうか?まだ朝ご飯も食べてなかったよね」
「いや、ついでに外で飯食ってくるわ。咲也は続き読んでろよ」

気づかってくれた咲也の手には昨日仕上がったばかりの春組次回公演の台本。
例の如く綴は昨日書き上げた直後にぶっ倒れていたけれど復活したらしく監督ちゃんと内容について話していた。
至さんも昨日の夜は談話室で春組連中と遅くまで次回作について話していたらしいから、寝坊でもして慌てて出て行ったんだろうか。



電車を乗り継いで着いた至さんの会社はまぁ端的に言うとデカかった。
受付のあるロビーは広くて、待合用と思われる受付そばのソファに座り至さんに電話をかけるけれど応答がない。
タイミングが悪かっただろうかと短く「着きました」と連絡を入れておく。
あらかじて到着時刻も伝えていたけれど忙しいのかそれには既読だけ付いて返事はまだなかった。

当たり前だけれどスーツやオフィスカジュアルの大人たちが行き交う会社ロビーでは我ながら浮いている。
時間帯的にランチから戻って来たと思われる人たちで往来が多いせいもある。
居心地が悪いとかは思わねぇけど至さん早く来ねぇかな、なんか警備員にチラチラ見られてるし。
話し声や靴の足音が行き交うなか手持ち無沙汰で携帯を操作していたら靴音がひとつ止んで視界にパンプスが入る。
目線をあげたら、そこには久しぶりに見る至さんの恋人が立っていた。

「やっぱり万里くんだ」
「……なまえさん」
「久しぶりだね。どうしたの?茅ヶ崎さんに用事?」
「用事っつーか、まぁ頼まれ事されて」

会うのはいつぶりだろうか。
二人で遊園地に出かけたあとも何度か劇場や寮で見かけたけれど意識的に避けていたから言葉を交わすことはなかった。
至さんといるところなんて見たくねぇし、何を話したらいいのかもわからなかったからだ。
なまえさんが「茅ヶ崎さん」と聞き慣れない苗字で呼んだのはここが会社だからだろう。
大人だなとそんなところでも思わされる。

「そっか。わたしから取り次げるけどもう連絡してるかな」
「はい、さっき連絡入れました。なまえさんは昼から戻ったとこっすか」
「ううん。わたし実は今日受付のピンチヒッターで」
「ピンチヒッター?」
「受付さんに急なお休みが出ちゃって。出勤してる子がお昼休み行ってる時間だけ代わりに入ってるの」

時計を確認したら12:45、ということはもうすぐ受付の代理は終わりだろうか。

「お昼休みの時間は来客も少ないから」
「そうなんすね」

会いたいと思ってしまう日は数えきれないくらいあったのに、いざ目の前にすると顔を見ることができないしうまく言葉を返せない。
俺は至さんが来るまでここにいなきゃなんねぇけど、話を聞く限りはなまえさんはしばらく受付があるこのフロアにいるらしい。
至さんが来たらどう思うだろうか。
……なんて考えても仕方ねぇけど。
俺は頼まれて来ただけで後ろ暗いことはないのだから。

「万里?」

だから俺からの着信を見て急いで来たらしい至さんの声が揺れていても、そこに俺への不信感みたいなもんが混ざっているような気がしても、決して俺のせいではない。

「至さん、お疲れ」
「うん、わざわざごめん。みょうじさんはなんでここに?」
「茅ヶ崎さんお疲れ様です。わたし今日たまたま受付に代理で入ることになって」
「そうなんだ。お昼時だけ?」
「はい」

受付の欠員時になまえさんが入るっていうのはたまにあることなんだろう。
たいして驚くこともなく至さんが「そう」と頷いた。
二人のやりとりになんとなく居心地が悪い。
さっさと用事を済ませて帰ろうと会話にわって入って持ってきていた封筒を渡す。
中身が見えないようにクリアファイルごと茶封筒に入れたのは監督ちゃんのアドバイスだった。

「至さん、これ頼まれてたやつ」
「あぁ、ありがとう。助かった」
「……茅ヶ崎さん、もしかして忘れ物?」

なまえさんが上目遣いで至さんを見る。
「そんなとこ」と誤魔化すように笑う至さんの表情は普段寮にいるときの数段甘ったるくて、会社にいるからお互い苗字呼びのくせになんとも言えない空気で嫌になる。

「…じゃあ俺もう帰るんで」
「えっ万里くんそのためだけに来たの?」
「まぁそうっすね。ついでに外で飯食おうかと思ったんで別に」
「ありがとうね、万里」

気をつけて帰ってと言う至さんの言葉には「早く帰れ」という思いが込められている気がした。
言われなくても帰るわと思いながら「じゃあ」と言おうとしたらなまえさんに引き留められた。

「万里くん、あと10分くらいだけ待てたりしない?」
「……は?」
「みょうじさん?」
「受付の子もうすぐ戻ってくるはずで、そしたらわたしお昼なの。よかったら一緒にどうかなって」

せっかく来たんだし、と笑う顔にぐっと喉が詰まる。
上目遣いで見上げるのはやめてくれ。
至さんが「みょうじさん?」と呼びかけたのスルーされて焦ってんだろ。

「いや、でも」
「あっちょうど戻って来たみたい。ちょっと行ってくるね」

従業員用の裏口らしきところから女性社員が出て来てなまえさんと言葉を交わしている。

「早かったですね、ちゃんと休めました?」
「はい!いつもすみません、助かりました」
「とんでもないです、また何かあったら呼び出してください」

呼び出して、なんて言っているけれどお互い朗らかで良い関係性らしい。
受付カウンターに入った女性が俺と至さんに気付いて軽く会釈をした。

「……万里」
「っす」
「これはめちゃくちゃ助かったありがとう」
「いーえ」
「なまえとのランチだけど、」

行くなと釘を刺されるのかと思ったら「これで払って」と五千円札を渡された。

「は?」
「仕事が落ち着いてたら俺も行きたいところだけど」
「飯まだなんすか?」
「さっき食べた」

けどなまえに誘われたらもう一食行く、と普段そんなに食わねぇくせに座った目で言われて若干引いた。

「……てか良いんすか、飯。なまえさんと行っても」
「良くないけどなんの他意も悪気もなく目の前で誘ってんだから俺がダメなんて言えないでしょ」

表情はあくまでも崩さないけれど周りの人には聞こえないくらいの声で息継ぎなしで言うとか器用か。

「ふーん……」
「言っとくけど手出したら殺す」
「出さねぇよ、そんなんじゃねぇし」
「そんなん、ねぇ」

何か引き継ぎをしているらしいなまえさんを見ながら気持ちと正反対の言葉を吐いたら心臓のあたりがきしきしと痛い。
てかなんだよ、手出すって。
昼休憩の一時間で何が起きんだよ。
ランチタイム用と思われる小さなバッグを手になまえさんが俺たちのところに戻ってきて、至さんの許可も降りたし断る理由は正直なかった。

「お待たせしました」
「みょうじさん、俺は仕事戻るから万里のことよろしくね」

外からオフィスに戻る人たちの波にのまれるように至さんはエレベーターホールに吸い込まれて行く。
俺となまえさんが至さんの後ろ姿を見送っているほんの数十秒の間に、至さんが女子社員に声をかけられていた。
多分「お疲れ様です」とかそんな当たりさわりのないことだと思うけれどなまえさんの表情を伺うと視線に気付いたなまえさんがこっちを見た。

「ん?」
「……いや、別に」

あぁいうの気になんねぇのかなと思うけれど、あれくらい気にしてたらキリねぇか。
俺だって学校で女友達に会ったら挨拶くらいする。

「じゃあ行こっか。何か食べたいものとかある?」
「あー特に考えてなかったんすよね」
「そっか。ガッツリ食べたい?やっぱりラーメンとか?」
「やっぱりって何。俺実は朝飯食ってなくてラーメンは重いかも」
「え、何時に起きたの?」

オフィスに戻る人たちの流れに逆らって自動扉を出る。
なまえさんと歩いている俺が明らかに社会人ではないからかジロジロと遠慮のない視線を感じたけれどスルーだ。

「……昼前」

まずった。
こんなこと言ったらガキだと思われる。
いや実際ガキなんだけど。
案の定なまえさんは「大学生は冬休みかぁ」とふにゃふにゃ笑っている。

「なまえさんは?良く行く店とかあります?」
「一人だとそこのスープ屋さんとかデリでテイクアウトしたり、コンビニとかお弁当持ってくるときもあるよ」
「こういうとこ好きそうっすけど」

たまたま通りかかったカフェを指さす。
可愛らしい外観、テラス席には女子大生らしき客がパンケーキを食べている。
なまえさんがっていうか女子は大体こういうの好きだよな、よく知らねぇけど。

「ここ、通るたびに入ってみたいと思ってて」
「お、まじ?」
「万里くんにはもうわたしの好きなものバレてるね」

そんなこと言って頬を緩められたら避けていた期間に消そうとしていた気持ちのやり場がなくなる。
くそ、なんのために俺が、と思うけれどなまえさんはきっとそんなこと頭に掠めもしていない。

「いつも混んでるから諦めてたけど今日は時間ズレてるから入れそうだね」
「じゃあここにしましょうか」

席に案内されて店内をぐるりと見回す瞳とか、メニューを見ながら「全部美味しそう」と弾む声とか。
薄れかけていたはずの記憶にまた色がつく。
もう半年以上前のことなのに二人だけで行った遊園地を女々しいくらいに思い出すのだ。
出会う順番が違ったら何か変わっていただろうかと考えたこともあるけれど、多分なまえさんは俺のことを恋愛対象にはしてくれねぇんだろうな。



会計はやっぱり別々にされそうになったけれど至さんからなまえさんの分も支払うよう言われたことを伝えたら引き下がってくれた。

「会計してくるから外で待っててください」
「うん、ありがとう」
「いーえ」

至さんの名前を出したけれどもちろん俺の金で払ったし、至さんに渡された五千円札は返すつもりだ。
我ながらめんどくせぇなと思う。
なまえさんが先に店の外に出て、レジに向かうとすぐに店員が対応してくれる。

「会計お願いします。あと……コーヒーってテイクアウトできますか?」
「はい、こちらのメニューは全てお持ち帰りいただけます」

時計を確認したらなまえさんの昼休みはコーヒーを頼むくらいの時間はありそうだった。


「なまえさん、お待たせしました」
「ううん。お会計ありがとね」
「いえ。なまえさん、これ」
「え?」

注文したものはすぐに出てきて、頼んだ通りにテイクアウト用の紙袋に入れて渡された。
それをきょとんとして顔をしているなまえさんに差し出す。

「ソイラテ。パンケーキのあとだから甘くないほうがいいかと思って」

一応袋の中に砂糖入れてもらったけど、と伝えたら何度か大きく瞬きをしたあとにふわっと笑うから欲が出そうになる。

「ありがとう、嬉しい」
「ソイ苦手じゃないよな?」
「うん。好き」
「……ならよかった。仕事頑張ってください」
「えー嬉しいなぁ」

ソイラテ一杯でそんな喜んでくれんのかよ、これくらいいつだって買うっつーの。

「久しぶりだったけど会えて本当嬉しかった、また遊んでね」
「はい、また」
「次は至くんも一緒に行けたらいいねぇ」

そうですね、と笑顔で返す。
芝居をやっていてよかったとこんな場面で思いたくなかった。




「万里」
「至さん、おかえり」
「ただいま。今日ありがとな、助かった」
「別にあれくらい」
「けど金返されたのは納得いってない」

部屋のテーブルの上に五千円札と「返します」とメモを置いておいた。
直接話してもまた突き返されることがわかっていたからだ。

「いらねぇから返しました」

受け取らないという意味を込めて言ったら「まぁいいけど」と返ってきて正直驚く。

「納得はいかないけどなんとなく理解できるし」
「……何をっすか」
「さぁ?」

何をと聞いたけれど言わんとしていることはわかる気がする。
理解なんてされたくない。
なまえがパンケーキおいしかったってよ、と至さんに言われて返事をすることができなかった。


(2022.01.21)


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