23.それぞれの一歩

「取るに足らないプライドの為に、お前はそれを選ばなかった」

穏やかではない言葉が聞こえて来たのは、準決勝の試合を終えてダウンを済ませたスガと学校に戻るためにバスへ向かう会場の通路だった。

「……」
「今のって」

ピタ、と足を止めて顔を強張らせたわたしにスガも一緒に怪訝な顔をした。

「多分、牛島くんの声」

喋っているところを見たことはそんなにないし、牛島くんの声を聞き分けられるほど親しくはなかったけれどそれでも確信があった。
それを言ったのが誰なのか、言われたのが誰なのか。
考えるまでもなく頭に浮かんだ。
話し声がしたほうに足を進める。
どうせそこを通らないと会場の出入り口には行けない。

言い返している声が聞こえて、それはやっぱり及川のものだった。
牛島くんは嫌味を言っているのでも、傷付けようとしているのでもない。
ただ自分がそうだと思っている事実を話しているだけなのだとわかってしまって、それが余計に残酷だ。

「俺のバレーは何ひとつ終わっていない」

そう牛島くんに告げた及川の声も強くまっすぐで、痛みも後悔も伴っていなかった。
及川の負ける姿はもう見たくないと思っていた。
だけど、負けることのない人なんていなくて、悔しさを知らない人なんていなくて、きっとそれを及川はわかっていて。
ここを最後にするかしないかは自分次第なのかもしれない。

「取るに足らないこのプライド、絶対に覚えておけよ」

そう言った及川が振り返って、見たことのないような表情をしていて一瞬怯んでしまう。
目が合った瞬間に別人のように顔をゆるめて「なまえ」と駆け寄ってきてくれて胸を撫でおろした。
牛島くんはもう通路の反対へ歩いて行ってしまって、一歩が大きいなぁと後ろ姿と羽織っているジャージを見て眉間に力が入る。

「……何話してたの?大丈夫?」
「あーうん、ちょっとね。むかつくこと言われたから売られたケンカを買ってた」

多分牛島はそんなつもりないんだろうけどそれがまた腹立つんだよね、と言う及川はいつも通りに見える。

「スガ、ごめん先にバス乗ってて?」
「……わかった、あんま遅くなるようなら連絡して」
「うん、ありがとう」
「待って爽やか君、」
「えっ何それ。また変なあだ名つけて……菅原くんだよ」
「だって見た目めっちゃ爽やかじゃない?プレーは全然爽やかじゃなかったけど!」

あ、これ褒め言葉ね?と声をかけられたスガは驚いたように目を丸くしていて、及川のこういうところが昔から好きだなと思う。
岩ちゃんがいたら絶対にうるさいとか鬱陶しいとか厳しい言葉が飛ぶところだけれど。

「菅原くんと飛雄のツーセッター、すごく嫌な戦略だった」
「それも褒め言葉?」
「まーね、明日もあれやったら白鳥沢もちょっとはイラっとするんじゃない」

これは、激励なんだろうか。
スガと顔を見合わせていると及川が「あー悔しいな」と右手を首にあてた。

「勝つよ、明日も」
「……言うじゃん。まぁ頑張ってよ」
「おう。じゃあなまえ、先行ってる」

スガを見送って、広いロビーに並んでいるベンチの隅に及川と座った。
お互いに時間はないけれど通路に立って話をするのも違うと思ったから。

「……菅原くんも、なまえのこと好きなんだろーなぁ」
「えっ何、いきなり」
「見ててわかるよ、今日も練習試合の時も思った。両想いなんじゃないの」
「……そんなんじゃないよ」

はぁー、と及川がわざとらしいくらい大きく息をはいて、長い足を前に投げ出した。
両手で顔を覆って天井を仰ぐその表情は見えない。

「マネとしてのなまえも、女の子としてのなまえも烏野に取られた」
「ごめん?」
「謝られると余計に傷付きます」

指と指の間から及川がこっちを見ていて、いまいち真剣な気がしないのは多分わざとそういう空気にしてくれているんだと思った。
そんなんじゃないってば、ともう一度言うと及川からは「うん」という生返事が返ってくる。

「悔しいな」
「……うん」
「牛島にあんなこと言ったけどさ、結局一回も勝てなかった」
「うん」
「だけどやっぱ次こそはって思う」

うん、ともう一度頷く。

「及川が、バレー続けるんだってさっきわかって嬉しかったよ」
「……またなまえはそういうこと言う」
「だって言ったでしょ、これからもバレー馬鹿でいてって」
「なまえ、俺のことバレー馬鹿だと思ってたの?バレー好きでいてって言われたような気がするんだけど?」
「同じじゃない?」
「全然違うよ!」
「あは、ごめん。でも本当のことでしょ。バレーのことしか考えてないくらいがいいんだよ及川は」
「……俺、遠回しにまたフラれてる?」
「違うよ、告白もされてないのにフるほど自意識過剰じゃないもん」
「よかった。試合に負けたうえに致命傷追わされるとこだった」

スガに先に行ってと伝えたけれど及川に何か言いたいことがあったわけじゃなかった。
牛島くんにあんなことを言われた及川のことが心配ですぐに立ち去ることができなかったのだけれど、話してみて及川は大丈夫だなと思える。
今日を終えたら、きっとこんな風に顔を合わせることもなくなるだろう。
わたしから連絡することは多分なくて、及川から気まぐれのように届く短いメールとか、一度だけかかってきた電話とか、そういうものもなくなるかもしれない。
これ以上一緒にいたらダメだなとベンチから立ち上がると及川に見上げられていつもと逆だなぁと自然に目尻が下がった。

「そろそろ行くね」
「……うん」
「学校戻ったらミーティング?」
「うん。あと入畑監督がご飯おごってくれるって」
「そうなんだ。青城の監督さん優しさそうだよね」
「烏野のコーチはなんかガラ悪いよね」

よいせと立ち上がった及川に「おじいちゃん」と言ったら嫌な顔をされてお互いに力が抜けたように笑ってしまった。
どうでもいい話をするこの空気が心地良くても、もう行かなければ。
じゃあねと手を振ってわかれて、早足で歩いて行く及川の背中を振り返ってしまった。
青葉城西のジャージ似合ってるなぁ、と今更なことを思うと押し込んだ涙がぶり返しそうで慌ててわたしも前を向いた。



(2021.02.20.)



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