6.変わらないもの

桜蘭学院祭、今年僕たち一年A組は私立探偵事務所というコンセプトで準備を進めている。
僕と光は衣装担当で、デザインが固まったから今日はクラスメイトたちの寸法を取ることになっていた。

「じゃあ出席番号の順番に測るから、呼ばれたら来てねー」

光がメジャーをあてて僕がメモを取る係、と分担してサクサクと進めていく。
二人で全員分衣装を用意するのはまぁそれなりの労力だけれど、シャツにベストというシンプルなデザインにしたからこそサイズ感にこだわらないと野暮ったくなるから手抜きはできない。

「はい、オッケー。じゃあ次の人―?」
「お願いします」
「おっなまえじゃん、よろしくね」

手元の名簿に書き込んでいるのは僕だから、次がなまえってことはわかっていた。
光に続いて「よろしく」と言うとなまえは「馨くんもお願いします」と目尻を下げてくれる。

「じゃー測ってくね」
「うん」

光がメジャーを広げて、なまえがおろしていた髪の毛を自分の左側にまとめて腕を少し広げる。
なまえだってオートクチュールの服を作ったことはあるだろうから戸惑うことなく光が測りやすいようにしたんだろう。
けど、なんか。
光とはいえ、文化祭の衣装のためとはいえ、なまえの肩にメジャーをあてたところを直視できなくて手に持っていたバインダーに力が入った。

「馨?」
「…光、ごめん代わって」
「えっ」

驚いたように声をあげたのは光ではなくてなまえで、僕だって寸法くらい測れるんだけど。
光は皆まで言わずとも僕の言いたいことをわかってくれて、「はいはい」なんて言いながらメジャーとバインダーを交換してくれた。
さっきまでと違ってなまえはマネキンみたいにガチガチに立っていて、やっぱり僕のことまだ苦手なのかな。
光とは笑って話しているのに。

「なまえ、肩にめちゃくちゃ力入ってる。それじゃ測れないよ」

光が指摘して「深呼吸〜」と言うと力が抜けたように息を吐いて「ごめんなさい」と謝られる。

「いや…じゃあ肩から測るね」
「うん、お願いします」

そっと薄い肩にメジャーを当てて、ギリギリ身体には触らないようにとは思うけれど完全にっていうのはやっぱり難しい。
光にやらせるのはおもしろくないと思ったけれど自分でするのもけっこうしんどいな…。
肩、腕、ウエスト、背中と順番にサイズを光に伝えていくけれど、なんか、これって。
なまえの前にも散々他のクラスメイトのサイズを光から聞いてメモして、と作業をしていたのに相手が違うだけでこうも心持ちが違うものなのか。
なんとか測り終えた頃にはドッと疲れてしまった。

「はい、終わり。お疲れさま」
「ありがとう、馨くん」

パッと顔をそらして終わったことを伝えると、なまえがふぅ…と小さく息を吐いた。
これ、サイズぴったりに作ったら身体のラインちょっと出るんじゃないかな。
なまえの分は縫製も僕がやろうと密かに誓っていたら光が寄って来る。

「なまえだいじょーぶ?疲れた?」
「ううん、だけど測ってもらっている間なんだか息を吸うのを忘れていたみたいで」

苦しい…とすーはーと深呼吸している。
光が「何それ」とケラケラ笑いながらなまえの背中をさすった。





「光、馨!」

文化祭当日、オープンして少し経ってからお母さんとお父さんがクラスに来てくれた。
ハルヒのことを紹介すると上から下まで遠慮のない視線でジロジロと眺めていたけれど、どうやら気に入ってくれたようで家に来なさいなんて言っている。

「馨、なまえちゃんは?同じクラスよね?」
「あー…なまえは今お客の相手してるよ」

ほら、と謎解きの推理を手伝っているらしいなまえを指さす。
…ていうか、なまえは入り口のところでルーレットで出た番号のお題を渡すだけの係だったはずなんだけど。
推理の手伝いの係は別にいるのになんでなまえが。
しかも相手、男子生徒だし。

「あら、大変じゃない」
「は?」
「浮気してるわよ、大事な婚約者が。ねぇあなた?」
「はは、なまえちゃんすっかり綺麗になったからなぁ」
「お母さん?!お父さんまで!」

まさかそんなからかい方をされるとは思わなくて、光も一緒になって笑ってるしなんなんだこの親子は!
僕も親子だけど!
騒がしくしてしまったからか、なまえがこちらを見てお母さんとお父さんに気が付いたようで相手をしていた男子生徒に何か断りを入れている。
少し言葉を交わしてから僕たちのほうに小走りで来てくれたなまえの顔は嬉しそうに綻んでいた。

「おじさま、おばさま!ご無沙汰しております」
「こんにちは、なまえちゃん。相変わらず可愛いわね〜!」

お母さんはなまえのことをいきなりぎゅっと抱き締めて「衣装も似合ってるわ」と撫で回す。

「ふふ、ありがとうございます」
「でもちょっとベストが緩いんじゃない?もう少しタイトなほうが綺麗に着られるのに」
「あーなまえの寸法したのは馨だからねー縫製も馨だし」
「ちょっと光!」
「だって本当のことじゃん」

なまえはきょとんと首を傾げているけれど、お母さんはニヤニヤと笑っている。

「そういうことね、馨ったら」
「?…おばさまのジャケットも素敵ですね」
「あら、ありがとう。また家にも遊びにいらっしゃい。なまえちゃんに似合いそうなお洋服たくさん用意しておくわ」
「わぁ、嬉しいです!」
「それ着てたまには馨とデートでもしてやってね」
「えっ」
「お母さん!!」
「じゃあまたダンスパーティーでね。なまえちゃんのドレス、楽しみにしてるわ」
「は、はい…」

自由な大人だとは常々思っていたけれど、言うだけ言って回収せずに去って行くのはやめてほしい。
なまえと僕の間に流れている何とも言えない空気をどうしてくれるんだ。
光とハルヒはさっさと接客に戻ってしまっていた。

「…なまえ、」
「っはい」
「さっきの気にしなくていいから、デートっていうの」

あと寸法ごめん、ちゃんと測ったつもりだったんだけど緩かったよね、と謝る。
目を合わせることが出来なくてなまえの「ううん」という小さな返事を聞いて僕も持ち場に戻った。



部活での企画発表の時間が終了して、次は五時から行われるダンスパーティーの準備だ。
今日はホスト部も文化祭仕様で、馬車でのエスコートに中央棟サロンでの接待と普段よりも数倍疲れたらしいハルヒがぐったりとしているけれど、光と僕で女の子モードに変身させる。
だって僕らだって堂々とハルヒと踊りたいしね。
ロングヘアにドレスを着たハルヒはどこからどう見ても女の子で、殿の反応が楽しみだ。
中央棟三階にあるサロンでホスト部の企画を行えたから「移動が楽でラッキーだね」なんて話をしながらダンスパーティーが行われている一階に下りる。
パーティー自体はまだ始まる時間ではないけれど、続々と参加生徒や父兄が集まって賑わっていた。

「じゃーハルヒはここにいてね」
「美味しいものたくさん食べるんだよ〜あとで僕らとも踊ってね!」

桜蘭はイベントが多い学校だと思うし、僕たちホスト部は夏にはサマーパーティー、冬はクリスマスとシーズンが変わるたびに姫たちと踊る機会を設けている。
だけど今回はホスト部に普段来ない生徒ももちろんたくさん参加していて、視線を彷徨わせて見知った顔を探してしまう。

「あ、なまえちゃんだ〜!」

どこにいるんだろう、と頭に浮かべていた人物の名前がハニー先輩の口から飛び出して肩が跳ねる。
僕が先に見つけたかった、なんてことは思わないけれど、ハニー先輩が指さしたほうを向くと二階から一階へ続く大階段を下りて来るところだった。
ドレスの裾を持って、折れそうに細いヒールのくつを履いたなまえがゆっくりと階段を下りる。

「なまえかわいいじゃん!ねっ馨!」
「あ、あぁ…うん、そうだね」
「カオちゃん、お誘いに行かなくていいの?」
「姫たちがお待ちだから。…その後に時間があったら……誘ってみようかな」

そう、ホスト部の企画ではなくてもこのパーティーで僕たちと踊りたいという女の子はたくさんいる。
光もハニー先輩もそのことをわかっているからそれ以上何か言われることはなかった、のだけれど。

……なんで鏡夜先輩が。

なまえとなまえのご両親、それから鏡夜先輩とそのご両親が挨拶をしている姿は広い会場でも少し目立っていた。
何を話しているのかなんて聞こえるわけがないけれど、みんな穏やかに笑っていて家族ぐるみでの付き合いなのだということがわかる。
挨拶が終わったのか、鏡夜先輩がなまえに手を差し出して、それになまえが手を重ねた。
もしかしなくても、ダンスに誘ったのだろう。

さっきは姫たちとのダンスが終わったら、なんて言ったけれど、僕が他の女の子たちと踊っている時間にそりゃあなまえだって他の男と踊るわけで。
社交の場だしダンスは嗜みのひとつとして幼い頃から教わる、婚約者がいるからって他の人と踊ってはいけないなんて決まりもない。

自分のことを棚に上げていることはわかっているけれど、だけど。
嫌なものは嫌だ。
ちょうど僕はダンスの相手が途切れたところで、嫌でもなまえと鏡夜先輩を目で追ってしまう。
かっこ悪いな、僕。


「カオちゃん、カオちゃん」
「なに?ハニー先輩」
「このお皿持っててくれる?」
「いいけど、どうしたの?」
「なまえちゃんと踊ろうと思って!鏡ちゃんと終わるところみたいだから」

じゃあ行ってくるね〜!となまえのほうへ走っていくハニー先輩に渡されたケーキが山盛りの皿を持つ手に力が入ってピシっと効果音が入りそうな勢いだ。
鏡夜先輩だけじゃなくハニー先輩まで。

「馨はいいの?」
「光…」
「誘いに行かないならハニー先輩の次は僕が踊ってもらおうかな」

思わず光のほうを見ると呆れたような顔。
なまえに関することだとこういう顔をされることが多い。

「馨だって、どこのどいつだよって男よりもハニー先輩とか僕となまえが踊るほうが安心でしょ?」
「まぁ、そうだけど…」
「僕としてもあんなにかわいくしてるなまえと他の男がってちょっと嫌だしね」

手に持っていたグラスを傾けて光が目を細める。
ハニー先輩は背が低いのになまえのことをうまくエスコートしていて、普段話す機会はないはずなのになまえも楽しそうにステップを踏んでいた。

「なまえはさ、こっちが心開いたらちゃんと向き合ってくれる子だよ」
「うん」
「僕にはけっこう笑ってくれるし」
「やっぱり光と僕とで微妙に態度違うよね」
「あ、気付いてたんだ」
「そりゃあね」

それが僕自身のせいだということも、わかっているつもりだ。

「馨ってけっこう不器用だよね〜」
「光は考えなしなだけでしょ」
「別になまえ相手に考え込むような関係でもないからね、僕は」

僕は、というところを強調されて言葉に詰まって光を見る目が恨みがましくなってしまう。
昔は同じように誰とも深く関わらずにいたのに、僕だけが一歩遅れているような感覚。
その一歩はきっと誰よりも距離を縮めたい相手に向けて空いてしまった歩幅だ。

「あ、ハニー先輩もうすぐ終わるみたいだから僕行って来るね」
「ちょっ、光!」

ハニー先輩に渡されたケーキを投げ出すこともできず、光がなまえのもとに行ってしまうのをただ見ていたらモリ先輩にぽんっと肩を叩かれる。

「光の次に行ったらどうだ」
「でも、」
「光邦には言っておく」

なまえとのダンスが終わったハニー先輩はすぐに他の姫のお相手に行ってしまって、このケーキどうするんだよと思っていたら。
モリ先輩と踊りたい子だっているのに…と返事をできずにいたら「馨らしくないな」なんて優しく笑ってくれて、女の子たちはモリ先輩のこういうところに惹かれるんだろうな、なんて場違いかもしれないけれど思う。

「…バレンタインの」
「?」
「チョコをもらえるとわかった時の気持ちを大事にしたほうがいい」

なまえが幼馴染である鏡夜先輩には毎年チョコを届けていると知って、手作りのチョコを渡したい相手がいると聞いて、悔しいんだか悲しいんだかよくわからないけれど苦しくて。
指をやけどしてまで作ってくれたチョコレートは僕と光にあげたいのだと聞いてからは身体が宙に浮いているんじゃないかと思った。

あの時の、気持ち。

「…モリ先輩、ありがと」
「あぁ」

曲がもうすぐ終わる。
光となまえが手を離して恭しくお辞儀をするなまえがはにかむように笑っていて、僕が相手でもあんな風に柔らかく微笑んでくれるだろうかと心配にもなるけれど、さっきのモリ先輩の言葉に背中を押される。

「ありがと、なまえ」
「こちらこそありがとう…え、」

光と言葉を交わしていたなまえは、僕が声をかける前にこっちに気付いて驚いたように固まった。
いくら予想外だったからってひどくない?

「光、代わって」
「はいはい。よかったね、なまえ」
「っ光くん!」
「あはは、じゃあ楽しんでね〜」

ひらひらと手を振って僕に立ち位置を譲った光を二人で見送っていたら次の曲が始まってしまった。
慌てて二人でお辞儀をして、そっとなまえの手を取り反対の手を腰に回す。
なまえの手が僕の右腕に添えられて心臓が跳ね上がった。
寸法を測るときに触れることをためらった薄い肩や、くっきり浮いた鎖骨が剥き出しの状態で目のやり場に困る。
身体に沁み込んだステップは今更間違えることはないけれど、緊張でどうにかなってしまいそうだ。
普通なら微笑んで会話を楽しむ余裕だってあるはずのダンスなのに、なまえが相手だとうまくできない。

「馨くん…?」
「、なに?」
「誘ってくれてありがとう、すごく嬉しい」
「別に……僕がなまえと踊りたかっただけ、だよ」

かろうじて目を見て言うことができたけれど、なまえの丸い瞳に薄い涙の膜ができて焦る。

「僕なんか変なこと言った?」
「ううん、ごめんね、なんでもないの」

顔を隠すように俯いた拍子に、なまえが少しよろけて支えるために腰に添えていた手にぎゅっと力が入ってしまって。
慌てたように謝られるけれどそれどころではない。
さっきよりももっと近くになまえの顔があって息が止まりそうだ。

「…化粧、クラス展示の時と違う」
「実はね、おばさまにやっていただいたの」
「お母さん?」
「そう、髪の毛も」
「そのドレスもお母さんのデザインでしょ」
「わかるの?」
「まぁね」

なまえを大広間で見つけた時から気付いていた。
多分光もわかっていたと思うけれど、なまえのドレスは僕らのお母さんがデザインしたもので、彼女のために仕立てられたものだとすぐにわかった。
まさかヘアメイクまでしていったとは思わなかったけれど。

「…綺麗だよ」
「ね、わざわざ作ってくださるなんて、」
「ドレスもだけど。なまえが。綺麗だ」

呆けたようにぽかん、と間の抜けた顔をした後に首から耳の先まで真っ赤に染まった。
多分僕の顔も赤い。

鏡夜先輩に見せる気の抜けたような表情とも光に見せていたはにかむような笑顔とも違う。
こんな顔をするのは僕の前だけにしてほしいって言ったら今度はどんな表情をするんだろう。

「か、馨くんも、」
「ん?」
「髪の毛、クラス展示の時と変えたんだね」
「…なんだ、かっこいいって言ってくれるのかと思った」

相手が慌てていることがわかると、こっちは逆に冷静になれることもあるようで。
いや、内心は全然落ち着いていないしずっと心臓がうるさくて手も震えそうなのだけれど、僕の返事を聞いたなまえの顔が一層赤くなってリンゴみたいだ。

「か、」
「うん」
「かっ、かっこいいよ、馨くんは。いつも」

恥ずかしさからか、合わせていた手にぎゅっと力が込められて繋ぐみたいになる。
僕も自分で言っておいてなまえがそんなこと言ってくれるとは思わなかったからなんて返事をしたらいいのかわからない。
かっこいいなんて言われ慣れてるはずなんだけど。

恥ずかしい、なんだこれ。
曲が終わってしまって、普通だったらここでお辞儀をして離れるんだけど。
繋いだ手を離したくなくてなまえが「えっ」と小さくつぶやいた声を聞こえないフリをしてそのまま大広間の出口へ向かった。

「馨くん?」
「なまえさっきから踊りっぱなしで疲れたんじゃない?そんなヒールで」

だから休憩しよう、と中央棟を出た先の庭園に足を進める。
疲れただろうと思ったのも本当だけれど、踊っている間になまえのことを見ていた他の男たちの視線に気が付いてしまったから。
多分、僕とのダンスが終わるのを待っていた奴ら。
仲睦まじいとは言えないけれど僕という婚約者がいるなまえに表立って近寄ろうとする勇気のある奴はそういない。
でも今日みたいな全校でのダンスパーティーとなると話は別なんだろう。
順番待ちなんてしたって無駄だ。
僕だってなまえを誘うつもりはなかったんだけれど、なんて内心苦々しく思いながら足を進めていたら、僕に付いて来ているなまえが「ふふ、」と声をもらした。

「…なに?」
「なんだか、子供の時みたいだなぁと思って。よくパーティーを抜け出して遊びに行ったの覚えてる?」


子供の時みたい、なんて。

あの頃とは違うよ。
僕は背が伸びてなまえとは視線が合わなくなった。
繋いだ手だって僕のほうがずっと大きくてなまえの小さい手はすっぽりと包めてしまう。
なまえに向かって屈託なく笑えていた昔の僕が羨ましい。
変わらないのは、なまえが誰かに笑いかけるのを嫌だと思うわがままな僕。
それから、この手を離したくないと思ってしまう子供じみた愛おしさはあの頃からなんにも変わってなんかいなかった。


(2020.07.01.)




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