25.

体調が悪い時って、人肌恋しくなったり甘えたくなったりするものだとは思う。
だけど、摂津さんの記憶がどうか、どうか、消えてなくなってほしい。
できれば一緒に臣さんの記憶も。

「……なまえちゃん大丈夫か?」
「はい、ビックリしました」
「全然大丈夫って顔じゃないな」

はは、なんていつもよりも困ったように笑う臣さんのほうを見ることができない。
多分まだわたしの顔は赤い。

「摂津さんは、あぁいうの慣れてるかもしれないですけど…いくら熱あるからって…」
「熱のせいだけじゃない気がするけどな」
「どういうことですか?」
「いや、なんとなく」

摂津さんの頬をひっぱたいてしまって、叩いたわたしも叩かれた摂津さんも放心状態だったと思う。
臣さんが「とりあえず万里は部屋戻ろうな」と摂津さんをソファから引っ張り上げなかったらどうなってしまっていたんだろう。
104号室に強制送還された摂津さんは、やっぱり熱があったみたいでいづみさんが氷枕とか暖かそうな毛布とかスポーツドリンクのペットボトルを運んでいた。

「臣さん、摂津さんの頬冷やしてあげてくれませんか」
「あぁ、わかった。早いほうがいいよな、ちょっと行って来る」

いづみさんには摂津さんの頬を叩いたなんて言えなくて臣さんにお願いするしかなかった。
叩いた理由を、口にすることができないから。

談話室は他の団員さんがいて落ち着かなくて、臣さんの部屋にいさせてもらう。
太一くんも談話室にいるから、と臣さんが招いてくれて初めて入った105号室はそわそわと落ち着かない。
自分の唇に指先で触れてみる。
ふにふにと我ながら柔らかくて、多分みんな同じように柔らかいはずなんだけど、摂津さんの唇がここに触れたなんて夢か幻だったらいいのに。
あんなことをされる理由がわからなくて、きっと理由なんてなくて熱のせいで、もしもあるとしたらそれはいじわるとかそういうもので。
考えたくないのにずっとぐるぐると考えてしまうのは仕方ないと思う。

だって、初めてだったのに。
呼吸と一緒に涙も込み上げそうだった。

コンコン、と小さく扉をノックする音がして「はい」と返すと臣さんだった。
自分の部屋なのにそろりと覗いて、気をつかってくれていることに申し訳なくなる。

「入っていいか?」
「はい、すみませんお部屋占領しちゃって…」

気にするな、と穏やかに微笑んでくれる臣さんの手にはマグカップがあって「飲むか?ココア」と聞いてくれる声も優しい。
マシュマロが浮かんでいておいしそう、とつぶやいたら密さんがマシュマロをわけてくれたらしい。
大切なマシュマロのはずなのに…今度お礼をしよう。

「少し落ち着いたか?」
「…はい、ありがとうございます」

本当は全然だめだった。
落ち着いたかと聞かれてまた思い出して心臓が痛いし多分また顔が赤くなっている。

「それ飲んだらもう今日は帰ったほうがいい。送ってくよ」
「えっでも、幸ちゃんの衣装作り今日全然手伝えてなくて」

それこそ何をしに来たんだと言われてしまう。

「まだ日数があるし急ぎじゃないから大丈夫、って幸からの伝言」
「え…」
「あぁ、他の奴らにはもちろん何があったか話してないから安心してくれ」
「あ、ありがとうございます…臣さん本当お兄ちゃんみたい…」

わたしよりも四歳年上というだけでこんなにも落ち着いて余裕があって懐が大きい。
四年後に自分がこんな風に人に安心を与えられるような人間になれているだろうか。

「摂津さんは、」
「熱が38度以上あるらしいんだがまぁ大丈夫だろ。明日病院行かせるって監督が」
「そう、ですか」
「…多分体調悪くて普段抑えてたものがいろいろ出たんだろうなぁ」

それは、どういうことだろう。
女の人なら誰でもいいのかな、と嫌な考えが浮かんでそれに少しショックを受けている自分がいることにまた傷付いた。
その日は臣さんが言ってくれたようにすぐに帰った。
掴まれた手首が摂津さんから解放されたあともじんじんと熱を持っているような気がする。






やらかした。
朝起きて、寝すぎて逆に身体がだりぃなと伸びをしてふと昨日の記憶が頭に流れ込んできた。
待て待て待て、俺は何をした。
めちゃくちゃ寝た気がするから夢でも見たんだろうか。
寝起きは良くないほうなのに一瞬で目が冴えた。
頭は回ってねぇけど。

幸の手伝いで寮に来ていたなまえが、至さんと俺の話をして、臣に助言をされて、紬さんに…と時系列順に記憶をたどって何度かそれを脳内で繰り返したけれど最後にはなまえに顔を殴られたところで再生が終わる。
思わず自分の両手で顔を覆ってもう一度ベッドに倒れ込んだ。
殴られるようなことをした自覚はある。

あー……くそ、何やってんだよ。


なまえが衣装の手伝いで来るのは土日がほとんどだけれど、幸は当然平日も作業を進めている。
今回の春組公演はコンセプトがしっかりしていたこともあってアイディア出しから実際に作業に移行するのも早かった。
今どのくらい進んでいるのかは知らねぇけど毎晩毎晩ミシンの音がうるさくて眠れないと天馬が言っていたからきっと順調に進んでいるのだろう。
次、なまえはいつ寮に来るんだろうか。
顔を合わせづらいとか言っている場合ではないとは思うけれど、どんな顔をして…っつーかどの面下げて会えばいいんだ。
ずっともやついた何かが腹の中にあることはわかっていて、なまえを前にしたら喉元までせり上がってきそうで飲み込んだ。
なのになまえが、他の男の名前ばかり口にするから。
腕を引いたら簡単に倒れ込んできた体温が低く感じたのは、俺の体温がいつもよりも高いせいだったらしい。

額に貼ってあった冷えピタをはがすとすっかり温くなっていた。
枕元に置いてあったスポーツ飲料のペットボトルは既に封が開いていて、よく覚えていないけれど俺が飲んだのだろう。
喉が異常に渇く感覚がしたから起き上がって飲み下すとスッと胃に落ちた気がした。

携帯で時計を確認すると昼前だった。
今日は月曜なのに学校に行けと叩き起こされなかったっつーことは、まだ俺の体調が良くないと判断されたからで昨日の自分の様子をよく覚えていないことに頭を抱えたくなる。
寝すぎたこともあって身体がダルかったけれどベッドから出て談話室に向かうと監督ちゃんと左京さんが何やら話し合いをしているところだった。

「あ、万里くん!おはよう。具合どう?」
「あー…まだちょいダルい」
「そっか、熱ははかった?」
「いや、まだ」
「体温計そこにあるから計って、まだ下がってなかったら病院行ってね」

平日のこの時間だと寮の中は静かだ。
いつも誰かしらがだべっているソファも空いていて、至さんの部屋のソファよりも座り心地の良いそこに身体を沈める。

「摂津、なんか食えそうか」
「…はい」
「伏見が消化にいいもん作っておいてくれたから温めるぞ」
「左京さんが優しいとか気持ち悪ぃ」
「今だけだ。茅ヶ崎の部屋にいたお前を運んだのも伏見だ。礼言っとけよ」
「……っす」

至さんの部屋にいたのは、俺ともう一人。
なまえが臣に電話をかけていたことは何となく覚えている。

「あとなまえも心配してたぞ」

左京さんがどこまで知っているのかわかんねぇけど、劇団の奴らに俺がしたことが知れ渡っていたらこんなに労わるような態度は取られないだろうな。
いつもと同じトーンの声に返事をすることができない。
臣が作ってくれていた粥が胃に沁みて、劇団に入ってからうまくいかねぇことばっかだなと思う。
食事を済ませて熱を計ると平熱より少し高いくらいで病院に行くほどでもないと監督ちゃんに伝えたら、安心したように「今日はゆっくり寝てね」と言われた。

集団生活をしているから他の奴らにうつさないよう、熱が下がってからも食事の時間をズラしたり兵頭は他の奴の部屋で寝たりということが二日続いた。
もうすっかり回復して来週から学校行けよと左京さんに言われた日の夜、風呂上りに談話室でスマホを操作していたらよれよれになった至さんが帰って来た。
顔合わすの日曜ぶりじゃねぇかな。

「あれ、万里起きてる。知恵熱下がったの?」
「はぁ?なんすか知恵熱って」
「人生スーパーウルトライージーモードの万里くんが最近珍しく悩んでたから知恵熱出したってもっぱらの噂」

ただいまもおかえりもそこそこにそんなことを言われて眉間に力が入る。
知恵熱だとか悩んでいるだとか周りに思われていることが気に食わねぇけど強く否定もできないあたりが情けねぇ。

「万里も青いね」
「うるせーな」
「あれ、否定しないの」
「……」
「もしかして自覚した?」
「何が」
「まぁ俺としてはもう少しこのままでもおもしろくていいなと思ってたんだけど」

さっきから何言ってんだ、と一蹴することもできない。
眺めていたスマホにはLIMEのトーク画面。
劇団のグループトークで、なまえも参加している。
同じタイミングで発言したことは多分ないし、個人的に連絡を取ったこともない。
日曜にしてしまったことを謝ろうかと思ってもう何日も経ってしまった。

至さんがなんか食うもの〜と言いながら冷蔵庫を開けたけれど時間も時間だし何も入っていなかったらしく「マジか」と独り言をもらしている。
臣呼んでくる、ついでに着替えて来る……と談話室を出ていく後ろ姿はくたびれたサラリーマンだっつーのに朝には別人のような顔で寮を出ていくのだから詐欺師かと思う。

「お、万里いたのか」
「…臣。至さんが探しに行ったけど会えたか?」
「あぁ、作ってる間に風呂入ってくるってさ。万里はもう具合いいのか?」
「だいぶマシ。粥ありがとな。あと、日曜も」

日曜も、と声に含みを持たせるような言い方をしてしまったから臣の目が少し細められる。
なまえの手を引いて抱き寄せてキスをしたことも、泣きそうななまえにひっぱたかれたことも、臣が部屋に入ってきたこともぼんやりとだけれど思い出せる。

「覚えてるのか?」
「大体は」
「そうか。じゃあなまえからの伝言」
「は、」
「叩いてごめんなさい、ってさ」

噛みしめた唇にまだあいつの熱が残っているような気がした。
謝んなきゃいけねぇのはこっちだろ。



(2021.01.15)



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