7.手のなかの幸福

「うま」
「でしょ?」

少し冷えて来たけれと外のベンチに座ってなまえが美味いと言っていたミートパイを食べた。
一口食べて感想が口をついて出るくらい確かに美味い。

「摂津くんのお口に合ってよかったです」
「なんだそりゃ」
「なんかおしゃれなものいつも食べてそうだから」
「別に普通…と思ったけどうちの食事作ってる奴まじでプロ並みなんだよな」
「え、役者さんが作ってるの?」
「そう、秋組の奴。見た目いかついんだけどやたらしゃれてるもん作る」

LIMEを起動して、ちょうどついさっき送られてきていた今日のメニューの写真を見せる。
今日は夕飯いらないと劇団のグループLIMEに連絡をしておいたら「デートか?」と勝手に盛り上がられて通知は早々にオフにしていたけれど、太一が「今日の臣クンの飯!」と写真を送ってきていたのだ。

「今日のはなんか茶色いな」

中華料理だったらしく、山盛りの春巻きやチャーハンにかに玉、チンジャオロースっぽいもんが机に並んでいる。

「すごいね、ビュッフェみたい」
「男ばっか二十人もいるからすぐなくなるんだよ」
「そっか、いいなぁ楽しそう」
「まー退屈はしねぇな。飯も美味いし」
「家事とか分担なの?」
「食事はほとんど秋組のそいつと、春組の団員か監督。あとの家事も監督がすること多いな。なるべく手伝うようにはしてるけど」

そうなんだ、とたいしておもしろくもねぇ話なのに楽しそうに相槌を打ってくれる。

「家事してる摂津くん、想像つかないかも」
「家事っつっても洗濯干すの手伝ったり」
「お風呂掃除とか?」
「共用スペースの掃除は持ち回りだな」
「ちゃんとやってるんだね、偉い偉い」

子供に言うみたいに言われて、兵頭と当番がかぶったときのやりとりは見せらんねぇなと思った。
ガキじゃねぇんだから黙ってやれと左京さんに何度怒鳴られたかわからない。

「食い終わったなら行く?」
「うん。お待たせしました」

全然と返事をしてベンチから立ち上がる。
なまえの言った通り、目の前に汽車の乗り場があって並んですぐに乗り込むことができた。
汽車の中も電気の明るさは控えめになっていてスタッフが「足元にお気をつけください」と声をかけてくれる。
現代的でない蒸気機関車みたいなデザインだけれどほとんど揺れることなくスムーズに動き出す。
園内を周遊しながら移動できるなんて便利なもんだな。
高いところにレールが作られているからライトアップされた港が何にも遮られずに見渡せて、隣で「きれいだね」と小さくつぶやくなまえに頷いて返事をした。
港町を抜けると豪華客船や古びたホテルを通り過ぎて、ひと昔前のブロードウェイを模した街並みに入る。

「昼間に言ってたBBBの劇場、そこだよ」
「すげーな、本物の劇場みてぇ」
「ね、中も素敵なんだよ。次は観たいなぁ」
「また抽選だけどな」
「次こそ当たる気がする」
「いや、だからその俺への信頼なんなの」
「だって摂津くんだから」

次というのは俺と一緒にって意味かとか、信頼って言葉否定しねぇのかよとか、浮かぶ疑問と期待で心臓が落ち着かない。
今日一日ずっとこんなんだ。
沈むことはあんまなくて浮きっぱなし、地に足がついていないようで俺らしくなく浮かれてんなと思う。
汽車を降りたところはちょうど劇場の前で、乗り場のあった海辺の港町とは雰囲気が全く違う。

「これで移動するとタイムスリップしたみたいだよね」
「わかる。で、次はヴェネチアな」
「ブロードウェイからヴェエチアまで歩けるなんてすごい」

ゴンドラのほうへ歩き出しながらこんな会話をしてしょーもないと笑う。
なまえが笑顔を向けてくれるたびに胸が軋むみたいに鳴る。
こんなに長い時間ふたりでいたのは初めてだったけれど何気ない会話も全部こいつのことが好きだなと思わされて、惚れた弱みというやつなんだろうか。

電飾でいっぱいのきらびやかな街を抜けた先には昼間にも見た海と、その向こう側には火山。
火山と逆方向を向けばゴンドラ乗り場へ続く石造りの橋がある。
目に眩しい電飾とは違って、柔らかい灯りのともされた街灯に自然と俺もなまえも歩みがゆっくりになった。

橋を越えて、ゴンドラの乗り場まで階段をおりる。
待ち時間の表示には五分と書かれていて、他に並んでいる客がいなくてすぐに案内された。

「貸し切り?」
「だな」

ゴンドラが着岸して、俺が先に乗る。
すぐなまえのほうを振り返って手を差し出したら「え、」と驚いたように声をもらしたけれど意図は多分伝わっている。

「さっきみたいに転んだら危ねぇだろ」
「…ありがとう」

ゴンドリエが待っている手前、断られたら気まずいなと思ったけれどメリーゴーランドで盛大にこけたのを思い出したのか戸惑いながらも俺の手に小さな手を乗せた。
軽く体重がかけられて足を慎重に進めたなまえがゴンドラに足をつく。
すぐに離してもよかったけれど、指示された座り位置まで手を握ったままにしたのは下心となまえが何も言わないからだ。
座ったときに離そうかどうしようかとなまえのほうを見たらこっちをうかがうように見ていてばっちり目が合った。

「摂津くん?」
「うん」
「あの、」
「お待たせしました、それでは出発いたします!」

なまえが言いたいことはなんとなくわかったけれど、言いかけたことをゴンドリエがタイミング良いのか悪いのかばっさり遮った。
運航中は立たないように、手や身体を出さないように、と注意事項を陽気な様子で伝えられる。
意識は自分の右手にいっていたけれど動き出したゴンドラから見える景色はたしかに綺麗でなまえが言う通りロマンチックだった。
パークの真ん中に位置する海に出たゴンドラは街を彩る街灯を見上げるような視線の高さをすいすいと進む。
水面にうつる灯りがランタンみたいだ。

「……ラプンツェルみたい」
「映画?」
「うん。主人公がね、こういう船に乗って空に舞い上がったランタンを好きな人と見るシーンがあって」
「王子じゃなくて?」
「ラプンツェルの相手は王子様じゃないんだよ」
「へぇ」

正確にはそのときは好きな人っていうか惹かれてる相手なんだけど、と言い直したなまえの表情は柔らかい。

「夜のゴンドラ、やっぱり好きだなぁ」

海は暗くて見上げる街とその対岸にある火山はライトアップされている。
ここだけ世界から切り離されたみたいだなんて考えてしまうのは、右手の中に静かにおさまったままの存在のせいもあると思う。
ぐるっと広い海を一周してからゴンドラは元来た道を進んで、昼間も聴いたようなイタリア語の歌をゴンドリエが歌った。
歌の間は目を閉じて願い事をすると叶うとかで、手を繋いだまま願うことなんてひとつしかなかった。



良い旅を、と締めくくられてゴンドラから降りるときも俺が先に降りてなまえの手を取っていた。
子供じゃねぇんだしそう何度も同じようなところで転ぶとは思っていない。
だけどゴンドラを降りて橋を渡り海を一望できる広場へ出ても俺は手を離さなかったし、なまえももう大丈夫だよとは言わなかった。



(2021.06.06.)



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