12.だけど間違えたくない

「いらっしゃいませ」

そう笑って迎えてくれたいつものなまえちゃんの笑顔に心の中がぐちゃぐちゃになりそうだった。
あまり眠れずに朝になってしまって、幸い今日の仕事は夕方からだったから帽子を深くかぶってまろんに来た。

「真琴くん、久しぶりだね。撮影どうだった?」
「うん。久しぶり。なまえちゃんのおかげでスムーズにできたよ」
「そんな、真琴くんが頑張ったからだよ」

カウンター席に座ると、お冷とおしぼりをくれる。
メニューはもう決めていて、ホットのカフェラテくださいと伝えると柔らかく笑ってくれる。
少ししてからカフェラテとクッキーの乗ったお皿をなまえちゃんが出してくれた。
短く切りそろえられた丸い爪がなぜかいつもよりも目に入って、あぁなまえちゃんの手だなと思う。

お礼を言って一口飲むと、いつもよりもコーヒーの風味が優しく感じた。
寝不足だからかなと首を傾げてなまえちゃんのほうを見ると「今日いつもよりミルク多めにしてみたんだけど、どうかな?」とうかがうような表情。

「やっぱり?おいしいけど、なんで…」
「真琴くん、なんか顔色良くない気がしたから」
「……そうかな」

ずきずきと痛む胃に、沁みるような優しい味だった。
俺はなまえちゃんにこんな風にしてもらう資格なんてないのかもしれない。
なまえちゃんは、明日の記事を読んだらどう思うだろうか。
久しぶりに顔を合わせたけれど、まろんに入った瞬間になまえちゃんがいてくれて息が詰まりそうになるくらい、嬉しいのか苦しいのか、多分どっちもだなんてよくわからない気持ちが込み上げた。
今日は長居はしないつもりだったから、出してくれたカフェラテを飲み終わる頃合いに他のお客さんもいなかったから持って来ていたおみやげの袋をなまえちゃんに差し出した。

「なまえちゃん、これ。おみやげ買ってきたんだ」
「え…!いいの……?」
「うん。色々お世話になったし」
「あれくらい全然…うわぁ、嬉しい」

なまえちゃんが紙袋を受け取ってくれて本当に驚いたように嬉しそうに笑う。
いつも手紙をもらう側だったから、なまえちゃんに何かをあげるのは初めてだった。
たいしたものじゃなくて申し訳なくなるくらい喜んでくれて、こんな顔が見られるならいくらだって贈り物をするのに、なんて……何考えてるんだろう。
明日からまたしばらく、今度はきっとロケ期間よりもずっと長い間会うことができないかもしれないからこんな気持ちになるんだろうか。

「なまえちゃん」
「うん?」
「……俺、」

ぐっとカウンターに置いていたこぶしを握る。
食欲がないのに食べたクッキーが逆流してきそうだ。
信じてほしいなんて言ってはいけない言葉が浮かんで、頭の中で消した。

「撮影、頑張ったから。映画が完成したら、観てくれるかな」

もしかしたらこの言葉すらなまえちゃんを傷つけることになるかもしれない。
頑張ったと言っていた撮影地で一体何をしていたんだと誤解されたら辛すぎるけれど、誤解なんだと伝えることができない。

「もちろん!楽しみだなぁ」
「うん。あと、」

なまえちゃんは俺の言葉を待っている。

「俺……ちょっと明日から立て込むと思うから、まろんにはまたしばらく来れないと思うんだ」
「そうなんだ…新しいお仕事?すごいね」

違うんだ、全然すごくなんてない。
あんな記事が出たらしばらく仕事場と家の往復しか許されないしマネージャーの送迎が必ず付く。
引越しの準備もしなくちゃいけない。
嘘をついているわけではないのに、やっぱり胃も心臓もずきずきと痛くてなまえちゃんの顔を見ることができなかった。

明日はテレビも携帯のネットニュースも見ないで、そう言いたい。
だけどそんなの意味がなくて。
事実ではないと信じてほしいと言えないことが苦しいけれど、今回のことで俺にはアイドルとして、役者として、守らなければいけないものがあるのだと改めて突き付けられたような気がした。
アイドルに恋愛はご法度。
事務所が恋愛禁止をうたっていなくたってそんなの関係ない。
何よりも大切なのはファンのみんなだ。
ファンの子たちがいなければ俺たちは歌を届けられない。
もちろんそこにはなまえちゃんも含まれていて、なまえちゃんが好きだと言ってくれる俺でいることがこの先もできるのだろうかと考えた。
俺がもしも、なまえちゃんを特別だと思っているなんて言ったら失望するんじゃないだろうか。
もしも、なまえちゃんへのこの気持ちが恋とか愛とかそういうものだとして、なまえちゃんはアイドルとしての橘真琴を好きになってくれただけだ。
なまえちゃんが受け入れてくれたとしても、アイドルをしている俺と親しい関係になったらこうやって週刊誌に書かれるかもしれない。
俺は何を言われてもいいけれど、そうなって傷付くのはなまえちゃんだし、他のファンの子たちだ。

「なまえちゃん。俺、なまえちゃんに会えてよかった」

きょとんとした顔の後に赤くなる顔、丸い瞳が潤んで照れくさそうになまえちゃんが俯いた。

「また来るね」と言って立ち上がる。
明日のことを考えると憂鬱で仕方がなかったけれど、誠実でありたいと思った気持ちに背くことのない行動をしよう。
そう思えただけでもまろんに来てよかった。
俺が大切なものを、これから先も守るために。

なまえちゃんにもう一度伝えた「またね」は細くて頼りない誓いのような言葉だった。



次の日は、マネージャーさんが仕事を調整してくれて一日家にいた。
正直やることがあったほうが気がまぎれるんだけどな…と思いながら、部屋の掃除をして過ごす。
テレビはつけるなと言われたし、ワイドショーや情報番組は観ないほうがいいだろうと自分でも思った。
週刊誌はもう店頭に並んでいる。
同時に世間に知られて、あることないことコメンテーターの人に言われてしまうんだろうと考えると嫌になる。
STYLE FIVEのメンバーにもこの記事が出ることは伝えられていて、みんなからは心配する連絡が来ていたから「俺は大丈夫、迷惑かけてごめん」とだけ返した。
明日からは普通に仕事があるけれど、公の場は一週間後にあるCMの完成披露会見だ。
商品について話す場所だけれど、フォトセッションや質疑応答があるはずだからそこで報道陣から何かしら聞かれるだろう。
そこでも何も言うなとマネージャー陣からは言われている。
言われていた、けれど。

「本日はお集りいただきありがとうございます。早速CMに出演しているSTYLE FIVEの五名に登場していただきましょう」

そう司会の人がアナウンスをして「また、今回質疑応答のタイミングがございますが、商品に関することのみでお願いいたします」と付け足した。
詳しいことはもちろん言っていないけれど、一週間前に出た俺のスキャンダルのことだと誰もがわかるだろう。
裏で待機しながらハルたちが俺の肩をぽんっと叩いた。
公の場というのはやっぱり緊張する。
笑顔を見せることには慣れているはずだけれど、表情筋がこわばりそうだった。

「真琴、お前は商品について聞かれたことだけ答えとけ」
「そうそう!フリートークは僕たちが回すから心配しないで!」
「お任せください!」
「みんな…ありがとう、ごめん」
「謝る必要なんてない」

みんなにはほとんどすべてのこと…北野さんの相手が誰だったかということ以外は伝えられていた。
迷惑かけてごめんと謝ると俺に真琴は悪いことなんてしてないだろと声をかけてくれるみんなに救われる。
登壇時のフラッシュがいつもよりも目に痛い気がしたけれど、並んで立つ四人のために、この完成披露を観るファンのためにも背筋をシャンと伸ばした。



「それでは本日のCM完成披露発表を終わらせていただきます。STYLE FIVEのみなさんありがとうございました」

その言葉をキッカケにお辞儀をして舞台袖にはける段取りだったけれど、やっぱり集まった記者さんたちから俺に対して質問が飛ぶ。
身構えていてもビクつきそうな肩を、今度は凛が押さえてくれた。
その手に、俺も手を重ねて大丈夫と伝える。
立ち止まって、フラッシュの海に顔を向ける。
眩しくて記者さんたちの顔は見えなくて、それが逆に気持ちを落ち着かせた。

「お騒がせしてすみません」
「おい、真琴…」
「ごめん、一言だけ言わせて」

手にしていたマイクを口元にあてて、ひとつ息を吸った。

「今回のことで傷つけてしまったファンのみなさん、ご迷惑をおかけした関係各所のみなさん、本当に申し訳ございません」

頭を下げるとフラッシュがまた光る。
どこからか「あの記事は本当なんですか」と声が飛んできた。
袖からマネージャーさんがはらはらとした目で見ていることが想像できたけれど言いたいことがあるんだ。

「噂になった方と撮影中に仲良くさせてもらっていたのは本当です」
「認めるということでしょうか」
「いえ…それは、違います。僕と彼女はただの共演者だということは信じてください」
「あの写真を見てみんなが納得すると思いますか?」

マイクを握る手に力が入った。
だけど発言をすると決めたのは俺自身だ、最後まで話そうという意志は変わらない。

「…私服で一緒にいるように見えた写真は全て撮影時のもので、服も衣装です。同じマンションから出てきていたのは偶然で、」
「そんな言い訳が通ると?北野さんはあのマンションには住んでいませんよね」
「……だけど、事実なんです。僕と彼女には何もない、これしか言えなくて情けないけどこれで全部なんです」

もう一度深く頭を下げる。
今度こそマネージャーさんが袖から出て来て、フラッシュから俺を隠すようにはけさせた。


「真琴くん〜……」
「すみません…やっぱり黙ってるなんてできなくて」

黙っていれば数か月で噂は落ち着いたかもしれない。
だけど、消えるわけじゃない。
信じてもらえるかなんてわからないし、俺が言及したことでまた迷惑をかけた人がいることもわかっているつもりだ。
でも、いちばん大切にしたい存在に少しでも届いていてほしい。
そう思う俺は子供なのだろうか。
チーフマネージャーにも事務所の社長にもこっぴどく怒られたことは言うまでもない。



(2021.02.07.)



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