9.揺れる瞳の意味

最近の僕は忙しかった。
殿発案の体育祭を理事長があっさりと許可してくれて、白組大将である鏡夜先輩の補佐につくことになったからだ。
クラスの出席番号順に白組と赤組を分けたら光とハルヒと別々になってしまったし、珍しく鏡夜先輩と殿が対立の立場だし、最近何をやるにもホスト部みんな一緒だったから不思議な感じがする。

それと、少し気にかかることがあった。

「馨、何見てんの?」
「……光。別に…」
「えー?あ、また?最近よくいるよね」

また、だと思ったのが僕だけじゃないとわかって苛立ちが募った気がする。
見下ろす窓の下にはなまえと、園芸部員だという男子生徒。
ボサノバっちがハルヒに会いに一年A組に来た時に付き添ってきていたことがある。
その時は「ボサノバっちにも友達が出来てよかったね」なんて光と話していたのにその時たまたまハルヒとボサノバくんの横を通ったなまえのことを、そいつが見ていたことに気付いてしまった。

なまえとその生徒…確か風間とかいう一年B組の男が、花壇のそばにしゃがんで何か話している。
教室まで話に来るようなことは、少なくとも僕がいる時はないけれどあぁやって話をしていることを見たのは初めてではなかった。
見たくもないのになぜか目を離せずにいる僕に光が妙に深刻そうな顔で言う。

「風間だっけ?あいつ」
「確かね」
「ふーん、あれはあれだね」
「どれだよ」
「どう見てもなまえに惚れてるデショ」
「……やっぱり?」
「ライバル登場じゃん〜」

さっき重苦しく言ってきたくせに楽しんでるだろ絶対。
自分でもむすっとした表情の自覚はあるけれど、光に頬をツンと指で突かれた。

「別にライバルとかそういうんじゃないし」
「馨となまえは将来を約束した仲だもんね」

そうだけど、そうじゃない。

「自分たちで約束したわけじゃないよ」
「けど最近仲良くない?前よりは」

前よりは、のところを強調して言うあたりに引っかかるけれど否定はできない。
挨拶すらしたりしなかったりだった頃からしたら今は相当進歩したと思う。
目が合えば挨拶するしすれ違えば笑いかけてくれるし「馨くん」と僕を呼ぶ声はおどおどしなくなった。
手を繋いでも嫌がられなかったし。
……めちゃくちゃ次元の低いことを言っている自覚はある。
子供の頃から知り合いの婚約者だったらこんなの初期段階でクリアしているのが普通だ。

親同士が決めた婚約者、それ以上でも以下でもないこの関係はよっぽどのことがない限り崩れることはない代わりに「それ以上」を望めないのだと気が付いたのは最近だ。


予鈴が鳴ってなまえが慌てたように立ち上がった時にふと上を向く。

「あ、なまえこっち見た」

視線を感じたのか、こっちを向いたなまえと窓越しに目が合った。
光がひらひらと手を振るとなまえも控えめに振り返してきたけれど僕はとてもそんな気分になれなくてプイっと目をそらしてしまった。

何あれ、ちょっとは見られてまずいとか思わないわけ?
僕に見られてもなんてことないってこと?
僕だって女の子と話すことくらいあるし、部活姿をなまえに見られたらやましいことは一切ないとはいえ気まずいなんてもんじゃない。
自分のことを棚に上げているかもしれないけれど、僕のは部活だし!
いやなまえが仮に園芸部であってもあいつと話してたらむかつくけど!

どうしてこんなに腹が立つんだろう、理由はあんまり考えたくなかった。



体育祭が近付いてきて今日の体育の授業はその練習にあてられることになった。
競技毎の出場者が決まったから、種目に分かれてグラウンドで散り散りになる。

「馨くん、よろしくお願いします」
「ん、頑張ろー」

白組の出場競技は鏡夜先輩指示のもとに様々なことを考慮して決められた。
二人三脚がなまえとペアなのは、僕の独断とかわがままでは決してない。

「二人三脚ってはじめて…」
「僕も。てか大体の人がどの競技も初めてなんじゃない?」

桜蘭学院に体育祭という行事が今までなかったのは昔保護者から危ないと反対の声があったかららしい。
今回は生徒からの要望だからと開催されることになったけれど、ほとんどの生徒が初めての経験だった。

「この紐で結ぶって説明だったけど…リボン結びでいいのかな」
「とりあえずやってみよ。貸して」

備品担当の生徒から借りてきた白い紐をまじまじと見て首を傾げるなまえの手からそれを受け取る。
足首同士をくっつけて離れないようにするらしい…んだけれど。

「……なまえ、ジャージの裾ちょっとあげて」
「えっ…う、うん」

ジャージの上から紐を結ぶわけにもいかないから、足首を出してほしくて頼んだことは不可抗力だ。
配られたばかりの白組ジャージの裾を少しだけあげてくれて、そこから見えた肌をなるべく意識しないようにして自分の足首と手早く結び付けた。
うわ、なんだこれめちゃくちゃ恥ずかしいんだけど。
足に全神経が集中しているみたいな感覚をごまかそうと立ち上がると、なまえが僕の勢いに引っ張られるようにして少しよろける。

「っきゃ、」
「わ、ごめん!」

傾いた身体を支えようと咄嗟に腕を出したらなまえが掴まるように僕の腕に触れた。

「あ、ありがとう…」
「うん。これ慣れるまで大変そうだな…」

そうだね、と妙に真剣な顔で僕を見上げたなまえはまだ腕にしがみついたままで、上目遣いでぎゅっと僕の腕を掴むのはやめてほしい。
…最近打ち解けてきたとは言え、心許すの早すぎない?
僕以外にもこうなのかと思うと心配になる。
離してと言えない僕も僕だけれど。
とりあえず歩くところからやろう、と声をかけたら離れていってしまった手を惜しいなんて思ってない。

「じゃあ僕が右足から進むから」
「わたしは左…」
「うん。せーの、」

うん、ごめん、これは僕が悪い。
歩幅が違いすぎるせいでなまえが僕の足に引っ張られて二人してつんのめるようにして転んでしまった。

「おーい、二人とも何ふざけてんの?」
「ふざけてるわけじゃないよ!初めてなんだから仕方ないじゃん!」

赤組の光が見ていたようで野次を飛ばしながら近づいて来た。
いつもなら光のほうにすぐ走って行ってじゃれつくけれど今はなまえと足が繋がっているからそれもできない。

「ごめんなさい、馨くん…」
「いや、今のは僕が悪い」
「てか二人三脚って肩とか組むもんじゃないの?ね、ハルヒ」
「そうだね、お互い支え合うみたいな感じじゃないと歩くのはまだしも走るってなると難しいかも」
「え…」

光はおもしろがって言っていることがわかるけれど、ハルヒのは真面目なアドバイスだ。
隣でなまえがぎょっとしたように声をもらしていて、心なしか耳が赤い気がする。
嫌ってわけじゃなさそうな反応に内心ほっとするけれど次の言葉にカチンときてしまう。

「あの…やっぱりもっと身長が近い人と組んだほうが…」
「は?」
「わたしと馨くんだとあまりにも足の長さが違いすぎるのではないかと……」
「じゃあ聞くけど、」

僕の声にトゲがあることを察したらしいなまえが何を言われるのかときゅっと唇を噛んだ。

「なまえは誰と組むつもりなわけ?」
「えっと…」

なまえが視線をやったのはハルヒで、なまえからしたらハルヒは男なんだよなと思い出してまた腹の奥がもやつく。
まぁハルヒは赤組だから組むことはできないんだけど。

「…僕は、なまえ以外と組むわけにいかないんだけど」

立場的に、と付け足してしまって視界の端で光が呆れた顔をしていた。
保険をかけるみたいな言い方しかできないなんてかっこ悪い。
なまえはどう捉えたのかグッと顎を引いて「そうだよね」と頷いた。

「もう一度お願いします」
「…うん」

ハルヒのアドバイス通り、今度は肩を組んでやってみようとしたけれど何せ身長差がある。
肩を組むというよりも僕はなまえの肩に手を置くような感じになって、なまえが僕の肩に手を回そうとすると妙に右肩上がりというか不自然な体勢になってしまった。

「……これちょっと無理がない?」
「…そうだよね、これじゃ走れないかも」

僕がなまえのほうをチラッと見ると、なまえも僕を見上げて思わず二人で笑ってしまう。

「僕はこの体勢でいけそうなんだけど、なまえがしんどいよね?」
「うん、腕が辛くなりそうです」
「だよね」

どうしたものか、と二人で頭を捻らせていたら敵チームなのに自分たちの練習そっちのけで僕らの様子を見ていた光が一言。

「ならなまえは馨の腰あたりに手回せばいいんじゃない?」

たしかにそれなら二人とも無理のない体勢だ、けれど。
足を結ぶのも肩に手を置くのもやっとだったのに腰って。
ダンスのときに僕もなまえの腰に手を添えたけれどそれとは話が違う気がする。

「こんな感じでさ〜」と光がハルヒの肩に手を置いて、「え、いきなり?」とか言いながらハルヒが光の腰に手を回した。
ハルヒの達観してるがゆえの順応性ってすごいと思う。

「まぁ無理な体勢で走って二人してかっこ悪く転んでもいいなら肩でもいいと思うよ」

よく考えたら僕たち敵チームだしね、なんて今更なことを。
かっこ悪く転ぶなんてごめんだしなまえに怪我でもさせたら大変だ。
なまえが嫌じゃないなら強く拒否する理由もない。

「…なまえが嫌じゃなければ僕はいーよ」

いちいちこんな風に確認を取らなきゃなんにもできないあたり情けないんだけど。
僕よりもずっと低いところにあるなまえの表情をうかがうと丸い瞳を少し細めて、「いやじゃないよ」と微笑んでくれて僕は胸がぎゅっと掴まれたみたいだ。

「うん、じゃあ僕はさっきみたいに肩に手置くから」
「うん」

恐る恐るというようになまえが身体を寄せてくれて、僕の脇腹と腰のあたりを小さい手が行ったり来たりする感じがしてくすぐったい。
さっきよりもずっとなまえの身体が近く感じて、肩に置いた手を思わず浮かせそうになったり力が入りそうになったり加減がわからなくなる。
収まりのいい場所を見つけたらしいなまえの手が僕のジャージを握ったのがわかって、くすぐったいとかむずがゆいとか、そんなもんじゃない。
僕の左側となまえの右側がくっついていて心臓が飛び出そうだ。

「馨くん?」

これでいいのかな、と不安そうに見上げられても目を合わせられなくて思い切りそっぽを向いてしまった。



放課後は相変わらず体育祭の準備やホスト部のサイト管理で慌ただしかった。
参考文献を図書室に借りに行って、それが終わったら会議室に戻って…。
頭の中でやることを整理して歩く。
図書室では目的の棚以外で立ち止まる予定なんてなかった。
なのにどこからか聞こえてきた話し声を拾ってしまって、僕の耳は昔馴染みの声色に反応する特殊能力でもあるんだろうか。
なまえの声が、多分僕のいる向こう側の本棚から聞こえてきた。
話し声がするということは会話の相手がいるということで。
その相手が男だったものだからフリーズしたみたいに動きが止まってしまう。

「みょうじさん、これどうかな?」

…またあいつか。
話し相手はついこの間、光とも話題になった風間だった。
持っている画集か何かをなまえに見せていて、それを確認しながら何か話している。
学院の生徒だったら誰でも使える図書室とはいえ、二人でこんなところにいる理由ってなんだ。
どうしてよく二人でいるんだ、共通点がすぐに浮かばない。

なまえの視線は手元の本に落ちているのに、次の言葉で丸い瞳が風間に向いた。

「…みょうじさんって、話しやすいよね」
「え?」

ずかずか入って会話を遮ってやろうと思ったのに風間の口から出た脈略のない言葉に嫌な予感がする。

「男子と話してるところ見ないから。…常陸院くんと婚約してるんだよね?」
「はい、ご存知なんですね」
「有名だからね。常陸院くんとも一緒にいるところはあんまり見ないけど…親が決めた婚約なの?」
「そう、ですけど…」

親が決めた婚約。
そうなまえが肯定して後ろから何かで刺されたみたいに息が詰まる。
なまえが僕のことをどう思っているか考えたことがないわけじゃない。
少し前までは僕が避けていて、なまえも僕とは必要以上に話そうとしなかったけれど最近は雪解けっていうか、少しずつ歩み寄っているような気になっていた。
手に持っていた資料がくしゃりと音を立てる。

「そっか、だから常陸院くんもあんな自由にしてるんだ」
「自由、ですか?」
「ほらホスト部とか」

風間は言葉を濁しているし多分悪気はないんだろう。
どう切り出そうか迷っている、そんな感じに聞こえる。

「…みょうじさんも縛られる必要ないと思うんだ」
「縛られる…?婚約にってことですか?」
「うん。将来的には、って話だろ?だから、その、高校生の間だけでもいいから…僕と、」
「ねぇ」

しぼり出すように言葉を選んでいる風間の声を容赦なく遮った。
突然割って入られたからか、その相手が僕だったからか、多分両方だけれどなまえも風間も驚いて固まっている。

「何やってんの」
「馨くん?」
「なまえ、放課後練習しようって言ってたよね?なんでこんなとこにいんの」
「え、練習って」
「二人三脚」

そんな約束はしていないし僕も仕事がまだあるのに、ここからなまえを連れ出す理由が咄嗟に思い浮かばなかった。
他の男との間に割って入る理由なんて、僕となまえが婚約者だからってだけで十分なはずなのに。

「そ、そうだったっけ。ごめんなさい」
「うん。早く行こう」

ぼけっとしているなまえの手首を掴んでその場を離れる。
一瞬振り向いて睨みつけたら風間はぽかんとしていて、その顔になぜか毒気を抜かれた。
多分あいつには本当に悪意とかなくて、ただなまえのことを想っている、そんな気がした。
そのまま図書室から出て渡り廊下を早足で歩く。

引っ張るように進む僕に歩幅の違うなまえが小走りになっていることには気が付いていたし練習なんて嘘で目的地もない。
なまえが弱く「かおるくん…?」と言う声でようやく足を止めた。

「どうしたの?何かあったの?」

さっきの僕の嘘を、何か事情があったとかスケジュールを組み直したとか思ったらしい。
どうしたの、と聞かれても明確にこの感情を表す言葉が見つからない。
ただ、じわじわ込み上げてくる痛みが苦しくて戸惑うように僕を見上げるなまえの肩を引き寄せたいのに突き放すように目をそらす。
何も言わない僕を気遣うような視線が嫌だった。

「練習の約束って…」

あんなの嘘だよ、わかれよ。
大体僕は手に資料を抱えていて、どう見たってまだ仕事の最中だ。
図書室で借りようと思っていた文献だってあるのに直情的すぎる。
今から来た道を戻ることなんてできないし急ぎではないから明日でもいいけど、無駄足だったし嫌なものを見たうえになまえとこんな空気になるなんて最悪だ。
なまえの目に浮かんでいるのは戸惑いとか気遣いとか、多分そんな感じ。

僕だってこんな風に怒りたくなんてないのに大きく息を吸ってもぎしぎしと痛む心臓は落ち着かない。
なまえにこんな顔させたくないのに僕のことで少しでも感情を動かしているのかと思うとたまらない気持ちになるなんてどうかしている。

「練習っていうのはごめん、僕の勘違い」

なまえがよくわからないという表情で僕を見上げる。
上目遣いなんて今に始まったことじゃないのに、さっきまでこんな風に風間とも話していたのだと思うとあちこちが痛くて死んでしまうんじゃないかなんてありえないことを考えてしまう。
光とか鏡夜先輩相手でも気に入らないのに、それがよく知らない男だったら尚更だった。

「何してたの、あんなとこで」
「え?」
「風間と二人で何話してたの」
「何って…園芸部で植えるお花のことを」
「なまえ園芸部じゃないじゃん。大体それって二人じゃないとできない話なの」
「意見が聞きたいって言われて…別に二人ってわけじゃ…周りに人もいたし」

周りに人って言っても棚と棚に挟まれていたら死角になるだろ。
それくらい言わなくたってわかってほしい。

「…なまえ、婚約者がいるって自覚あるの」
「でも風間くんはお友達で、」

風間の名前がなまえの口から出たことも、友達だと言ったことも気に入らなくて手首を握っていた手につい力が入ってなまえが小さく「馨くん、痛い…」とこぼした。

「僕との婚約なんて鬱陶しい?」
「…え?」
「なまえのいうオトモダチと話してるだけでこんな風に言われるの嫌でしょ。子供の時に親の決めたことなんだからなまえが嫌なら無理に従う必要なんてないんだよ」

なまえはそんなこと思うわけないし「そんなことないよ」って、そう言ってくれるとでも思っていたんだろうか。
なまえが傷付いたように唇を噛んで、自分の言ったことのまずさに気付く。

「馨くんも鬱陶しいとかって思うの」
「……」

思わないよ、と即答できなかったのは僕のいらない意地とか子供みたいなプライドのせいだ。
なまえの瞳が揺れた。

「馨くんは、どう思ってるの」

そう聞いてくる声が震えていて泣き出すんじゃないかと思った。
僕も引くに引けなくて、だけどこれ以上一緒にいたらもっとひどいことを言ってしまいそうで。

どう思ってるの、という問いかけには何も答えられないまま、握っていたなまえの手を解放する。
なんて言えばいいんだろう、言葉が見つからない。
だってこの感情の理由も気持ちの名前もわからないんだ。
子供の頃からずっと抱えているものは変わらないのに。

「僕は、」

何を言うつもりなのか自分でもわからないまま口を開いたら、場の空気にそぐわない機会音が鳴った。
鏡夜先輩から電話だ。

「…はい、うんごめん。いま会議室向かうとこ」

いつまで経っても会議室に来ない僕の居場所を尋ねる電話に短く返事をして通話終了ボタンを押す。
なまえに一言だけ「ごめん、僕行かなきゃ」と声をかけてそのまま歩き出した。
渡り廊下で立ち尽くすなまえがどんな表情をしているかなんて振り返ることができなくてわからない。
だけど、傷付いたように声を震わせて瞳を揺らす表情はいつまで経っても頭から消えなかった。


(2020.07.25.)



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