44.ここにいること

「及川は…今もバレーやってるんだよね?」

知らせがないのは良い知らせ、なんて言うけれど及川からの連絡がないことを良いほうに受け取っていた。
きっと「及川徹」とネットで検索をしたらこのご時世なら情報はたくさん出て来たと思う。
だけどなんとなくそれはできなかった。
日本に帰って来ないということはアルゼンチンか別のどこかででもちゃんと生活をしているということで、バレーをやっているかは正直わからなかったけれど日向くんとの写真を見てやりたいことをできているんじゃないかと思った。

わたしの言葉に目を丸くしたあとにくしゃっと顔を歪ませて及川が笑う。

「調べたりしてないの?」
「…うん」
「なまえらしいけど。この施設、うちのチームの練習拠点なんだ」

うちのチーム、ということはバレーチームに所属してるってことだよね?
さっきからずっと落ち着かない心臓がせわしなく動いている。
及川の表情を見るだけでここでの生活が充実していることは伝わってきて、だけどやっぱり「プロリーグでプレーしてるよ」と及川の声で聞くと鼻の奥がツンとしてしまう。

「すごいなぁ」

そんなことしか言えなくて、だけど及川が眉を下げて静かに口角を上げている表情を見たらそれ以上言葉が出てこない。

「昔話したことあると思うんだけど、ホセ・ブランコって覚えてる?」
「立花レッドファルコンズの?元アルゼンチン代表だよね」
「そう。今彼が監督してるチームでプレーしてる」
「えっ」

覚えてるも何も及川から何度も憧れの選手だと聞かされてきた人だ。
昔サインもらったんだと言っていて、及川にとってバレーは楽しいだけじゃない時間も多かったと思うけれどホセ・ブランコの話をするときはいつだって子供みたいに目を輝かせていた。

「すごいね…本当に。入りたいチームって言ってたところだよね?」
「うん、そう。覚えててくれたんだ」
「……忘れないよ」

北一の体育館で、高校を卒業する前に聞いた話。
入りたいチームがあるからアルゼンチンに行くのだと及川は言った。
あの時は聞いた言葉を頭では理解していても心が追い付いていなかったような気がする。
アルゼンチンもプロリーグもどこか遠いところの話みたいに聞こえた。
だけど飛行機を三十時間乗り継いで来た日本の裏側で、及川はちゃんと自分のやりたいことを成し遂げていた。

「なまえ、いつまでこっちにいるの?」
「二泊だよ。そのあと岩ちゃんはカリフォルニア行くって」
「そう。今日は自主トレなんだけど明日は試合あるんだ」
「及川試合出てるの?」
「出てるよ」
「…すごいね」
「まぁね。試合、よかったら見て行ってよ」

試合見たら泣いちゃいそうだなぁ。
だけど断る理由なんてないから「うん、見たい」と頷いたら及川は嬉しそうに微笑んだ。

「そうだ、なまえも施設のなか見る?」
「いいの?」
「せっかく来たのに日本にもあるお店のコーヒー飲むだけっていうのもね」

カップの中の飲み物がもうすぐなくなるタイミングで及川がそんなことを言ってくれて、岩ちゃんに着いてきただけだし及川と会うこと以外の目的がここにはなかったからその申し出は嬉しかった。
バレー部のマネージャーは高校まででやめてしまって今はスポーツは観る専門になっていたけれどトップリーグの選手たちが練習している環境なんて見てみたいに決まっている。

少しだけ残っていたカフェラテを飲み切って、立ち上がると及川がカップをふたつ返却カウンターに戻してくれた。
一緒にお店を出る時、及川に飲み物を渡していた店員さんがまた何か声をかけてくれる。
わたしは何を言われているのかさっぱりだったけれど及川は焦ったように言い返していて、その表情を見てどこにいても及川は及川だなぁと思った。

「今の人、なんて言ってたの?」
「え?いや、たいしたことじゃないけど」
「ふぅん」

及川に案内されたスポーツセンターはすごく広くて、バレー以外の設備も充実しているようだった。
すれ違う人は外国人ばっかりで、及川はともかく普段見かけない日本人のわたしは物珍しそうに見られる。
明らかにスポーツをしている人間ではないからというのもあるだろうな。
及川はすれ違いざまに何か言われてもサラッと返していてすっかり現地の人って感じがするのも不思議だ。

「トオル!」

向こうからやってきたラテン系…この表現が合っているのかもよくわからないけれど、とにかく日本人ではあまりない雰囲気をまとっている美女が及川に声をかける。
女性がツンと肘で及川のお腹のあたりをつついて耳打ちで何か言っていて、さっきから感じている言語の壁とは違うもので胸のあたりがモヤついた。
去り際にわたしのほうを向いて何か言っていて、最後ににっこりと笑いながら「オラ!」と言われたことだけはわかった。

返しがそれであっているのかもわからないまま「オラ…」と返事をしたら微笑ましそうに目を細められてしまった。
髪をなびかせながらさっそうと歩いて行った後ろ姿もなんだかパワフルでいて女性らしくてちょっと及川のお母さんっぽい雰囲気かもしれない。
中学の時に何回かと、及川がアルゼンチンに行く空港ででしか会ったことはないんだけど。

「わたし何か言われてた?」
「あー…うん、まぁ」
「なんだって?」

嫌なことを言われたわけではなさそうなことはわかるけれど、何を言っているのかはさっぱりだったから気になってしまうのは仕方ないと思う。

「…かわいいガールフレンドね、だってさ」
「……ガールフレンド」
「まぁ女友達ってことだし間違ってはないよね」
「たしかに?」

間違ってはいないけど、外国の人が言うガールフレンドって彼女ってことじゃないだろうか。
及川ちゃんと否定したのかな。

「俺さ、」
「ん?」
「連絡しようと思ったんだ、何回も。だけどなんかできなくて。中途半端なとこは見せたくないし」

中途半端?と聞き返したら俺もよくわかんないんだけど、と苦笑交じりに返してくる。
なんのツテもない状態で単身日本の裏側まで来て、入りたいと言っていたチームに所属して試合にも出ている彼が中途半端なわけがないのに。
及川はどんな自分を追い求めているんだろうか。
ぽつりぽつりとこぼすように話す及川になんと返事をしたらいいのか悩んでいたら、ボールが床に打ち付けられる音がして反射的に及川の顔を見上げた。

「ここ、いつも練習してるとこ」
「自主練してる人もいるね」
「うん。ほとんどチームメイト」
「みんななんか大きい……背だけじゃなくてなんかこう、ガッシリ?威圧感?ここからでもわかるね」
「俺でも小さいほうだからね、なまえなんて埋もれちゃうよ」

体育館のギャラリーから練習している選手たちを見下ろす。
日本のプロリーグの試合も見たことはあるけれど、海外のプロ選手を間近で見る機会なんてそうあることじゃないからわくわくしてしまう。

「すごいなぁ」
「試合、多分楽しいと思うよ」
「うん、楽しみ。及川のセットアップ見るの久しぶり」

及川のほうを見上げたら目尻を下げて笑いながら緊張するなぁなんて言っていた。
楽しみだけど、緊張するのはわたしも同じだった。
チームメイトでもないライバルチームの主将でもない及川のプレーを見るのは初めてだ。




見たら泣いちゃうかも、と思っていたけれど岩ちゃんと行った試合会場に入ったあたりからもう涙腺がやばかった。

「おい大丈夫かよ」
「どうしよう岩ちゃん泣きそう」
「あのなぁ」
「だって及川のユニフォームとか売ってる、グッズがある…プロのバレーボール選手ってすごい」
「影山のもあるだろ」
「飛雄ちゃんのももちろん買ってるよ」
「それ及川に言ったら全部捨てろってうるさそうだな」

試合開始前に余裕を持って到着した会場で、及川の関連グッズを手に取ってレジに向かう。
想いが乗っかってしまいそうなものは増やさないほうがいいのかもしれない。
だけどせっかくアルゼンチンまで来たし、及川がアルゼンチンリーグでプレーする姿なんて次いつ観られるかわからない。

「岩ちゃんは?買わない?」
「いらねぇ。…と言いてぇとこだけどな、タオルくらい買うか」
「うん、せっかく来たんだし」

タオルくらいと言ったけれど岩ちゃんが買った応援グッズのメガホンにわたしが勝手に買った及川の背番号のステッカーを張ってあげたら素直にそれを使っている。
わたしはTシャツの上に及川のユニフォームを着て、タオルを首にかける。
岩ちゃんと同じくメガホンも買ったし完全に及川のファンの装いだ。

試合開始前に両チームの紹介VTRが流れて、選手が登場するときも照明や音楽がかっこよく演出されている。
大画面にパッと及川の顔が映し出された。
表示されたTORU OIKAWAの文字にグッときてしまって首にかけていたタオルをぎゅっと握る。
コートに出て来た及川に大きな歓声があがって笑顔の及川が手を振りながら進む。
先に並んでいたチームメイトとハイタッチをしていて、なんだか嘘みたいな光景だった。

こんなの、泣かないなんて無理だ。

ぽろぽろとこぼれるみたいにあふれる涙が真新しいタオルに吸収されていく。
主審とキャプテン同士が集まってサーブ権を決める。
及川はコートの中でチームメイトに言葉をかけていて当然だけど日本語ではないんだろう。
一体、どれだけの努力を重ねてこのコートに立っているんだろう。
言葉が通じない、文化も違う、それだけでもわたしだったらきっとめげてしまう。
だけど及川は、自分のやりたいバレーのためにこんなところまで来たんだ。

中学のとき、飛雄の存在に苛立って岩ちゃんに殴られたって鼻血を出しながら笑って。
高校ではネットの向こう側にいたけれど避けていたわたしに変わらない態度でいてくれた。
海外に行くと言った及川の瞳は遠くの未来を見据えているようで寂しいも悲しいも全部飲み込んで、この人の背中を押したいと思った。

ボールを操るトスも、轟音と共に放たれるサーブも、昔と変わらないようでいて威力を増して研ぎ澄まされている。
試合は及川が所属しているチームが勝った。
スペイン語でヒーローインタビューに答えた及川が、最後に日本語で「見に来てくれてありがとう」と言ったのは誰に向けてかなんてすぐにわかってしまって岩ちゃんと二人で大きく拍手を送った。



(2021.11.19)



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