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「じゃあ着替えたらプールサイドに来てね。泳がないとき冷えちゃうから着替えとかタオルも持ってくること」
「はーい!」
元気いっぱい返事をしてくれた蘭ちゃんと蓮くんがそれぞれロッカールームに入っていくのを見守って、小さく溜息をつく。
半ば無理矢理連れてきてしまって、蘭ちゃんと蓮くんには悪いことしちゃったな。
あそこで逃げたところで、このあとどうせプールサイドで顔を合わせることになるのに。
考えただけで憂鬱だ。
…いやでも、宗介からの水泳部の勧誘を断ったのなんてもう何年も前の話だし。
宗介だってわたしがいま何部で何をしていようがなんとも思わないんじゃないだろうか。
さっき顔が歪んだように見えたのは単に驚いただけで、怒るかも…なんて考えるのは自意識過剰かもしれない。
「そうだよね、うん、大丈夫」
思わず独り言と共に拳を握りしめたら、自分の胸の高さに掲げた右手を大きな手に包まれるように握られた。
「何が?」
「っ真琴…」
「盛大な独り言だったね」
「あ、…蘭ちゃんと蓮くんちゃんと案内できたよって」
真琴が笑ってくれて安心するのと同時に罪悪感。
さっきの、逃げるみたいにして来ちゃったこと変に思わなかったかな。
凛との会話、聞かれてたかな。
「そういえば山崎くんにちゃんと挨拶しなくてよかったの?会うの久しぶりでしょ」
「…うん。どうせあとで会うしいいかなって」
なんの躊躇いもなく真琴から宗介の話題を振られて、滑らかに嘘を吐ける自分に驚く。
この前会ったんだ、ってここで言ってしまったほうがよかったのではないか。
ジッと顔を見られていて落ち着かなくて思わず俯く。
「なまえ」
「ん?」
真琴の顔が見れない。
「そろそろプール行こう?移動しないと凛たち着替えに来るよ」
凛たち、って言ったけどそこになにが含まれているかすぐにわかった。
真琴の眉が困ったみたいに下がる。
「あ…真琴はもう着替えたの?」
「うん、ハルたちももう着替えてるから先にプール行ったよ」
行こう、とわたしの手を取って半ば無理矢理歩き出した真琴の表情はもう見えないけれど、繋いだ手に込められた力がいつもより強くてなんだか泣きたくなった。
ごめん、って心の中で言っても伝わらなきゃ意味がない。
真琴に繋がれた手で揺れるエメラルドグリーンのミサンガが目の端でチラついて、罪悪感が増した。
イベントのプログラムは順調に進んで、今は江ちゃんが捻じ込んだ筋肉コンテストが行われている。
江ちゃんが審査員席にいたことには驚いたけど、凛と真琴がちゃっかりエントリーされていたことにはもっと驚いた。
さすが江ちゃん、抜かりない。
岩鳶のみんなで筋肉コンテストを見守っていたら渚くんが、あれ?と辺りを見回す。
「ハルちゃんどこ行ったんだろう?もうすぐリレー始まるのにー」
ハルがいないのだ。
お守り役の真琴がいないとすぐにこうだ。
「えーいつの間に…わたし探して来るよ」
渚くんと怜ちゃんにいってらっしゃいと見送られてプールを出る。
正直朝の出来事を引きずっていて、プールサイドにいても息苦しくて仕方なかったからちょうどいい。
真琴が何か言いたげな表情なのに何も言ってこないこととか、鮫柄メンバーが二階のギャラリーにいて宗介がこっちを見ているような気がすることとか、目に見えない何かに首を絞められているみたいだった。
それにしても、ハルはどこに行ったんだろう。
水を目の前にして泳げないことに耐えられなくなってロビーにでも避難してるとか?
ハルならありえそうだ。
そう思ってとりあえずエントランスの方へ向かおうと歩いていたら、ドンッという音と少し苛立ったような男の人の声が聞こえてきて肩が揺れた。
「なに?喧嘩…?」
恐る恐る音のしたほうへ足を進めてそっと覗くと、
「ちょ、ちょっと宗介なにしてるの?!」
宗介がハルを自販機へ追いやって、言い合いになっていた。
言い合う、というか一方的に宗介が詰め寄っている感じか。
慌てて二人の間に入り込んで、ハルを守るように背中に隠すように立つ。
…もちろんハルのほうが背が高いから隠れはしないのだけど。
「こんなところで喧嘩しないで」
「喧嘩じゃねえよ」
気まずそうにふいっと顔をそらして宗介が一歩引いた。
「ハルも宗介も、そろそろリレー始まるよ。準備運動とかしないと。戻ろう?」
まだ何か言いたげな宗介を横目に、スッとハルが歩き出す。
「宗介も、早く戻りなね」と目も見ずに言ってハルを追いかけようとしたら、大きな手に後ろから肩を掴まれてつんのめりそうになった。
「七瀬、ちょっとこいつ借りる」
「…あぁ」
「借りるって…もうリレー始まるってば」
「時間は取らせねぇよ」
ハルはチラッと振り返ったけど何も言わずに戻って行ってしまった。
肩に置かれた手が熱い、怖い、振り返りたくない。
「なまえ、」
「ごめんなさい」
「まだ何も言ってねぇだろ」
とりあえず座れ、と自販機のすぐ横のベンチに座るよう促される。
なかなか座らずに立ち尽くしていたら、先に宗介がドカッと座って、自分の隣をぽんぽん、と叩く。
「……」
無言で宗介から一番遠くになるようベンチの端っこギリギリに座る。
そうしたらチッと小さく舌打ちが聞こえて震え上がりそうになった。
「し、舌打ち…」
「なんなのお前」
はぁ、と今度は溜息を吐いて立ち上がってわたしのすぐ隣に座り直したからもう…血の気がひくってこういうときに使うんだな。
「な、なんなのと言われましても」
「なんで逃げるんだよ」
「宗介が怒ってるから?」
「怒ってねぇ…で、今日は何しに来てるわけ。まさか泳ぎに来たんじゃねぇよな」
怒ってないって言ってるわりに声にドスが効いてるというか、ピリピリしてるのが伝わってくる。
泳ぎに、なんてあるわけないのわかってるくせに。
小さい頃に凛と宗介からどれだけ教わっても泳げるようにならなかったこと、宗介は誰よりよく知ってる。
「イベントの、手伝いに」
「ふーん」
質問されたから答えたのに、ふーんって。
まだ続きがあるだろ、って顔をしてこっちを見る宗介の目が怖い。
「岩鳶高校に通ってて、」
「おう」
「…水泳部のマネージャーをしてます」
なんで敬語って心の中で自分にツッコミを入れる。
膝の上に置いた手をきつく握り締めすぎて爪が手のひらに食い込むのがわかった。
宗介が何も言わないから恐る恐る隣を見上げると、無表情の宗介がこっちを見ていたかと思うと突然立ち上がった。
「リレー始まるんだろ、行くぞ」なんて引き止めたのは誰だ。
一緒に戻りたくなくて、先に言ってて、と言えばまた睨まれた。
「どうせ行き先同じだろ」
「じゃあその怖い顔どうにかしてください」
「元からこんな顔だろ」
「中学生の時はもっとかわいかった」
言い合っているうちに宗介にグイッと腕を引かれて促されるようにそのまま歩き出す。
わたしが大人しく横に並ぶと腕は離された。
マネージャーをしていることについて、宗介は驚きもしなかったし怒るなんてもってのほかだった。
やっぱり宗介にとってはどうでもいいことで、怒られなくてよかったって安心するのと同時に肩すかしを食らった気分だ。
隣を歩く宗介に気付かれないように短く息を吐いた。
(2014.08.26.)