10.この恋を許して

体育祭当日は見事なまでの秋晴れで、肉体派揃いの赤組はやたら盛り上がっていた。
対して頭脳派な鏡夜先輩率いる白組は万全な策を練っていて、負けるわけがないと余裕たっぷりに構えていた。
僕は出場種目は多くないけれど、鏡夜先輩指示のもとうまく作戦が機能しているか見ながらも体育祭の空気を楽しんでいた、つもりだった。

一種目目のパン食し競争は女子の種目で、なまえもこれに出ると言っていたっけ。
三種類のパンを食べ比べして当てるという呑気な競技だけれどそのパンを提供している企業名がアナウンスされたときに白組の応援席での会話が耳に入ってきた。

「風霧堂か〜風間んとこのパン美味いよな」
「お、サンキュー」

……提供している三社のうちの一社がどうやら風間の家のパンだったらしい。
まじか。
それをなまえが食べているってだけでなんとなくおもしろくないとか我ながら寛容さのカケラもない。
まぁ風霧堂と言ったら日本製パン業界でもトップだし体育祭での提供がどうとかなくても食べる機会なんてあるだろうし僕も知らずに食べているんだろうけど。
てか風霧堂の御曹司なのにB組って、いや、みなまで言うのはやめておこう。
周りと話しているよう図を見てなんとなく良い奴なんだろうなってことはわかった。
僕は仲良くしたいとは全く思わないけれど。

「カオちゃん元気ないね〜?やっぱりヒカちゃんと一緒がよかった?」

出場している生徒たちが笑顔でのんびりとパンを食べている様子を見ていたら僕の不機嫌を感じ取ったハニー先輩が声をかけてくれた。
小首をかしげるハニー先輩の腕の中にはいつものごとくうさちゃんが収まっている。

「そんなことない、と思う」
「そう?じゃあ一緒に応援しよ〜!ほら、なまえちゃんいま出てるよ!」

ハニー先輩はどこまでわかっているんだろうかとたまにもうけれど、さすが三年生というか僕なんかよりずっと周りのことをよく見ていろんなことに気を配っているんだなと感じる時がある。
なまえのほうを指したハニー先輩に歯切れの悪い返事しかできずにいたら、心配そうな表情で顔を覗き込まれた。

「カオちゃん、なまえちゃんと何かあった?」
「……わかる?」
「うん。カオちゃんが機嫌悪い時って大体なまえちゃん関連だもん」
「〜そんなこと…!……あるかもしれないけど、」
「あとヒカちゃんとケンカごっこしてる時かな〜」

なんかもう色々バレている。
少し前までは話さない目も合わせない、というのがいつものことだったのに最近少しずつなまえとのわだかまりがなくなってきて僕は穏やかを通り越して多分少し浮かれていた。
冷たくしたり近寄ってみたり、自分勝手な僕にもなまえは子供の時みたいに優しくて柔らかくてとげとげと扱いにくい僕の心を包んでくれるみたいにあたたかくて。
体育祭の練習だって楽しかったのに。

「…二人だけなら、大丈夫なんだけど」
「うん?」
「他に人がいたり、他の誰かとなまえが話してるとなんかうまく話せないというか。いや二人でも他の子にするみたいには喋れないけど」
「ほうほう」
「つい冷たくしちゃうというか」
「そっかぁ〜」
「この前も他の男と話してるとこ見てカッとしちゃって、ひどいことを…」
「なんと!」
「それからまともに話してない…」

僕のぼやきみたいな言葉にハニー先輩はちゃんと相槌を打ってくれて、「あらら〜…」と優しく返してくれるから思わず泣きつきたくなる。

「僕ってこんな奴だったっけ…」
「カオちゃんは意外と不器用さんなんだね」

頭を抱えている僕にうさちゃんを差し出してくれるからお言葉に甘えてぎゅっと抱き締めてみたら少し落ち着いた気がする。
うさちゃんのセラピー効果すごい。

「けどさ、一緒に二人三脚に出るって言ってなかった?」
「うん……だから余計に気まずくて」
「そっかぁ。もしカオちゃんが自分が悪いって思うんなら、ちゃんとごめんねしたらどうかな」
「ごめんね?」
「なまえちゃん、謝ってもわかってくれないような子じゃないでしょ?」
「、うん」
「せっかくの体育祭なんだしさ!カオちゃんも体育祭マジックに頼って素直になろう!」
「体育祭マジック…ってなに?」

聞き慣れない単語を発したハニー先輩は少しドヤっとしながら「伽名月ちゃんに教わったんだ〜」と最近仲良くしているらしい黒魔術部の一年女子の名前を出した。
呪いと称してハニー先輩に恋のおまじないをかけるような子だから、今時の女の子らしい情報を持っているのかもしれない。

「体育祭とか文化祭とかイベントごとってわくわくするでしょ?お祭り気分に乗じていろんなことがうまくいく魔法みたいなことなんだって!」

魔法みたいなこと、なるほどだから体育祭マジック。
たしかに文化祭のときは特別な空気があって、いつもよりなまえと話ができた。
みんなの後押しがあってダンスパーティーで一緒に踊ることもできたし、少しずつでも距離を縮められるかもしれないって思えた。
部活でも非日常の空間を演出することでお客様の緊張を和らげられるって鏡夜先輩だか殿だかも言っていたような気がする。
あの時は「へー」としか思わなかったけれど毎日のように僕らが姫たちに魔法をかけているって考えるとロマンチックかもしれない。

「だからカオちゃんもきっと大丈夫だよ!」
「ハニー先輩…」
「なまえちゃんと仲直りして白組も優勝しちゃおう!」



相手の弱味につけこむというスポーツマンシップに反した鏡夜先輩の作戦が功を奏して、体育祭前半は白組が圧倒的に優勢だった。
ハニー先輩の言葉通りに白組が勝って、なまえとも元に戻れたらいいのに。
…元に、と言っても普通の友達レベルですらないんだけど。
自分で思っていて悲しくなった。

『まもなく男女混合の二人三脚です。出場選手はゲートに集合してください』

競技の前は集合時間になるとアナウンスが流れて、集合場所までみんなで移動していくことになっていた。
応援席はクラスごとに分けられていたけれど、僕は実行委員だから少し離れたところにいて、一年A組のほうに目をやるとなまえが友人に送り出されているところだった。
B組の横を通り過ぎるとき、風間がなまえに声をかけた。
多分「頑張って」とかそういうことを言っていて、なまえも笑顔でそれに返している。

「カオちゃん!体育祭マジックだよ!」

二人の様子を見ていらだちがむくむくと膨れ上がりそうになる僕をハニー先輩が励ましてくれて、他の生徒はそれに首を傾げながらも「常陸院頼むぞー!」「馨くん頑張って!」と声をかけてくれた。

「…なまえ、」
「馨くん。頑張ろうね」
「うん。…あのさ、この前のことなんだけど」

集合場所について、出場順に列を作る。
実行委員の指示に従って並んで、足首を結ぶ紐を配られるのを待っている間にようやくなまえに声をかけられた。
頭に巻いた白組のはちまきが振り向いたときに揺れる。
こっちは意を決して名前を呼んだというのに「頑張ろうね」と返してくれたなまえはいつもと変わらない様子でそれがありがたいような拍子抜けのような。
だけど「この前のこと」と切り出したら少しだけ身を固くさせた気がする。

「…ごめん、あんなこと言って」

謝るのは苦手だ。
自分で言うのもなんだけど子供の時からめちゃくちゃ甘やかされてきたし、光と一緒になんでもかんでも好き放題に生きてきた自覚もある。
自らに非があると認めるどころか思うことすらそうそうない。

ごめん、と言ってそれから多分もっと他にも言うことがあった。
「馨くんは、どう思ってるの」と聞かれた返事。
だけどこんなに他に人がいるところで、まとまっていない考えをなまえに上手に誤解なく伝えられる気がしない。

僕の言葉に続きがあると思ったようで何も言わないなまえは眉を下げているけれど、口角は柔らかく上がっていて少しだけホッとする。
我ながら煮え切らない態度で歯切れ悪くしか話せなくて情けないなと思っていたら、手際の良い実行委員から競技に使う紐を渡されて、入場ゲートからぞろぞろと列をなして入場するとなんだかもうさっきの続きを話せる雰囲気ではなくなってしまった。

続々とスタートを切る他のペアを見ながら、僕となまえも準備をする。
スタートラインに立ってから足首を結ぶのではもたつくから事前に用意しておくように、と委員から話があったからだ。
練習の時みたいに僕が紐を結ぶ。
走らないのであればそこまできゅっと密着しなくても大丈夫なのは経験則だけれど、万が一にでも転んでしまうことのないように「ん、」となまえに手を差し出す。
僕が手を差し伸べたら、少しはにかむような表情で小さな手を重ねてくれるのも経験則…のはずが、ためらうような表情を浮かべているなまえを見て、吸った息が冷たく感じる。

「なまえ?」
「……まだ、大丈夫だよ。走るときはお願いします」

頭に隕石でも落ちてきたかと思った。
多分いま僕はめちゃくちゃかっこ悪い顔をしている。
誰かに自分をこんな風に拒否されたことってあっただろうか。
「そっか」と返した声が我ながら消え入りそうで情けない。

「馨くん?進める?」

もうすぐ僕らのスタートの番だっていうのに、魂を抜かれたみたいに足に力が入らなくなってしまってなまえの言葉に「うん」と返すのが精一杯だ。
スタートラインについて、なまえの肩に手を回すときに「いい?」と聞いた声の弱々しさったらない。
「うん」と頷いてくれてようやく息が吸えた気がする。
なまえも僕の腰にそっと手を回したけれど、きゅっと僕のジャージを掴む手は練習のときよりもずっと控えめでそれすらもちくちくと僕の心に穴を開けているみたいだ。

正直二人三脚とかもうどうでもいいと思ったけれど、応援席からの歓声がすごいことくらいはわかるし白組からの「常陸院―!」とか「馨くん頑張って!」という声援に混じってなまえのことを応援する声も飛んでいる。
あと光が「馨―!なまえ―!」と応援してくれて、敵チームなのに何応援してんだって他の赤組の生徒に怒られているところが見えた。

「光くん怒られてるね」
「え?あー…そうだね」

ふふ、となまえが笑ったのが伝わる。
身体がくっついているからだ。

「馨くん、光くんと同じチームならよかったのにね」

出席番号順で交互に割り振られた赤と白の組み分けで、僕と光が別になった時に教室で騒いでいたのをなまえも知っているのだろう。
今こんなぐちゃぐちゃのメンタルな時になまえが他の男の名前を口にするのが嫌だった。
それが光でもこんなにかき乱されるんだから、僕ばっかり、なまえのこと、好きみたいだ。


…すき、と頭の中にぽんっと浮かんだ二文字に途端に色がついたような気がした。


十年以上眠らせていた年代物の感情が急に胸の中でぐるぐる暴れ出したんだじゃないかってくらい心臓がバクバクうるさい。

なまえの肩に置いていた手に少しだけ力をこめる。
それに気が付いたなまえが不思議そうに僕を見上げた。

「どうしたの…?」

肩と腰にそれぞれ手を回している体勢なのになまえは至近距離で僕のことをまっすぐに見上げる。
近いよ、なんてことは不可抗力だし言えないけれど、これってもしかしなくてもなまえが僕のことを男として見ていないからなんじゃないか。
肝試しのときはもう少し照れがあったような気がするんだけど、状況が状況だったからだろうか。

「馨くん?」
「…あのさ、話があるんだ」
「え、」
「今日、帰り待っててほしい」

体育祭後も委員の仕事があるから待たせてしまうかもしれないけれど、今日じゃないとダメだと思った。
多分明日になったらまた気持ちがしぼむ。
この想いがなくなることなんてないってわかるけれど、それを伝えるだけの勇気とか勢いとか、そういうのがしぼむ。

「お話…」
「うん」
「……うん、わかった。教室で待ってればいい?」

連絡するからどこにいてもいいよって返したら目尻を下げて頷いてくれた。

なまえからしたらいきなりなんだって、今更そんなことって言われるかもしれない。
多分いっぱい嫌な思いをさせてしまったけれど、いつの間にかこんなにも大きくなっていたこの子への想いを伝えたら受け入れてくれるだろうか。
怖い、けど、それ以上に伝えたい。
わがままだってわかってるけど、どうか伝えさせて。
なまえにも僕のことを好きになってほしいから、どうか。


(2020.07.25.)



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