13.曖昧境界線

噂が出てからも、ありがたいことに仕事は変わらずに続いた。
CMの完成発表での俺の発言はやっぱりワイドショーで大きく取り上げられてしまって事務所の人達が頭を抱えていたけれど、ファンの人たちからは暖かい言葉をもらうことが多くてホッとした。
ただ歌番組では北野さんの所属しているアイドルグループとの共演を避けるように事務所間やテレビ局で話し合いがされたようで、彼女と顔を合わせることはこの数か月なかった。
映画の公開日が決まって、完成披露試写や舞台挨拶のスケジュールが決まってからも俺たちの登壇日は見事にズラされていて胸を撫でおろす。
あからさまだと言われても、これくらいしないといけないのだ。

引越し先の家は、凛と同じマンションで暇があれば二人でそれぞれの家に行き来することが増えた。
スタファイって仲良しだよねとファンの人に言われるけれど幼馴染のように育ったからだろうか。
一番の理解者で友達で仲間で、ライバル。
そういう存在がそばにいることは心強くてありがたい。

「真琴、今日飯どうする?」
「そうだなぁ。昨日は凛に作ってもらっちゃったから、」
「いやお前は無理に作ろうとしなくていい。弁当持って帰っていいって言われたけどそれもなんか味気ねぇよな」

いつも用意されてるお弁当やケータリングは美味しくてありがたいけれど、今日みたいに外ロケで冷え切ってしまった日はお弁当ではなくて温かいものが食べたい。
だけど時間も時間だし自分たちで作るのもね…と近くのご飯屋さんにでも行く?と凛に聞くと、少し考え込むような顔で指を顎に当てて「久しぶりにまろん行かね?」と言った。

「え、まろん?」
「おう。結局俺一回しか行けてねぇんだよ」

俺もなまえちゃんにおみやげを渡して以来まろんには行っていなかった。
ほとぼりが冷めたら会いに行こうと思っていたのだけれど、もう少ししてからとと思い続けていたらあっという間に月日が経ってしまった。
会いに、という発想がもう良くないなということは自分でも気が付いていた。
あくまでもご飯を食べに、コーヒーを飲みに、それだけだ。

「そうだね、俺も久しぶりに行きたいな」
「なまえいるといいな」
「どうだろう?毎日いるわけじゃないだろうし着いた頃ちょうどラストオーダーくらいの時間だし」

なんてことをなるべく表情が変わらないように意識しながら言って、手早く帰りの準備をしてスタジオを出た。



外はもう暗くて、住宅街にあるまろんの周りはこの時間は静かだった。
久しぶりに入った店内の照明はあたたかく感じて、見回したところになまえちゃんがいないことに小さく息をはいた。

「いらっしゃいませ、あら、久しぶりね」
「お久しぶりです。遅い時間にすみません」
「何言ってるの、バリバリ営業時間です。お席こちらにどうぞ」
「今日はなまえいないんですね」
「うん。今日はシフト入ってないのよ」

俺の聞けないことを聞く凛の横顔を見る。

「連絡してみる?真琴くんと凛くん来てるよって」

茜さんがエプロンのポケットから携帯を取り出してそう言ってくれてぎょっとする。
他のお客さんはちらほらいるから小声だし個人経営とはいえ良いのだろうか。

「そんなことできるんですか?」
「店長特権というやつでね」

凛と茜さんは久しぶりに会うとは思えないテンポの良さで会話を進めてしまう。
俺はうんともいいえとも言えなくて茜さんが携帯を操作している姿をぼけっと見る。
そんな俺の強張った表情に気が付いたのか、茜さんが空気を変えるように手をぽんっと叩いた。

「電話は後にしよっか!お腹空いてるよね、先にオーダー聞くね」
「あっ…はい。えっと凛決めた?」
「おう。ナポリタンとホットコーヒーお願いします。真琴は?」
「……カレーと、カフェラテで」

かしこまりました、と茜さんがキッチンの方へ向かっていく。
電話はどうやら後でしてくれるみたいなんだけどさっきまであったはずの食欲が少しだけ減った気がした。

「真琴コーヒーにミルク入れるけどかカフェラテ頼むの珍しいな」
「えっそうかな」
「まーいいけど」

たしかに、そうかもしれない。
茜さんが淹れてくれたカフェラテは、なまえちゃんが出してくれるものと同じはずなのに何か違く感じてしまう。
何か足りなくて、胸の真ん中にぽっかり空いた穴をすり抜けていくようで、慣れ親しんだはずのカレーもよく味がわからない。
そろそろ閉店という時間になると他のお客さんたちはバラバラと帰って行って、俺と凛だけになった。
茜さんが「なまえちゃんにさっき連絡したら家にいたみたいだから電話かけてみるね」というから思わず唾をのみ込んだらごくんと音がする。

「はい、真琴くん」
「え、」
「わたしお皿洗っちゃいたいから。なまえちゃんが出たら適当に喋ってて」
「えぇ?」

はいっと渡された携帯を受け取ると本当に茜さんはキッチンのほうに引っ込んでしてもらって、凛はおかわりをもらったコーヒーを飲みながら無言で自分の携帯を操作している。
SNSをチェックしているみたいだ。

呼び出し音が何度か鳴って途切れて「はい、もしもし」という音が携帯から漏れた。
なまえちゃんの声だ。

「もしもし…?」
『え…茜さん、じゃないですか?』
「うん。ごめん、俺…真琴です」
『まこと、えっ真琴くん?!』

ガタガタと何かを落とすような音が向こう側から聞こえて来て俺まで驚いてしまう。

「大丈夫?」
『う、うん…ビックリした、どうしたの?』
「今まろんにいて。茜さんが携帯貸してくれたんだ」
『そっか……』
「うん。なまえちゃん、元気だった?」
『元気だよ。真琴くんは?』
「俺も元気」
『そっか…』
「うん」
『…前にまろんに来てくれてからけっこう経つよね』
「そうだね、あの時は……」
『真琴くん』

ごめん、と謝るのは違う気がして言葉に詰まってしまったらなまえちゃんが俺の名前を呼んだ。
懐かしい声の響きに安心してそっぽを向かれなかったこと、話をしてくれることにすごく安心する。

「うん」
『しばらく来れないって言ってたから、何かあるのかなって思ってたんだけど…大変だったね』

なまえちゃんからあの話題に触れられると心臓が変な音を立てる。
ニュースを聞いたときどう思っただろう、幻滅しなかっただろうか。

『わたしが言うのも変だけど、芸能人だからって恋愛しちゃいけないなんてない、と思う』
「…え?」
『噂が本当でも嘘でも、真琴くんが元気でお仕事してくれるのがいちばんだし…』
「あれは、本当に違うんだ」
『うん、真琴くんが会見で話してるの見てそうなんだろうなって思ったよ』

だから、これは一般論というか、もしこの先何かあったらって話なんだけど…となまえちゃんが前置きをする。

『ファンのみんなも、アイドルだからって彼女作らないでっては思ってないよ』
「……うん」

あ、なんかこれは、ちょっとしんどいな。
ファンとしての気持ちを正直に話してくれているなまえちゃんの言葉が、耳から心臓にぐさぐさ刺さるみたいだ。
俺に彼女がいること自体はいいってことだ。
俺は、もしなまえちゃんに彼氏がいるとわかったら嫌だ。
考えただけで息が詰まりそうになる。

『みんな思うのは、やっぱり大好きな人には幸せでいてほしいって、多分それだけだよ』

大好きな人、何度ももらった言葉だ。
なまえちゃんがくれる手紙には俺への想いがたくさん詰まっていて「大好きです」という言葉で締めくくられていることも数えきれないくらいあったと思う。
他のファンの人からだってそうだ。
デビューしたての事はそれがなんだか気恥ずかしくて、自分のことを好きだと応援してくれる人がいるというのが不思議な感覚だった。
なまえちゃんの字で綴られた言葉に何度も何度も救われてきた。
ファンのみんなは宝物で、なまえちゃんは俺にとって特別。
線引きしていたはずなのに認めてしまったら息苦しいはずなのにすとんと胸に落ちたみたいに納得がいった。

「ありがとう…今度はなまえちゃんがいる時にまろん来るよ」
『本当?久しぶりだとなんか緊張しちゃうなぁ』
「受験で会えなかったときのほうが長かったよ」
『そっか、たしかに』

あの時、本当はすごく寂しくてもう会えないんじゃないかって不安だったと伝えられないことを思い出す。
俺となまえちゃんは、同じように日々の生活をしていて会うことも電話で話すこともできるのに、すごく遠い。
自分の肩書とか立場を捨てたいと思ったことはないけれど、なまえちゃんと同じ隣を歩ける自分で生きられたらいいのにと現実味のないことを思ってしまった。

電話を切ると、茜さんが「なまえちゃんのシフト教えてあげようか?」と言ってくれた。
多分前の俺だったら遠慮していたところだけれど「いいんですか」と返したら目の前に座っていた凛が苦笑いをした。
ファンの子とプライベートで会ってはいけない、繋がってはいけない、特定の子をひいきしてはいけない。
暗黙の了解であるはずのことくらいわかっている。

「…凛、今見聞きしたことは内密に」
「なんの裏取引だよ。言わねーよ誰にも」
「ありがとう」
「つーか、お前なまえと話してる時の顔いろいろ隠せてねーから気を付けろよ」
「そんなに?」
「おー。前にまろん来た時より悪化してんだろ、てか自覚あんのか」
「……うん」

凛が噛んだクッキーのかけらがぽとりと皿に落ちた。
アイドルとファンという線引きを越えてしまったのは俺の方だ。



(2021.07.22.)



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