22.春高予選準決勝

会場である体育館に入って大きく息を吸う。
日向くんがエアーサロンパスのにおいだといつも言うこの空気が、今日はいつもよりもずっとひりひりと痛く感じる。
春高最終予選、準決勝。
インターハイ予選ではここで敗退した。
対戦相手はその時と同じ青葉城西なんて、今まで会場で会うことすらなかったのにどんな巡りあわせだろうか。

青葉城西が強豪校だというのはわたしたちが中学生の頃から変わらないけれど、強豪と呼ばれるには才能のある選手をそろえるだけじゃない。
そう呼ばれるだけの練習を重ねて、実績を築いてきている。
及川が高校生活をかけて作り上げた青葉城西は強い。
強いけれど、磨いてきた全部で全員で勝つのだ。



いつもの試合前と同じようにベンチを整えて必要なものを揃えて置く。
中学の頃から続けているマネージャーとしての仕事はもう沁みついていて試合前の動きもルーティンになっていたけれど今日はより丁寧に、ひとつひとつ噛みしめるような気持ちになる。
どこが相手でも同じだと自分に言い聞かせているつもりだったけれど、わたしも緊張しているみたいだった。

「なまえっ」

選手陣は各々コートでセットアップやサーブの確認をしていた。
準備が終わったからボール出しを手伝おうとコートに入ろうとしたところでスガに焦ったように名前を呼ばれる。
死角になっていた方向からボールが飛んできたのだ。
わたしが試合に出るわけでもないのに身体が堅くなってしまっていたのか反応が遅れる。
飛んでくるボールに気を付けてね、と仁花ちゃんに先輩風を吹かせていたくせに。

当たる、と他人事みたいに思ったのに身体が動かなくてぎゅっと目を瞑ったけれどバシッという軽い音の後にも構えていた衝撃は来なくて「何年マネやってんだ」という呆れたような声が降ってきた。

「岩ちゃん…今年で六年目です……」
「律儀に答えんな」
「ごめん、ありがと。スガもありがとう」
「いや……、当たんなくてよかった」
「なまえ!ごめん!大丈夫だった?!」

ネットの向こう側から走ってきたのは及川で、このボールは及川が打ち損ねたものだったらしい、珍しいこともあるんだな。

「当たってないから大丈夫だよ。岩ちゃんって本当かっこいいね」
「え!なまえ、岩ちゃんはダメだよ?!」
「ダメとはなんだコラ」
「さっきの伊達工戦のラストボールもすごかったなぁ」
「あのスパイクは俺のトスがよかったからで、」
「ライバル校の選手褒めてどうすんだ」
「みんな言ってたよ、かっこいーって」
「ねぇ俺の話聞いてる?二人とも?」

なんか昔に戻ったみたいだなと笑ってしまった。
多分こんな場所と状況じゃなければいつまででも話せるけれど、スガのほうに向き直る。

「スガ。ごめんね、ありがと」
「いや、俺は間に合わなかったから」
「スガが名前呼んでくれなかったら岩ちゃんも気付かなかったかもだし後頭部直撃してたかも」
「こいつのスパイク頭にくらったら試合どころじゃねーぞ」

悪かったな、と岩ちゃんがわたしとスガを交互に見てまた謝る。

「ううん、悪いのは及川だから」
「なまえ〜……」
「うそうそ。ほら、アップ戻ろう」

難しい顔をしているスガのユニフォームの裾を少しだけ引っ張って、中断させちゃってごめんと謝ると「全然」とスガの手がわたしの背中を優しく押して烏野のみんなの輪に戻った。


「……岩ちゃん俺ってチョロいのかもしれない」
「朝からあおられっぱなしだな」
「やっぱりあの爽やか君なのかなー」
「いい奴そうだしな、お前と違って」
「岩ちゃん!」
「うるせぇ」



試合が始まると息が詰まりそうだった。
終盤に近付くにつれてスコアを書く手が震える。
選手交代の時に渡す背番号のボードを間違えないよう、緊張してコートに出ていく選手の背中を押せるよう、いつも通りを心がけたけれどジャージの左胸のあたりをぎゅっと掴むと心臓がいつになく早く動いている気がした。
一生のうちに心臓が脈を打つ回数は決まっているって聞いたことがある。
本当なのかはわからないけれど、もし事実だったらわたしの寿命が確実に縮んだ。

フルセットまでもつれ込んだ準決勝。
烏野対青葉城西の試合は、日向くんのスパイクが及川の腕を弾いてコートの外に落ちて終わった。
一瞬の静寂と、ボールが床を跳ねる音。
ふ、と身体から力が抜ける。
手にも力が入ってしまっていたみたいで、気が付いたらスコアを書いていたノートが少しひしゃげていた。
勝者と敗者のどちらかしかないのに、わかっていたのに、込み上げてくる涙の理由が自分でもわからない。
泣くわけにはいかないから、ぎゅっと唇を噛んで眉に力を入れて、いろんなものを飲み込んだ。

「みょうじさん、大丈夫ですか?」

隣から武田先生に気遣わし気に声をかけられて現実に引き戻されたような気がした。

ネットを挟んで、両校の選手がお辞儀をして握手を交わす。
試合後のいつもの光景なのに視界が滲んでしまう。
岩ちゃんが飛雄の肩をぽんぽんと叩いて、多分激励の言葉をかけている。
そういうとこかっこいいんだよな。
及川は、澤村とがっちりと握手をしているけれどその表情から感情は読み取れなくて、最後に飛雄と何かを話していた。
飛雄と話すときの及川はいつも子供みたいだった。
誰にでも人当たりが良いのに飛雄にだけはずっと嫌悪感を隠さない、今もそう。
及川が表情を歪ませて、飛雄も眉を寄せてそれに返している。

(何、話してたんだろう)

この後は各校が相手のベンチに挨拶をしにいく慣例があるから、それを待ち受けながら小さく息をはいた。
握りしめた手にもう一度力を入れる。
目の前に青城の選手が、岩ちゃんが、及川が立ったら泣いてしまいそうだった。

きゅっきゅっというシューズが床をこする音がして、俯けていた視界に青城の選手たちのバレーシューズが並んだ。
そっと顔を上げると、白とミントグリーンのユニフォーム。
及川は烏養さんの前に立っていて、わたしの前にはぐっと強く唇を噛んだ金田一くんが立っていた。
スポーツマンらしく挨拶を終えて、わたしも頭を下げる。
最後に視線を感じたような気がして及川のほうを見てしまって、後悔した。
汗だくで髪の毛も整っていない、へたくそに微笑む及川と視線が絡んでしまって勝ったはずなのにどうしようもなく泣きたくなった。

青葉城西での及川のバレーは、今日で終わったのだ。



(2021.02.05.)



×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -