28.帰り道

少し難しい顔をしていることが多かったから話を聞けたらなと思ったのに世間話で終わってしまった。
スガとの帰り道での会話を反芻しながら小さな溜息が出る。
別に制服の話とか第二ボタンの話がしたかったわけじゃないのに。

帰り際に「何か悩んでるなら聞くことくらいできるからね」と伝えたものの、あれだけで本意が伝わるとも思えない。
無理に聞き出したいわけではないからなぁと考えていたことが顔に出ていたのか「そのうち話すよ」と言われた。

「そのうち?」
「うん、そのうち。その時は聞いて」

スガの言葉に頷くと、いつもみたいに笑ってくれて手を振ってわかれた。
人の悩みを解決できるような人間だと自分のことを思っているわけではない。
話を聞くのが特別上手なわけでもないし、心を軽くするような言葉をかけてあげられるわけでもない。
スガが何かを抱えているのはわかるのに何もできない自分が情けなくて無力だなぁ、なんて。
大げさかもしれないけれど見上げた空がじわりと滲んだとき「なまえ?」と名前を呼ばれた。

「え……及川だ」
「久しぶり……ってどうしたの?」
「どうしたって?」

ずんずんとあっという間に距離を詰められた。
背が高いから比例して足も長いんだなと今更なことを思っていたら目の前に来た及川の表情が歪む。

「泣きそうな顔してる」

冷たい風が吹いて及川の柔らかそうな髪の毛を揺らす。
ランニング用の手袋をしている手が目の前に迫って来て、思わず身構えたらハッとしたように手を引っ込められた。

「なんかあった?」
「……なんか、あったと言えばあったような。ないと言えばないような」
「はぁ?」
「自分のことじゃないんだけど」
「……人のことでそんな顔すんの」
「え?」
「なんでもない。帰るの?送るよ」
「ランニング中でしょ、いいよ」
「クールダウンのついで」

有無を言わさない様子で隣に並んで歩き出す。
中学の頃からわたしの身長は止まったままなのに及川は高校に入ってからも伸びているから見上げる横顔が見知ったものと違う。
再会した時にも思ったけれど身体つきだって全然違う。

「いつもこんなとこまで走りに来てるの?及川の家ってこっちじゃないよね」
「距離伸ばす時はこっちまで来ることもあるかな、その日の気分」
「ふぅん。部活にもまだ顔出してるの?」
「あー……うん」

バレーのことで歯切れが悪いのは珍しいな、と顔を盗み見るようにして見上げると及川はまっすぐ前を向いていた。
シャンと伸びた背筋と寒そうに赤くなっている鼻をスンとすする仕草がミスマッチで、視線をはがすようにしてわたしも前を見る。

「なまえは部活帰り?この時期もう暗いんだから誰かに送って……いや、やっぱ今のなし、いや、うーん……」
「一人で何言ってるの」
「誰かに送られるのは嫌だけどなまえが危ない目に合うのはもっとダメだなと思った」

さっきまで澄ました顔で歩いていたと思ったら急に百面相しながらうんうん唸り出すから肩の力が抜けてわたしも表情がゆるんでしまう。

「ありがと。大丈夫だよ、この辺り人通り多いし明るいし」
「そういう問題じゃないんだよ。ほら、同じ高校なら送れたのに」
「そんなこと言って中学のとき送ってくれたことあったっけ」
「あったよ!何回か!」
「えー」
「忘れたの?ひどいな」

ひどいと言いながら及川が顔をくしゃっとさせて笑うから、さっきまで少し重たかった気持ちが溶けていくみたいだ。

「覚えてるよ。家そんなに近くないのに送ってくれたよね」

及川家とみょうじ家は校区のはじとはじなのか、同じ中学だけど近いとは言えなかった。
普段の部活帰りに送ってもらうようなことはなかったけれど、他校との合同練習や練習試合の帰りに通り道だからと送ってもらったことがある。

「かわいかったなぁ、中学生の俺」
「え、なんでいきなりナルシスト発揮してるの」
「好きな子を家まで送るためにあれこれ考えてたんだよ、かわいいでしょ」
「あぁ……そういうこと……」

また反応に困ることを、とは言わずに呆れたような目を向けたら「なまえは全然気付いてなかったけど」とからっとした声で言われた。
三年も前のことだし、及川にとって思い出のひとつになっているんだろうか。

「気付いてたら、多分及川とあんな風に一緒にいられなかったよ」
「なんで?」
「だって、」

だって、あの距離感が心地よかったから。
意識したらきっと態度に出てしまったと思う。

「なまえ?」
「……わたしもかわいかったってことかな」
「まぁたしかになまえはかわいかったけど」
「そういうことではなくて」
「うん、今もかわいいよ」
「だからそういうことでは」

ごまかそうとしただけで深く考えて言ったことではなかったけれど、そんな風に返ってくるとは思わなかった。
よく恥ずかしげもなく言えるなと及川をまた見上げたら、こっちを向いていた瞳がゆらゆら揺れているようで思わず息をのんだ。

「会いたいなぁと思ってたら会えたからビックリした」

最後に連絡を取ったのはいつだったっけ。
会ったのは春高予選の準決勝が最後で、連絡もそれ以来していなかったっけ。
もう一か月以上経ったんだな。
どう返事をしたらいいのかわからなくなってしまって黙ったわたしに及川は変わらない調子で続ける。

「言ってなかったけど、春高出場おめでとう」
「……ありがとう」
「社交辞令でしかないけどね。内心めちゃくちゃ悔しいよ」

だから連絡できなかった、と言われてやっぱり返事ができない。
肩にかけたかばんの紐をぎゅっと握ることしかできずにいたら空気を変えるように及川が声のトーンをあげた。

「そういえば。宮城の一年合宿、うちからは金田一と国見ちゃんが呼ばれたよ」
「そうなんだ。なんか嬉しいな。烏野からは月島くんが行くよ」
「へぇ。じゃあ飛雄はユースか」
「及川顔すんごいことになってるけど」
「だってむかつくじゃん」

じゃんって。
昔から飛雄への態度は褒められたものではなかったしこの先も変わらないんだろう。
わたしはかわいい後輩がユースの合宿に呼ばれたなんて嬉しいけど及川は唇を曲げている。

「東京で合宿だって。いいなぁ」
「烏野って修学旅行東京じゃなかったの?」
「北海道だった」
「へぇ、楽しそう」
「ご飯が全部美味しかったよ。青城は?」
「うちは沖縄」
「真逆!けどいいなぁ沖縄、あったかいところ行きたい」
「春に行ったけど半袖だったよ。海は入れなかったけど」

お互いの高校生活のことを何も知らないということに初めて気が付く。
青葉城西での及川はどんな風に過ごしていたんだろう。
積もる話がありすぎて帰り道の短い時間だけじゃとても足りない。

「及川は卒業旅行とか行くの?」
「どうだろ。まだ話出てないな。なまえは?」
「わたしもまだ。受験もあるし落ち着いてからかなぁ」
「……大学はどうするの?上京?」
「ううん。地元の大学受けるよ」

そっか、と頷く声は優しい。
うるさい時もあればこんな風に凪みたいな空気にもなるから不思議な人だなと思う。

「及川は進路どうすることにしたの?」

本当はずっと気になっていた。
同じチームにいた中学生の時は自然と進路を知ることになったけれど、今はこんな偶然でもないと顔を合わせることがない。
近況もこの先のことも、何も知らない。
聞かれたから聞き返したのに及川は眉を下げてゆるく口角をあげたままで返事がなかなか返ってこない。
この時期にも部活に顔を出してランニングをしているということは、大学なり実業団なりでバレーは続けるんだろうと思っていたけれど、違うのかな。

「春高終わったら、なまえはすぐ大学受験だよね。三月には落ち着いてる?」
「うん、受験が順調に終われば」

その頃に落ち着いてなかったら困るなぁ。
他の受験生が勉強に費やしている時間を部活に捧げていることに焦りがないとは言えないけれど部活を言い訳にするつもりはない。
自分で選んだことだしあの時に選択を間違えたなんて思いたくないからだ。

「そっか。そしたらさ、受験終わったら連絡ちょうだい」
「え?」
「その時に俺の進路も教えてあげる」

なにそれ、と返そうと思ったのに。
見上げた及川の表情が妙に大人に見えて、この人の見据えている未来には何があるのだろう。
わかった、と頷いたら作りものみたいにきれいな笑顔が返ってきて、当たり前だけどわたしの知らない及川がいるのだと思わされたような気がした。
三月なんてずっと先のように思えるけれど、きっと春はすぐにやってくる。




(2021.05.01.)



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