1.四月初旬

宮城の春は寒い。
新入部員が入ってきた四月、下校時刻は日が傾きかけている。
学校を出てすぐの坂をくだったところにある坂ノ下商店の前に着いたときにはすっかり夕暮れの景色になっていた。
飛雄ともう一人の問題児、日向くんの入部届をようやく受け取って新生烏野バレー部が始動するぞという日。
いつの間にかみんなが集まるここで部活帰りの買い食いをするのが部活の一環みたいになっていた。

「なまえも北一出身なんだっけ」
「そうだよ、飛雄ちゃんとは一年しかかぶってないけど」
「その呼び方やめてください」

一年生の入部届を受け取ったとき、枚数が少ないねと頭を悩ませながらも二枚しか届いていない紙の片方に懐かしい名前が書いてあって目を疑った。
北川第一中学校で一年間だけ同じバレー部に所属していた影山飛雄、通称飛雄ちゃん。
久しぶりに顔を合わせた後輩をそう呼んだら本人は驚いた後にめちゃくちゃ嫌な顔をしていて、それを聞いていた周りもみんな驚いていた。

「ごめんごめん。飛雄はなんで烏野?推薦来ないはずないよね」
「いや…はい、青城からは来ましたけど」
「うん」
「白鳥沢は来なくて。一般受験は落ちました」
「白鳥沢一般入試は厳しいね…」

スポーツ強豪校で知られる白鳥沢学園は、ここ数年宮城で負けなしであると同時に県内随一の進学校だ。
青城に進学しなかった理由はなんとなく想像がつくけれど、だからって烏野とは思い切ったなぁ。

「なまえさんは、青城かと思ってました」
「わたしは選手じゃないから推薦とかないもん」
「いや、そうじゃなくて…」

何か言いたげな飛雄の言葉は、肉まんおごるぞーという澤村の声でさえぎられた。




「条件は、影山くんをセッターとしてフルで出すこと」

一年生同士のミニゲームが終わって日向くんと飛雄の入部騒動が無事に解決したタイミング。
練習試合を組めたと嬉しそうに報告してくれた武田先生は早口に言った。
相手は青葉城西、練習試合をする条件は飛雄をセッターとして出場させること。

烏野は弱くはないけれど決して強いチームではない。
練習試合をするメリットを青城側が提示することは仕方がないことだとは思う。
思うけれども。
去年の春高予選が終わってから、当時二年生だったスガが烏野の正セッターになった。
飛雄がセッターとしてフル出場するということは、スガが試合に出られないということだ。

相手が青葉城西だということにも驚いたしかつてのチームメイトの顔が浮かんだけれど、それよりもみんなに見えないところでこぶしをぎゅっと硬く握っているスガの横顔から目が離せなくて心臓のあたりがざわざわと痛かった。

それからは練習試合に向けて、飛雄と他のスパイカーが試合で噛み合うようにセットアップの練習を多めにする日々が続いた。
スガは補助に入ることもあったけれど日向くんの基礎練に付き合う時間が長かったかもしれない。
試合に出ないからってやることがないわけでは決してない、そう言い聞かせながら練習試合までの数日を過ごしているように見えた。



「スガ、今日一緒に帰らない?」
「え?おー…いいけど」
「やった!じゃあ着替えたら部室棟の下で待ち合わせね」
「おう」

スガに声をかけようか悩んで数日。
心の中で気にかけていたって仕方がないと思い切ってスガと帰る約束をしたら不思議そうにされたけれど頷いてくれてホッとする。
近くにいた澤村も一瞬きょとんとした顔をしていたけれど、目配せをしたら何かを察してくれたみたいだった。
「あとでね」と手を振ってから潔子と並んで体育館を出るともう空気が冷たくて、一緒に帰ろうなんて声をかけたもののうまく話せるかなと不安な気持ちがふくれあがりそうになる。
普段よりも口数が少なくなってしまったわたしに潔子が「わたしは先に帰るね」と言ってくれて、その優しさに思わずぎゅっと抱きついた。


「お待たせしました」
「全然。清水は?」
「潔子は先に帰ったよ。澤村たちは、」
「大地たちも先帰った」
「そっか」
「うん」
「…なんかあったの?」
「え、なんで?」
「だっていきなり一緒に帰ろうとか。初めてだろ、こういうの」

ジャージから制服に着替えて、さっきよりは厚着のはずだけれどやっぱり少し肌寒くて両手を胸の前で合わせてさする。
ブレザーの中にセーターを着ているけれど制服のスカートから出ている足が寒い。

「うん…何ってわけでもないんだけど。なんかスガと話したい気分だった」

不思議そうに見下ろしてくるスガの瞳はまっすぐで、わたしは多分少し情けない顔をしている、
自分で眉がさがっているのがわかって、曖昧に笑うとスガの目尻も下がった。
少しだけ沈黙が落ちて、風が木の葉を揺らす音が妙に大きく聞こえるような気がする。

「……もしかして、心配してくれてる?」

武田先生が持ってきた練習試合の話は、烏野にとってはありがたいことで条件を出されようが試合で経験を積むことの大切さは誰もが理解していた。
だからこそ、みんな一瞬スガのほうを見たし田中なんか怒っていたけれど練習試合を断わろうという人はいない。
今の烏野が青城相手にどこまでやれるのか見たいと言ったスガの言葉にも嘘はないとわかった。
だけど、スガだって悔しくないわけがない。

「心配、そうだね…うん、心配してるんだ思う」
「ありがとな」
「ううん。何もできないうえにうまく話せなくて情けないんだけど」
「気持ちだけで十分だよ」

わたしもスガも徒歩通学だから二人の家の分岐点までの道をゆっくりと歩く。
毎日同じ道を通って帰っているのに、みんなでぞろぞろ歩く時とは違う景色に見えるんだから不思議だ。
スガに何かできたらって思っていたのに心配する側の心を軽くしてしまうんだからすごいなぁ。
一緒に帰ろうと勇気を出して誘ったのにこっちのもやもやを晴らしてもらってどうするんだろう。
いつも自然に寄り添ってくれるスガの陽だまりみたいな空気が、どんよりと重たかったわたしの気持ちをするりと吐き出させた。

「青城と練習試合かぁ…」
「なまえは青城になんかあんの?影山がなまえは青城だと思ってたって言ってたけど」
「何かあったってほどでも…知り合いが多いくらい」

なんでもないって顔をしたつもりだけれど「北一から青城に進むバレー部の子すごく多いんだよね」と無理に口角をあげようとしてうまくできなかったしなんとなくスガのほうを見ることができない。
多分スガはわたしのへたくそな笑顔に気が付いていたけれどそれ以上何も聞いてこなくてこっそり胸を撫で下ろす。

「なまえはなんで烏野だったんだっけ」

そういえば聞いたことないよな、と今更といえば今更なことを聞かれた。
志望校を決めた理由はごくごく一般的なものだと思う。

「特別な理由があったわけじゃないよ。家から近くて偏差値もちょうど良くて、校風が合いそうだったから」
「じゃあなんでバレー部のマネージャー?」

質問攻めだなぁ、なんて笑いながらもよどみなく話せるのはこれが嘘ではないからだ。

「中学のときもやってたからだよ。なんてことない理由でごめんね」
「いや、謝ることじゃないけど」
「動機はそんなだけど、みんなと同じチームになれてよかったなって思うよ」

こうやってスガとも仲良くなれたし、と言ってようやくスガのほうを向けた。
一瞬驚いたような顔をしたあとに、ふんわりと笑って「そっか」と笑ってくれるスガの笑顔が好きだ。
少し寒いなぁと思っていたのに今は胸のあたりがぽかぽかする。

「いろいろあるけどさ、最後の年だし後悔したくないよね」
「…だなぁ。けどなんか、うん、頑張れそう。ありがとな」

わたしにはそんな笑顔を向けてくれて、心が軽くなるようなことを言ってくれるのにスガは自分のこぶしをぎゅっと強く握っている。
無意識なんだろうな。
一人で抱え込まないでほしい。

「あんまり握りしめると手痛くなるよ」

スガの大きな手をそっとほどくと、その手のひらは硬い。
たくさんボールに触れて、たくさん練習している手だ。
スガの手の温度は、昔のことを思い出したせいかじくじくと痛むわたしの心を包んでくれるみたいで。
二人で歩く帰り道はひどく穏やかで、話すことで明日からまた烏野のみんなと走っていけるような気持ちにさせてくれた。
サポートする側のマネージャーなのに立場が逆だなぁとそっとスガの顔を見上げたら珍しく唇をきゅっと引き結んでいる。

スガの悔しさや痛みを和らげるために、わたしに何ができるだろう。



(2020.08.19.)


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