45.夢でも魔法でもない

「……楽しかったね」
「おう。海外リーグはまた雰囲気がちげーな」
「及川、すごかったなぁ」

だな、と岩ちゃんが頷く。
わかりにくいけれどこれは幼馴染が活躍していて嬉しいって表情だと思う。
岩ちゃんは素直じゃないけれどセッターとしての及川を認めて相棒として誰より近くで見てきたんだもん、嬉しくないわけない。
最初泣いてしまったけれど試合が盛り上がるにつれて隣に座っている岩ちゃんと一緒に応援に熱が入って結局めちゃくちゃ楽しんでしまった。

「この後、選手からサインもらえるらしいけどどうする」

飛雄の試合のときは考える隙もなくサインの列に並んだ、ミーハーな自覚はある。

「サイン…及川の?」
「いらねーか」
「あはは、どうしよう、もらっておく?」
「後々高く売れるかもしれねーな」

岩ちゃんらしい冗談に笑ってしまう。
及川が自分の道を力強く進んでいて、こんなに嬉しいことってない。
だけど心のどこかで少しだけ、ほんのひとかけらだけ、日本にいたときにもっとできることがあっただろうかなんておこがましいことを思ってしまう。
きっと及川はもう後ろなんて振り向いていないのに。

「…おい」
「ん?って痛い…なに?」

わたしの表情が曇ったことに気付いたらしい岩ちゃんがビシッとわたしの頭をこづいた。

「楽しかったんならそういう顔しろ。じゃねーと及川も気にすんだろ」
「わたし楽しくなさそうな顔してる?」
「よくわかんねぇ顔してる」

その返事が岩ちゃんがらしくてなんだか笑えてしまう。

「おーそんな感じで笑っとけ」
「ふふ、うん」

試合後のセレモニーもひと段落して、選手たちがコートに出てくる。
アナウンスは何を言っているのかよくわからなかったけれど周りにいた人がボールや色紙を持って観客席からコートのほうへ降りていくからきっとサインをもらいに行くのだろう。
岩ちゃんと立ち上がってわたしたちも他のファンにならった。

「写真撮ってもいいんだね」」
「だな。相変わらずいけすかねー顔してんな及川の野郎」
「ファン対応慣れすぎてて飛雄との違いがすごい」

まぁ飛雄は一年目だし…及川っていま何年目なんだろうか。
アルゼンチンに来て三年になると思うけどいつから試合に出られるようになったとかは知らない。
でも中学生の頃からサービス精神が旺盛だったし人に注目されるのは性に合っているんだと思う。
それを見た岩ちゃんが舌打ちするところまでワンセットだ。

「何にサインしてもらおう。ユニフォームかな?」
「色紙のほうが高く売れそうだよな、持ってくりゃよかった」
「ちょっと聞こえてるんだけど……」

対応が落ち着いたらしい及川が顔をしかめながらわたしと岩ちゃんのほうに寄って来た。

「人のサイン堂々と転売する話しないでくれる?」
「まぁ及川の直筆の何かなんて探したら部屋にいっぱいありそうだよね」
「なまえまで!」

日本語で話しているのが珍しいのか、周りの選手やサポーターのみなさんに微笑ましそうに見られている。

「うそうそ。今の及川選手にサインしてもらうっていうことが特別だよ」
「そうそう、わかってるならいいんだよ」
「こいつ影山からもサインもらってるらしいぞ」
「え?!浮気じゃん!」
「誤解されるようなこと言うのやめてくれる?」
「日本語みんなわかんないもん」
「わかる人いるかもしれないでしょ」

軽口を叩ける距離感がなんだか嬉しくて、ここは外国でわたしたちはもう成人していて一緒に時間を過ごした中学時代からはもうずっと遠いところに来てしまったことを忘れそうになる。
及川はまだぶつくさ言いながらわたしの持っていたタオルにも、小さなグッズのボールにも、ユニフォームの背中にもサインしてくれた。
「俺のユニフォーム買ったの?あげたのに」なんて言うからどう返せばいいのかわからずにいたら岩ちゃんが代わりに飯おごってもらおうぜと言うからごまかすみたいに同意した。




「明日帰るんだっけ?」
「うん」
「そっか。なんかアルゼンチンらしいことできた?」
「昨日岩ちゃんと観光したよ、あの有名な滝とか」
「えっ…デートじゃん……」

いや、っていうかそれ以前に二人で海外旅行ってなに?やっぱり冷静に考えておかしくない?とぶつぶつ及川がつぶやいている。
今更なことをレストランで言うのはやめてほしい。
試合会場を出て及川がおすすめだと連れて来てくれたお店は現地の人でいっぱいで、普段及川はこういうところで生活をしているんだと少しわかる。
今の及川を形作っているものに触れられたような気がするなんて、とても本人には言えないことを思った。

「なまえ連れて来ねえほうがよかったのかよ」
「うっ……それを言われると何も返せない…」
「だったら感謝しろ」

そう言って手元にあった飲み物を飲み干したら岩ちゃんがガタと椅子から立ち上がる。
及川と二人できょとんと岩ちゃんを見上げると「っつーことで俺は先にホテル戻る」と言うから「えっ」と驚く声が重なった。

「及川、ホテルまでみょうじのこと送れよ」
「ちょっと岩ちゃん」
「あんま遅くなんなよ。明日も試合なんだろ」
「…うん、ありがと」
「おー。またな」
「え、またなってそんなあっさりでいいの?」

わたしは明日も岩ちゃんと会うけど、明日もうアルゼンチンを発つのに及川とこんなにあっさりでいいのだろうか。
だけど「男同士なんてこんなもんだよ」と言う及川にそういうもの…?と首を傾げる。
たしかに三年前空港で見送るときも涙ながらの別れ、という感じではなかった。

「バレーやってたらどうせいつかまた会うしね…っていうか!岩ちゃんに支払い押し付けられた!」
「あ、ほんとだ」
「もー…いいけどさ、別に……」
「わたし半分出すよ」
「いやいや、そのお金でおみやげでも買って」
「でも、」
「いいから。ほら、デザート食べる?」

それか、と一拍考えるような素振りをしたあとに同じトーンで言われた言葉に目を丸くする。

「俺ともデートする?」
「……岩ちゃんとのはデートじゃないよ」

デザートメニューを手に微笑んでいる及川に訂正を入れたら「そう、でも俺のはデートね」なんて言うから、変わってないなぁと笑ってしまったのと同時に胸が締め付けられるみたいな感覚がした。



「いやぁ綺麗だね」
「本当だね。夜って治安悪いんだと思ってた」
「良くはないよ。一人で出歩くのは絶対ダメ」

デートの言葉に応じたわけではなかったけれど支払いを済ませてレストランを出たあとは及川が夜景がよく見える建物に連れて来てくれた。
建物自体が文化遺産に登録されているらしくて、観光ブックで見ていたから来ることができて嬉しい。

「こういう観光施設ならまぁ中は安全だろうけどはぐれないでね」

大通りは街灯が明るくて、観光施設やレストランが並んでいるところは大丈夫らしいけれどさすがに言葉の通じない外国の土地をひとりで歩く勇気はなかったから素直に頷く。
街を一望できる広場に出ると観光客らしき人が何組もいて、みんな身を寄せ合うようにして話をしている。

「なんかまだ信じられない、なまえがアルゼンチンにいる」
「うん、わたしも」
「岩ちゃんが誘ったんだって?ビックリした」
「カリフォルニア行くついでにアルゼンチン行くけどって言われて頭が追い付かなかった」
「あー岩ちゃんも結構アグレッシブだよね」
「卒業したらアメリカ行くんだって?みんなすごいなぁ」
「なまえは?アルゼンチン移住とかどう?」

隣にいる及川の顔を見上げたら、静かに微笑みながらこっちを見ていて慌てて目線を外してしまう。
本気で言っているわけないのに焦ってどうするんだろう。

「思ってたより安全そうだしね」
「でしょ?楽しいよ、海外暮らし」

軽い口調で返したら、及川も同じように返してくれる。

「俺さ、ふと思ったんだ」
「うん?」
「もし、日本にいた頃になまえが俺のこと好きになってくれて俺の彼女でいてくれたら」

外した視線をまた戻す。
及川はもうわたしのほうを向いていなくて眼下に広がる夜景を見ていた。
宝石みたいだと思っていた及川の瞳に街灯りがキラキラと反射してすごく、すごく綺麗でなぜか涙が出そうになる。

「アルゼンチンに来ようなんて思わなかったかもなぁって」

中学を卒業するときに及川の告白を断って、高校で再会したときにバレーにどれだけの時間を費やしてきたのか嫌でも思い知らされるようなプレーを見せてもらった。
及川のバレーが好きだった。
一緒に全国大会へ、そう思っていたのはもうずっと昔のことみたいだ。
何よりもバレーが好きな及川がバレーを楽しいと思えますようにと願っていた。
世界のどこにいたってきっとバレーボールはできるけど、及川の追い求めるものがここにあったのなら誰にも邪魔されることなく自分の強い意志のもとに海を越えることができてよかったと思う。

「じゃあ…付き合わなくてよかったね」
「そう言われるとまた悲しいものがあるけど」
「うん、ごめん」

ふっと及川が息を吐き出すように笑って、つられるようにわたしも口角を上げるけれどうまく笑えているかはわからなかった。

「会いに来てくれて嬉しかったよ」
「わたしも頑張ってるとこ見れてよかった」
「惚れ直した?」
「直すっていうか、」
「はいストップ!それ以上言うとまた古傷えぐられるから言わないで」
「昔から惚れてたわけじゃないからね」
「あ〜やめてって言ったのに」

及川がぎゅっと顔をしかめながら両手で左胸のあたりを抑えている。

「好きとか付き合うとかじゃないんだなって思う、及川のことは」
「……どういう意味?」

自分でもはっきりわかっているわけじゃないのに言葉にするのは難しかった。
口にするのは初めてで勇気が必要なことだったけれどきっと今言わなきゃ一生言えない。

「多分好きよりもっと大切」

言葉が夜の街に消える。
魔法にかけられたみたいにするっと言えたけれど心臓は痛いくらいにうるさい。
何も言わない及川のほうを見たら口を開けたり閉めたりして変な顔になっていた。

「俺、三年アルゼンチンにいて日本語わからなくなったのかもしれない」
「じゃあ今の意味わからなかった?残念」
「なまえが俺のこと大好きって言ったみたいに聞こえた」
「微妙に違う気がするけど」
「けど大体は合ってるってこと?」
「まぁ、そうかも」

一時停止していた及川が勢いよくこっちを向いた。

「俺いま起きてる?」
「なに言ってるの?」
「夢かと思って」
「わたしには起きてるように見えるけど」
「だよね、俺もそう思う」

初めて好きだと伝えてくれてから、もう何年も経っていて。
及川がまだわたしのことを好きでいてくれているなんて自惚れていたわけではない。
だけどさっきまで遠くを見ていた瞳がわたしを映して「なまえが好きだよ」と言ってくれる。

「なまえのこと好きだ。何年経ってもこんなとこに来ても、やっぱり好き」

まっすぐ見つめられて、背が高いなぁなんて今更なことを思う。
及川に大切にされるってどんな感じなんだろうと昔考えたことがあって、その時は及川の気持ちにこたえることなんてできないと思っていて。
及川からバレーをする時間を奪いたくなかった。
ライバルチームにいる及川を好きになりたくなかった。
遠くに行く及川の背中を押したかった。
その時々で自分に言い聞かせて、だけどわたしだって、こんなところに来てまで及川のことが大切なんだと思ってしまう。

わたしも、と言ったらつぶされそうなくらいの力でぎゅうぎゅうに抱き締められる。
逞しい腕のなかで伝えた「好きだよ」は及川の心臓の音とか体温とかにおいとか、いろんなものが混ざってわたしの胸の真ん中にたしかに溶けた。



(2021.12.8)



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