▼ 10.テストと後輩
「なまえさん…国語を教えてください……」
「縁下先生が教えてくれるんじゃないの?」
「…スパルタなんです…もっと優しく教わりたい……」
「あはは、優しく教えてあげてって伝えとくね」
「ぬわー!違うんです、なまえさんに教わりたいんです!」
せっかく東京で行われる梟谷グループという強豪が揃う合宿に呼ばれているのに、期末テストで赤点を取ったら補習で参加できなくなる。
その話を武田先生がしてくれた時に一年生と二年生の元気組がしゅん…と魂を抜かれたように静かになってしまった。
なんとか補習を回避すべく、みんなで勉強を教えることになったらしいけれどわたしと潔子はノータッチ…のはずが。
試験勉強を始めた翌日に田中に泣きつかれているのを見た飛雄に、妙にそわそわとした顔で声をかけられた。
「なまえさん」
「飛雄ちゃん?どうしたの」
「あの、英語教えてくれませんか。昔及川さんに教えてましたよね」
……どうしてこの子はこんなことを覚えているんだろう。
中学の時は補習なんてなかったしテストの点数が悪くても留年することはなかった。
だけど及川の場合は、三年の冬に青葉城西から出された推薦入学者用の課題に手こずっていて「なまえも受験終わってるでしょ?」と学校に呼びつけられて課題を手伝ったのだ。
図書室の長机にふたりで並んでいたら飛雄が通りかかったのだけど、未だに覚えているなんて。
及川の名前を出されたらなんだか断りにくくなってしまう。
「…放課後は部室でやってるんだっけ?」
「っはい!」
「じゃあ今日練習終わったら部室行くね」
「ありがとうございます!」
「うわ、影山ずりーぞ!なまえさん!俺も!俺も教わりたいです!!!」
日向くんが飛び跳ねながらそう言ってきてくれるけれど、そこまでのキャパはない。
教える科目が同じなら大丈夫かもしれないけれど、ごめんね今回は飛雄だけ、とスガに託したら飛雄が日向くんを見降ろして鼻で笑っていた。
そんな態度の子には教えませんよ。
飛雄の勉強を見ることになって、田中と西谷が「お、俺たちも……」と寄って来てくれたけれど縁下くんに首根っこを掴まれて「なまえさんに迷惑かけんな」と良い笑顔で怒られていた。
コンコン、と大きく聞こえるように部室の扉をノックしたら、飛雄が扉を開けてくれた。
部室がやたらいいにおいがするのは、わたしが入るからって慌てて部屋中に何か吹きかけたんだろうなということがわかってちょっと笑ってしまった。
「…なんかラベンダーっぽいにおいがする」
「ファブリーズです!」
「あはは、うん、すっごいフローラル」
部室には掃除のために定期的に足を踏み入れているけれど、こんなにおいだったことは今までない。
壊滅的に汚いわけではないけれど決して綺麗とは言えない部室、いろんな荷物が無理矢理はじのほうに追いやられていて慌てて片付けたんだろうな…と騒がしい様子が目に浮かんだ。
「あれ、こんなポスター貼ってたっけ?」
窓のすぐ横に貼ってあるのは今めちゃくちゃ人気のアイドルグループのポスターだ。
誰かファンなの?と聞いたら誰も返事をしない。
別にこんなの貼って!なんて怒っているわけじゃないのになんで誰も目を合わせようとしないの…グラビアアイドルのポスターとかならちょっと気まずいと思うけれど、ただ疑問に思って聞いただけなのに。
…と、ポスター余白部分に色々と落書きがしていることに気付いて、そのうちのひとつに反応してしまった。
「……スガさんは年上好き」
「は?」
「書いてあるよ、ここに」
右下のほうにそう男子らしい字で書いてあって、どうやらそれぞれどの子がタイプか、という話をしていたらしい。
他意があったわけではないけれどその一文を読み上げたらスガが「誰だよこんなこと書いたの!」と珍しく慌てたように大きな声を出した。
「だ、だってスガさんこの子がかわいいって言ってたじゃないですか!」
「お前か田中!言ったけどさ!」
「言ったんだ」
そんなに慌てなくても、雑誌とかテレビを見ながら「この中なら誰が好き?」なんて友達同士でよくある会話じゃないのかな。
田中が指さしたメンバーは年上の子で、そっか、スガってこういう子がタイプなんだ。
「年上だからとかじゃなくて、なんか髪型とか雰囲気とか、そういうのだよ!」
「スガさん、それ以上言わないほうが…」
縁下くんが止めに入って、スガがはっとしたように急に口をつぐんだ。
「…とにかく、年上が好きってわけじゃないからな」
自主練を短く切り上げたとは言え、部活終わりの勉強会はあんまり時間がない。
さっそくやろうかと飛雄に声をかけたら口元をむずむずとさせていて、この表情は嬉しいってことなんだろうなぁとかわいく思えてしまう。
だけど、三十分後には単語がわからないと顔から血の気が引いているんだから困った。
「とにかく覚えるしかないよ。大丈夫、飛雄セットアップのサインすぐ覚えてたじゃん」
「それとこれとは…」
「同じです」
「……はい」
「頑張ったら帰りにアイスおごってあげる」
「!あ、ありがとうございます!」
「はい日向よそ見しない」
「うっすみません…影山が羨ましくて…」
「俺でごめんな〜」
「いや、スガさんに不満があるわけでは決してなく……!!」
「日向くんもアイス食べる?」
「い、いいんですか!」
「スガ先生から頑張ってたって許可がおりたらね」
「頑張ります!!」
うーん、今日も後輩がかわいい。
思わずスガのほうを見るとパチリと目が合って二人でにやにやしてしまった。
そんなかわいい一年生がもう一人、夏休みを前に増えることになった。
谷地仁花ちゃん。
「仁花ちゃん、ポスターすっごいね!かっこいい!」
「はい!いいえ!恐縮です…!」
部活動は何かとお金がかかる。
東京合宿に行けるというのはありがたいけれど移動のための車を借りなければいけなくなって、学校支給の部費では回らなくなってきたらしい。
私立の強豪校は元々部費が多いのかもしれないけれど、烏野はここ何年か成績が良いとは言えないこともあって部費は削られているし寄付も少ない。
そこで新しく入部してくれた仁花ちゃんがまさかの才能を発揮してくれたのだ。
仁花ちゃんがデザインしてくれた烏野バレー部の寄付を募るポスターには日向くんがスパイクを打つ背中が大きくプリントされている。
まるで数年前、春高出場時に活躍した小さな巨人みたいな背中。
「みょうじ先輩!あれ、俺です!」
「わかるよ、日向くんがびょんって飛んでるのすごいもんなぁ」
「へへ!」
日向くんが自分も褒めてくれと寄って来て、多分彼が犬だったらしっぽをぶんぶん振っているんだろうなぁと思う。
犬種は柴犬っぽい、うん、かわいい。
コーギーでもいいかもしれない。
「トス出したのは俺です!」
「お前は写ってないだろ!」
「トスがあがんなきゃスパイク打てねぇだろ!」
そんな日向くんを見降ろしている飛雄はドーベルマン…目元がキリっとしている感じが似てる。
「ひ、日向も影山くんもおち、落ち着いて……!」
「今日も平和だねぇ」
まだ二人のやりとりに慣れていないらしい仁花ちゃんがおどおどしているけれど、肩をぽんとたたいて「練習の準備しよっか」となるべく優しく笑いかけたら「ひゃい!」と噛みながら返事をしてくれた。
(2020.10.17.)