16.

公演の準備は順調に進んで、今日は新生冬組公演のゲネプロだ。
ゲネは公演グッズの販売もチケットのもぎりもないから開場中は招待客のみなさんがスムーズに着席できるように客席内での案内くらいしか仕事がない。
関係者がほとんどだから開演時間前にすっかり客席内は落ち着いていた。
劇団員とスタッフ用に確保されていた席で観劇して良いといづみさんから事前に話があったから、ロビー待機担当のスタッフさんに「席つきますね」と伝えて自分も空いている座席を探しに向かう。
招待客の数も劇団スタッフの人数も決まっているから席はちゃんと空いていた。
きっちり隙間なく着席しているのは後から来た人が座りやすいようにという配慮で、それはありがたいのだけれど。
空いていた席の隣には、摂津さんが座っていた。

この前会った時に…会ったというか顔を合わせただけで挨拶もしていないけれど、ちょっと冷たい感じがしたから勝手に気まずい。
今日は機嫌悪くないかな。
声をかけていいものだろうか。
別のところに座っているみんなが「あ、なまえちゃん」と座るように促してくれるけれど少し躊躇してしまう。

「何つっ立ってんだよ」
「えっ」
「ここしか空いてねーだろ、座れば」
「は、はい……」

これは、機嫌は悪くはなさそう、多分。
隣に座るけれど特に何を話すわけでもないし手持無沙汰で何度も時計を見てしまう。
他のみんなは小声だけれど冬組の公演について話して開演を待っているのに、わたしと摂津さんは何も話さないうちにブザーが鳴って、幕が上がる。
左肩がなんとなくそわそわと落ち着かないけれど、舞台に立つ五人を観たらいつの間にか気にならなくなっていた。



「おい、大丈夫かよ…」
「…だって、こんな……悲しいけど優しいっていうか、ミカエルの愛が切なくて…」

どうしよう、冬組公演ゲネプロが終わったものの、涙が止まらなくて席を立てません。

冬組公演のテーマは天使だと聞いた時、今までのMANKAIカンパニーの明るいコメディやアクション満載の公演とは違うものになるんだろうなとは思っていた。
通し稽古をしている時に劇場のロビーで作業をしていたからセリフが漏れ聞こえてくることもあったけれど、完成した作品を座席に座って全身で受け止めるというのはこんなにも心を揺さぶるんだ。

人間に恋をしてしまったミカエル、彼女に会うことはできないのに人間界に下りて手紙だけで彼女を励ます。
その時点で実はうるうるしてしまっていた。
だって紬さんのミカエルが幸せそうで、禁じられている想いのはずなのに恋をしている表情はすごく素敵だった。

「…ミカエルの表情とか全身から恋をしている気持ちが伝わって来て……」
「まぁ紬さんの繊細な芝居を活きる役だったな」
「叶わない恋なのにあんな風にずっとまっすぐ誰かを想うってすごいです」
「わーかったから一旦泣き止め。劇場出たら聞いてやるから」
「えっ」
「なに」
「聞いてくれるんですか?」
「あー…まあお前が話し足りないっつーなら」

摂津さんの言葉が予想外で涙が引っ込んだ。
驚いて何度か瞬きをしている間にも招待客や劇団のみんなは立ち上がって退場していく。
みんなが「先に出てるな」とわたしと摂津さんに声をかけてくれて、隣の席だからって付き合わせてしまったことが申し訳なくて慌てて立ち上がった。

「すみません、大丈夫なので出ましょう」
「おー。てかその感想、紬さんに直接伝えれば」

楽屋行くなら付き合う、と摂津さんが言うから思わず聞き返してしまったら眉を寄せながら「行かねぇのかよ」なんて言われて「行きます」と返事をしたら食い気味になってしまって少し笑われた。

「…摂津さんってAB型ですか?」
「は?Bだけど。なんでだよ」
「いえ…なんか言ったら怒られそうなのでやめておきます」
「失礼なこと考えてるってことはわかったわ」

優しいときと怖いときのギャップがすごいです、なんて口が裂けても言えない。



「あ、万里くんになまえちゃん…って、え!どっどうしたの?!」
「つ、つむぎさんの、ミカエル最高でした……!」
「おいお前テンションどうしたんだよ…」

楽屋に向かう途中は摂津さんのおかげで落ち着いていたんだけど、楽屋に入ってまだミカエルの姿のままの紬さんを見たらもうダメだった。
涙がぽろぽろこぼれて持っていたハンカチはとっくに涙でぐしゃぐしゃになっている。

「すごく切なくて、優しくて、綺麗で。ミカエルみたいな天使に想われた人間の彼女は幸せだなって」

支離滅裂ですみません、と言いながら涙が止まらなくて紬さんが慌てたように両手をあたふたと動かしている。
なんでこんなに泣けるんだろう、お芝居も脚本もすごく素敵だったっていうのはもちろんだけど普段ここまで涙腺はゆるくないのに。
人間に恋をした天使、叶わない…叶えちゃいけない伝えちゃいけない気持ちを抱えてどうしてあんなに優しく強くいられたんだろう、そんなことを考えたらじわっとまた涙が込み上げる。
感動したってことを伝えたかったのに…と思っていたところで、顔に柔らかい何かが押し付けられた。

「っ、なんですか…って、ティッシュ…」
「顔ぐしゃぐしゃ」
「あ、ありがとうございます」
「いーから拭けよ」

見上げた摂津さんは呆れたような表情で溜息をはいていて、だけど差し出してくれたティッシュはありがたく受け取る。

「紬さん本当に天使でした……」
「ありがとう、嬉しいな」
「ゲネでよかったです、公演期間に見学入れてもらったら終演後の物販立てなかったかも…」
「お疲れ様、って何、なまえどうしたの?」
「幸ちゃん!冬組公演すごくよかった…ミカエルの羽根が落ちるのすごいね、これ毎公演付け直すの…?」
「そうだよ。今から直す…っていうかほんと目も鼻も真っ赤だけど、また万里にいじめられた?」
「どう見てもちげぇだろ。冬組の芝居に感動したんだと」
「摂津さんは話聞いてくれたしティッシュくれたよ」
「へぇ〜」

楽屋に入ってきた幸ちゃんがわたしの泣きはらした顔を見て眉をひそめたあとに摂津さんのほうをジロッと見たかと思ったら今度は口角をあげてわたしと摂津さんを交互に見た。

「ていうかなんで二人で楽屋?」
「それも摂津さんが連れて来てくれて」
「へぇ〜」
「んだよ、いじめてねーだろ」
「ならいいんだけど。なまえ、本当に目ぇ赤いね、ちゃんと冷やしなよ?」

幸ちゃんが両手でわたしの頬を挟むようにして顔を覗き込んでくる。
あれだけ泣いたしまぶたが熱いのが自分でもわかるから、きっと冷やさずに寝たら明日とんでもない顔になってしまう。
明日は公演初日だし切り替えないと。

「うん、ありがとう」
「俺はなにも」

ぽんっと頭に手を置かれて、髪をとかすように撫でられた。

「幸ちゃん?」
「ん?」
「あの、なんで頭撫でるの」
「え?おもしろいから?」
「おもしろい?そんなに大変なことになってる?」
「いや、なまえの顔のことじゃなくて」

さっき摂津さんにぐちゃぐちゃと言われた顔がよっぽどひどいらしいと両手で顔を隠そうとしたけれど違うらしい。

「なまえはわかんなくていいよ。よし、じゃあ仕事するか」

そう言うとパッとわたしから離れた幸ちゃんは紬さんに衣装を脱ぐように言ったから、わたしはもう一度みなさんにしっかり挨拶をして楽屋を出た。
ゲネで見つけた反省点や修正点をこれからまた話し合うみたいで、わたしからしたら十分素晴らしい舞台だったけれどもっともっとブラッシュアップしようとするなんてすごい。
楽屋を出たところですれ違ったいづみさんもわたしの顔を見たらぎょっとしていたけれど「舞台すっごくよかったです」と伝えたら嬉しそうに微笑んでくれた。



「もう帰んのかよ」
「はい、グッズの整理とか座席の清掃は明日の朝やることになっているので」
「ふーん、駅?送ってく」
「えっ大丈夫ですよ。まだ全然明るいし」

前にも送ってもらったことはあるけれど、あの時はもう夜だったこととみんなに言われて嫌々…という感じだったから摂津さんの申し出に驚いてしまう。

「いかにも泣きましたっつー顔で歩くの危ねぇだろ」
「そんなにですか…?」

カバンから手鏡を取り出して確認すると確かに幸ちゃんも言ってた通り目が赤い。
明るい時間とは言え、この前いづみさんからも変質者が出るらしいという噂を聞いていたから強く断ることもできない。

「……その鏡」
「え?」
「一成の部屋にもあった」
「あぁ、これ夏組のみんなと出かけたときに一成くんと三角くんとおそろいで買ったんです」
「ふぅん」
「三角の柄なんです、かわいいですよね」
「あー…なる」

裏口から出ると空気はだいぶ冷えていて、秋の終わりの空気だ。
どこからか金木犀の香りがする。
劇場は寮と駅の真ん中にあるから、送ってもらおうとすると摂津さんは無駄に歩くことになるのにさっさと駅のほうに歩いて行ってしまって、送ると言ったわりにはずんずん進んでいくからちょっとひどいなと思うけれどなぜか笑いそうになってしまう。
摂津さんは背が高いし足も長いから追いつくためには小走りになる。
追いついて隣に並ぶと、無表情で見下ろしてくるからよくわからない人だなぁと意識的にムッとした表情で見上げたら「表情作んのへたくそか」と鼻で笑われた。

「文化祭のシンデレラはけっこう評判よかったんですよ」
「あーあれな」
「幸ちゃんデザインのドレスのおかげもありますけど」
「まぁ似合ってたんじゃねぇの」
「え」

今なんて。
まさか摂津さんからそんな言葉が出て来ると思わなくて聞き返したら、なぜか摂津さんが驚いたような顔で「は?」なんて言うからお互いぽかんとした表情で向き合うことになった。

「あ、ありがとうございます」
「いや……」
「馬子にも衣装とか言わなくていいです」
「んなこと言ってねぇだろ」

摂津さんが前を向いて歩き出す。
見上げた横顔は、摂津さんの手で口元を覆うように隠されてしまってどんな顔をしているのかわからなかった。



(2020.10.24.)



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