41.滲む背中にさようなら

及川の言っていた「来週の水曜日」が明日になってしまった。
スガは後悔しないようにしてと言ってくれたけれど、明日には及川はアルゼンチンに行くし何をどうすべきなのかは数日考えてもわからなかった。

(連絡…しようにも何言えばいいんだろう)

携帯を手にベッドで唸っているなんて及川は夢にも思わないだろう。
メールよりは電話かなと思うけれど、でも。

どうしようと何度も擦り切れそうな程につぶやいた五文字がまた浮かんだときに携帯が鳴った。
もしかして及川かもなんて考えはすぐに払拭されたけれど、ディスプレイに表示されたのは及川の相棒とも言える人の名前で、それはそれで心臓がビクついてしまった。

「…もしもし?」
『あーみょうじ?』
「うん。岩ちゃん久しぶり」
『おう、久々。今平気か』

うん、と岩ちゃんに返事をしながら用事はきっと及川のことだなぁと思うから胃のあたりが重たい。

『聞いただろ?及川のこと』
「海外行くって?出発明日だよね」
『そこまで知ってんのか。一応青城の何人かは見送り行くけどみょうじも来るか?』
「見送り、行くんだ…」
『まぁ冷やかしみてぇなもんだけど』
「そっか。わたし、明日学校あって」
『あー…そうなんか』
「うん。だから、」
『出発夜だから。とりあえず時間メールする』

え、と返したか返してないかのうちに「じゃあな」と言われてしまって「うん、おやすみ」と言ったのは反射だった。
……出発、夜なんだ。
だったら学校あるとか関係なく行けるのに、それを及川が言わなかったのは見送りなんて本当は来てほしくないってことだろうか。
及川はそんなこと思わないか、といろんな考えが頭の中をぐちゃぐちゃにする。

岩ちゃんからは出発時間と青城の人たちが待ち合わせている場所が簡潔にメールで送られてきていた。
飛行機の出発時間は夜だったけれど、飛行機の最終チェックイン時間はそれよりもずっと早い時間だった。
国際便に乗る機会なんてそうそうないから、岩ちゃんから送られてきていた時間と場所を見てもいまいちピンとこない。
とりあえず空港までの行き方、電車での所要時間を調べる。
明日会えるなら、及川にわざわざ連絡しなくていいかな。
突然現れたらビックリするから言っておいたほうがいいかな。
散々悩んだけれど、わたしだったら連絡しておいてほしいと思ったから短いメールを入れておいた。





明日には十八年生まれ育ったこの家を離れるのかと思うとさすがにセンチメンタルな気分にもなる。
部屋の隅に置いた海外旅行サイズのスーツケースと、物が減ってすっきりした部屋を見てそろそろ寝ないとなと思っていたら携帯が鳴った。
俺が日本を出ると知って連絡をくれる人はけっこういたから、また誰かが送別のメールでもくれたのかと思ってなんとはなしに携帯を手にして、勘弁してくれと思った。

『明日、空港行くね。時間とかターミナルは岩ちゃんに聞きました』

なまえから届いた短い文章、だけどいろんな感情が込み上げて来て苦しい。
見送りに来てほしい、やっぱり来ないでほしい、でも最後に会いたい。
自分でもどうしてほしいのかわからなくて、会ったら押さえつけていたものが溢れそうだなと吐いた息はよりも大きく部屋の空気を揺らした。

出発前日だというのに目が冴えてしまってよく眠れなかった。
なまえのせいだ、会ったら文句言ってやる。
いつも通り起きて、朝のロードワークはなまえの家のほうまで走った。
学校があると言っていたからばったり会うなんてことはないとわかっていたけれど何度も通ったこの道を記憶に残したいと思ったのだ。
我ながらセンチメンタルすぎる。
あと数時間でざわざわとうるさい胸中がどうにかできるとは思えなくて振り払うように速度を上げた。



「ちょっとは落ち着け」
「めちゃくちゃ落ち着いてますけど?!」

だったら黙って座ってろと言われて、見送りに来てくれている人や家族がいるのにそれもどうなのと返したら無視された。
幼馴染はこんな時でもブレない。
岩ちゃんがなまえに連絡を取っていたことは意外だった。
「もうすぐ着くってよ」と携帯を見て言われたときは少し、いやだいぶモヤモヤとして、岩ちゃんにまで妬くとかこれから先なまえに彼氏ができたり結婚だなんだって人生を進んでいくたびに切なさでつぶされてしまうんじゃないかと思う。
今更何かを言おうとは思わないのに。
何を言っても、何を返されても、俺は日本からいなくなる。
いつ帰って来るかもわからないのにもう好きだなんて言えない。
アルゼンチン行きを決めたときから、これは胸に決めていたことだった。

「会いたくないかもしれない」
「この後に及んで何言ってんだ。最後くらいシャキッとしやがれ」
「最後とかさぁ、言わないでよ」

自分で言うのと人に言われるのとでは身体にずしりとくる何かが全然違う重みになるのだと新しい発見だった。
はぁ…と溜息を吐いて手で顔を覆った。
国見ちゃんが「みょうじ先輩」と呼んだのが聞こえてガバッと顔をあげたら急いできたのかあちこちに前髪が向いているなまえが早歩きで向かってきたところだった。

「……」
「おい、みょうじ来たぞ」
「うん」
「俺らどっか行ってるか?」
「…うん」

あぁ、ほらやっぱりダメだ。
もう何も言えないし伝えられないのに気持ちばっかり大きくて、張り詰めた風船みたいだ。
そうだとしたらとっくに割れている。
なまえの目が俺を映して、こっちに駆け寄って来た。

「及川、」
「学校大丈夫だったの?」
「うん。午前中だけで終わりだから…来ないほうがよかった?」
「なんで。そんなわけないでしょ」

手を伸ばしたら届くのに。
会いたいと思ったら会えたのに、宮城にいた間なにも行動せずにいたなんて我ながらバカだな。

「あの……言いたいことはこの前言ったつもりなんだけど」

なまえが落ち着かない様子で前髪を直して俺の顔を覗き込む。

「体調気を付けてね、ケガも。ちゃんと寝て、ご飯も食べて」
「うん。大丈夫だよ」
「……及川」

ぎゅっとなまえが唇を噛んだ。
まるでもう二度と会えないみたいで面と向かって話すと息がしづらい。

「及川が楽しそうにバレーやってる姿が、すごく好きだったよ」
「…そっか」
「頑張って、応援してる」

泣きそうな顔を見て心臓が暴れるみたいに痛い。
ありがとうと返した顔は笑えているだろうか。
なまえの記憶に残る俺の顔が情けない表情だったら嫌だな。
言いたいことなんて何もまとまっていなくて「なまえも元気でね」なんておもしろみもないことしか言えなかった。





寂しいなんて言えるわけがなかった。
みんなに手を振って手荷物検査場を進んで行く及川を見送って、最後に目が合ったような気がして姿が見えなくなってから堪えていたものがぼろっとこぼれた。

「……岩ちゃん」
「おう」
「泣いたって及川に言わないでね」
「…どうせ泣くならあいつがいるときに泣いてやれよ」
「すごい我慢した。泣くとかどの立場なのって感じじゃない?」

寂しいとか、悲しいとか、伝えたほうがよかったのかな。
でもそれってわたしの気持ちの問題で及川にとっては邪魔になるんじゃないかと思った。
後悔がないようにと言ってくれたスガの気持ちを無下にしたくないけれど、わたしの答えは及川の背中を押すこと、これしかなかった。



(2021.10.01)






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