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お昼休みに寄った図書館で怜くんに会った。
腕に水泳の本を抱えた怜くんは、心許なげで不安そうに見えて、お節介かもしれないと思ったけれどつい口走ってしまった。
「怜くんさ、悩んでるなら言ってね?わたしに言いたくなかったら真琴とか、渚くんとか」
面食らったような顔をする怜くんに、続けて言う。
「うちのみんなに言いにくいことだったら、凛とか?」
「凛ちゃんさん、ですか?」
「うん。凛は努力の人だと思うんだよね。だから教えるのも上手だし、意外と優しいから相談にも乗ってくれるんじゃないかなぁ」
教えてもらったくせにわたしは泳げるようにはならなかったんだけど、というのは言わないでおこう。
「なるほど…確かに凛ちゃんさんなら…」
ふむ、と顎に手を当てて考え込むような仕草をして怜くんが頷く。
ハルはちょっと感覚的すぎるから微妙だよね、と続けたら面食らったような表情をしていた怜くんがようやく笑う。
思い悩むみたいな表情に、ちょっと明るさが戻った。
「早速今日お話に行ってみます」
「うん、頑張ってね」
「なまえ先輩も一緒に行っていただけませんか…?」
「えっいやいや、わたしいたら邪魔じゃない?」
話に行くって、鮫柄にだよね。
合同練習でたまに行くことはあるけれど、部活以外で男子校に行くなんて、いくら幼馴染がいるからって許されないんじゃないだろうか。
…というか、幼馴染がいるからこそ行っちゃいけない気がする。
むしろ心強いです、なんて子犬のような目で言われてもここは断固拒否、だ。
「ごめんね、一緒には行けない…。けど応援してる、今度の合同練習までに泳げるようになるといいね」
それからの怜くんは部活にはちゃんと出るけれどそそくさと帰って行ったり、授業中に居眠りしたり(これは渚くん情報だ)、いそいそと鮫柄に通って凛にコーチをしてもらっている。
わたしは事情を知っていたけど、なにも聞かされてないみんなが怜くんが部活を辞めるんじゃないかって騒ぐのも無理はなかった。
怜くんが恋をしているんじゃ、なんて疑いが出たときにはちょっと笑いそうになったけど。
知っているのに黙っているのは心苦しいけど、わたしの口から言うべきではない。
「怜くーん、みんなに秘密にしたいのはわかるけど、あんまり心配かけないであげてー」
ある日のお昼休み。
怜くんを捕まえて話を切り出す。
普段の部活のあと鮫柄でも慣れない泳法の練習をしてるからだろう、心なしか痩せた気がする。
やつれたとかではなくて、引き締まった感じだから悪いことじゃないんだけど。
心配かけないで、なんて言ったけれど怜くんのことも心配になってしまう。
「心配、ですか?」
「うん。みんな心配してる、特に渚くん」
「あと少しでみなさんにお披露目できそうなんです。だから大丈夫ですよ」
「え、それ本当?!」
「はい!元々理論は完璧でしたので、あとはコツを掴めればなんの問題もありません!」
「わぁーすごいね、わたしいくら教わっても駄目だったのに!実はわたしも凛に水泳教わったことあってね。でも全然駄目で、凛にも宗介にも呆れられた」
黙っておこうかと思ったんだけど、と苦笑したら怜くんは全然驚かなくて、あれ?と思ったらなんてことない風に返事が返ってきた。
「凛ちゃんさんに聞きました。二人掛かりでいくら教えても駄目で、なまえ先輩には根性が足りない、と」
「根性って…」
小学生の女の子に根性求められても困ります。
「みなさん仲良しだったんですね」
「え?うん、まぁ…小学生の時はね」
昔は江ちゃん、凛、宗介と四人でよく遊んだ。
いつも一緒だった。
今はどうだろう。
水泳があるから、なんとか繋がっている。
じゃあ水泳がなくなったら?
わたしは高校三年生で、もうすぐ引退だ。
ハルたちは引退したってきっと水泳を続けて、これからも友達としてライバルとして在り続けるんだと思う。
わたしは、わたしたちは、これからどうなるんだろう。
怜くん曰くもう少しで鮫柄に通う日々も終わりそうだし、そうしたら渚くんたちがそわそわすることもなくなるはず。
「怜どうしたんだろう?」って心配そうな真琴の言葉も聞かなくて済む。
知らないフリをするって疲れるんだもん。
…と思ったのに。
ハルの家で行われた緊急ミーティング(議題はもちろん怜くんの最近の行動について、だ)のあと、みんなが怜くんを尾行すると言いだした。
「部活を辞めるなんてありえない」と怜くんは明言したのに、そのあと用事があるので、なんてさっさと帰ってしまったから疑念は晴れるどころか深まってしまったようだ。
「なまえちゃんも行くでしょ?!気にならないの?!怜ちゃんが心配じゃないの??!」
なんて渚くんに迫られてわたしは行かない、なんて言えるわけがない。
両肩を掴まれてガクガク揺さぶられて半ば強制的に首を縦に振らされた。
渚くんは時々恐ろしい行動に出るよね…。
「怜の家、こっちじゃないよね?」
竜ヶ崎家のある方面と逆の電車に乗り込む怜くんをこっそり追いかけて、隣の車両に乗り込んだ。
いくら声を潜めてもバレるんじゃ…と思ったのに意外と気付かれないもので、電車は淡々と進む。
電車が駅を通過するたびにわたしの気持ちもちょっと重たくなるような気がした。
だってこのあと辿り着くところなんてわかりきってる。
「鮫柄…?」
怜くんのあとを追って着いたところはやっぱり鮫柄学園だった。
すっかり暗くなった校舎内を忍び足で歩く。
「真琴、セーター引っ張らないでよ」
「だって夜の学校ってなんか、」
「おばけ出そう?」
「う、うん…」
何回も来てるのにーとからかうように笑えば「回数とか関係ないよ…」と弱々しく返事が返ってきた。
掴まれているセーターの裾から剥がすようにして真琴の手を取る。
だって結構な力で引っ張られてるから、伸びたらどうしてくれよう。
「怖がってる場合じゃないよ、部長!」
「っそうだよね、今は怜が何をしてるのか突き止めないと」
部長!なんて初めて呼んだしわざとらしかったかも、と思ったけど橘部長は意外と単純だった。
剥がした手をそのまま繋いで(だって真琴の手が震えてるんだもん)先陣を切っている渚くんたちの後ろを付いて行く。
「怜、もしかして…」
真琴がつぶやく。
繋いだ手に力がこもった。
もしかしても何も、怜くんが鮫柄に来る理由なんてひとつしか思いつかない。
夜でも明かりの付いている温水プールで、怜くんがぎこちないながらにフリーを泳いでいた。
「怜くんはすごいなぁ」
「なにがですか?」
「本当に全種目泳げるようになっちゃうんだもん」
「凛ちゃんさんのおかげですよ」
「それでも、頑張ったのは怜くんでしょ」
怜くんが岩鳶のみんなに泳ぎを披露して、鮫柄に通うのもやめて、いつも通りの日々。
また図書館で遭遇した怜くんと小声で話す。
「なまえ先輩も助言をくださってありがとうございました。おかげでもやもやしていた気持ちがなくなりました」
「わたしなにもしてないよ」
頑張ったのは怜くんで、わたしはちょっと口出ししただけだ。
「あの…これはお節介かもしれませんが…」
怜くんがこんな風に朗らかに笑うのを見るのは久しぶりだなぁ、なんて思っていたら、怜くんの笑顔が曇った。
「僕にも何かできることがあったら言ってください。…少し前から、よく考え込んでいるような顔をされているので」
「えっ…そんな顔、してた?」
「はい。なんとなくですけど」
後輩にまで心配されるなんて、情けない。
岩鳶祭から少し経った。
なにも変わらない毎日。
いつも通り真琴は優しいしハルはプール開きでちょっと、いや大分機嫌が良いけれど、渚くんは明るくムードメーカーで江ちゃんは筋肉のことになると瞳を輝かせる。
怜くんのことも解決してまた穏やかに、だけど水泳に一生懸命な日々。
宗介が手当してくれた膝の擦り傷はかさぶたになって、それと反比例するみたいに心の傷が開きかけているような気がする。
それ以外は、なにも変わらない毎日。
変わらないもの、変わっていくこと。
時間が解決してくれた気持ちを思い出して切ないのは懐かしいから?
曖昧に笑い返したら、怜くんも困ったように笑った。
(2014.12.28.)