26.

春組公演の準備期間は、不思議な程になまえと顔を合わせることがなかった。
衣装作りは順調に終わったらしく、チケットも今までの公演の評判のおかげか発売してすぐに完売したからチラシ配りも必要ない。
衣装合わせとメイクも経験を積んできたから劇団員だけでなんとかなってしまった。
手伝いがなければ基本的になまえは寮には来ない。
会いたいと思っているわけではない。
ただ、謝るタイミングを逃してしまっているとは思う。

小屋入りをして場当たりや通し稽古の時はいつもいるロビーにいなかった。
裏に引っ込んで作業をしているのかもしれないけれどそこまでして探すのも気が引ける。
たまたま楽屋に行った時に衣装のメンテナンスをしていた幸となまえに鉢合わせたけれど春組の奴らもいて声はかけられなかった。

今回の公演のモチーフは不思議の国のアリスで、いかれ帽子屋役の至さんの衣装は光沢のあるグレーのセットアップにシルクハット。
うさんくさくてめっちゃ似合ってますね、と言ったら「なまえは素敵ですって言ってくれたよ」と返されて舌打ちが出そうになった。
顔を出しただけだったからすぐに楽屋を出ると、入れ替わるようにしてなまえが入って行った。
一瞬目が合ったけれど慌てたようにそらされて軽い会釈をされただけで挨拶すらしない。
何も言えなかった俺も俺だとは思う。

「なまえ、タイ結んで」
「たまには自分でやってください、ネクタイは毎日結んでるんですから」
「えーなまえにしてもらうと気合入るじゃん」
「本番はわたし表にいるんですけど…」

廊下に出てからそんな会話が聞こえて来て、前髪をかきあげて大きく息をはいた。
至さんは俺がいることをわかってやってるんだろうなと思ったけれど「たまには」ということは俺がいないとこでもやってんのか。

公演が始まれば劇場にいるだろうと踏んでいたけれど、それも思うようにはならなかった。
物販に立っている時は客が途切れない。
客席で誘導をしている時も座席への案内や、客への声掛けで動き回っている。
チケットもぎりの配置の時…と思ったけれど、周りにスタッフも客もいる状況で何を話せと。
それは物販でも客席内でも同じだ、ということには後から気が付いた。

……避けられているのかもしれない、とも思う。
劇場で見かけたとき、客には笑顔で対応していたのに俺と目が合った途端に石みてぇに固まられたときは踏み出そうとした一歩が出なくなった。
それなのにちょっとした合間に他のスタッフとは普通に話していて腹が立つ。
結局なまえとは話せないまま、なんなら視線すらまともに交わさないまま春組第二回公演は幕を下ろした。



「セッツァー!今度の土曜日暇?!」
「暇じゃねぇ」
「即答!最近付き合い悪くない?!」
「えっ万チャン来れないんスか?」
「なんかあんの?」
「お花見しよーって話になってるんだよん!春組お疲れ様会も兼ねて!」
「あー…なる。確かにちょうど見頃か」
「そうなんスよ!週末天気も良いらしいし!」

実際予定はないけれど正直そんな気分じゃねえしさっき「暇じゃない」と答えたから太一と一成はそれ以上誘いの言葉は重ねない。
「もし来れそうなら飛び入り参加大歓迎ッス!」と言い残して今度はダイニングテーブルにいた紬さんに声をかけに行った。

「ツムツムは土曜空いてない?」
「昼間なら空いてるよ。お花見、俺も参加したいな」
「本当?!イェーイ、参加者ゲットー!」
「あはは、あとは誰が来るの?」
「春組は全員参加ッス!夏組は天チャンが仕事で来れなくて、」
「秋組はセッツァーとフルーチェさん以外、冬組はまだツムツムにしか予定聞けてない〜!」
「そうなんだ、ほぼ全員だね」
「あと監督先生となまえチャンも来るッスよ!」

手に持っていたマグカップを落とすところだった。
コーヒーが半分以上入っているのに手を滑らせたら着ているシャツもデニムも、座っているソファも敷いてあるラグも茶色く染まってしまう。
少し前……秋組発足の頃だったらあいつが来るなら余計行かねーと思っていただろう。

「太一、」
「ん?なんスか万チャン」
「場所は?」
「花見のッスか?天鵞絨公園ッスよ!」
「……行けたら行く」

一瞬驚いたような顔をした太一と一成が「絶対に来て!」と声をそろえた。



天気予報通り土曜日は快晴だった。
週末だし天気は良いし桜は見頃。
朝、談話室で流れていたニュースいわく「絶好のお花見日和」らしい。
行けたら行くとしか言わなかったのに太一から「万チャンは買い出し係ね!あと幸チャンと俺っちも!十一時に駅前のスーパー集合で!」と一息に言われた。

「なんでスーパー集合だよ。てか車ある奴が行った方が良くね?」
「至サンは先に公園行ってて、丞サンは不参加なんスよ」

左京さんは来ないって言ってたな、たしか。

「幸チャンも出掛けてて、俺っちもちょっと野暮用があるからスーパーで待ち合わせってことで!」

そう言うと「あ〜忙しい!」とか言いながらどたばたと寮を出て行った。
買い出しっつったって、必要なもんとか聞いてねぇけど。
幸と太一が把握しているんだろうか。
とりあえず寮を出る時間までのんびり準備をして、待ち合わせに指定されたスーパーに向かった。



「……」
「…あの、摂津さん、もしかして買い出し係ですか?」

くそ、これは多分太一と幸に謀られた。
それなりに混雑していそうなスーパーの前に着くと久しぶりに見るなまえが立っていて、思わず踵を返そうとしたタイミングでLIMEが届いたのだ。

『万チャン、ごめん!俺っちも幸チャンも買い出し間に合いそうにないからお願いしてもいい?スーパーでなまえチャンと待ち合わせしてるから事情説明してほしいッス!』

そのあと犬が謝っているスタンプ、それと買うもののリストが送られてきた。
…マジかよ。
内心で舌打ちをしながらリストに目を通すと思っていたよりも量が少ない。
銭ゲバヤクザの指導のもと、できるだけ安いスーパーでというのが決まりになっているから他のスーパーにも誰か買い出しに行っているんだろうか。
まぁあと臣もデカい弁当箱に色々詰めてたからな

「…幸と太一、来れねぇって」
「えっ」
「花見には来る。買い出しは俺たちで頼むってさ」
「…そう、ですか」

顔に気まずいです、と張り付けたなまえの顔が引きつっている。
徹底的に避けていた相手と二人で買い出しとか、そりゃ嫌だろう。

「……あのさ、」
「か、買い出しするものって決まってるんですよね?早く買って公園向かいましょう」

場所取りしてくれてる人に悪いですし、と早口に言ったなまえは俺の返事を聞かずに入り口に進んでいく。
だけど俺が付いて来ているか不安になったのかチラッと振り向いた顔は今にも泣くんじゃねーかってくらい眉を下げていて、この前のことを謝りたいのに話題にすることもはばかられた。
小さい歩幅で歩くなまえにはすぐに追いつく。
俺が横に並ぶと見上げて来た気配を感じたけれど、見下ろしたら多分思い切り顔をそらすんだろう。

「なんか食いたいもんある」と聞いても「いえ」とか、「飲み物好きなもん入れろ」と言っても「はい」とか、会話にはなっているけれどわざとらしい程に俺のほうを見ない。
頼まれた菓子類と飲み物をカゴにどんどん入れて、買い物はすぐに済んだ。
会計を済ませて軽いスナック菓子がパンパンに詰められたビニール袋を渡して飲み物類は俺が持つ。

「摂津さん、それ重くないですか?」
「へーき」

さっきはこっち見ろとか思ったのになまえから声をかけられると俺もそっけない返事になるし顔を見ることができなくてお互い様だと思った。
公園までは歩いて十分もかからない、無言を貫くこともできる。
少し前は会って謝らなければいけないと思っていたのに、いざ顔を見て隣を歩くと何も言えないなんて笑えねぇ。

「……おい」
「え、」

住宅街の狭い道を歩き出して、俯きがちに歩いていたなまえの肩を引いて歩く位置を変わった。
なまえが車道側にいたけれど後ろから自転車やら車やらが通るからだ。
薄い肩は触れた瞬間に少しビクついて、こんな反応をされるとやっぱ、なんとなくだけれど喉元が詰まるような気がした。

「ありがとうございます……」
「ん」

礼を言われたけれどその声もか細くて調子が狂う。
さくっと謝ればよかったんだろうか。
いや、なんだよさくっとって。
それこそ最低野郎じゃねーか。
キス、しといて。
しかも多分こいつ好きな奴いる。
本人はわかんねぇっつってたけど、あんな顔で言われて信じるほど馬鹿ではない。
謝って、その後はどうすんだ。
許してもらえる気がしなくて、今まで無遠慮に見上げて来た瞳が前のように俺を映すことはないかもしれない。
こいつが「わからない」とか言う気持ちを自覚して、頭に浮かべたであろう奴とくっつくかフラれるかするのを見るんだろうか。
それこそガラじゃねーんだけど。

公園の入り口に入ると、既に花見を始めている別のグループから楽し気な笑い声が飛んでくる。
場所取りをしている奴らと合流しようにも詳しい場所を聞いていなくて、そんなことにも気が回っていない自分に舌打ちを飲み込んだ。

「…どこにいんのかわかんねぇから電話するわ」
「はい」

一旦入り口のすぐ横にあるベンチに二人で座る。
並んで座るけれど人一人分は空けられていて、いちいち腹を立てればいいのか胸をチリつかせればいいのかわからない。

「もしもし太一?公園着いたけどどこいんの」
『あー了解ッス!いま入り口?』
「そう」
『迎えに行くから待ってて〜!』

わかったと返事をして通話を終えるとなまえはぼけっとした顔で桜を見上げていた。
上を向いた睫毛とか、形のいい鼻とか、桜色の唇とか、こいつだけ切り取られたように見えてしまう。
弱い風が吹いてなまえの髪が揺れた。



(2021.01.30.)



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