24.

「俺の部屋は駆け込み寺か?」
「何も聞かないでください」
「まだ聞いてないけど」

自分でもなんてあんなことをしてしまったのかわからなかった。
至さんの部屋に行ってソファにダイブして、クッションに顔を埋めて長くてデカい溜息をはいたら至さんがげんなりした声をかけてきた。
関わりたくなかったはずの女と、距離が縮まってしまっている自覚はあった。
縮まっているってそこに何かがあるわけではなくて、劇団の役者とスタッフとして必要だから話をするようになって、他の奴らに巻き込まれながら仲間というカテゴリーに少しずつあてはまるようになっていった。
見上げる瞳がにらみつけるようなものから柔らかい空気をまとうようになったのはいつからだっただろう。
隣を歩くのが嫌だと思わなくなったのは、いつからだっただろう。

「わからない」と言った声も表情も、全くつくろえていなかった。
思い出すと心臓が握りつぶされそうだ。
なんであんなことを聞いてしまったんだろうか。
なまえだって不思議そうな顔をしていた。
聞くんじゃなかった。
つーか今日はあいつに会いたくなかった。
いや今日に限らず会いたい日なんてねぇし寮に来ることを疎ましいと思っていたはずなのに。

「なんなの、マジで。俺飲み物取って来るけど万里は?」
「……いる」
「コーラでいい?」
「…っす」
「おけ。戻ってくるまでに起き上がっといて」

至さんがイスから立ち上がったらしくギィという音がしてぺたぺたと歩く独特の足音の後にバタンと扉が閉まる音がした。
また大きく溜息をはくけれど気分が晴れるはずもない。




「あ、至さんこんにちは」
「やっほーなまえ。今日も幸の手伝い?」
「はい。今回の至さんの衣装すっごく素敵なので楽しみにしててくださいね」
「マジ?それは楽しみ」
「あの、」
「ん?」
「今日、摂津さんに会いましたか?」
「万里?万里ならいま俺の部屋でなんか唸ってるけど」
「唸ってる…」
「うん。万里がどうかした?呼んでこよっか」
「えっいえ、それは大丈夫です。やっぱり具合悪いんですかね…さっき会って話したんですけどなんか変だったんです…」
「具合?そういうわけじゃなさそうだったけど、体調不良っていうより拗ねてるに近い」
「……拗ねてる」
「そ。あいつけっこうガキくさいとこあるからね」

至さんが手に持っていたペットボトルのふたをあけて一口飲んだ。
オフモードの至さんに会うのは二回目だけど、口調とか雰囲気まで普段と変わるんだからすごいなぁと思う。

「なまえの文化祭行ったときも不機嫌そうだったでしょ」
「え?そうですね…あの頃はいつもわたしにはあんな感じでしたけど…」
「たしかに。心配なら様子見ていく?俺の部屋ちょっと散らかってるけど」

そう言ってもらえて正直悩んだ。
不機嫌な時の摂津さんに冷たい目を向けられるのには慣れているけれど、優しい面を知ってしまっているから久しぶりに少し、ほんの少しだけ怖いなと思ってしまって。
でも今日のは怒っているわけではなさそうだった。
だから具合が悪いのかなと思ったけれど至さんいわく「拗ねてる」らしい、何に?
そっとしておいたほうがいいような気もしたけれど、至さんに背中を押されて103号室の前に立った。
コンコン、と控えめにノックをしたら「至さんならいねーけど」とくぐもった声が返ってきた。
そっと扉を開けると摂津さんがソファのクッションに顔を埋めていて、なるほどこれを「拗ねてる」状態と判断したらしい。
…それにしてもすごい部屋だなぁ。
ちょっと散らかっていると言われたけれどこれはちょっとじゃない、と思う。
散乱している服や雑誌を避けながらソファまでたどりついてしゃがむと普段見えない摂津さんのつむじが見えた。
誰か部屋に入ってきたことはわかっているはずなのに起き上がらないあたりやっぱりどこか調子が良くないのかもしれない。

「…摂津さん?」
「……は?」

小さく名前を呼んでみたら顔だけでこっちを向いた。

「…なんで至さんの部屋いんの」
「至さんが、心配なら様子見てきたらって言ってくれて」

これ、よかったらどうぞ、と差し出したのはホットミルクで、余計なお世話だと言われることも覚悟していたけれど摂津さんはのそりと起き上がってマグカップを受け取ってくれた。
ソファに座る摂津さんと、ソファの下にしゃがんでいるわたしでは目線の高さが合わない。
ぽんぽんと摂津さんが自分の隣の空いているところに座るように促してくれて、黒いソファに座ると思いのほかふかふかしていて身体が沈んだ。

「なに、心配って。具合なら悪くねーって言っただろ」
「はい…けど気付かないうちに疲れてるってこともあるのかなって。コーラのほうがよかったですか?」

至さんはコーラのペットボトルを二本持っていたから、一本は摂津さん用だったんだと思う。
一緒に部屋戻りますかと聞いたのに摂津さんにソファを占領されてしまったからしばらく談話室にいると言って広いソファに寝そべっていた。

「いや…ホットミルクとか久々に飲んだわ」

話してくれること、受け取ってくれること、飲んでくれたこと、多分他の人が相手だったら全部こんなに緊張しない。
出会いの印象が最低だったからだけじゃないと思う。
最近は普通にやりとりできるようになったのにどうして今こんなに胸がぎゅうぎゅう締め付けられるみたいに痛いんだろう。

「至さんが万里はカルシウム不足だ、って」
「……名前」
「え?」
「あんた俺の名前初めて呼んだ」
「あ…たしかに……すみません、つい」

嫌だったかな、と摂津さんの表情をうかがう。

「別にいいけど」

ふいっと視線が違う方を向いたけれど多分本当に嫌なわけではないんだと思う。
摂津さん、嫌な時はすごく顔に出すから。

「キッチンに臣さんがいてホットミルクにしたらどうだって言ってくれて」
「さすが秋組のおかん」
「ふふ、はい。そしたら紬さんがこのはちみつ入れるとおいしいよってわけてくれたんです」

少し甘いのわかりますか?と聞くと摂津さんの眉がぴくりと動いたような気がした。

「はちみつってお花によって味とか香りとかけっこう違うらしくて、紬さんは、」
「なぁ…それわざと?」
「…え?」

なんのことかわからなくて思わずかたまってしまう。
なんで、さっきまでゆるく口角をあげて話してくれていたのに。

「…いや、なんでもねぇ」

ぐしゃっと前髪を握りしめるようにしてかきあげた摂津さんがふぅ、と細く息をはいた
わざと、って言ったよね。
なんのことだろう、何か気に障ったんだと思うけれどだったらそう言えばいいのに。

「わたし、戻りますね。そろそろ幸ちゃんに怒られそう」
「は?マジで何しに来たんだよ」

理由なんてわたしにもよくわからなくて、心配だってだけじゃダメなのかな。
曖昧に笑ってごまかそうとしたら、摂津さんの眉にシワが寄って飲みかけのホットミルクがローテーブルに置かれた。
テーブルの上にも所狭しとリモコンや携帯用のゲームが置いてあって、至さんって本当にゲームが好きなんだなと少し違うことを考えていたのが顔に出ていたのか、摂津さんが「聞いてんの」と低い声で言う。

「さっき、いつもと違う感じがしたから。でもやっぱりお節介だったみたいなのでもう戻ります」

ソファから立ち上がろうとしたら、身体がスムーズに動いてくれなくてよろけた。
右の手首を、さっき廊下で会ったときみたいに摂津さんが掴んだからだ。

「っ、」

元いた場所に座れたらまだよかったのに、ぐいっと強く引っ張られて着地したのはふかふかのソファではなくて硬い、骨ばった、摂津さんの膝の上だった。

「ご、ごめんなさい」

慌てて立ち上がろうとするけれど手首を掴んでいないほうの手でがっしりと腰を掴まれて立てない。
後ろから摂津さんの腕がお腹に回されて、何これ、こんなのまるで、抱きしめられているみたいだ。
右肩に摂津さんの頭が乗っかって、すりよるような仕草に身体が固まる。
首筋にあたる息が熱い。
……熱い、息も、摂津さんの手も、顔も。

「摂津さん?!やっぱり熱ありますよね?」

さっきは掴まれて動けないと思ったのにベリッと腕からはがして振り向く。
こういうの火事場の馬鹿力って言うんだよなと後から思った。

「は?」

眉間にシワを寄せた摂津さんの目はやっぱりいつもと違う気がして、嫌がられるのはわかっていたけれどおでこに手をあてたら絶対に熱い。
摂津さんの平熱なんて知らないけれど、どう考えてもこれは平熱じゃない。

「ちゃんと部屋のベッドで寝ましょう、立てますか?」
「熱なんてねーよ」
「体温計どこにあるんだろう、これは絶対に風邪です。だからなんか日変だったんですね」

摂津さんが立とうとしないから、ポケットに入れていた携帯でLIMEを起動する。
履歴の一番上にいる劇団員は十ちゃんだけどここで十ちゃんを呼んでも素直に運ばれてくれないだろうから…えーっと、と少しだけ考えて確実に寮にいるだろうと臣さんに電話をかけた。

「もしもし、今大丈夫ですか?」
『なまえ?どうした?』
「あの、至さんの部屋来れますか?摂津さんが、」
『万里に何かされたのか?』

ガタ、と立ち上がる音と少し焦ったような声。
電話の向こう側からもざわついた声が聞こえてくるからまだ談話室にいるのかもしれない。

「何か?いえ、摂津さんやっぱり具合悪かったみたいで、熱ありそうなんですけど動けなくて」
『え?そうか、わかった。今から部屋行くな』
「はい、お願いし」

ます、まで言えずに携帯を取り上げられた。
誰にって摂津さんにだ。

「誰」
「え?」
「電話、誰。兵頭じゃねーだろ。紬さん?」
「お、臣さんに…かけました、摂津さんのこと運んでもらおうと思って」
「……」

十ちゃんじゃないってわかってるのにどうして喧嘩腰なんだろう。
摂津さんの右手はわたしの手首を掴んでいて、左手にはわたしの携帯。
どっちも離してほしい…と言う前に、バタバタと部屋の外から足音がした。

「摂津さん、離してください」

離してと言ったのに、右手にぐいっと力を込められて前に倒れ込む。
前って、摂津さんのほうにだ。
病人のはずなのにその力は強くて、また摂津さんの上にダイブすることになってしまうと思ったら携帯を持っている左手でぐっと腰を引き寄せられて。
唇にふに、と柔らかいものが触れた。
一瞬で離れていった体温はやっぱり熱くて、じわじわとこっちにもうつるみたいに全身に広がる。
掴まれた手はそのままだったけれど、反対の手で思い切り摂津さんの頬を叩いてしまったタイミングで部屋の扉が開いた。
飛び込んできた臣さんの目が大きく見開かれた。



(2021.01.10.)



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