43.地球の裏側

飛雄の言ったことがぐるぐると頭の中で跳ねまわっているみたいだ。
好きってことがいちばん大切、かぁ。
今考えると子供っぽい励ましだなと思うけれど、わたしの言ったことを覚えていてくれていたのは素直に嬉しい。

飛雄から見たわたしと及川は、話していると楽しいのが混ざっているらしい。
最後に話をしたのは何年も前で、そのときの感情はどんなものだったっけ。

(……元気そうでよかったなぁ)

日向くんが送ってきてくれた写真をもう一度見る。
宮城にいた頃よりも少し髪が短い。
身体つきはがっしりとしていて、日本に帰って来ていないってことはちゃんとアルゼンチンで生活をしているということなんだろう。
携帯の中の及川をジッと見ていたら、ぽこっという音がメッセージの受信を知らせる。

『会ったらしいぞ』という短い文章と、昨日日向くんから届いた写真と同じ画像を送ってきたのは岩ちゃんだった。
岩ちゃんと連絡をとるのは久しぶりだったけれど、簡潔な文章がらしいなと思う。
既読をつけたらすぐに電話が鳴って、岩ちゃんからの着信だというのは表示を見なくてもなんとなくわかってしまった。

「もしもし?」
『おー久しぶり、今いいか』
「久しぶり。うん大丈夫だよ」
『写真見たか』
「うん。あの写真日向くんからも送られてきた」
『及川からは』
「来てないよ。もうずっと連絡とってないもん」

こんな言い方をしたら連絡くれないことが不満みたいに思われるだろうか。
言い方間違えたなぁと思っていたら岩ちゃんが「ふぅん」と温度の低い相槌を打った。

『俺、来月アルゼンチン行くけど一緒に行くか』
「え…、どういう意味?」
『カリフォルニアに行く用があるからついでに寄ろうかと思って』

……カリフォルニアに行く用、とは?
ちょっと近所のスーパーまでみたいなテンションで言われた。
卒業旅行に行こうという話はわたしの周りでもよくあがる。
だけどハワイがいいね、とかアジアとか、少し足を伸ばしてヨーロッパ…と候補の中に南米は入っていなかった。
英語だって怪しいのにアルゼンチンってたしか公用語スペイン語だったよね。
日本人観光客が多くはなさそうだし言葉が全くわからないところはちょっと怖い。
及川は、そんなところに飛び込んだんだけれど。

わたしが行ったら岩ちゃんと及川の時間を邪魔してしまいそうだし、何しに来たの?なんて顔をされたら悲しいし。
悲しいとか思っちゃう時点でダメな気がするし。
だけど、こんな機会がない限りアルゼンチンに行こうなんて、及川に会いに行こうなんて考えもしないとも思う。

「……行こうかな」
『お、まじで?行かねぇって言うと思ったわ』
「うん」

昨日まで、飛雄に会うまでだったらきっとそうだった。
明日になってもまた違う気持ちになっているかもしれないけど、岩ちゃんがさらっとなんてことないように言ってくれたから。
実際はアルゼンチンに男の子とふたりで行きたいと言ったら旅行でも親はびっくりするだろうし、バイト代で足りるかちょっとギリギリだとは思う。
だってアルゼンチンなんて全く想定していなかった。
それでも、及川に会いたいと思った今の気持ちは見ないふりをしちゃいけない気がした。





アルゼンチンまでの直行便は日本からは飛んでいなくて、カリフォルニアでトランジット…飛行機の乗り換えをすることになっていた。
トランジットなんて言葉初めて使ったんだけど、岩ちゃんは大学二年生のときにひとりでカリフォルニアに来たことがあるらしくて英語の勉強もしているとかで空港でも頼もしい限りだった。
カルガモの親子かというくらいひっついてなんとか飛行機を乗り継いで、その後はずっと飛行機の狭い座席で座りっぱなしだったからお尻がぺったんこになるかと思った。

「…なんかアルゼンチンっぽいにおいがするよう気がする」
「なんだそれ」

飛行機を降りて大きく深呼吸したら、なんとなく南米っぽいにおいがしたような気がした。
外国の人が日本に着いたらお醤油のにおいがするっていうそういう感じだと思う、多分。
荷物をホテルに置いて、長時間のフライトでガチガチになってしまった身体をほぐそうとシャワーを浴びてから日本とは違う気候に適した服装に着替える。
岩ちゃんとは隣の部屋を取っていたから、準備ができたらノックしろと言われていた。
岩ちゃん準備早そうだし女子のわたしのほうが何かと時間がかかることを考慮してくれたんだと思う。
飛雄もだけど、なんかいろいろ成長していて気づかわれることに驚いてしまった。

この後は軽くご飯を食べてから及川がいるらしいスポーツセンターみたいなところに行くと岩ちゃんが段取りを組んでくれていた。
何から何までおんぶにだっこというかありがたすぎる。

「岩ちゃん、及川に来ること伝えてあるんだよね?」
「おー俺が行くことは知ってる」
「ん?」
「お前が一緒っつーのは言ってねぇ」
「えっそうなの?」

いやわたしから事前に連絡しておけよって話かもしれないけど。
改まって「会いに行くね」なんて言うのはちょっと違う気がしたし、岩ちゃんが伝えてくれているものだと思っていたし。
……どうしよう、何しに来たの?なんて言われたら。

「いきなり口数減ったな」
「だ、だって知らせてくれてるものだと思ってた」
「それくらい自分で連絡しとけよ、今からでも」

昔はメールの送受信ってたしか海外宛だとすごくお金がかかったはずだけど、メッセージアプリが発達した今はwi-fi環境下ならタイムラグもなくお金もかからずメッセージのやりとりができる。
だけど、設備とか機械の問題じゃなくて、ここまで来ておいてなんだけどやっぱり緊張してなんて送ったらいいのかわからない。

「まぁいきなり顔出したほうがおもしれぇだろうからしなくてもいいけど」

岩ちゃんがにやりと片方だけ口角を上げて笑った。



及川の所属しているチームが練習しているというスポーツセンターに着いて、待ち合わせ場所だというロビーに足を踏み入れたらシャンと背筋を伸ばして立っている人物がいた。
岩ちゃんが「及川」と声をかけて振り返ったその人が「いわちゃ、」と言いかけて言葉を止めた。

「久しぶり」
「え、なに、なんで」
「二人で来た」
「ふたり?!いやだからなんで?!」

ぽかんと間の抜けた顔をしている及川に片手をあげて「久しぶり」と伝えた声はたぶんちょっと震えていたけれど、及川がものすごく驚いているみたいで笑ってしまう。

「なまえが行きてぇって言うから。部屋は別だから安心しろ」
「そ、んなこと心配してるんじゃないけど!当たり前だし!てかなまえはなんで笑ってんのさ!」
「及川元気みたいでよかった」

わたしが笑うのをこらえて言ったら及川がむぐ、と言葉をようやく止めた。
黙っていれば整っている顔がものすごいことになっていて驚かれたけれど嫌そうな反応ではなくてよかったと内心ほっとする。

「…なまえも、元気そうでよかった」
「うん」
「俺設備とかトレーニングしてるとこ見てきてもいいか」
「えっうん。いいけど」
「なまえ喉かわいたっつってたろ、なんかおごってもらえ」
「え、」
「ちょっと岩ちゃん」

二人も会うのは久しぶりだろうに、挨拶もそこそこに岩ちゃんはレセプションらしきところに向かってしまった。
受付の人に何か話して通行パスみたいなものを受け取っていて、空港やホテルでも英語で話しているところを見たけれどなんだか岩ちゃんも遠くへ行ってしまったような気がする。

「…わたしもパスみたいなのもらったほうがいい?」
「俺と一緒にいるから大丈夫だと思うよ」
「そっか」
「うん。岩ちゃん許可が必要なとこ見たいらしいから」

及川が事前に話を通しているとかで、だから受付でもスムーズにパスがもらえたらしい。

「一階の奥にカフェがあるんだけど、そこでいい?」
「え?」
「喉かわいたんでしょ?」
「あ…うん、どこでも大丈夫」

あっちだよと言って歩き出す及川の隣に並ぶ。
チラッと見上げた横顔は多分まだ少し混乱していて、何も言わない及川にわたしからもかける言葉がうまく見つからない。
及川と違ってわたしは心の準備をする時間はあったのに。
聞こえてくる外国語とか、日本とは違う空気のにおいとか、そういうの全部にまだ慣れない。

「いつ着いたの?」
「今日だよ。空港からホテル移動して荷物置いたりしてすぐにここ来たんだ」
「そっか、アルゼンチン遠かったでしょ」

カフェまでの短い道のりで交わした会話はそれくらいで、日本にもあるチェーンのコーヒーショップの看板が目に入って少し安心した。

「なまえ、何飲む?」
「え、と。カフェラテのホット…」
「わかった。座ってていいよ」
「でも」
「いいから。席取っておいて」
「……ありがとう」

席にはゆとりがあるから先にとっておかなくても大丈夫な気がするけれど、二人掛けの席に座ってレジにいる及川のほうを見る。
何語かはここからではわからないけれどすらすらと注文していて、レジの人は顔見知りなのか雑談をしているみたいだった。
注文するところと頼んだものを受け取る場所が違うから、そこで飲み物を受け取るときも何か話していて。
この場所に馴染む及川の姿に思わず目を細めてしまう。
普通に話していたかと思ったら慌てたように表情を崩して、店員の女性はにこやかに笑っていた。
……何、話してるんだろう。
両手にカップを持った及川の表情はさっき店員さんと話していたときと違って少し澄ましているように見えた。

「お待たせ」
「ううん、ありがと。……当たり前かもだけど、及川アルゼンチンで生活してるんだねぇ」

なんか変な感じ、と付け足したらきょとんとした後に眉を下げた。

「もう三年だよ、こっち来て」
「店員さんと普通に話してるからなんか不思議だった、仲良しなんだね」
「え、あー……まぁしょっちゅう来てるからね」

そういうとコーヒーを飲んでごほんと咳払いをする。

「ていうか。めちゃくちゃビックリしたんだけど」
「ごめん。岩ちゃんが伝えてくれてると思ってて」
「ちょっといろいろツッコみたいことだらけなんだけど、岩ちゃんと二人で来たんだよね?」
「うん。一緒に行くかって誘ってくれて」
「……念のため聞くけど岩ちゃんとなまえって付き合ってたり」
「してないです」
「だよね、よかった……」

はぁ、と大きく息を吐いた及川の顔をまじまじと見てしまう。
よかったって言うのは、どういう意味なんだろう
幼馴染とわたしが付き合っていたら気まずいとか、そういうことかな。
深読みしたって真意なんてわからないのに及川が眉と眉の間にシワを寄せているからそれ以上何も言えずに、わたしも買ってもらったカフェラテで言葉を飲み込む。

「いや、よかったって言うのは別にまだなまえに未練があるとかってことじゃなくて、さすがに岩ちゃんと付き合ってるって言われたら思うところがあるってだけで」

はっとしたような顔をしたあとに違うからね、と言葉を並べる及川に「うん、大丈夫」と返したけれど大丈夫って何がだろうと自分でも思った。



(2021.10.21)



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