27.

「万チャン!なまえチャン!買い出し任せちゃってごめんね!」
「太一くんおはよう、大丈夫だよ」

人波をかきわけて太一が走ってくるのが見えたとき、隣からホッとしたような空気が伝わる。
待っている間も「太一来るって」「はい」という最低限の会話しかなくて空気の重さが尋常じゃなかった。
大丈夫と言いながらすぐに立ち上がったなまえは、お花見楽しみだねと太一の横に並んで早く歩き出したそうにしていた。



「……万チャン、仲直りできた?」
「は?」
「なまえチャンと!」
「別にケンカしてねぇけど」
「え〜?でも明らかに変じゃないッスか。前はけっこう仲良く話してたのに」

他の奴らと合流すると、なまえはそそくさと兵頭の近くに行ってしまった。
その様子を見た太一が俺に耳打ちをするように小声で話しかけて来て、やっぱ買い出しが俺たち二人だったのは偶然ではないらしい。

「なまえチャン、前に告白された人とは付き合ってないって」
「…本人に聞いた」
「あっそうなんスか?万チャンそれ気にしてるのかと」
「なんで俺が。てか花見だろ、こんなとこでどーでもいい話してないで飯食おうぜ」

太一の肩をぽんと叩くと不満げな声で「うん」と返された。

どーでもいい、と自分で言ってめちゃくちゃ違和感があった。
どうでもよかったら一言「悪かった」と伝えるのにここまで苦労しない。
あれから、もう一か月近く経ってしまって今日を逃せば次いつ顔を合わせることになるかわからない。
謝って済むもんでもねぇと思うけれど、このままっつーわけにもいかない。

今もジュースが入っているであろう紙コップを両手に持って、隣には兵頭と椋。
親戚で固まってんなよ、年始の集まりじゃねぇんだから。
そう思っていたら臣がシュークリームの乗った皿を渡して三人そろって瞳を輝かせていた。

「万里くん、お腹いっぱいになった?」
「…紬さん」
「すごいよね、ご飯ほとんど臣くんが作ったんだって」
「らしいっすね。昨日から仕込んでました」
「桜も満開だし、陽射しも気持ちいいね」

桜も陽射しも紬さんに言われて改めて見上げると憎たらしいくらいの花見日和だ。
……この人は、俺が紬さんを見てどろどろしたもんが腹の中で渦巻いているなんて思いもしていないのだろう。
紬さんと話している時、なまえのほうを見ると目があって丸い瞳が少し見開かれた気がした。
その様子に気が付いているのかわからないけれど臣も俺たちのほうを見て声をかけてくる。

「万里と紬さんも食べないか?シュークリーム」
「もらおうかな、万里くんも食べようよ」
「あー…はい」

食べるか聞いてくれたわりに臣がこっちに来る気配がなくて紬さんが立ち上がった。
俺もそれにならって自分の使っていた紙コップを持ち臣たちのほうに行くけれどなまえの顔を見ることはできない。

「すごいなぁ、シュー生地から作ってるんだよね?」
「はい。クリームが二種類あるのでよかったら二つ食べてください」
「なまえちゃんは両方食べた?」
「はい、どっちもおいしかったです」

紬さんがごくごく自然に声をかけるとなまえは弾かれたように顔をあげた。
目尻を下げて、ゆるく上がる口角。
俺には向けられない表情、兵頭だけのものだと思っていたら紬さんにも、臣にも、椋にだって見せるその表情が嫌いだと思う。

「ティッシュ使いますか?」
「うん、ありがとう」

なまえがそばにあった箱ティッシュを紬さんに差し出す。

「摂津さんも、どうぞ」
「おう」

多分ここに監督ちゃんか左京さんがいたら「おうはお礼じゃない」とどやされていたと思う。
俺だってそう思う。
だけど紬さんに向けた表情を引っ込めたなまえの消えそうな小さな声にどうしようもなくイラつく。
臣の作ったシュ―クリームは確かに美味かったけれど俺には甘すぎると思った。



小さな背中がでかいゴミ袋を両手に持ったから後ろからひとつを奪った。
まだ明るい時間帯だけれど少しずつ風が冷たくなって来てそろそろ引き上げようと片づけを始めたのだ。

「っ、…摂津さん」
「ゴミ捨てんだろ、行こうぜ」
「……はい」

相変わらず縮こまるようななまえに溜息が出そうになる。
だけど突然付き合ってもねぇ男にキスをされたらこんな態度にもなるんだろう、俺が悪い、わかっている。
並んで歩いて所定の場所にゴミを置いたら戻るだけだ。
すぐそばの水道で手を洗う時も無言だったけれど、びしょ濡れの手をそのまま自然乾燥させようとぶらぶらさせていたらハンカチタオルを差し出されて受け取った。

「サンキュ」
「いえ」
「…あのさ、あーちょい待ち逃げんなって」

スーパーでは不自然なくらいに言葉を遮られたけれど今はもっとあからさまだった。
さっと踵を返して来た道を戻ろうとするなまえの手首を掴んで引き留める。

「謝らせて。この前のこと」
「……別に気にしてないです」
「だったらなんで俺の顔見ねぇんだよ」

思わずそう言い返すと下を向いていたなまえが急に顔をあげた。

「見てます」

睨むみたいな目つき、だけど全く凄みのない表情は知り合ったばかりの頃によく向けられた顔で、でも決定的に違うのは今のなまえの目が今にも泣き出しそうに潤んでいることだ。

「…場所変えようぜ」
「え、」

ゴミ置き場でするような話ではない。
まだ片付けは時間がかかりそうだったし、すぐに戻らなくても大丈夫だろう。
なまえの手を引いてさっきまで花見をしていた場所とは反対に歩き出す。

「ど、どこ行くんですか」
「落ち着いて話せてお前が逃げないとこ」
「……逃げません」

その言葉は無視した。



天鵞絨公園は広くて出入り口が何か所かある。
適当に歩いていたら来た時とは反対の入り口に辿り着いて、太一を待っていた時と同じようにベンチに並んで座るけれどやっぱり人一人分の間隔を空けられた。

「手離してください、逃げないので」
「……」
「摂津さん」
「悪かった、キスしたこと。謝ろうにもタイミング逃しまくった。ごめん」

こんな風に誰かに頭を下げたことは俺の記憶の限りない。
なまえが返事をしないから、俺も顔を上げられない。

「…熱、あったんですもんね」
「あー……」
「なんか変だなって思ってたし、別に、大丈夫です」

大丈夫だと言った後にきゅっと引き結ばれた唇が、それは真実じゃないと告げているようだった。
やっぱこいつ役者にはなれないと思う。

「さっきも言いましたけど、気にしてないので」
「だったらなんで泣くんだよ」
「…目にゴミ入りました」

嘘つくならもっとマシな嘘をつけと思ったけれど、そんなことを言うならと距離を詰めて顔を覗き込んでやった。

「っ、なんですか」
「……入ってねーじゃん」
「やめてください、こういうの…摂津さんは平気かもしれないけど」

声が滲んで掴んだままだった手を無理矢理引き剥がされた。

「優しくされたり冷たかったり、こういう距離の近さとか、全部苦しいです」

ちゃんと謝ったら、本心から許されるかはわかんねぇけどこいつは今まで通りのフリをしてへらへら笑うんだろうと心のどこかで思っていた。
それかめちゃくちゃキレて軽蔑されたまま目すら合わないというのが続くか。
まぁ前者だろうなと、そう思っていた。
なのに瞳いっぱいにたまった涙がぼろっとこぼれたから、振り払われた手をもう一度握り込んで引っ張ると簡単に倒れて来る身体を腕の中に閉じ込めた。
苦しいと泣く顔を見たくなかった。
泣かせているのは俺なのに。
小さく聞こえた「はなしてください」は聞こえないふりをする。

「…お前が、俺だけ名字で呼ぶのむかついてた」
「……なんの話ですか」
「兵頭とやたら距離が近いのも紬さんに速攻なついてんのも腹立つ」

腕の中から抜け出そうともぞもぞ動いていたなまえがぴたりと動きを止めた。
こんなとこで何やってんだと思うし通り過ぎた子供が「ぎゅうしてる」と言っていたけれどかまっていられなかった。

「なに、言ってるんですか?」

意味わかんないです、と俺の胸を押し返そうとする手には力なんて全然入っていないけれどそっと腕の力を緩めた。
なまえは苦しいと泣くけれど俺だって膨れ上がったもんに押しつぶされそうだ。

「好きだ」
「……え」
「だから、お前のことが好きだっつってんだよ」

さっきまで泣きそうに顔を歪めていたなまえが今度はぽかんとまぬけな顔で静止した。

「好きだからキスした。熱のせいじゃねぇ」
「…嘘」
「悪かったとは思ってる。お前好きな奴いんのに」
「好きな、人?」
「わかんねぇって言ってたけど自覚あんだろ。見てりゃわかる」

なのにごめん、ともう一度謝った。
好きな奴がいても俺のほうを見てほしいなんてこんな想いを抱くようになるなんて自分でも思わなかった。
押し付けでもひとりよがりでも溢れて止まらない。
ぎしぎしと痛む左胸の音をこいつに聞かせたら、俺の告白を信じてくれるだろうか。

「わかるって何がですか」
「…お前の好きな奴」
「誰だと、思ってるんですか」
「……紬さん」

なまえの瞳にまたじわっと涙が浮かんで眉がきゅっと寄った。
多分これはちょっとむかついている顔だということがわかってしまう。
泣いたり怒ったり忙しい奴だな、俺のせいか。

「紬さんのことは大好きですけど、そういう意味じゃないです」

こいつ本気でわかんないって言ってたのか、と思ったらずっと俺の胸を押していた弱い力がなくなった。

「摂津さんにキスされて、ビックリしたけど嫌じゃなくて、だけどなんで?って考えたらやっぱり嫌で、」

嫌じゃないと言われて心臓が大きく跳ねたような気がする。
ぽつりぽつりと言葉を重ねていく唇は震えていた。

「熱に浮かされてたとか、誰でもよかったんだとか、やっぱり女の子慣れしてるんだって考えたり摂津さんのこと見ると苦しくて嫌なんです」
「…どういう意味」

表面張力に負けた涙がまたなまえの瞳からこぼれた。
着ていたパーカーの袖でそれを拭ってやると「こういうのも、嫌です」とまた泣かれる。

「嫌ならもうしねぇ」
「……」
「本当に嫌?」
「…いじわる言われるのも嫌です」
「なぁ、俺のこと好きなの」

キスをしてから全然合わなくなった丸い瞳が俺を映した。
きゅっと引き結ばれた唇がほどかれて紡いだ言葉に、あぁ俺はこの瞳に見つめられて、この声で、この言葉がほしかったんだなと思う。

「すき、です」

俺もって返すから、もう一度抱きしめていいだろうか。



(2021.02.11.)



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