32.

「万里くん、手空いてるなら倉庫の片付け頼まれてくれない?」
「あー……了解」
「ありがとう!なかなか片付ける時間なかったから散らかってて。何か困ったら声かけてね」

夕方、談話室のソファでぼけっとテレビを観ていたら資料を両手いっぱいに持った監督ちゃんに声をかけられた。
テレビを観ていると言っても内容はほとんど頭に入ってきていなかったし、何もする気が起きなくてストリートACTや買い物の誘いも適当に断っていたところだった。
こんな無気力なことも珍しい。
相変わらず忙しそうな監督ちゃんの頼み事だし、ただこうしていても気が滅入るだけだとソファから起き上がった。



「……すげー状態だな」

久しぶりという程でもないはずだけれどしばらく足を踏み入れていなかった倉庫は確かに雑然としていた。
てかこれほとんど花見の時の荷物片付けてねーじゃん。
俺となまえが寮に戻ったときには談話室で二次会状態だったから、適当に放り込んでそのままにしていたんだろう。
公演の衣装や小物たちはさすがに所定の位置に収まっているようだったけれど、余ったチラシやら誰の物かわからないボードゲームやらが取っ散らかっている。
ひとつずつ選別するところからだなと着ていた服の袖をまくった。

黙々と身体を動かしている間は余計なことを考えずに済んで気が付いたら窓の外は暗くなっている。
散らかっていたものは収納したし、どう見てもいらないものはまとめて端に寄せてこんなもんでいいだろうかと思ったタイミングで、コンコンと倉庫の扉がノックされた。

「おー誰?手伝いならもういらねーかも」

そう返事をしながら扉を開けると「もう終わっちゃいましたか…?」とうかがうような表情の、なまえが立っていた。

「…大体は。寮来てたんだな」
「はい、ついさっき。いづみさんがカレー食べに来てって誘ってくれて」

なんだそれ、聞いてねぇ。
監督ちゃんも俺となまえが付き合い始めたことは知らないからわざわざ知らせる必要もないんだけれど。

「それで、夜ご飯まで倉庫の整理してる万里くん手伝ってほしいって言われて」

でももう終わっちゃったんですね、と倉庫に入ってぐるりと見回した。
なまえが手伝いに来るならもっとゆっくりやればよかった。
「あー…」と歯切れ悪く返事をする俺のことを見上げる瞳は長く伸びたまつ毛に縁取られている。

「…これピカレスクの衣装ですね。なんかもう懐かしい」

衣装類は畳んで収納しているものもあるけれどシワになってはまずい素材のものはハンガーラックにかけて並んでいた。
ほこりがかぶらないようしっかりカバーもかけてある。
なまえが近寄った先にはルチアーノとカポネのジャケットがあって、手で触れることはなく眺めていた。

「幸ちゃんの作る衣装は全部好きですけど、ルチアーノの衣装って本当かっこいいですよね」
「ルチアーノの衣装が一番好きなんだっけ?」
「はい…わたし、万里くんにそんなこと言ったことありました…?」
「太一に聞いた」

もう半年近く前のことだというのになぜか鮮明に覚えていた。
秋組公演の場当たり中の劇場ロビーで太一に言われたことも、そのとき言い表せない感情がふつふつとわいていたことも。
衣装を眺めているなまえのすぐ隣に立つと少しビクつかれたのが空気でわかる。
見下ろすとそろりと丸い瞳がこっちを見て困ったように眉を下げていた。

「……気ぃ済んだら出ようぜ。ここ寒ぃだろ」

日当たりの悪い倉庫は昼間でも中がひんやりとしていた。
夜になりかけのこの時間、なまえの着ている春物のニットでは寒いだろうと思い倉庫のドアノブに手をかけるとガチャと硬い音がするけれど、おかしい。
ノブが回り切らなくて何度かガチャガチャと回しても結果は同じだ。

「万里くん?」
「…開かねぇ」
「えっ」

鍵は内側から開けられる仕様になっていて、今は開いている状態なのに。
外で誰かが押さえているような気配もない。

「鍵は、」
「かかってねぇ」

なまえも同じように扉を開けようとするけれど倉庫内に無機質な音が響くだけだった。
どういうことだと思うけれどこの劇団には七不思議とかいう胡散くさい噂がいくつかある。
倉庫に閉じ込められるとかテッパンすぎて笑えるけれど二人でというのは今この空気ではきつい。

「鍵、外からかけられるんですか?」
「だとしても中から開かねぇのおかしいだろ」
「そうですよね…」

まぁ携帯はあるし劇団員のLIMEに連絡すれば寮にいる誰かしらが来てくれるだろうとデニムのポケットからスマホを取り出した。
手短に「倉庫のドアが開かなくなったんだけど誰か開けに来てくれ」と送る。
…いつもならば秒で既読が付くのに、今日はひとつも付かない。
寮に確実にいるはずの監督ちゃんに電話をしても一向に出ることなく留守電になってしまった。

「なまえ、携帯は?」
「かばんの中に入れっぱなしで…」

俺のLIMEが届いているかなまえの携帯で確認してもらおうかと思ったけれどアテが外れた。
「すみません」と細い声で謝られて「謝るとこじゃねーだろ」と小さい頭にぽんと手を置く。
おろおろと扉の前を行ったり来たりして状況が変わるわけではない。
自力で開けられないのなら外から誰か開けてくれるのを待つしかないのだから、さっき仕舞ったばかりのレジャーシートを敷いて右往左往していたなまえの手を引いて隣に並んで座らせた。
…床に直置きだと冷たさも伝わるし硬ぇな。
すぐに立ち上がってさっき見たルチアーノの衣装の外套を引っ張り出して丸める。
クッション代わりにしたなんてバレたら幸にキレられそうだけれど仕方ない。
他の奴の衣装を使うのは気が引けるけれど俺のだし、汚すようなことをするわけではないし。
なまえに差し出すと考えることは同じようで「怒られないですかね」と苦笑しつつも受け取り、なまえ一人分のつもりで丸めていたものを少しだけ広げた。

「万里くんもどうぞ」
「おう」

座り心地が良いとは言えないけれどないよりはマシだろう。

「なんで開かないんでしょう」
「まーそのうち誰か気付いて開けてくれんだろ。監督ちゃんは俺らがここにいること知ってんだし」

少し前は二人きりになりたいと思っていたし、今も思っていないわけではない。
扉が開かない理由は気になったけれど肩が触れそうな距離で座る時間がすぐに終わるのは惜しい…なんてことを考えてしまうくらいには。

「寒くねぇ?」
「はい」

ちら、とすぐ隣にいるなまえを見る。
座っているからいつもよりも顔の位置が近い。
寒くないと言ったけれどさっき腕をさすっていたから多分適温ではない。
ぴた、と腕と腕がつくように身体を寄せてみたらなまえも俺のほうを見た。

「…お腹すきましたね」
「……おう」
「今日何カレーだろう」

いや、たしかに腹は減った。
けど彼氏彼女が今この状況でする会話にしては呑気すぎるだろ。
そのうち誰かが気付くと言ったのは俺だけど。
触れたところが心臓になったみたいに熱いと中学生男子みたいなことを思っていたらなまえが「あの、」と言いにくそうに口を開いた。

「万里くん、怒ってると思ってました」
「……なんで?」

この前、至さんの部屋でも言われたことをまた言われる。
怒ってないとまず言えばよかったと気が付いたのは膝をかかえていたなまえの手にきゅっと力が入ったのが目に入ったからだ。

「いろいろ、理由はあるんですけど」

なんでと聞いたけれど思い当たる節は自分でもいくつかあった。

「この前、お菓子押し付けて帰っちゃったのとか」
「あー…」
「十ちゃんと紬さんのこととか」
「それは、まぁ、納得したといえばした」

さっさと帰られたことは柄にもなくショックだったし兵頭と紬さんのことは多分この先もずっと付きまとう。
その度にこんな風に気まずい雰囲気になるのはごめんだ。

「…てか、それもあるけど」
「はい」

触れていた肩同士が少し離れて、右腕をなまえの肩に回してぐっと引き寄せた。

「俺ばっか浮かれてる気がしておもしろくねーなと思ってた」
「え……摂津さん、浮かれてたんですか」
「呼び方また戻ってるし」
「あっまだ慣れなくて…すみません」
「ん。あのな、浮かれるだろそりゃ」
「わたしは、なんか緊張します」
「ふぅん」

緊張ねぇ。
この状況をどう思ってんのか知らねぇけど、緊張しているというのは俺と二人だからってことだろう。
身体の向きを変えてなまえのほうに向き直る。
あぐらをかいて右手は頬杖、左手を差し出すと一瞬きょとんとした後に俺の顔と左手を交互に見てじわじわと頬を赤くさせている。

「手、繋ごうってことですか?」
「そう」

告白したときはなかば無理やり俺から繋いだけれど、恐る恐るという感じで俺の手のひらにちょんっと触れるようにして小さな手が乗っかる。

「…万里くん、手大きい」

乗せられただけの手を包むように握ると冷たい。
なじませるように何度か親指で撫でると聞こえるか聞こえないかくらいの声量で「くすぐったいです」と言われてこっちは心臓が掴まれたみたいな気分になる。

「怒ってるっつーか、多分余裕がない」
「え、」
「俺ばっか好きみてーじゃん」
「そんなこと、ないです」
「そんなことってどんなこと」
「…余裕ないとか嘘ばっかりだ。言わせようとしてるじゃないですか」

頬杖をついていた手もなまえの手に添える。
無言で丸い目をじっと見ると、意を決したように口を開いた。

「わたしだって、好きです」
「ん。俺も好き」
「…あの、ちゃんと話します。十ちゃんにもみんなにも」
「あーまぁ急がなくてもいいけど」
「……本音ですか?」

一方的に握り込んでいた手が、俺の手の中でもぞもぞと動いて手のひらと手のひらが合わさった。
覗き込んでくる瞳が揺れている。

「本音は、」
「はい」
「…俺の彼女だって言いてぇ」

指と指を絡ませよるようにしたら、自分からしたのにやっぱり心臓が痛い。
一から十まで知る必要はないし伝える必要だってないと思ってきた。
だけどそれは知りたいとか伝えたいとかって思う相手がいなかったからで、今は違う。
かっこつけて強がって結局我慢できずにケンカとか笑えねぇだろ。

「もっと会いたい」
「…はい」
「寮で他の奴らとって意味じゃねーから」
「ふたりで?」
「ふたりで」

本音は?と聞いてきたくせに俺がガラにもなく素直に言ったら笑うとかなんなんだ。

「万里くんって実はかわいいですよね」
「はぁ?」
「こんなこと思うようになるなんて思わなかったです」
「…お互い様だろ」
「ですね」

出会った頃の俺たちに、数か月後付き合ってるぞと言っても絶対に信じない。
だけど今は兵頭たちに報告しても案外驚かれねぇんじゃないかと思う。
前に傷付けるなと釘刺されたし。
繋いでいる手を軽く引いて、ゆだねるように倒れてきた身体を腕の中で抱き締める。

「言っとくけど俺もこういうの慣れてるわけじゃねぇから」
「…はい。心臓の音すごいです」
「うるせぇな……」

なまえの耳が俺の左胸のあたりにあたっているから仕方がないし、慣れていると思われるよりマシだけれど心臓の音を指摘すんのはどうなんだ。

「わたしも、もっと会いたいし連絡したいなって思います」

おはようとか、おやすみとかって送ってもいいですか?と彼女に聞かれてダメだという男がいるだろうか。

「送って。俺も送る」

なんかもう自分でもおかしくなったんじゃないかと思う。
腕の力を強めたら「はい」と返事をしたなまえの声がくぐもって聞こえた。
倉庫から出られないとか誰も様子を見に来ないとかどうでもいいわ、と頭の片隅で思ったタイミングでガチャガチャとドアノブが乱暴に回される音がした。
さっきまで開かずの扉だったくせにバンっと勢いよく開け放たれたところには相変わらず人相の悪い兵頭がいて、あまりに突然のことだったから俺もなまえも抱き締め合った体勢のままで兵頭と目が合う。

「じゅ、十ちゃん」
「摂津てめぇ……」

言い訳のしようもねぇ状態だけれどとりあえずなまえと離れようとしたら、なまえが俺のパーカーの胸のあたりをぎゅっと掴んだ。
見下ろすと唇をぎゅっと引き結んだなまえは妙に真剣な顔をしていて俺と向かい合っていた身体を反転させて兵頭のほうへ向き直る。

「十ちゃん、実はお話がありまして」
「いやなんかの面談かよ」

兵頭の後ろから話し声が聞こえてくるからLIMEに気が付いた他の奴らと来たんだろう。
ざわつきが次第に大きくなる。

「これは、別にどっちかが一方的なわけじゃなくて、双方合意の上というか」
「…わかるように言ってくれ」
「つまり、その。ば、摂津さんとお付き合いをすることになりました」

今の不自然な、「ば、」って俺の名前を言おうとして言い直しただろ。
付き合っていることを言うなら呼び方も改めたことが伝わったって問題ねぇのに。
兵頭はかたまっていて、兵頭の向こう側に見えた太一はあんぐりと大きく口を開けているのが見えた。

「そーいうことだから」

さっき離れたなまえの肩に腕を回して引き寄せるとぽすんと俺のほうにごくごく軽い体重がかかる。
太一の大絶叫が寮内に響き渡ったのは、たっぷり一拍置いてからだった。



(2021.04.10.)



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