27. 秋の終わり

「音駒も春高決まったってな」

ごく自然に言ったつもりだったけれど、少し探るような気持ちがなかったわけではない。
朝練の後、教室まで移動する途中でなまえに会った。
それ自体は珍しいことではなくて身支度を整えて朝礼に間に合うようにと思うと昇降口で鉢合わせするのはよくあることだ。
廊下を足早に歩きながら昨日行われていた東京の春高最終予選の話をしたら「音駒も」と俺が発しただけでパッと表情が明るくなった。

「ね!すごいね、本当にうちも音駒もそろって春高出場なんて、すごいよね」

試合を実際に見ていたわけではないのに「すごい」と繰り返すなまえの頬は紅潮していて、俺に向けた表情なのに俺に対する感情ではないんだよな。
朝練が始まる前から日向たちが「ゴミ捨て場の決戦だ」と騒いでいたけれどその時のなまえの反応的にもう知っていたようだった。

「黒尾から聞いてた?」

階段を上り切って角を曲がるともうなまえの教室だ。
一緒のクラスになったことは三年間なかった。

「うん。昨日の夜メール来たよ」
「そっか」
「めちゃくちゃ疲れたって」

そりゃそうだよね、と見上げてくる顔はやっぱり嬉しそうで、三年に上がった頃は感じていなかった焦燥感みたいなもので心臓が痛い。

「音駒梟谷戦は観たかったなぁ」
「東京の代表決定戦じゃテレビでもやらないしな」
「うん。じゃあまた放課後にね」
「おう」

ひらひらと手を振って教室に入って行く後ろ姿を見送っていたら、ぽんっと肩を大地に叩かれた。
俺となまえが二人で話せるように大地と旭は数歩離れたところにいてくれるのが最近決まりごとのようになっている。

「聞いてへこむくらいなら聞かなきゃいいだろ」
「黒尾のこと?」
「そう」
「……自分でもそう思う」
「でも聞きたくなっちゃうよな。俺も聞きたくなくても聞くかも」
「旭と同じか〜」
「え?!慰めたつもりなのに!」

黒尾に連絡先を聞かれていたのは五月にあった練習試合のときで、初対面じゃないことにも親し気なことにも驚いた。
少し前に中学時代のチームメイトだったという及川との仲もただならないものを感じていたというのに、突然なまえを取り巻く環境がざわざわしたような気がする。
……って俺が勝手に思っているだけで、勘違いならいいんだけど。

「連絡しょっちゅう取ってんのかな」
「みょうじけっこうさっぱりしてるからその日のうちにやりとり終わらせてそうだけどな」
「俺たち毎日会うからメールとか電話ってめったにしないもんなぁ」

廊下でつい立ち止まって話してしまったけれど、三組の担任が階段を上って来て「早く教室入れ」ともっともなことを言われてしまう。
旭は担任と共に教室に、俺と大地は自分たちの教室へ向かった。
……なまえと一緒のクラスならいいのに、とさっきも思ったことが頭をよぎった。



「お、バレー部!春高出場だって?」

放課後の部活、ロードワークに出発するためにぞろぞろと校門のあたりに移動をしていたらなまえが声をかけられていた。
三年生のこの時期にまだ部活をしているのは多分俺たち男子バレー部だけで、声をかけてきた奴らも制服姿で下校するところらしい。

「そう!応援しに来て〜」
「一月に東京だろ?さすがに行けねぇわ」
「ですよね。テレビでやってたらちょこっとくらい観てね」
「みょうじ映ってたら写真撮って送るわ」
「そういうのはいいから!」

別に、ごくごく普通の会話だ。
なまえがバレー部じゃない男子と喋っているからってどうってことない。

「なまえさん、クラスメイトっすか?」
「ううん、隣のクラス。去年同じクラスだったんだよね」

だけどやっぱり嫌だなと思ってしまうんだから自分の心の狭さに驚く。
クラスが同じとか同学年なら顔見知り程度にはなるし俺たちだけがなまえと親しいなんて思っていないけれど、だけど。
近くにいた大地が苦笑いをする程度には顔に出ていたらしい。

「スガ、最近しんどそうだな」
「……わかる?」
「朝も何とも言えない顔してたし」
「あー……」

ただ好きなだけなのに、恋愛ってこんなに辛いものだっただろうか。
田中とか西谷は清水のこと大好きだけどなんか楽しそうだし。
俺の好きとあいつらの好きは違うのかな、なんてくらべても考えても意味のないことを思う。
今からランニングだというのに腹の奥のもやつきがやばくて、大きく息を吐き出す。

「スガ?大丈夫?」
「……なまえ」
「顔色は悪くないけど、調子よくなかったら無理しないほうがいいよ」

気づかってくれるなまえには申し訳ないけど、俺がこんなにナーバスになってんのはなまえのせいだよ。
三年間バレーばっかやってたはずだしそれは残り二か月弱になった春高までの期間も変わらない。
変えるつもりなんてない。
なまえとの関係を変えたいとは思っていないのに、気持ちを伝えてしまえば楽になるんだろうかと頭をよぎる。
伝えるなんて、そんなこと今できるわけがないのに。
「ありがと、大丈夫」と笑ったら、なまえの眉間にぎゅっとシワが寄った。
あ、これは部活終わったあと一緒に帰ろうって言われるかもしれないな、と思ってしまったけれど打算的な考えがあったわけでは決してない。

個人的な想いで周りに心配をかけたくないし、いま最優先すべきは絶対的にバレーボールだ。
切り替えてランニングに出発すると冷たい風のおかげか頭が少しだけクリアになった気がした。



「なまえ、今日一緒に帰んない?」

誘われる前に先に声をかけたら、なまえが驚いたように目を丸くした。

「わたしも誘おうと思ってた」

知ってる、とは言わずに着替えたら部室棟の下でと伝えたらなまえが仕事に戻った後に月島に「先輩たちなんで付き合わないんですか?」と眉をしかめながら言われた。
俺はなまえが好きだけど、なまえは俺のことをそういうふうには思ってないからだよ。
なんて、月島には言えないことを浮かべながら後輩の肩にポンと手を置く。

「月島にはまだわからないだろう……大人にはいろいろあるんだよ」
「はぁ」
「けど付き合えばいいのにって見えるのか、そっかそっか」
「……菅原先輩って常識人みたいな顔してけっこうめんどくさい人ですよね」
「俺がいつ常識人ぶったよ」

及川には爽やか君とか言われたし俺のイメージってなんなんだ。



「さーむいなぁ」
「もうすぐ十一月だもんねぇ」
「女子って足寒くないの?」
「寒くないわけないよね。わたしも冬は潔子みたいにタイツにしよっかなぁ」

そう言いながら白い息を吐くなまえの足元はハイソックスにローファーだ。
雪が積もるようになってしまったらローファーは封印するといつだったか言っていた。
冬のミニスカートは見ているこっちが寒い……いや見てるって凝視しているわけではなくて目に入ってくるっていう意味だけど。

「今年は風邪引いたら笑えないもんな」
「それ、春高もあるし受験もあるし……恥をしのんで下にジャージはいちゃいたい」
「いいんじゃない?登下校とか特に」

校舎はあったかいもんね、となまえが頷く。

「でもせっかく制服かわいいのになぁとも思うんだよね、女子高生もあと数か月だし」
「中学はセーラーだったんだっけ?」
「うん、ごく普通のセーラー。だから高校はブレザーがよかったんだ」

青葉城西もたしかブレザーだったよなぁとは口に出さなかった。
なまえと二人で帰っているのに、及川の話題になったらまた落ち込みそうだからだ。

「男子って学ランに憧れるものなの?」
「俺は中学も学ランだったからなぁ」
「そっか。スガは第二ボタン誰かにあげたりした?」
「あー……まぁ」

こういうのを好きな子に話すのってなんか微妙だけど、なまえは話の流れで聞いているだけなのがまたしんどい。

「モテそうだもんね」
「え、俺?」
「うん。後輩から人気ありそうなイメージ」
「後輩限定かよ」
「だって意外とふざけてるから同級生よりちょっと距離ある後輩からのほうがモテそう」
「それ褒めてないだろ」

確かに親しくなると男女問わず「スガって実は変」と言われることが少なくない。
さっきも月島にそういうニュアンスのこと言われたな、そういえば。
別につくろったり隠したりしているわけじゃないんだけど。

「大人しくしてたほうがモテんのかな」

いつだったか、部内でなぜ西谷は男前なのにモテないのかという議題があがったことがあった。
女子からよりも男から憧れられるタイプなのかもしれない。
いろいろな意見があったけれど縁下がズバッと「うるさいから」と言っていたのを思い出した。
なまえはどういう奴が好きなんだろう、そういう話は聞いたことがない。

「スガはそのままでいいよ。話すの楽しいもん」

褒めてないだろと言った時は笑ってたくせに、そういうことを言うときにそんな顔するのはずるい。
見上げてくるなまえの頬が少し赤いのは寒さのせいだとわかっているのに、心臓がきしきしと痛くなる。

「……でも、このままだと同級生から見てダメってことだろ」
「そういうわけじゃないけど」
「それじゃ困る」

関係を変えるつもりも、気持ちを伝えるつもりも今はない。
核心を突いたことを言えないもどかしさと今の状況を言い訳にしている甘えとがぐちゃぐちゃに混ざっている自覚はある。
誰か他の男がなまえの隣にいるのは嫌だと思ってしまうんだから、踏み出す勇気も必要なのかもしれない。
困る?と不思議そうな顔をされて思わず苦い笑顔になる。

「けどなまえに良く見られようなんて今更か」
「スガはわたしのなかではめちゃくちゃ良い……えっと、良い人?っていうか良いチームメイト?良い男っていうのはなんか違うよね」

首を傾げているなまえに力が抜ける。
良い男なんて言われたらめちゃくちゃ恥ずかしいけど、今並べられた言葉のなかでどれがほしいかと聞かれたらそれだった。



(2021.04.18.)



×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -