6.またねの続き

仕事終わり、楽屋で衣装から私服に着替えていたらハルが珍しく携帯をチェックしていた。

「真琴」
「ん?」
「この後、暇だろう」
「暇だけど…」

どうかしたの?と問いかけるけれどきっと夕飯の誘いだろう。
ハルとは昔から食事を一緒にする機会が多くて、上京してからもよくお互いの家でハルが手料理を振る舞ってくれる。
俺は料理が苦手だからなるべく包丁は握りたくない…というかハルに心配そうな目で止められてしまう。

「旭と郁弥がまろんにいるから来ないか、だそうだ」

真琴もグループに入ってるぞ、と言われて慌てて携帯をカバンから出す。
携帯のアプリを起動するといくつか通知が来ていて、旭と郁弥、ハルと俺の四人のグループトークにメッセージが届いていた。
さかのぼって読んでいる間にもうひとつポコンっとメッセージが追加されて「真琴と行く。今仕事終わった」とハルが送っていた。

「ちょっとハル!」
「なんだ、行かないのか?」

不思議そうに首をかしげるハルに「行くけど…!」と返したらさっさと着替えろと呆れた顔をされた。
水泳を習っていたからなのか、ハルは着替えるのがすごく早い。

マネージャーさんが送ると言ってくれたけれど、大きいバンが店の前の停まるのは…と断ったらスタジオから近い駅まで送ってくれることになった。
車移動は楽といえば楽だけれど、電車から見える外の景色とか線路を走るときに揺れる感じとかはけっこう好きだ。

なまえちゃんが働いていることがわかってからはまろんに自分から足を運ぶことはしていなかったけれど、こういうことを想定していなかったわけではない。
到着するまでなまえちゃんがいたらどうしよう、と気が気じゃなかった。

何も知らないハルがなんのちゅうちょもなく扉を開けて入って行く後ろに隠れるようにして入店したら店主である茜さんに何してんの?と笑われた。
まろんに着いたのは閉店三十分前でちょうどラストオーダーの時間だったからからかお客さんは旭たちを除いたらお一人様の男性客が二人いただけで落ち着いていた。

久しぶり、仕事お疲れ、なんてやりとりを交わしながら店内をぐるっと見回したけれど、なまえちゃんの姿はない。
ホッとしたような少しだけ残念なような、肩透かしをくらった気分だ。

「お待たせしました、ポークカレーとアジフライです」
「ありがとうございます!」

まろんには魚のメニューがひとつしかなくて、サバじゃなくてごめんね〜なんて茜さんが言ってハルがサバメニューがあったらもっといいのに、と少しすねるのは毎度のやりとりだ。

「このカレーにサバ缶を入れたらサバカレーになるだろ」
「サバカレーってそんなに需要あるかな?」
「次から缶詰持ってきて自分で入れよう、みたいな顔するのやめろハル!」
「…どうしてわかったんだ」




「はい、これはサービス。食べられなかったら待ち帰れるように包むから言ってね」
「いつもありがとうございます」

茜さんが小さな皿に乗せて持ってきてくれたのは焼き菓子だった。
来る度にクッキーとかマドレーヌとか、サービスだよと言って色々なものを出してくれる。
残ってしまったりまだ試作だったり、他のお客様には出せないからということらしい。

「これ、見たことないお菓子だ」
「あぁ、これな。ちょっと前に新しく入ったバイトの子の意見だってさ」
「バイトの子?」
「おー俺らより二歳下でまだ大学一年なんだけど、姉ちゃんとよくメニューの試作だ試食だってやってる」
「へぇ…」

二歳下のアルバイトの子って、もしかしてなまえちゃんかな。

「郁弥は会ったことあるのか?」
「うん、何回か。いい子だよ、ね、旭」
「なんっで俺に振るんだよ?!」
「かわいい子が入ってきた〜って喜んでたじゃん」
「おい!!」

久しぶりに会っても郁弥と旭は相変わらずで、中学からの友達って飾らないでいられていいなぁと思うのと同時に、アイドルにならずに大学生に専念していたら旭みたいに「かわいいな」と思った女の子と恋愛できたんだろうかと考えてしまった。

「真琴、食わないのか」

ならもらうぞ、俺の目の前にある焼き菓子を狙っているハルから慌てて皿を遠ざける。

「食べるよ!自分のぶん終わったなら茜さんにおかわりもらったら?」
「…めんどくさい」

まろんは旭のお姉さんである茜さんが営んでいる昔ながらの純喫茶だから若い女の子のお客さんがほとんど来ない。
知り合いのお店ということもあって安心して通えているし居心地がいい。
閉店時間を過ぎてこうやって居座ることを快諾してくれて、まろんに来れなくなるってやっぱりちょっと困る。
なまえちゃん、いつシフト入ってるんだろう。
会っちゃったらまずいかな、まずいよなぁ。
俺は別に会ってもいいんだけど…ってこんなこと凛に言ったら怒られるな。

みんなと気兼ねなく話をしながら、食後のコーヒーを飲んでいたらお店の電話が鳴った。

「はい、お電話ありがとうございまず。純喫茶まろんです…ってなまえちゃん?どうしたの?」

すぐに電話を取った茜さんが口にした名前に口に含んだばかりのコーヒーをふきだ
しそうになってしまった。
なまえちゃんって、なまえちゃんだよな。
店に電話してくるような、それでいて茜さんと親しそうな人物で同じ名前の子が二人いるなんてそんな偶然ないだろう。

「えーやだ大変!ちょっとロッカー確認してくるから待っててくれる?」

バタバタとバックヤードに入って行った茜さんの背中を見送りながらバクバク鳴っている左胸を押さえたのは無意識だ。
忘れ物でもしたんだろうか。
…なまえちゃん、店に戻ってくるのかな。 
少ししてから手にお財布らしきものを持った茜さんが戻ってきて保留にしていた電話を耳にあてた。

「もしもし?あったよ、お財布。うん、わかった、気を付けてね」

通話を終えた茜さんが、俺たちに目を向けて旭の名前を呼んだ。

「旭、今からなまえちゃん来るからちょっと月紫抱っこしててくれない?わたし外で待ってようと思って」
「おーいいけど、財布忘れたの渡すんだよな?俺が外出るよ。寒いだろ」
「でも五分もかからないって言ってたし」
「いーって。姉ちゃん仕事してんだし」
「じゃあお言葉に甘えて。お財布これね」
「おう。なまえちゃんにコーヒーあげてもいいか?」
「もちろん」

旭がガタっと椅子から立ち上がって、慣れた手つきで紙のカップにコーヒーとミルクを注いだ。

「…あの、お店の中で飲んでもらっていいよ。俺たちは大丈夫だから、ね?ハル」
「あぁ」

芸能界に身を置いているからって昔からの知り合いに気を遣われるのはなんだかいたたまれない。
それは相手がなまえちゃんだからってわけではない。
茜さんと旭が顔を見合わせて「二人がそう言うなら」と頷いてくれた。

「とりあえず俺は外で待ってるわ」

旭がなまえちゃんのお財布を手に外に出ていくと、ちょうど閉まりかけたドアの向こうから旭が誰かに話しかける声が聞こえた。
誰かって、答えはほとんどわかっている。

「なまえちゃん、お疲れ」
「旭くん、どうしたの?」
「財布、姉ちゃんに頼まれた」
「えっごめんね…ありがとう」
「全然!なまえちゃん帰り急いでる?中でコーヒー飲んでかね?」

寒かったっしょ、と気遣う言葉を忘れない旭の自然な誘い方に、残された男三人で顔を見合わせてしまう。
聞こえてくるのは確かになまえちゃんの声で、この前もアルバイト中の声は聴いたのに素の状態っていうか普段のなまえちゃんってこんな感じなんだと不思議だ。

「急いではいないけど…でももう閉店時間過ぎてるよね」
「あーいいのいいの。まだ俺のダチもいるから。持って帰ってもいいけど」

閉まりかけていたドアが開いて、なまえちゃんを店内に促しながら話を進める旭がカップに入れたコーヒーを差し出している。
旭って昔からコミュニケーション能力が高かったけど、女の子と話している印象はなかった。
大学三年生にもなるとこうもスマートに対応できるようになるんだな、と違う一面を見た気がする。

なまえちゃんが店内を見回して、茜さんに挨拶をしてから俺たちのほうを一瞬見たけれど俺とハルには気が付かなかったみたいだ。
まさかこんなところで会うと思わないよな。

「そうなんだ、じゃあちょっとだけ」
「おう!いらっしゃいませ〜」
「お邪魔します〜茜さんお手伝いすることありますか?」
「もう閉め作業終わってるから大丈夫よ、勤務終わってるんだから気ぃつかわないでね」
「ありがとうございます」

寒かった〜と言いながら旭にもらった紙コップを両手で持って一口飲みほっと息を吐いている。

「旭くんの友達って、みなさん鷹大生ですか?」

はじめまして、まろんでバイトしてるみょうじです。と少し距離があるところから声をかけられて肩がはねそうになった。
店内に入れてもいいって言ったのは俺だし、ここでちゃんと挨拶しないとおかしい。

「僕は霜学だよ」
「あ、桐嶋さんは鷹大じゃないんですね」
「七瀬です。俺は、」

どうしよう、まずは自己紹介、と俺がもたもたしていたらハルが話そうとして、そうしたらなまえちゃんが「え、」と小さくつぶやいた。
ハルに向けていた視線をなまえちゃんの方に向けると、目が合った。
さっきよりもしっかり俺たちのほうを見たなまえちゃんの表情が固まった。

持っていたカップに力が入ったのがここからでもわかる。
旭と俺たちを交互に見て「あ、あしゃひく…ぅわ、噛んじゃった」とあたふたしていてつい笑ってしまったら、なまえちゃんが顔を真っ赤にさせて俺のほうを見た。

「ハルくんと、ま、真琴くん…?」
「うん、橘真琴です。久しぶりだね、なまえちゃん」
「おっ覚えててくれたの…え、待って何これ、ドッキリ?旭くんどういうこと?」

そっか、確かに自分のバイト先に応援していたアイドル…いや過去形じゃないと思いたい、が来たらドッキリか何かだと思うかもしれない。

「ぅお、なまえちゃんコーヒーこぼれる!」
「えっわ、ごめん!」
「コーヒー持つから離して!」
「わ、わかった…」


多分話すのは二年ぶりくらいだ。
夏のコンサートで姿は見たし手紙ももらっていたけれど、なまえちゃんとこうして話すのは二年ぶり。

「ねぇ旭くんどういうこと…?」
「だからダチだって」
「本当に?なんで?なんの友達?」
「質問攻めかよ!中学が一緒だったんだよ」

落ち着け、となまえちゃんからコーヒーを奪った旭が肩をぽんぽん叩いている。

「なまえちゃんも立ってないで座ったら?」

様子を見ていた茜さんが笑いそうになりながらそう言うと「は、はい…」と言って一番入り口に近いカウンター席に座った。

「…真琴知り合いか?見たことあるような」
「あー……」

ここで俺のファンの子だよ、とハルに返すのはなんだかためらわれた。
楽屋とかで話しているのならまだしも、旭と郁弥もいるしなまえちゃんにもうファンじゃないって思われたら悲しい。

「真琴は知っていたみたいだね、みょうじさんのこと」
「うん、昔握手会に来てくれて」
「へぇ、ファンの子のことって覚えてるもんなんだ」

すごいね、と郁弥が感心したように言ってハルが合点がいったような顔をしていた。
カウンターに座ってコーヒーを旭に渡されたなまえちゃんはもうこっちを見ることなく茜さんと話している。
多分まだ状況を理解できていなくて茜さんはけらけら笑っているけれどなまえちゃんは混乱しているみたいだ。
横顔しか見えないな…なんて考えていたら旭がなまえちゃんの隣に座ってしまって姿が見えなくなった。

「いや、旭くんわたしとはいつでも会えるんだからこっちじゃなくてあっち座りなよ」
「あまりにも動揺してるから心配してんのにひどくね?」
「お友達は大事にしてください」
「なんだそれ」

追い返された、と言いながら旭が俺たちの席に戻って来る。

「いやーしかしビックリしたな。まさか二人となまえちゃんが知り合いだったとは」
「知り合っていうの?ファンとアイドルって」
「郁弥、お前まじでドライだな…」
「いや、純粋に疑問に思っただけだよ」

知り合い…なんだろうか。
俺となまえちゃんの関係に名前を付けるとしたら郁弥が言った「ファンとアイドル」これでしかないと思う。
だけど、赤の他人ってわけではなくて、へたな知り合いよりもお互いのことを知っているような気がする。

「俺よりも真琴とのほうが親しいだろ、あの子」
「うん…なまえちゃんは知り合いっていうよりも、もっと…昔から知ってる子みたいな感じかも」

美味く言えないけど、と付け足したらカウンターの背の高い椅子を引く音がしてなまえちゃんが立ち上がっていた。

「あの、わたしもう帰ります。お財布すみませんでした」
「いえいえ。引き留めちゃってごめんね。旭〜なまえちゃん帰るって、駅まで送ってあげて」
「えっ大丈夫ですよ」
「でももう遅いし。送ってもらってくれたほうがわたしが安心」

旭が「ちょっと送ってくる」とさっき脱いだばかりのコートをまた羽織る。
会えたらどうしようって思っていたけれど、何も起こらなかった。
なまえちゃんは「あの、お邪魔してごめんなさい。真琴くん、ハルくん…会えて嬉しかったです」と多分飲み切れずに持って帰ることにしたのであろうコーヒーを胸の前でぎゅっと握っている。
それを見たらもう、なんだか懐かしいような、たまらない気持ちになった。

「…旭、俺がなまえちゃん送って行くよ」
「おー俺はいいけど、大丈夫なのか?」
「うん、帽子かぶるしもう暗いから大丈夫」
「だ、ダメだよ」
「え?」
「帽子かぶっても暗くても、万が一誰かに真琴くんだってわかって、女の人と歩いているところ写真とか撮られちゃったらどうするの」

なまえちゃんがこんなにはっきりとノーと言うとは思わなくて俺以外のみんなも一瞬動きが止まった。

「…あ……あの、真琴君が優しいのはわかってるし、すごくすっごく嬉しいけど、送るとかそういうのは、ダメだと思う」
「そ、そっか」
「なんかよくわかんねーけど真琴はなまえちゃんにフラれたっつーことで、俺が送ってくるな!」
「フッたとかじゃないでしょ?バカ旭」
「まぁまぁ、じゃあみんなでお見送りくらいしたら?」

茜さんがなまえちゃんに「ね?」と微笑んで、それに頷くなまえちゃんの表情は冴えなかった。
申し出は断られるし、結果暗い顔をさせてしまったし、考えなしに言った自分が恥ずかしくて誰にでもそういうことするって思われたら嫌だな。

ぞろぞろとまろんの外に出る。
さっきまで一定の距離で話していたなまえちゃんがすぐそばにいて、帰っちゃうのか、もっと話したかったな、なんて思う自分に驚いてしまう。
話しかけてもいいだろうかとためらって、今までの握手会とかがいかに受け身だったのかと思い知らされる。

「なまえちゃん」
「真琴くん…」
「夏のコンサート、来てくれてたよね」
「えっなんで」

なんでわかるの?と目を丸くさせて、みるみるうちに瞳いっぱいに涙があふれそうになる。

「目合ったと思ったの俺だけ?」
「…待って泣いちゃうからやめてください」
「あはは」
「う〜…」
「手紙もありがとう。事務所に届いたのもちゃんと読んでるよ」
「待って本当に。無課金でこんなに話せるなんてバチが当たりそう。本当にドッキリじゃないの…?」
「無課金って」
「なんならコーヒーもらっちゃった……」

最後にちゃんと話したときはまだなまえちゃんは高校の制服を着ていて。
まるで今生の別れみたいに寂しそうな表情がずっと頭から離れなかった。
二年経って、くるくると表情を変えて話すなまえちゃんが今目の前にいる。

「クリスマスのライブは来る?」
「ううん…チケット当たらなかったの。スタファイすっごい人気なんだよ」
「そっか、ありがたいけど残念」
「…あの、ありがとう真琴くん。こんなところで会っちゃったのに普通に話してくれて」
「え?」

普通に話してくれてってどういうことだろう?と思わず首をかしげる。

「プライベートなのにごめんね」
「いや、それは全然」

なまえちゃんだとわかっていて店内にどうぞって言ったのは俺だし。

「真琴くんのこと応援してた…って今も応援してるんだけど、会いに行ってた高校生の頃すごく楽しくて一生の思い出だなぁってよく思う」
「うん」
「今日のことも、絶対に一生忘れません」
「…うん」
「我ながら重たい」
「あはは」

時間制限なく話せることが初めてで、ずっと話してたいなぁなんて思ってしまったけれどなまえちゃんが「本当にありがとう」と会話を切り上げた。

「ハルくんも、ドラマ観てます」
「ありがとう。最終話のゲストに、」
「え?ちょっと待ってそれ言っちゃいけないやつじゃないですか?」

まだ未公開の情報をぺらっといいそうになったハルをなまえちゃんが止めた。
なんか、本当にファンとしてすごく「ちゃんと」してるんだよなぁ。

「旭くん、待たせてごめんね。茜さんと郁弥くんも、また」
「はーい、またバイトの時にね」
「気を付けて帰って」

旭と並んで歩いて行く後ろ姿を見て、なんだか夢みたいでドッキリか何かかと思ったのは俺も一緒だと思った。



(2020.07.10.)



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