35.春の終わり

宿に戻ってご飯の時間までは自由時間だ。
潔子と二人きりでシャワーを浴びて、何を言うまでもなく並んで湯船につかって脱衣所に戻ったらちょうど携帯が鳴っていた。

「はい、スガ?」
「おー今平気?」
「うん、大丈夫だよ」
「なんか声反響してない?」
「お風呂出たとこだからかな」

潔子とわたししかいないことを確認してスピーカーフォンに切り替える。
会話しながら手早くタオルで身体や髪を拭いて、化粧水を手に出したらスガの妙に大きな咳払いが聞こえた。

『悪い。かけ直す』
「え?大丈夫だよ、わたしと潔子しかいないし。何かあった?」
『いや…あー、今大地と旭といるからなまえたちも来ないかと思って』

別に何してるとかじゃないんだけど、まだ夕飯まで時間あるし、と歯切れ悪く話すスガの声の向こう側で話し声がするから澤村たちだろう。
潔子のほうへ視線を向けたら髪の毛を拭きながらこくりとひとつ頷いてくれた。

「ちょっと行くまで時間かかるかもだけど」
『それは大丈夫。ちゃんと髪乾かして来て』
「お父さんなの?じゃああとでね」



「スガ?どうした」
「……お父さんなのって言われた」
「それでなんでそんな顔してるんだ」
「いや、うん」



「あ、どこにいるのか聞き忘れた」
「選手部屋じゃない?」
「かな。向かうときまた電話すればいっか」

東京合宿のときは広くないお風呂をマネージャーみんなで使わせてもらっていたし烏野だけの合宿でもお風呂に時間を割いていられなかったから手早く準備するのはもうすっかり慣れたものだった。
スガに言われたように髪の毛をしっかり乾かして脱衣所を出てから電話をかけ直す。

「もしもし、スガ?いま部屋戻って荷物置くところなんだけど、スガたちどこにいるの?」
『あ、ごめん。伝え忘れてたな。選手部屋のベランダにいる』
「わかった。五分くらいで行けると思う」
『おー』

用件だけですぐに切れた電話をポケットに入れる。
潔子に「やっぱり選手部屋のベランダだって」と伝えたら「じゃあ羽織るものあったほうがいいね」と言われて頷いた。

「あ、そうだ。冷えたタオル持って行こうと思ってたんだ」
「タオル?」
「うん。みんなめちゃくちゃは泣いてたから冷やしたほうがいいかなって」
「…そのタオル見てまたみんな泣きそう」
「たしかに」

二人で顔を見合わせて小さく笑う。
スガには「やっぱりあと十分くらいかかりそう」とメールを入れておいた。



コンコン、とノックをしたら部屋にいる選手陣から元気な「はい!」という声が返ってくる。
部屋には日向くん以外そろっていた。
冷えたタオルどうぞ、とカゴを置いたら一瞬きょとんとされる。
けれど「目冷やしてね」と潔子が伝えたら案の定みんなまた目を潤ませていて。
つられそうになったから慌ててタオルを三つ持ってベランダに出ると、スガたちが並んで外を眺めていた。

「めちゃくちゃたそがれてる…」
「なまえ」
「遅くなりました。潔子とこれ用意してて」

外はさすがに寒くて、手に持っていたタオルが冷たいからすぐに三人に渡すとやっぱり「つめた!」と言われてしまった。

「泣いて目冷やすって発想はなかったな〜」
「さすが敏腕マネージャー」
「もっと褒めて」
「謙遜しないのかよ」
「だって最後かもしれないし」

ベランダの柵にもたれるようにしていた三人が空間を空けてくれてわたしはスガの隣、潔子はわたしの隣におさまる。
タオルを用意したから手はすっかり冷たくなってしまって、お風呂であったまったのにねと準備をしながら潔子と笑った。
冬の水道水は冷たくて、部活でドリンクを作るときも洗濯のときも手の感覚がなくなりそうに痛いくらいだった。
マネージャーの仕事は分担しながらやっていたから潔子と一緒に何かをする時間って実はあんまりなかったかもしれない。
そう思うと最後に二人で選手のために何かできたのはよかったな、なんて。

「清水もみょうじもありがとな」
「どういたしまして」
「手冷えただろ。なんかあったかいもん飲む?」
「え、東峰おごってくれるの?」
「サンキュー旭!」
「なんでスガまで!みょうじと清水だけだよ!」
「わたしお味噌汁飲みたいな」
「あ、いいね」
「いやそれは夕飯まで待って」

冗談なのに潔子がノッてくれて東峰が真に受けたらしく自販機で勘弁して、なんて言う。

「買ってくるからちょっと待ってて」
「えっ本当に?」
「旭だけじゃ何選ぶかわかったもんじゃないから俺も行く」
「自販機にそんな危険なもの売ってないと思うけど」
「わかんないぞー清水も行くか?」
「行こうかな。結局宿の周り何があるか見れなかったし」

宿の周りと言っても自販機はたしかすぐ裏にあったと思うんだけど。

「じゃあわたしも、」
「結局みんなで行くのかよ」
「スガとみょうじは待ってていいよ」

わたしも行こうかなって言おうとしたのにわたしとスガだけ取り残されて広くないベランダで二人になってしまった。
部屋のなかには後輩たちがいるけれど。
どこか行くんですか?と田中が潔子に声をかけているのが聞こえてくる。
思えば、こうやってスガとこんな風に二人になる機会は多かった。

「なまえも行きたかった?」
「東京を満喫したい気持ちはあります」
「満喫するには時間が足りないな」
「ね。合宿とか大会以外でまた遊びに来たいな」
「だなぁ」

窓ガラスの向こうからは相変わらず誰かの話し声がする。
宿の外をぼんやり眺めて、東京は高い建物がたくさんあるんだななんてとりとめのないことを思った。
夜も電気が煌々とついているビルが多くて宮城よりも空が近いような気がする。
夕陽が少しずつ傾いて、もうすぐ夜だ。
ガラ、という音がベランダの下から聞こえて澤村の声がしたからスガと二人で下を覗き込んだら三人が外に出たところでこっちに気が付いて手を振ってくれた。

「東峰、わたしミルクティーがいいな」
「了解」
「俺はコーヒーな」
「だからスガは自分で買えよ!」
「あんなこと言って買って来てくれるに一票」
「同じく。なんなら部員全員分大地と一緒に買いそう」

そしたらあとで割り勘だなーと眉を下げてスガが笑う。
弱く吹く風は冷たいし数時間前まで涙が枯れるくらい泣いたのに今もうこうして笑えている。
スガの笑った顔を見るとほっとした。
何か悩んでいるようなら力になりたいと思ったし、握りしめている手をほどいてあげたいと思った。
他の誰かでもそうしていたかと聞かれたら迷わずそうだと答えるし、そうしてきたと思っている。
だけど多分、ほんのちょっとだけスガのことを見ている時間は他の選手よりも多かった。
どうしてかなんて、理由はちゃんとわかっていた。



(2021.08.02.)



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