34.春高準々決勝

「日向くん疲れてないの?」
「なんかこうぐわっていうのがすごくて!全然大丈夫です!」
「ぐわっていうの」
「アドレナリンのことだろ」

音駒戦が終わって、隣のコートでの梟谷の試合も終わってようやく一息つける時間。
一息どころかがっつり休まないと、数時間後に行われる準々決勝に差し障る。
フルセット、しかもデュースを戦い抜いた選手たちは音駒戦でもうすっかりへろへろになっていて言われずとも自主的に休息を取ってくれる。
……日向くん以外は。

「体力おばけすぎない?」
「日向がへばってんの見たことないよな」

試合を見るのも大好きなんだろうな、コートの外から試合を見る目はせわしなく動いていて全部を吸収しようとしているのがわかる。
近くで見たいという気持ちもわかるからコートサイドにいる日向くんに応援席で見たら?なんて言えずにいたら、潔子が「ご飯を食べなさい」と声をかけてくれてやっと座ってお弁当を食べてくれた。

思い思いの時間を過ごして、今日二回目の試合。
春の高校バレー、準々決勝。
全国ベスト8だ。
着るのが二回目のオレンジ色のユニフォームもみんな似合っている。
ひりひりとした緊張感、高揚感、のまれそうな会場の空気にも少し慣れた。
アップの時間を終えてわたしと仁花ちゃんだけコートから引き上げて応援団のみなさんに混じる。

さぁ、次も勝とう。




音駒との三回戦も、鴎台との準決勝もフルセット。
昨日の稲荷崎戦もデュースが続く熱戦でよくこんなに動けるなとチームメイトながら思ってしまう。
みんな苦しそうなのに楽しそうで、日向くんなんて目をキラキラさせていたのに。
最初に悲鳴をあげるのが日向くんの身体だなんて誰が予想できただろう。
何回だって高く飛ぶ身体が重たそうにコートに倒れた。

日向くんが病院に向かうことになって仁花ちゃんが「わたし付き添います」と強い瞳で言って。
春高予選で澤村が倒れたときにはおろおろと目に涙をためていた後輩がこの数か月でたくましくなったものだと、仁花ちゃんの手をぎゅっと握ったら小さな手で握り返してくれた。
行ってきます!と駆け出した背中が大きく見えるなんて、インターハイ予選が終わった頃に潔子とマネージャー募集の貼り紙を作ったことを思い出してしまう。

…まだ、まだ終わっていないのに感傷にひたっている場合じゃない。

じりじりと終わりの近付く試合、点差を離されないように食らいつく。
東峰の空中姿勢は崩れない。
西谷のスーパーレシーブに会場が沸く。
月島くんが足をつった。
交代して入った成田にすぐ飛雄が速攻トスを上げる。
スガは最後まで誰より声を出していた。



あっと言う間だった、本当に。
中高六年間バレー部のマネージャーをしてきたけれど、最後の一年はすごく早かった。
全国大会出場という夢は、いつしか夢なんかじゃなくなって手の届く目標に変わっていた。
春高出場を叶えただけで満足していないみんなの支えに、わたしはなれていただろうか。

ぎゅっと祈るように握りしめていた手の力が抜ける。
ボールがコートに落ちて、わっと上がった会場の歓声に飲み込まれるみたいな感覚。
最後に見たオレンジコートの景色は、涙で滲んでいた。



応援席から拍手が送られて、選手たちが深々と頭を下げる。

「冴子さんも滝ノ上さんも月島さんも、宇内さんも。ありがとうございました」
「それはこっちのセリフ!まさか東京まで応援に来ることになるなんてね」
「応援団の力ってすごいですね」

本当に何度も助けられました、となんとか伝えるけれど何か話そうとすると言葉と一緒に涙もこぼれてしまいそうで、ぎゅっと唇を噛んでこらえる。
落ちた強豪、飛べない烏。
そんな不名誉なことを言われるようになった烏野の応援に来てくれる人は今年までそう多くなかったけれど、県予選が始まる前から練習試合にまで足を運んでくれていた滝ノ上さんと嶋田さん。
ふたりは情報を集めてくれたり合宿の協力をしてくれたり嶋田さんなんて山口くんのサーブの師匠だ。
月島くんのお兄さんはわたしと一緒に泣いてくれている。
小さな巨人と呼ばれていたという宇内さんは頭をかきながら「俺は何も」なんて言っているけれど宇内さんがいなかったら澤村だって日向くんだって烏野には来ていなかったかもしれない。
宇内さんの存在が「小さな巨人」として何度も何度もわたしたちを鼓舞してくれていた。
泣くまいと思うのに応援団のみんなの顔を見ていたらまたじわじわと目の奥から涙がこみあげてくる。
それを飲み込もうと情けない顔になっている自覚はあった。
「みんなのとこ行ってきます」と伝えたら冴子さんにぎゅうぎゅうに抱き締められてやっぱり少し泣いてしまった。



「なまえ、」
「みんな……」

応援席からコートに降りると三年のみんなに迎えられた。
なんて声をかけたらいいのかわからない。
負けた経験はたくさんあってそのたび「次こそは」と思ってきたけれど次がないときはどうしたらいいんだろう。
三年生のみんなと並んでコートに頭を下げたら涙が重力に逆らわずにぽとりと落ちた。

魔の三日目を終えて重たい足をなんとか動かしているような状態なのに選手たちは思いのほか明るく話ながらコートから荷物置き場であるサブアリーナへ移動を始めて、人通りの少ない廊下で改めて鴎台戦の、春高の、今までの総評をする。
選手たちが烏養さんと武田先生の前に並んで、わたしと潔子はその後ろに立った。

試合が終わって飛雄が言った。
「このチームでもっと高いところへ行きたかった」と。
たくましい後輩のおかげで二年生もわたしたち三年生もひっぱられるように気持ちが熱く強くなったと思う。
三年間楽しいことばっかりじゃなくて、悔しい思いをしたことのほうが多かったかもしれない。
だけど飛雄の言葉を聞いてここに来た意味があったと涙をこぼすスガを見て、わたしもこらえていたものがぽろぽろとこぼれてしまった。
タオルで顔を覆って嗚咽がもれないようにするのが精一杯だったのに、背中をさすってくれる潔子の手があたたかくてまた泣いてしまった。



「夕飯しょうが焼きかな」
「まだそれ言ってるの?」
「今日のモチベだったんだから仕方ない、身体が肉を求めている」

東京体育館の廊下、隣を歩くスガがいつもと変わらないトーンで今日のご飯のメニューについて話している。

「…お腹すいたね」
「だろ?今ならいくらでも食えそう」

そっとうかがうように見上げたスガの表情はカラッと晴れた青空みたいだけれど目元は赤くて泣いた後だと誰が見てもわかる。
冷やさないと明日の朝の顔がひどいことになりそうだ。
お風呂あがったあとにでも冷えたタオル配ろうかなぁ。

他のみんなもぽつぽつと言葉をこぼすように話をしていたけれど、サブアリーナに着いて座った途端にガクッと疲れがきたのか動きが止まってしまった。
汗が冷えてしまう前に早く着替えるように言うとのろのろと動き出すのは、練習試合とかきつかった練習のあとと同じだ。
その間に片付けられるものを回収して、潔子は余ったドリンクとジャグボトルを持って水道に行っている。

こういうの、全部もう最後なんだな。
選手の汗を吸ったタオルを畳んでいたらまた目の奥がじわじわと熱くなってきて困った。

「潔子さん!なまえさん!」
「はい、どうしたの?」

手を動かしていないと際限なく涙が出そうだななんて思っていたら、ちょうど潔子が戻って来たタイミングで田中が大きな声でわたしたちの名前を呼んだ。
振り返ると二年生が黒いジャージに着替えた状態でこっちを向いていた。
一年生はそこに加わっていなかったのに月島くんと山口くんが立ち上がった。
こういうときにぼけっとしている飛雄が飛雄らしいなと思う。
それを見た山口くんが慌てたように飛雄にも声をかけていて、なんかそれだけなのに良いチームだなぁなんて思ってしまった。

「いつも……、今日まで、あざっした!」

田中が頭を下げて、他の二年生につられたように一年生も。
ちょっと詰まりながらの言葉に三年生は呆気にとられたあと「俺らにはないのかよー」なんてスガが茶化す。

「大地さん、スガさん、旭さんも」

ぐっと田中が唇を噛んだ。
西谷は瞳いっぱいに涙をためていてまばたきしたらこぼれてしまいそうだ。
あざっした、とさっきと同じように言ったみんなの声はちょっと震えていて、俺らにはないのかと催促したスガも澤村も東峰も顔もくしゃくしゃにして泣き笑いになっていた。
悔やむことも悲しむこともいくらだってできるけれど、できれば笑顔で終わりたい。
試合に勝ったあとはいつも選手たちが抱き合うのを外から見ていたけれど、今日はわたしと潔子も巻き込まれて大きな身体の中でもみくちゃにされた。
泣きながら笑ったこの日のことを、わたしはこの先ずっと忘れないと思う。



(2021.7.20.)



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